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尾鷲天羽と抗う者たち  作者: 山門芳彦
突然の、ファーストコンタクト
5/13

《イド》の刺客――!?

 程なくして図書館に着いた。

 

 しかし、この有様はどういうことなのだ。


 一階の壁の一部は、大怪獣が過ぎた跡のように崩れ去って、瓦礫の山を築いていた。

 

 周りの壁は持ち(こた)えているので洞穴のように見えた。

 その目の前を、ヘッドランプを点けたドラム缶型ロボット(臙脂(えんじ)色のライン付き)が無関心な様子で通り過ぎる。

 それもあってか、瓦礫の山は異様な空気を漂わせていた。


「ロボットがいるのに。何で写真が撮られないんだ?」


 ……そしてこの気持ちをどう言い表そうか。天羽は気が付いたら瓦礫の山へと歩んでいた。()えて言えば、興味をそそられたのだ(・・・・・・・・・・)。


 何かを隠しているような、この怪しげな雰囲気に。


 非常線テープもなければ、監視の目も無い。

 

 少し怖いくらいに易々と瓦礫の山を登ることが出来た。

 (かばん)に入れていた旧式のインカム型端末を左耳に着け、内蔵のLEDランプを点灯した。

 瓦礫の山の奥、大穴の奥の真っ暗闇を凝視すると、倒れた本棚から書物が雪崩れていた。

 祖父はこの景色を見たくなかったのかもしれない。


 天羽はおもむろにシートモニタを取り出して、この事故のニュースを再び見たが、更新された箇所は見当たらなかった。

 祖父が言っていた通り、エイドニュースの報道規制は本当なのだろうか。


「それにしても……どうすればこんな事になるんだ? この大穴が出来る崩れ方は不自然に思えるし……まさか本当にロボットが暴走したのか? 或いはサイボーグ……?」


 サイボーグ……? 


 いや何を考えているんだろう。


 だが抱かずにはいられなかった。

 非日常が実感を持って迫るような……そんな得も知れぬ興奮を。

 それが寂寥を癒すものに思えたのかもしれない。

 

 まあそうは思っても、次の瞬間に変化が起こるわけでもない。

 瓦礫の山は音もなく静かなままだった。


「……帰るか」


 振り返って瓦礫の山から下りるその一歩を踏み出したとき――

 


 ガラッ。


 ……一片の瓦礫が音を立てて転げ落ちた。

 

 歩いた拍子に蹴っただろうか。


 一瞬はそう思ったが、それは勘違いだと分かった。


 その一片は、確かに背後から落ちた(・・・・・・・)のだ。

 

 次いで瓦礫の山が揺らいだ。

 

 中に誰かがいるように(・・・・・・・・・・)。


「……何だ? い、いや、気のせいだ……! 帰ろう!」


 天羽は途端に迫ってきた恐怖を振り切って山を駆け下りようとした。 


 が、その時! 

 

 天羽の左腕が、柔らかな何かに掴まれた(・・・・・・・)。


「きみぃ……」と瓦礫の中から声が。


「ヒィッ!」


 心臓がドンと跳ね、(おの)ずと(ひたい)を冷や汗が(したた)る。

 

 瓦礫の中から何かが出てくる音がする。

 

 地に眠る巨神を目覚めさせてしまったろうか。

 

 おぞましくてとても振り向けない。


 「尾鷲教授は、どこにいるの……?」

 

 直感した。

 言ったら祖父は殺される。

 

 この巨神に! 

 

 ……だがこの声は何だ? 


 ついさっきも同じ声を聞かなかったか? 


 そこまで気が動転しているのか、僕は。

 

「そ、そんなことは知らない」


「嘘を言わないで! ここの次は教授の研究室が狙われるの!」


「そんなことを言って、お前がじいちゃんを殺すんじゃないのか!」


「そんなわけないでしょ!」


「うわっ!」


 天羽は常人離れしたその腕力に引っ張られて、背中から瓦礫に叩き付けられた。


 立ち上る砂埃にむせながら、思わず閉じていた瞳を開くと、制服女子の姿がLEDライトに一瞬だけ照らされて見えた。

 あれは巨神ではなかったようだ。


 そうかと思うと、彼女は祖父の研究室の方角へ疾走して、黄昏の中へと紛れてしまった。


「あれは、うちの高校の制服じゃないか……!」


 髪とブレザーに付いた砂埃を振り払うことも忘れて、天羽は彼女を追った。

 祖父が危ない。

 

 いた! 

 

 しかしなんて足の速さだ。


 こんなに足の速い女子がいたのか。


 負けるものか。

 

 ストライドを大きくして、腕を振ってピッチを上げろ!

 

 ところが、彼女は平らなアスファルト上で一瞬身を屈めたかと思うと、次の瞬間には隣の三階建ての煉瓦壁の建物の屋上へ()んだ。


……と、跳んだっ! 冗談じゃない! 人間業とは思えない!

 

「くっそ! 何なんだあいつ!」


 彼女を見上げながら走る。

 彼女がいる建物の隣が三十号棟だ。

 このままだと彼女が先に三十号棟に着く。



 そう思った刹那、彼女はズッコケた。


 理由は知ったことではないが、この隙に祖父の所へ先行する。


「間に合え……!」


 制服女がじいちゃんに迫る前に! 


 三十号棟はさっきまで点いていた廊下の電気が消えていた。

 階段を駆け上がり、三階の研究室の扉をぶち壊す勢いで開けた。


「じいちゃん!」


 部屋の電気が点いていたので、端末のLEDライトを消した。

 ライトの光芒のせいでよく見えなかった室内を見て、天羽は目を疑った。


 机の向こうに、祖父とさっき帰ったはずの沙耶がいた。

 それだけじゃない。

 

 なんと沙耶は祖父に拳銃を向けていた。

 

 祖父は孫に絶叫した。


「逃げろ! 天羽ァ!」


「先輩! 一体どういうことですか――」


「天馬君……! 君も消さないといけないなァ!」


 沙耶の冷徹な瞳は、銃口を天羽に合わせた。


 また底冷えを覚えた。


 これが人間の瞳なのか……? 


 お前は先輩じゃない。


 じゃあ、お前は誰なんだ。


(殺される)


 覚悟した。


 トリガーが引かれるその瞬間。



――伏せて!



 空耳とも知れない声を耳にした。


 ただ無心でその声に従った。

 

 祖父も伏せたのを見て、そして何よりも、その声の主が窓を蹴破(けやぶ)るのを見て、それが空耳ではなかったのだと分かった。


 黄昏に(きらめ)くガラス片を(まと)って、制服姿の女が研究室に舞い込んだ。


 そして私服女の拳銃を、窓を破った勢いのままに蹴落とした。


「お前……いや、あなたは!」


 学校指定の黒いハイソックス、スカート、ブレザー、白い肌、長い黒髪を一つに束ねた髪型、凛々しい茶色の瞳、そして強かな立ち姿。


そう、それは見間違えることなどありえない。正真正銘、


「先輩!」


 のはずなのだが……。


片や、女子大生風。片や、制服。顔は瓜二つ。


「……待てよ。どうして先輩が二人いるんだ?」


 天羽のその呟きに、制服姿の沙耶が声を荒げた。


「ちょっと! あたしが人殺しするわけないでしょ!」


沙耶(本物)は、かばうように孝史の前に立ち、偽物と対峙した。


そして孝史も、自身の前を過った女子高生と、私服姿の女を見比べて腰を抜かしていた。


「あんた一体何者よ!」


「やれやれ……慈悲深くも、君を埋葬してあげた私を覚えていないのかい? ……フフ」


 わざとらしいポーズをとりながら、偽物は怪しく微笑んだ。偽物の右手に、軍手が嵌められている。


「あんた、軍手を付けて拳銃を構えるなんて、可笑(おか)しな事をするのね?」


「ああ、これかい? ……フフ。君は人に与えた傷すら憶えていないらしいな……」


 そう言うと、その軍手が天井の方へと放り投げられた。


 ……いや違う。


 右腕が天井へと伸びている! 


 花を付けた幹のように。


 そして、幹の色は《影》の如き黒――。


「あの右腕!」


「今更気付いたか、女ァ!」


 天へ伸びた花は切り刻まれるように散り、隠していた鋭利な先端を(あら)わにした。


 それが沙耶の頭上を越え、彼女の後ろで腰を抜かす孝史目がけて飛んだ。


 沙耶はコンマ一秒思案を巡らせると、咄嗟に決断した。

 そして孝史を抱きかかえ、側にある机を飛び越そうとした。

 

 孝史を出口に近づけることを第一に考えたのだ。


(かわ)せるものかよッ!」


 激しい気性を露わにして、〈敵〉は右手を剣の形にした。


 伸びる右手は、黄昏を白銀の刃に反射させて、逃げる孝史の右足を斬り付けた。


「何ぃ――」

 

 赤黒い血飛沫の影が、瞳孔が開いた天羽の網膜に痛く焼き付いた。


 祖父を抱えた沙耶はバランスを崩しながら机を飛び越し、天羽の目の前で音を立てて転んだ。


 彼女はサッと起き上がり、目前の少年を呼んだ。


「君!」


「……は、はい!」


 沙耶の必死な瞳は、キスが出来るほど近くで、天羽を見つめていた。


 だからよく見えた。


 虹彩の具合も、長い睫毛(まつげ)も、目尻に溜まった涙も。


「教授をここから逃がして! あと救急車!」


 目尻から真っ赤な頬へ、涙が伝って落ちた……。


 不謹慎(ふきんしん)にも、綺麗(きれい)だと思った。


「はいっ」


 その返事を待たず、彼女は天羽に背を向けてファイティングポーズをとった。


「じいちゃん、僕の背中に乗って!」


 無力に()れた右足は、想像以上に重い。


 「早く!」と言われ、焦って頭が真っ白になりそうだったが、それを何とか抑えて祖父を負ぶり、研究室から駆け出した。


 天羽は装着していた旧式のインカム型端末を使い、音声認識で救急を呼んだ。


「一一九番でコールしてくれ! ……もしもし救急です! 場所は草創大学の三十号棟……」


 高校の後輩らしき少年の声が遠ざかるのを耳にしながら、沙耶は目の前の偽物の変容を見つめていた。

 

 剣となった右手は、更にそれを握る手を(かたど)り、私服の女子大生の姿は、一度影色になってから中世ヨーロッパを意識した甲冑(かっちゅう)姿に変容した。


 ダメージを受けた右腕の一部を除き、色味や質感は金属のそれである。


「老いぼれは逃がさんぞ。奴は我々にとって余計な存在だからな」


 沙耶は砂まみれのブレザーで双眸(そうぼう)の涙を拭った。


「あんたに教授はやらせないわ」


「『あんた』じゃない。私は(ゼータ)。人造人間ゼータだ。冥土の土産に憶えておくといい」


 剣士姿のゼータは身体を半身に構え、左腕を背中へ回し、細身な剣の切っ先を沙耶へ向けた。


(マシーンがよくもほざく!)


 甲冑野郎の猿真似に、沙耶は内心唾棄(だき)した。


 奴の中に赤い血など流れていない。

 人の痛みなど分かるものか。

 格好つけて遊ぶように私を殺しに来る。


 沙耶はブレザーの両腕の袖からトンファーを出して握った。


 ゼータは、すり足で間合いをじりじりと詰め始めた。

 後ろ足で、身体を前へ押してスライドさせる。

 そして後ろ足が完全に伸びきる前に前足を止め、後ろ足を同じ幅だけスライドさせて足幅を元に戻す。


 そう近づいて一歩。


 二歩。


 三歩……!


 沙耶の顔面に突きが飛ぶ。


 左足を一歩下げ、右腕を床と水平の向きにしてから、それを挙げて突きを受けると、金属同士が擦れて甲高い音が鳴った。


 だがゼータは間髪を入れずに腹部を突き、更に膝下を切り払いにきた。

 

 腹部への突きは、右腕のトンファーを剣へ叩き付けるようにして受け、膝下への切り払いには瞬時にトンファーを半回転させてから、拳を膝の前へと振り下ろして受けきった。


 沙耶は空手の動作でいう、挙げ受け・外受け・下段払いを用いたのだ。


 そして切り払いで踏み込みが深くなったゼータは、沙耶の反撃に対応出来なかった。


 沙耶は左腕のトンファーを半回転させてから大きく振りかぶり、ゼータの右肩を思いっ切り叩いた。


「その軟弱な鎧、ベコベコに凹ませてあげるわっ!」


 鎧が大きく凹み、怯むゼータ。

 沙耶はもう一度同じ場所を叩く。

 スパークが(ひらめ)いて、ゼータは唸った。


「もう一撃!」


 沙耶が再び大きく振りかぶって、今度は(よろい)(かぶと)をかち割ろうとトンファーを振り落とす。


 しかしそれは、渾身の力で振り上げられたゼータの剣に受け止められた。


 金属音が反響して嫌な震えが沙耶の左腕に伝う。


「甘いッ!」


 ゼータの左腕が沙耶の肩を掴み、強引に上体を(うつむ)かせた。


「ぐふぅ――!」


 膝蹴りが、沙耶の鳩尾(みぞおち)にめり込んだ。

 視界が霞む。

 力がどんどん抜けていく。

 やはり昨夜のダメージが響いている。

 万全の力が続かない……。


 沙耶は膝を着いて、そのままうつ伏せに倒れた。

 

 不味(まず)い。

 足に力が入らない。

 あたしは産まれたての小鹿じゃないのに。


 笑うな、あたしの膝! 

 

 あたしが戦わなければ、教授はあの甲冑野郎に殺される。

 そんなことになれば、AID社は端末を普及させるのみならず、遂にはこの国の人間を骨抜きにしてしまう……! 

 

 手を床につけながらも、震える膝を抑えて何とか立膝になる。

 立ち上がってみると立ち(くら)みが酷くて尻餅をついてしまった。

 このままではあたしもやられる。


 いや、奴はどこだ? 


 明瞭に回復する視界の中に、甲冑野郎はいなかった。

 

 代わりに、机越しの窓が完全に割れていた。


 しまった、教授を追ったのか! 

 あたしは何をやっているんだ! 


 そんな苛立ちに感応したように途端に頭が冴えてきた。

 僅かな力で立ち上がり、窓へと駆けた。

 窓から左斜め下の道を見下ろすと、さっきの少年が教授を背負って歩いていた。

 

 甲冑野郎が、今にも飛びかかる勢いで二人に迫っていた。

 

 今から自分が向かっても間に合わない。

 

 いや、そもそもそんな力は残っていない。


 沙耶は渾身の力で、右手のトンファーをブーメランの要領で甲冑野郎に投げた。

 

 いけっ――!

 

 トンファーは風を切って飛び、ゼータの右手に当たってその剣を地面に落とさせた。

 そしてそのまま道へと滑り込み、走る天羽の足下でその回転は止まった。

 天羽はいきなり飛び込んできたトンファーに対処出来ず、それに躓いて転んだ。

 

 背中の祖父が苦しそうに呻く。

 

「ごめんじいちゃん、大丈夫?」

 

「…ドだ……」


「え、何?」


「あいつは、《イド》の刺客だ……! 逃げろ……」

 

 天羽は祖父を背負いながら後ろを振り向くと、甲冑の剣士が黒い右腕で細長い剣を拾っていた。

 サーベルと呼ぶものだろうか。


 そいつはゆっくりとこっちに歩いてくる。

 兜で顔が見えないが、殺意を直感した。

 (おのの)いて、(おの)ずと呼吸が早くなる。


「《イド》……?」


「そこまで知っているのかい? やはり君も消さねばならないようだ」


 (わず)かに刃こぼれした刀身は、それでも鋭く光っていた。


 逃げないと。


 でも救急車が来るまでまだ五分は掛かる。

 それまで逃げられるのか? 


 一歩、後ずさりした。

 

 その時、不思議にも脳裏の感覚が言葉となって現れた。


――あと一歩下がれば、崖から堕ちる。


 こんな時だというのに、何で身体は前へ行こうとするのだ。


 矮小なプライドの為せる愚行か。


 次いで嫌な感覚がフラッシュバックした。

 今日の学校、昔のいじめ。

 陰湿で、思慮に欠けていて、それが悔しくて……。

 屈辱・無力・逃避行。

 そしていつか誰かが言ったあの言葉。




――逃げるな。戦え。君自身のために。




 そうだ。

 もう逃げたってどうしようもないなら。


 だったら!


 天羽は祖父を道の端に降ろした。

 鞄に入れていた道着の袖を、祖父の右足に巻き付けて、付け焼き刃の処置をする。


「天羽……!」


「じいちゃん、ここで待っていて。僕は逃げちゃいけないんだ。もしここで逃げたら、これから先ずっと、今日の事を悔んでしまう」


 足下のトンファーを右手に握った。

 左足を前に出して戦う意思を見せる。


「お前、さっきの偽物か」



「君もそんな事を言うのかい。私の名は《ゼータ》だ。天羽君。君が逃げるのを止めてくれたお陰で追いかける手間が省けたよ。礼として相手をしてあげよう」


「沙耶先輩はどうした」


「フフ……もう力尽きたサ」


(減らず口の化け物め)


 ゼータは再び半身になって剣を構えた。

 天羽は、フェンシングのようだと思った。

 ゼータの剣の切っ先がキラリと光って、その延長線上に天羽の喉元を捉えている。

 それを悟ったとき、天羽は握り拳を自然と固く握った。


 相手がフェンシングなら、真っ直ぐに攻撃してくるはずだ。


「フンッ!」


 ゼータの足が微かに動いた瞬間。

 

 天羽はその一瞬に反応して右足を左側に動かし、身体を左に逸らした。

 だから、ゼータが正面の天羽の胸を目がけて突いた高速の一撃は、結果として躱された。


 もし攻撃だと判断するまで待っていたら、避けられなかっただろう。


 音速とも思える一突きを見て、天羽の体は震えあがった。


 だから、反撃を忘れた。

 ゼータはすかさず次の動作に移った。


「ほう。だったら、これは避けられるかッ!」


 ゼータは剣を上へ掲げると、そのまま天羽の頭上へ振り落とした。


 ガキィン!


 天羽はトンファーで挙げ受けをして何とか受け止めた。


「ぐっ……!」


「一般人にしてはよくやるじゃないか」


「一応、武道の心得がある……!」


「そうかい。フフ……ならこれはどうかな?」


 ゼータは左手を剣の柄に添え、両手で剣を握った。

 そしてそのまま力を込めて、天羽を上から押した。

 右腕だけでは耐えきれない。

 歯を食いしばって、天羽も左手で下から右腕を支えた。

 力んで震える腕は全力のはずなのに、徐々に押されている。


「何て力だ……!」


「フフ……」


 天羽は膝をついた。

 それでもゼータは力を抑えるどころかより強めている。

 背筋が否応なしに反る形になり、それでも腕が押され続けると、刃がじりじりと額に近づいてきた。


「このままじゃあ……」


 ダメだ。もう耐えられない。


 ……ああ、そっか。土台、無理だったんだ。一男子高校生が化物と対等に戦うなんて――。



 ザシュッ!



 そして、刃が刺さった。



 ……ゼータの胴を貫くようにして。


「……?」


 ゼータの腕力が途端に弱まり、剣が両手から零れ落ちた。


 何だ? 


 胸のあたりがやけに熱い。

 至近距離で電気ストーブにあたるような熱さだ。

 

 視線を、右腕から胸へと降ろす。

 

 

 赤熱化した剣先が、ゼータの胴から突き出ていた。


 その周りの鎧も、蒸気を上げて赤くなっていた。


「……」


 ゼータは、声もなくその場でうつ伏した。


「はあ……はあ……!」


 そして、その後ろから、肩で大きく息をする沙耶が現れた。


 右手に、長い柄の部分を赤熱化させたトンファーを、短剣のように握っていた。


 トンファーは、赤熱化の副作用だろうか、天羽のものよりも先端が鋭利に変化していた。

 

 沙耶と、目が合った。


 それが、二年前の記憶の幻影と重なった。


「君……怪我は無い?」


「はい。僕は何とか」


 そう言って立ち上がった。


「そう……」


 そうだ。お礼を言わなくちゃ。あの時のことも含めて。


「あの――」


 パァン。 


 えっ――。


 頬を叩かれた。


(なんで――)


 彼女の瞳は真剣だった。


 さっきまでの興奮が途端に冷めて、疑念や不安が、天羽の頭の中で嵐を巻き起こした。


遠くから救急車のサイレンが近づいて来て、天羽の考えようとする意志をかき消し、焦燥を煽った。


それに呼応するように、ゼータが飛び起きて、研究室へと跳んだ。


完全に倒せていなかったのだ。


「しまった本が! うっ……」


 沙耶は、追おうと一歩踏み出したところで、脱力して膝を折った。


「先輩……!」


「……君は教授を気に掛けて!」


「でも……」


「私はいいから!」


 天羽は沙耶に気圧(けお)された。


 そしてゼータは、本来の影色の姿に戻って、研究室の本を数冊盗むと、建物の影に隠れて去った。


「どうして……?」




 サイレンが大きく鳴り響いた。


第一章はここまでです。


《イド》とは何なのか? 沙耶は一体何者なのか?

次章に続く。

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