1_出征
ボルビアが隣国と戦争に突入してから数カ月が経過した。
前線は一進一退を続け、死者は膨れ上がった。
それでも争いは止まることを知らず、戦地では新たな兵士をまるで血液のように欲し続けている。
国内の経済は自然と疲弊し始める。
それと同時に多くの若年層が自身の年齢を偽り、家族の為、そして己の為に血気盛んに戦場へと参加を申し出ていた。
そんな時代の潮流に一人の少女もまた、己の身分を偽って戦場へと進む列車に乗り込んでいた。
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アズサが生まれ育った村から出て、列車に乗ったのは2日程だった。
途中数回補給に寄ったのだろう、幾度かの駅で停り、自身と同じような兵士が何度か乗り込んできていた。
戦場まで運ぶ塗装も何もかも禿げ上がった列車はガタガタと大きく揺れ、その度に車内で寿司詰めになり硬い床に座っている兵士たちは小さくうめき声を上げた。
椅子がない車内は窓が数個付いているだけの暗く狭い長方形の箱で、おおよそ人が乗ることを考えられていないであろう作りだった。
皆自身の膝を揃えて曲げ、膝頭を手で抱えて座っていて、周囲の人間との距離も近いため身動きが取れるようなスペースはあまりない。
息を吐き、膝頭に顔を押し付ける。目を閉じて色々思考を巡らせるが、これから戦場に向かうと考えると、どうしても過去の自身の行いや思い出ばかりがフラッシュバックする。
そういえば列車に乗ったのは久しぶりだと思った。
以前父に付き添って都会に連れて行ってもらった時に乗ったのが最初で最後だ。
生まれてこの方17年、あれほど我儘を言ったのは後にも先にもあの時しかない。
小さな子供の駄々に付き合いきれなくなったのだろう父は最後に、分かったよ、と軽く笑って承諾してくれた。
職業軍人だった父はよく、生まれ育った村から都会に出かけており、一度どうしても都会が見たくて我儘を言ったのだ。
優しかった父は6年前に死んだ。
カムデン王国との小さな国境紛争が始まったとき、現地に派遣されそのまま帰ってくることはなかった。
自身の肩に立てかけていたライフルからカチャカチャと小さな音が聞こえる。
列車の振動に揺られ銃の金属の留め具部分が銃身に触れ、小さいが耳障りな音を立てるのだ。
その金属の小さな音が父との思いでから、自身を現在に引き戻す。
膝から頭をあげ、それとなく周囲を見渡す。
隣に座っている兵士は手に写真を持って、何事か語りかけるかのようにじっと見つめている。
それを横から盗み見ると、どこか牧場のような場所で6人ほどが柵に腰掛け、横一列に並び笑顔でこちらを見ている写真だった。
おそらく彼の家族の写真だろう。
年老いた父や母らしき人物、それに数人の兄弟たちだろうか。
兄弟は皆幼く、無邪気な笑顔をこちらに向けている。
列車に乗ってから何度繰り返し思い返したか分からないが、母のことを思った。
父が死んでから一家を育ててくれた唯一の人。
アズサにも兄妹が下に3人いて、11歳の妹に8歳の双子の弟と妹。
まだ母を助ける程には成熟しておらず心配ばかりが募る。
列車には銃弾を受けたのか、所々にドングリ程の穴が空いていて、顔を近づけるとそこから外の風景がうかがえる。
列車の隙間から見える風景は真っ黒な土が平地を通してひたすらに続き、所々何かで吹き飛ばされたのだろうか、穴が抉れるように点々と混在している。
同時に肉の焼ける匂いと真黒な煙が縦横に立ち込め、まるで安易に想像する地獄の風景とは、このようなものだろうかと思った。
列車は揺れるたびに車内の人間の尻を上下に幾度も揺らす。
所々に隙間のあるこの列車では、時折冷気と共に新鮮な空気が車内に入り込む。
揺られるたびに退屈を紛らわす為に思考だけ前に進ませる。
息を大きく吸い目を閉じる。
このボルビアという祖国が隣国のカムデンとの本格的な戦争が始まったのは約一年前からだ。
それまで散発的に国境沿いで紛争はいくつかあったが、2年前のクーデターから一年の間を置いて全面戦争に突入した。
通っていた学校では、ボルビアの豊かな地下資源目当てに周辺国が挑発的な軍事行動に打って出て来て、それが原因で紛争が勃発したと説明された。
だが実際にはクーデターで国を追われた元国王が、周辺国に正義の戦争と称して現政権の打破を願い出たのが切っ掛けだった。
周辺諸国は大義名分を得たとしてそれぞれ独自に戦争への道を模索。
戦争へと真っ先に舵を切ったのが、かつてから因縁のあるボルビアの西に位置する隣国カムデン王国だった。
カムデン王国以外の隣国も宣戦布告へと舵を切りたいのは山々だろうが、様々な国が隣り合い、微妙なバランスで成り立っている為、ドミノ倒しのように大陸全土を巻き込む全面戦争へと突入するのは避けたいのだろう。
この戦争への介入によって、それが引き起こるのではないかという懸念がカムデン王国以外を思い止まらせている、というのが一般市民たちの理解だった。
アズサは座りながら自身の右胸に手を当て、その膨らみを掴むと二、三度握ってみた。
包帯をさらしの様に胸に巻き、あまり目立たない様にしているつもりだが、―――どうしても気になってしまう。
髪は短く切り、村の男子たちと遜色ない程にはしている。
列車に乗り込んでいる他の男性の兵士たちも皆まだ若く体が出来上がっていないこともあって、女性特有のそれとなく丸みを帯びた体格も、彼らに混じっている限りバレることはないだろう。
だが自身が嘘をついているという後ろめたさがどうしても心持ちを不安にさせる。
アズサは自身の肩に掛けているライフルをしっかりと掴み、ボルト部分をゆっくりと撫でる。
黒い金属が時折列車の隙間から漏れる日差しに当てられて鈍く光り、特有の鉄臭さが指に絡みつく。
手を口元に持っていって匂いを嗅ぐ。
昔、良く父と山に狩に出かけた。
緩やかに待ってそしてその場と一体になるんだ、それが出来れば銃口が自然と対象を追ってくれる。
そうなると弾が獲物を追いかけてくれるのさ。
父はいつもそう言って、口にキビの茎を加えて笑った。
少女の小さい身体に不相応な大きさのライフルは、不思議とアズサにしか認識出来ない香りを発していた。
いや、―――アズサ自身がそう思っているだけだ。
鉄の匂いとでも言えば良いのだろうか、兄弟は皆判別出来なかったらしいが、自身は酷く特徴的だと思っている。
同時に父を思い出す。
頭の中で当時父と行った狩の一部始終を何度も反芻する。
獲物の足跡、風向き、排泄物などの痕跡、狙撃ポジションの選択。
今まで体験したことを何度も思い出しては指先を動かして、空想の中で実際に狩をする。
するとこの列車の中も狩りを行ている際の山の中のような感覚に陥る。
風が吹き荒れ、土の匂いに虫や他の生き物が周囲を這っている感覚が蘇る。
右手首に巻いた金属製のブレスレットを無意識に反対の左手でいじる。
表面が綺麗な鏡面に加工された幅が2センチほどのそれは、出征のときに戦場に出ることを手伝ってくれた村長から渡されたものだ。
戦場には悪魔が多く潜んでいる。
せめての慰めだがこれがお前さんを守ってくれますように、と付けてもらったのだ。
人生で初めての小説執筆です。
もし宜しければ、最後まで読んで頂ければとても嬉しいです。