現実
駆け足で来た道を戻りながら、先ほどの戦闘を振り返っていた。
魔眼が火球を使える事を教えてくれていなければ勝てていなかっただろ。
だけどなぜ火球が使えたのだろう? 確かに最初に腕輪の機能で確認した時には、魔法は一つもなかったはずなんだ。
現に今もこうやって腕輪の機能を使い、魔法一覧を確認しているけどやはり魔法は一つもない。
それなのになぜ魔眼は俺が火球を使える事を知っていたのだろうか?
腕輪の機能が完璧ではないのか? わからない。
でも分からないままじゃこの先、戦って生き残る事は厳しいだろう。
だけど今は青木が心配だ。青木が戦っているのもゴブリンだから火球で対処できる。
今はそれほど心配する事でもない。
様々な事に考えを巡らせていると、不意に足が縺れ、勢いよく駆け出していた体は宙に放り出され、地面に叩きつけられた。
「っ痛」
起き上がろうと地面に手を付いた時、ようやく自身の体が限界に達していた事に気がつく。
毛穴という毛穴から滝のような汗を流し、手に力を入れればプルプルと小刻みに震え、足に力を入れればガクガクと生まれたての子鹿のように震えが止まらないのだ。
無理もない、慣れない森を駆けずり回り、命を賭けた死闘を繰り広げたのだ。
恐怖と緊張感の中、肉体と精神にかかった負担は計り知れない。
それでも仲間の為に歩みを止める事はできない、震える手に力を込め、崩れ落ちそうな足で踏ん張り、引きちぎれそうな手足を引っ張り、懸命に歩き出そうとした時にふと思う、魔眼に対処法でも記されてないかと。
「魔眼発動!」
再び黒い靄によって形成された魔法陣。左目が捉えた魔法陣にそれは記されていた。
『肉体疲労89% 損傷箇所 右頬 鼻先に出血 転倒による打撲箇所複数 ヒールによる回復を推奨します』
「ハハハハ」
思わず笑いが漏れてしまった。やっぱりだ、魔眼を発動させている時には普段使う事ができない魔法が使えるんだ。
これこそが魔眼の真の能力なのかもしれない。
一刻も早く魔眼が教えてくれた回復魔法ヒールを使用し、この錆付いた機械のような体をなんとかしたい。
「ヒール!」
火球の時と同様、左目の魔法陣から別の魔法陣が放たれ、俺の足元に設置された魔法陣から眩い光が照射され、全身を包み込むと、頬や鼻の傷が塞がり全身の痛みがすっと引いていき、長年使い古され、錆付いた機械のようだった体は見事に錆が落とされたみたいに驚く程軽くなっていた。
光が消えると同時に、足元で光を照射していた魔法陣も消えていく。
痛みが消え、軽くなった体を確かめるように、左右に腰をひねり屈伸運動をして頷き、微笑む。
「よし! これならイケる!」
気合を入れて全速力で獣道を駆け抜ける。まるで自分の体じゃないみたいに体が軽い、今ならフルマラソンで2時間切れるんじゃないかって思うほどに軽い、とはいえ体が軽くなっただけで俺の足が速くなった訳じゃないから無理な話なんだけど。
『能力向上の訴えに対し、能力向上スキル、スピードランナーの習得が可能。習得と同時にスピードランナーの使用が可能。習得されますか?』
発動したままだった魔眼が突拍子もない事を提示してきたが、迷わずイエスと答える。
『スピードランナーの習得完了』
「スピードランナー発動!」
一瞬体が発光すると同時に、想像を超えた速度で森を駆け抜け、興奮で思わず雄叫びを上げてしまう。
「やぁっほー!」
嬉しさのあまり少しはしゃいでしまったが、魔眼は魔法だけではなくスキルも使えるようになるのか、だが魔眼には習得と書かれていたな。
習得という事は今覚えたって事だよな。当初スキルにしても魔法にしてもレベルが上がって覚えるのか、或は師匠的な人から教わるものだと思っていたのだが違ったのか、もしくは魔眼にはそういった概念がないのか。
或は先程の戦いで俺のレベルが上がったのか。
本当に分からない事だらけだが、このスピードランナーは有り難い。
スピードランナーを使用している俺は人間離れの速度で森を駆け抜けた、その甲斐あって前方に2匹のゴブリンと青木の姿を捉えた、姿を捉えた瞬間、魔眼も情報を開示する。
『種族 ゴブリン 雄 身長81cm体重16kg 木製の弓 木製の矢 予測される弓矢の射程距離6m 有効手段火属性魔法 初級魔法火球使用可能』
『種族 ゴブリン 雄 身長83cm体重17kg 錆びた剣 有効手段火属性魔法 初級魔法火球使用可能』
『種族 人間 青木拓斗 友人 性別男 身長162cm 体重101kg 見習いの剣 加護 倒れぬ者発動中 情報解析中 肉体疲労不明 損傷箇所 肉体に複数の出血 右足に矢傷による出血 ヒールによる回復を推奨)』
遠目から見えた青木は、2匹のゴブリンに猛襲を受けて倒れ込み、左手で地面を突きながら背負っていた剣を右手に持ち、悲壮な顔で剣を振り回している。
青木の身体は夥しい傷と出血で、常人なら意識を保つ事も難しいのではないかと思えるほどの重症に見受けられた。
ゴブリンは倒れ込みながら闇雲に剣を振るう青木を見下し、この状況を愉しむ素振りで左右にステップを踏み、ゆっくりと痛めつけていた。
その刹那、心の底から湧き上がる怒りと憎しみで全身に力が入り、筋肉の伸縮でメキメキと全身から音が鳴ると同時に、体中が沸騰したみたいにカッと熱くなり眉をしかめ、右足で地面を蹴り加速していた。
「青木ー!」
雷声を上げると同時に、能力向上スキル、スピードランナーの効果で速度を増していた体はさらに速度を上げ、疾風の如き速さで青木の正面でステップを踏み、剣を構えるゴブリンの左横に並び立ち、右手をゴブリンの蟀谷に翳すと、魔法陣を形成し躊躇う事もなく囁いた。
「火球」
ゴブリンは一瞬で彼方に消し飛び、焦げた臭いが周辺を漂い。
左手を地面に突き、倒れ込む青木の右手で振られていた剣は、安心した拍子に力が抜け、握りしめていたはずの剣は地面に落ちていく。大きく口を開け、驚いた顔で俺を見る青木は豆鉄砲を食らった鳩のようだった。
驚く青木に声を掛ける事もせずに、青木に視線を向け、片腕をついて倒れ込む青木の元に魔法陣を形成した。
「ヒール!」
ヒールの掛け声と同時に魔法陣は光を照射し、青木の体はまばゆい光に包まれた。
動く事もままならなかったであろう青木の傷を癒し、ゆっくりと光は消失した。
さらに驚いた青木が立ち上がり、両手で体を摩りまじまじと俺を見つめてきた。
「これって! どうやって?」
説明をしてほしそうな青木の気持ちもわかるが、今は残りのゴブリンを始末する方が先決だと判断した。
「詳しい話は残りのアイツを倒した後だ!」
弓を持つ最後のゴブリンは、俺が駆けつけた瞬間に仲間のゴブリンが火球によって瞬殺された事に、明らかに動揺している。
動揺しているゴブリンをキリッと睨みつけると、ビクッと体を震わせ、矢を手に弓を構えようとした瞬間に透かさず剣を抜き、踏み込んだ右足に力を込め、一気に間合いを詰めて剣を振り抜き、ゴブリンの首を刎ね落とした。
ゴブリンの首は地面に転がり、頭を失った身体は力なくその場に倒れ込み、血のついた剣先を大きく振り払い、ゆっくりと腰の鞘へと剣を収めた。
そんな俺を放心状態で見ていた青木の元までゆっくりと駆け寄り、声をかけた。
「大丈夫か青木?」
放心状態になっていた青木の肩に手を乗せ声をかけると、青木は三度瞬きし、喚声を上げた。
「ああ、それよりなんだよ今の! むちゃくちゃ速かったぞ! それに火球にしても俺の体を治してくれたヒールにしても、なんでそんな事できるんだよ!」
俺は青木と離れていた間の事をできるだけ詳しく説明した。
落ち着きを取り戻した青木は俺の左目に張り付く魔法陣をまじまじと見ながら話しかけてくる。
「じゃあその魔眼が火球や回復魔法ヒール、それにスキルスピードランナーを使用可能にしているのか!」
「ああ。魔眼がなければ俺もただでは済まなかっただろうな」
俺達の会話を遮るように再び魔眼が文字を刻む。
『解析完了 加護 倒れぬ者 効果 ダメージ蓄積量に応じて防御力が増大』
先程はあまり気にしなかったが、青木の加護を解析中と魔眼が掲示していたな。
防御力の増大か、なるほど。
この加護が発動していた事もあり青木は無事だったのか。
「そういえば青木、さっき加護を発動させていたみたいだったけど、青木の加護の効果を俺の魔眼が解析したみたいなんだ」
「っえ? 俺さっき加護なんて発動させていたの? その割には自分で言うのもなんだけど何も出来なかったぞ!」
疑問に眉を曲げ考え込む青木に、俺が感じた考えを分かりやすく説明する。
「わかりやすく言えば多分、加護ってのがパッシブスキル的なやつで、俺のスピードランナーのようなスキルが通常のスキル、アクティブスキルなんだよ」
「なるほど! で俺の加護の効果ってなんだったの?」
「簡単に言えば防御力の増加だな! ダメージを追えば追うほど硬くなるってやつだな。多分そのおかげでゴブリンの攻撃に耐える事が出来たんだ」
「そっか。ちょっと納得した。確かに初めはめちゃくちゃ痛かったんだけど、途中からそんなに痛くなくて、痛みで感覚が可笑しくなっているのかなって思っていたんだけど、違ったんだな」
それからもしばらく俺達は話し合ってこれからの方針について考えた。
当初の予定通り眼鏡の持ち主である委員長、谷垣直美達の捜索と救助に向かうか、捜索と救助は諦めこのまま街に引き戻すか。
正直俺は迷った。なぜならここ永久の森はゴブリンが多く生息していると聞いていたからだ。
当初危険だと分かっていながらもゴブリン程度なら問題ないだろうと心のどこかでゴブリンを舐めていた。
だけど今は違う、ゴブリンも決して侮っていい相手ではないという事がよく分かった。もちろん先程までとは違い俺は火球にヒールにスピードランナーと言う力を手にしている。
だがゴブリンが先程以上の大群で襲ってきたら……そう考えたとき他人を心配している余裕などなくなる。
そんな俺の弱気を悟ったのか、青木は俺の目を見つめ、澄み切った瞳で迷う事なく谷垣達を助けに行こうと背中を押してくる、ついさっきまでゴブリンに殺されかけて、俺以上の恐怖を味わっていたというのに、青木の心は折れてなどいなかった。
折れかけていたのは俺の方だったのかもしれない。一生消えない後悔という名の傷を背負うところだった。
「青木……ありがとう。お前がいてくれて良かったよ」
「何言ってんだ! それを言うのは俺の方だ! ありがとう竜崎!」
思いがけない感謝の言葉に目頭が熱くなり、悟られないように背を向け、両手で頬を叩き、気合を入れる。
「行くぞ青木!」
「おう!」
俺達は眼鏡が落ちていた場所まで戻り、何かを引きずったと思われる痕跡を辿り、慎重に森を進んで行く。
進んで行くと前方に洞窟が見え、何かを引きずった跡と、まだ乾ききっていない血痕が、洞窟の中へと続いている。
「どうやらこの先みたいだな」
「うん。暗くてよく見えないから慎重に進もう」
薄暗い洞窟の中に入って行くが、俺は魔眼を通して見ているため暗さは感じないが、どうやら青木にはかなり暗いようだ。
洞窟の中は入り組んでいるのかと思っていたが、単調な一本道になっていて迷う事はなささそうだ。
一本道で迷う事がないのはいい事だが、洞窟内はとにかく臭い、何の臭いかと問われても答えようがないのだが、生物が腐った臭いだったり、下水の臭いにも似ている。思わず顎を引き、服の首元を引っ張り鼻まで覆っていた。
「酷い臭だな」
「そうなのか?」
「え? お前平気なのか?」
「ああ、今鼻詰まってるからな」
「幸せな奴だな」
「そんな事より奥に光が見えるぞ」
そんな事って! 俺にしてみればそんな事じゃないのだけど、今はこの悪臭よりも谷垣達の身が心配なのは確かだ、この奥がゴブリンの住処だとすれば尚の事、臭いくらいなんだって言うんだ。
細心の注意を払い、ゆっくりと光の射す最深部へと近付き見渡すと、今通って来た道とは違い、明かりの灯る最深部は奥行もあり天井も高い。
息を潜め、身を隠しながら最深部を見渡すと、人や動物の骸が散乱し、複数のゴブリンの姿が確認できた。
数は大凡20匹前後といったところだ。
「かなりいるな! 一斉に飛びかかってこられたら不味くないか? ……青木?」
返事のない青木に目線をやると、青木は青ざめた顔で口を覆い隠し、一点を凝視している。
どうしたのだろうと青木の視線の先に目を向けると、最深部の右前方奥に、無残な姿で横たわる人影を見つけた。
目を見開き息を飲み、体はギョッと強張り、一瞬金縛りに遭ったかのように体が動かなくなり、その人影がクラスメイトの大宮達也だと気づくのに時間はかからなかった。
「遅かった……遅かったんだ」
震えるか細い声で、溢れ落ちそうになる涙を堪えながら青木は背負っている剣の柄にそっと右手を伸ばし、柄を掴んだ。
先程までの青ざめた表情から一変し、初めて見せた青木の怒りに満ちた表情は思わず、後ずさりしてしまいそうになるほどの迫力だったが、怒りの表情はすぐに消え、ゆっくりと俺の方に顔を向けた。
「俺学校で仲いいの竜崎ぐらいだったんだけどさ……肉ダルマとか呼ばれてクラスの奴らの事なんか全然好きじゃなかったのにさ、むしろ嫌いだったのにさ」
「ああ」
俺は青木の絞り出すような言葉をただ頷き聞いていた。
青木と同じように俺だって仲が良かったのは青木だけだった。
だけど俺と青木は違う人間だ。
「なのにさすごく悲しいんだよ、辛いんだよ心が苦しいんだよ。」
「ああ」
やっぱり根本的に違う。
俺は別に……対して悲しくも辛くもないんだよ青木。
「俺は竜崎みたいに強くもないし、まともに戦っても絶対勝てないと思う、だけど仇とってやりたいんだ! 勝手なこと言ってるのはわかってる、竜崎を巻き込んで、俺はきっと足でまといにしかならない事も」
正直俺はこのままゴブリン達に気づかれないうちに撤退しようと考えていた。
谷垣達と5人パーティーを組んでいたと思われる大宮はあの様子だと既に死んでいるだろう。
だとすれば残りの4人もこのだだっ広い最深部のどこかで既に死んでいる可能性の方が高い。
俺は別に彼らと仲が良かった訳でもないし、自分の身を危険に晒してまで、勝手にパーティー組んで死んでいった奴らの仇討ちをしてやる必要わないと考えている。
そもそも谷垣達が生きていて、救助を求めているなら手を貸し恩を売っておこうと考えていただけなのだから。
だけど青木の言葉を聞いてしまったら、怒りと悲しみを堪え、微かに震える手で剣の柄を強く握り締めるお前を見てしまったら。
「……青木」
「それでも……力を貸してくれよ竜崎!」
眩しい、なんで時々コイツはこんなにも眩しくて俺の弱気や穢れた心に一筋の光を照らすんだ。
守ってやりたいと思ってしまう、危険なほどに単純で真っ直ぐな、誰もが一番失くしがちな心を、その思い遣りを。
それにきっと俺がやらないと言っても一人で行きそうだ。
大宮達の事は正直別にどうでもいいが、青木を見捨てるわけには行かない。
アイツ等の為に戦うんじゃない、俺は俺の為に、仲間の覚悟を無駄にしない為に俺は戦えばいいんだ!
「当然だ! 俺たち二人でここの糞共をぶっ倒すぞ!」
「竜崎!」
俺の言葉を聞き力強く頷く青木。
青木の目には今の俺がどう見えているのだろうか。
後ろめたさを隠すため拳を握り締める。
覚悟を決め、改めて最深部の中のゴブリンの数を確認すると全部で18匹いる事が確認できた。
数が多いだけではなく、今回はゴブリンを倒すのに火球は使用できない。
理由は簡単だ、最深部がいくら広い空間とはいえ、ここは洞窟だ、そんな場所であんな高火力の火球なんて使いまくったら、一瞬で酸欠になる可能性も出てくる、何よりこの臭いの原因の一つがアンモニアだとすると、アンモニアガスに引火し大爆発なんてシャレにならない事態になる可能性がある以上、火球の使用は控えるべきだ。
だけど問題はない、既に優秀な魔眼さんがその事を懸念して、中級魔法絶対零度の使用が可能だと教えてくれているのだ。
しかも初級ではなくいきなり中級ときた、恐らく敵の数が多いので魔眼さんが気を使ってくれたのかな。
なので最初は能力向上スキル、スピードランナーでゴブリン共を翻弄し、剣による攻撃で攻める、どうして初っ端から魔法を使わないのかというと、剣術を鍛える稽古にもなるし、相棒の青木にも戦闘経験を積ませた方が後々いいに決まっているので、そうする事に決めた。
よし、じゃあいっちょ暴れてやるか!
「準備はいいか青木?」
「ああいつでもいい!」
聞くまでもなく既に青木は鞘から剣を抜いていた。
青木に声をかけると同時に俺もシュッと鞘から剣を抜き、青木とアイコンタクトをし最深部へ飛び出した。
「行くぞ! スピードランナー発動!」
「うおおぉおお」
スピードランナーを発動させると同時に俺は左方向へと走り、青木も獣のような雄叫びを上げ右方向へと走り出した。
洞窟内に轟が響き渡り、突然の襲撃に驚いたゴブリン達も、慌てて声の方に視線を向け、すぐに戦闘態勢に入ったが、俺のスピードランナーの速度についてこれず、俺へと視線を向けた時には一匹目のゴブリンの首は体と切り離され宙に舞っていた。
仲間の首が地面へ落ちたのを確認したゴブリン達は、憎しみに満ちた顔で奇声を上げ、一斉に襲い掛かってきた。
「きぃぎぇええぇぇぇえー」
「小汚い化物のくせにいっちょ前に切れたりするのか? 上等! 殺してやるからかかって来いよ!」
奇声を上げ、左前方から短剣片手に跳躍するゴブリンの胴体を斬り捨て、走り込み正面から小斧を振り下ろすゴブリンの攻撃を軽快なバックステップで回避し、剣を大きく構え、そのまま頭上から振り下ろしゴブリンの体を真っ二つに分断する。
さらに右左から突進してくるゴブリンを右へ左へ切り捨てる。
ゴブリンの臭い返り血を浴びながら、右手に持つ剣の血を振り払い、左の甲で顎に飛び散った血を拭い笑みが溢れる。
無意識に悪魔のような笑みを浮かべる俺の顔を見たゴブリン達はピタッと動きを止めた。
全身に返り血を浴び、手には鋭利な刃物を持ち、笑みを浮かべる今の俺の姿を見たら、きっとイカれた殺人鬼すら恐怖に震え上がり逃げ出すだろう。
「どうした? 糞虫共! 来ないのか?」
一歩足を前に突き出せばゴブリン達は一歩後ろに後ずさりし。
生き物を殺しているというのに何故か愉しく、気持ちよくなっていく感覚に脳が支配されそうになったその時、青木の声が最深部で反響した。
「竜崎! 竜崎来てくれ! 生存者がいるんだー!」
思いもよらない言葉に笑も消え、一瞬思考が停止したが直ぐに思考を巡らせる。
生存? 生きていた!
考えている時間はない、すぐに青木の所に行き状況を確認するんだ。
疾風の勢いで前方のゴブリンを斬り、そのままの勢いでゴブリンをすり抜け青木の元に駆けつけた。
青木は所々に傷を負いながらも倒れ込む女の子を庇う形で、女の子の前に立ち、ゴブリンを牽制していた。
「青木!」
「竜崎! ヒールだ! 谷垣にヒールを掛けてやってくれ!」
倒れ込む女の子はどうやら眼鏡の持ち主で委員長の谷垣のようだ。
俺は横たわる谷垣のすぐ横で膝を突き、谷垣に視線を向けた。
谷垣は頭部からは血を流し、真っ青に染まる口元には吐血した痕が見られた。
視線をずらすと腹部からは大量の出血が見られたが、まだ微かに呼吸をしていた。
すぐにヒールを使い傷を癒そうとした時、左目の魔眼が残酷な現実を知らせる。
『臓器に複数の損傷あり、ヒールでの回復は効果を得られません』
「え?」
魔眼が掲示した予期せぬ答えに思わず情けない声が出てしまい、体から自然と力が抜け、視線を落とし項垂れた。
魔法があるから瀕死の重傷を負ってもすぐに治るとばかり思っていたが、現実はそんなに甘くはなかった。
絶望、まさにその言葉がふさわしいだろ。
体は固まり、この現実を青木に伝えなければいけないと思うと遣りきれなかった。
俺達にゴブリンを近づけさせまいと必死に剣を振るう青木に伝えなければ……それが仲間の役目なのだから。
俺は顔を上げ、震える声で背を向ける青木に声をかけた。
「青木……ごめん。俺のヒールには治療できる限界があるんだ」
俺の言葉を聞き、一瞬青木の体から力が抜け、肩を震わせ再び体に力を込めると、こちらを振り向くことなく呟いた。
「そうだよな……。そんな都合よく行くわけないよな……」
力なく呟かれた青木の言葉に「……ああ」と返すのが精一杯だった。
「……それより早くここから出してやろ。」
「青木」
「ここ酷く臭いんだろ? 最後くらい綺麗な空気吸わせてやろ」
青木は一度も振り返らなかったから顔は見えなかったけど、多分泣いてたと思う、声が震えていたから。
俺は青木の言葉を聞き、ゆっくりと立ち上がり、魔眼を使い巨大な魔法陣を形成し、中級魔法絶対零度を発動させた。
絶対零度は魔眼と連動することによって、俺の魔眼で捉えた対象の血液など、体内水分を瞬間で凍らせ死に至らしめる魔法だ。
本来ならばこの場にいる全てを凍りつかせてしまうほど強力な魔法なのだが、魔眼が捉えたモノだけを的確にロックし、ゴブリンだけを凍らせたのだ。
俺達は凍りついたゴブリン達をよそ目に、微かに息のある谷垣や既に冷たくなっている大宮達を順番に外へと運び出した。
全員を洞窟の外に運び終えた直後、谷垣もゆっくりと息を引き取ったのだ。
青木は泣きながら何度も「助けに来るのが遅くてごめん」と呟いていた。
俺は何故か涙が出なくて、薄情な奴だと思われたくなかったからなのか。
夕暮れに染まる茜空をただ空を見上げていた。