一章5
神官長の特訓が終わり、よれよれになって部屋に帰った。
シルビアさんが心配そうにしている。
「巫女、いえ。セダ様。大丈夫ですか?」
優しく、尋ねてきてくれる。あたしは重い体を無理に動かして、答えた。
「…大丈夫。疲れただけだから」
「そうですか。でも、無理はなさらないでくださいね」
シルビアさんはそういうとではお休みなさいませといって、部屋を出ていった。
あたしはベッドから出て立ち上がる。クローゼットに向かうと扉を開けた。ハンガーに掛けてある麻のシャツやズボンを取り出した。
今、着ているものを脱いで、麻のシャツなどに着替える。
今日、着ていた白の装束はドアの近くに置いてある籠の中に入れた。朝になったら、シルビアさんが持って行ってくれる。
(神官長様の魔法の授業、あれはスパルタだった。明日もやらなきゃいけないのか)
嫌だなと思いながらもあたしは拒否できない立場にある。
仕方がないとあきらめてベッドに向かって、シーツの中に潜り込んだ。
そのまま、夕食も取らずに眠ってしまった。
あたしは今日の夜が新月だとは知らなかった。ふと、目が覚めてのそりと起きあがった。
「…ツキノミコ。ウマソウナニオイダ。ドコニイル」
低い人とは思えない声が聞こえてあたしは戦慄した。
悲鳴をあげそうになるのを我慢しながら、シーツの中に潜り込んで、息を殺す。心臓が速く鼓動を打っていて、汗がどっと出る。
「ミコ。にっくきあのひかりのみこ。あいつに仕返しをしてやる。対の月の巫女を食らえば、あいつは力を扱いにくくなる」
光の神子という言葉に体がびくりと反応した。
あたしはアデル様やルシア様の言葉を思い出した。
『新月の夜は魔物に狙われる。気をつけた方がいい』
あれだけ、注意をされていたのに、聞き流していた自分が情けない。窓をどんどんと叩く音がした。
「巫女、そこにいるのか。甘い香りがする」
あたしはとうとう来たと思って、瞼をきつく閉じた。
「…やれやれ。魔物が神殿にまで現れるとはな。世も末だ」
低い声が聞こえたと思って、あたしは顔を上げようとした。けれど、声の主はあたしの頭を押さえてきたのだ。どうしてと言おうとすると、さらに力は強くなった。
「じっとしていろ。近くに聖騎士や退治屋も控えている。本来、月の神殿は女神の力によって守られている。だが、それも直接力を授けられる月玉の巫女がいてこそだ。しかも、巫女が結界の要になるからな。そなたはまだ、巫女として一人前ではない。だから、魔物が入り込んでくるんだ」
耳の痛いことを言われて、あたしは唇をぎゅっとかむ。
手も握りしめて、反論したい気持ちを抑える。
声の主はそれ以上は言わず、あたしの頭を軽く撫でて、ベッドから離れていったようだった。
がたんと窓が開かれる音がして、生臭い何ともいえない匂いが鼻腔に入ってくる。あたしはそろそろと起きあがった。
目の前にはこちらに背中を向けているらしい背の高い人影と角の生えた大きな巨人らしき影が対峙しているのが暗闇の中で浮かび上がっていた。
「…光の神子か。忌々しい」
巨人がいかにもいらついた口調で話す。
「月の巫女を狙って、ここまで来たか。私がそうはさせない。チェイン、覚悟しろ」
すらっと何かが抜かれる音がする。ふと、胸元が熱くなった。
あまりの熱さにあたしは何だろうと思う。寝ている時も身に付けるようにしている月玉だということに気がついて、急いで取り出した。
月玉は白く、強く光り輝いている。
驚いて、唖然となった。
「…くっ。月神の力か。それに、太陽の剣までそろうとは」
チェインと呼ばれた魔物はたじろいだ。その隙をついて、背の高い影ーアデル様が剣を手に高く空中に飛び上がった。
チェインを頭から真っ二つに切り裂いてみせた。
剣を振り上げて、一気に真下に斬りつけたのだ。チェインを斬った際に白い光がきらきらと粉雪のように舞った。
それが太陽神の力だということはわかる。あたしはあまりの早業に声も出なかった。
「…ぎゃああ!」
断末魔の叫びと共に塵のようになって、チェインは消え去る。
完全に消えるとアデル様は地面に着地して、すぐに立ち上がる。剣を一振りして、鞘に収めた。
そして、こちらを振り向いてきた。
「…ハルナ。無事だな?」
あたしはこくこくと頷いた。
膝から力が抜けて、立てない。アデル様はすたすたと歩いて、部屋の中に入ってきた。
そして、あたしの頬に触れた。
「怪我がなくてよかった。だが、新月になったら必ず、私を呼べ。いいな」
あたしはまたも頷いた。アデル様は頬を優しく撫でた後、髪に触れてきた。