第一話。真夏の銀世界。
「ったく、なんだここは。今真夏だぞ!」
ガタガタと震えながら文句を言うのは、黒髪黒目のネイオット。黒髪の一部を束ねて、角のように三つ立てた目付きの悪い少年だ
見渡す限りの銀世界。木や葉も白く凍り、空にはうっすらと氷の結晶が見えていると言う幻想的な中、半袖半ズボンである。
「ちゃんと研究所の人達の話聞かないからだよ」
そう言って白い息を吐いたのは、ネイオットの左で防寒着を着こんだ金髪碧眼の、女性のようになだらかな曲線を描く、整った顔だちのしかし中性的な少年カグハ。
この二人の冒険者は今回、古生物研究所と言う古から存在し続けている生き物に付いて調べている施設から、氷狼を捕獲して来てほしいと言う依頼を受けて、この氷原アイスバーグにやって来ていた。
「あぁ、凍りそうだぜ。さみぃぃぃっ」
自分を抱きしめてガクガクしながら喋るネイオットに、クスリと微笑しカグハは、しょうがないなと微笑のままで言うと、一つ息を吸った。
吸った空気は氷水を流し込まれたような冷たさで、一瞬動きが止まる。が、その冷たさを追いやって、カグハは言葉を紡ぐ。
「我が身照らす天陽の息吹。今ここに、球と成して、遍く熱を届けたまえ」
とても少年の声帯から紡がれたとは思えない、完全に少女の声で、柔らかに唱えたカグハ。その言葉が終わると二人の間、頭の上の高さに夕暮れの空のような、美しいオレンジの球体が現れた。
その球体は極寒と言ってもいいこのアイスバーグにいる二人に、安心するような温かさを届けてくれている。
「さ、行きましょう。鬼鵺知朗様」
鈴を転がしたような少女の声のままで言って、カグハは歩き出す。
「お前さ。なんで呪文詠唱する時、その……女の子の声になるんだ?」
不思議そうに尋ねカグハに続いて歩き出したネイオットに答える前に、
「いけない。つい」
小さな声で呟いてふぅと息を吐いて、そしてから答えた。
「この声の方が唱え易いんだ、呪文」
聞くからにごまかしているのがわかる声色で、少年の声に戻ったカグハ。
「教えてくんないんだな、同じ転生者仲間だってのに」
ちゃかすような調子で、角のように立てた髪の左端を左手で掴む。あははと苦笑いするだけのカグハ。
「後、鬼なんとかって、誰だ? 俺の元々の世界での名前は、水早尚人だぞ?」
続けて問われた問いに、
「えっ、あっ。その……それは……」
少女の声にまた戻って動揺するカグハ。
「なんだ? 女子声になって。おかしな奴だな」
軽く空に顔を向けて、雪道をサクサクと音を立てて歩くネイオット。
「これだけの時間を生きても、まだ自制が効かないなんて」
ネイオットに少しだけ先を譲り、同じく足音は立てるが、サッ サッと最小限に抑えた歩調で、その音に紛れて溜息を自分に吐いたカグハである。
この二人はネイオットの言うとおり別の世界で命を落とし、この世界へと魂を移送され、それまでの己の肉体をベースにした物に、移送した魂を映されてここにいる。世に言う異世界転生者と言う存在である。
だがしかし、この二人には決定的な違いがあった。
ネイオット、水早尚人は現世の記憶を持った状態でこの世界に転生した現代人だ。
一方カグハは遥か昔に、ネイオットの元々いた世界にやって来た異世界の人間である。本名は別にあるが、来訪時名乗った名前は輝夜姫。
輝夜姫が目指したのは一人の青年、鬼怒川鬼鵺知朗尚人。水早家の家系図に載らないほど遥か古い先祖である。
しかし、異世界の人間の来訪に怒った神が、輝夜姫に朽ちぬ魂と言う飴と永久に尚人を愛し続けねばならないと言う鞭を与えた。だがそれは、輝夜姫には罰たりえなかった。
肉体が男であろうと女であろうと、魂は輝夜姫のままである。尚人は生まれ変わるたび前世の記憶は持たず、まったく知らない人として輝夜姫と出会う。
女同士 男同士と、代替わりの際、肉体が同性ゆえに実らない愛がいくつもあった。しかしそれでも、輝夜姫は変わらず愛し続けている。罰とは関係なく。
そして今代、今 共に冒険者をしているネイオットもまた、鬼怒川鬼鵺知朗尚人の生まれ変わり、転生者である。ゆえにさきほど思わず、鬼鵺知朗様と呼んでしまったのだ。
少年カグハではなく少女、輝夜姫で。
「暖房魔法かけてても、やっぱ風吹くとさみぃなぁ」
くぅっ、と寒さをアピールするように高温で発したネイオット。
暖房魔法と言うのはネイオットが勝手に言っているだけで、この火の玉を生成する魔法は暖房専用では決してない。立派に攻撃もこなせる魔法である。
「吹雪いてないのがせめてもの救いだね」
「そうだな。これで吹雪とか無理ゲーだもんな」
周りに気を配りつつ、二人は銀世界の森を進む。
「氷狼ってどこら辺に出るって話だっけ?」
「広域で目撃されてるから、たぶんアイスバーグ全体が生息域じゃないか、って言ってたね」
「マジか。厄介なワンコだぜ」
疲労感を隠しもせずに言うのに、カグハもそうだねと同意する。
「番で持って来てくれるのが一番ありがたい、って言ってたよね。できるかなぁ?」
「こちとら獣の捕獲経験なんて、こっちでもねえってのにな」
「氷狼は頭がいいって話だし、もしかしたら離せば付いてきてくれるかも」
「おいおい、相手は獣だぞ。お前ら研究させてほしいからついてこい、なんて。人間でもそんなのお断りだってのに獣が了承するかね?」
「そうだよねぇ。ぼく、身体能力の強化とか睡眠とか、補助系の魔法もいけるから。いざとなったら眠らせて文字通り持って行くこともできなくはないけど……かわいそうだよね、それ」
「かわいそうって、捕獲依頼受けてる時点でその動物愛護精神捨てないと駄目なんじゃないか?」
苦笑いしたような声で言われ、カグハは言葉に詰まってしまう。少し前にネイオットがいるので表情が見て確認できないのである。
「それに、別に眠らせて持ってくだけなら殺すわけじゃなし。研究所の連中が、預けた後にどう扱うかは、俺達の感知するところじゃねえ。だろ?」
更に言われて、「割り切ってるね、ネイオット」と沈んだ声色で、そういう表情で言うカグハ。
「クエストこなす系のゲームだって考えれば、簡単に割り切れるぞ。って言うか、そうとでも考えねえと割り切れねえよ」
後半は小さく、吹いて来る風に負けそうな音量であった。その後半を聞いて、カグハはほっと胸をなでおろす。
「よかった、人の心があって」
「ったりまえだろ。どんな仕事であれ、淡々とこなすだけじゃ機械だ。俺は人だし、そんな風に完全にスッパリ切り替えられるほど冷たい自信はねえ」
ズバっと後ろ向きな言い回しで言い切るネイオットに、クスクスっとカグハはまた、少女のように笑う。
「っ?」「くっ!」
突然、強く風が吹いた。舞う雪が視界を塞ぐ。二人は思わず目を閉じてしまった。