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尾鷲天羽と抗う者たち  作者: 山門芳彦
突然の、ファーストコンタクト
3/13

尾鷲天羽の憂鬱

場面変わって主人公へ。

尾鷲(おわせ)天羽(てんば)は、肩からずり下がった鞄を掛けなおし、制服ズボンのポケットに手を突っ込んでから、(いぶか)しく辺りを見回して(うそぶ)いた。


「みんな一体、どこを見てるんだろう」


その独言を聞いた者は、誰一人としていなかった。

辺りに誰もいなかった訳ではない。

ここは午後三時の渋谷駅前スクランブル交差点。寧ろ沢山いた。


オシャレをした若い男女、スーツを着たサラリーマン、珍しそうに写真を撮る外国人観光客、季節外れのコスプレイヤー(よく分からない)、その他大勢。

今は百人規模の四つの群れが、それぞれの信号前で赤が青に変わるのを待っていた。それだけの人がいる。その中に、彼の独言は埋もれた。


天羽の辺りにいる殆どの人は、インカム型の端末を着けていた。

それは、AID(Artificial Intelligence Device)――人工知能端末。「エイド」と読む――と呼ばれるもので、AIDを装着している人は十中八九、独り言をしている。


AIDは、AID社がこの二年で東京中に普及させた携帯端末で、耳から脳に電気を流すことで、五感を刺激する機能がある。


それは仮想現実をより実感のあるものにし、五感をいじって快感を得ることが、現代人の楽しみとなった。


彼らは口々に「はあ……はあ……いいよお」「フフ、ハハハハ!」「アハ、ヒィイヒヒヒヒ!」という具合で、各々に(ひと)()ちていた。


そうして群集は、彼らの独言によって喧騒を生み出していた。そして彼らの眼に精気は窺えず、どこか上の方を見ている。


だから、天羽は自身の独言を恥じなかった。

誰も彼の言葉など聞いてはいないし、彼らがどこを見ているのか本当に分からないのだ。


歩道の信号が青になると、後ろから押される形で、群集の前列が嫌々と歩き出した。

そうして群集と群集とが入り混じる。

「歩きスマホ」という言葉が死語になって久しいが、それでも対向する人同士がぶつかることは無くならない。

天羽の前で、AIDを装着した男性同士が肩をぶつけ合った。

それは奇妙な光景であった。


というのも、彼ら二人は、飲んだくれのようにヨタヨタと歩きながらぶつかり、よろけたと思ったらそのままのけ反って、お互い仰向けに倒れたのだ。


そして、それに声をかける邦人は誰もいなかった。

信号が赤に変わる直前、ある外国人観光客が面白半分で撮影したのちに手を差し伸べたが、AIDを装着した人特有のおかしな顔を半ば怖がってすぐに去った。


天羽はそれを横目に、群集に紛れて渋谷駅の改札へと向かった。

これから心の避難所へ行くのだ。



 山手線の車内も、独り言がブツブツと溢れていた。天羽はそれを気にしないように、車窓から自身がさっき歩いていた交差点を見つめていた。


右から左へと流れる景色を高架線路上から俯瞰(ふかん)すると、働き(あり)(うごめ)いているように見えた。



この世のどこかに彼らの女王蟻がいるのかもしれない。



そんな想像をして一瞬ぞっとした。

やはり今日はネガティブだ。


今日、天羽は高校を早退していた。

高校は渋谷駅から徒歩十分のところにある。


今日の学校での天羽は、昨日までと打って変わって終始無口を貫き、教室では『クラスメートが自分の噂をしていないか』という一点に怯えて、ずっと耳をそばだてていた。


図らずとも自分の方向に向けられる視線(恐らく自分の後ろの席の美男子への視線)や、離れた席に集る女子グループの話し声(多分、美男子に関する話題)。

その一つ一つに神経を尖らせていたら、身体がどっと重くなって疲れた。


実際話していたことがどうであれ、全てが自分の悪い噂ではないかと妄想した。


「一日で部活辞めたんだって……」

「だっさ」

「後ろの彼とは大違いね」

「そう! 実は彼……」


……彼女たちはこんな会話をしていただろう。

自意識過剰かもしれないが、そう思わずにはいられなかった。

確かに、傍から事情を知れば、自分は「だっさ」い奴に違いない。

嬉々として入った部活を一日で辞め、しかも今日は誰とも話さなかった。

昼飯も、独り食堂の隅でラーメンを啜った。

後味が妙に不味かった。


だが、あの人がいない部活など、天羽にとって意味がない。


要するに、自分自身が産んだ重い空気に耐えられず、午後の授業中に早退したのだった。


ハゲでメガネの数学教師が、素っ頓狂な声で天羽を指名してきたタイミングで、


「気分が悪いので保険室に行ってきます」


とだけ言って教室を出ていった。

当然ながら教室は騒めいた。

その時きっと、誰かに後ろ指をさされただろう。


「はあ……」


――逃げるな。戦え。君自身のために。


「あぁもう……」


ふと、そんな言葉が頭に過り、自己嫌悪した。


どうして俯き加減なときに限って、前向きな言葉が神経を逆撫でてくるのだろう。


天羽は高校一年生だ。

中学二年生の頃から空手をはじめ、高校も空手部がある高校を選んだ。

……いや、彼女に会うために高校を選んだ。

そして、彼女が所属する空手部に入部したかった。

昔のことへの感謝を伝えるために。

だがそれは叶わなかった。

滑った訳じゃない。第一志望を難なく合格できた。別の理由があるのだ。



一昨日の放課後、天羽が嬉々として初日の部活動に馳せ参じたときのこと。

仮入部期間の間、ずっと部活に参加していた憧れの彼女、(きさき)沙耶(さや)先輩が、部活に来なかったのである。

天羽は、他の先輩に事情を聞いてみた。

「妃先輩は、どうしたんですか」

「ああ、妃は辞めたよ。それに、暫く高校に来ないって。一身上の都合だとかで」……



「先輩、何で辞めちゃったんだろう……」

 天羽はおもむろに、制服の胸ポケットに忍ばせていたシートモニタ――紙状の画面。スピーカーは無い。クリアファイルのような触り心地――を取り出して、そこに映像を映し出した。


画面上では、(きさき)沙耶(さや)が新入生への言葉を述べていた。彼女は成績優秀者でもあった。

天羽は入学式のとき、密かに自身の旧式インカム型端末を使って録画をしていたのだ。

 長く艶のある黒髪を後ろで一つ結びにし、茶色の瞳は大きく凛々しく、女子の割に長身な体躯(一六五センチくらい)は、優雅だった。

胸を張ったあの(したた)かさを覚える姿勢は、着ている服が他の女子生徒とは違うのではないかとすら思える程に美しかった。

それはまるで、古代ギリシアの彫刻――。

凛々しい沙耶を見つめて、天羽はため息をついた。


「もし先輩が辞めてなければ、こんな気持ちにならないで済むのに」


 そして彼女は昨日も学校に来なかった。

もう会えないのだろうか。何故だかそんな気がして、天羽は失望した。


そして部活後に、退部届を顧問の机の上にさりげなく置いたのだった。


彼女は今日も学校に来なかった。

彼女が部活を辞めた理由は、受験勉強とでも想像すれば納得できる。

理屈としては。

しかし、学校に来ないとなると、その理由は病欠以外に見当がつかない。

それに納得出来なくて他の可能性を考えてみたが、その途方の無さにやるせない気持ちになった。


(……一々センチメンタルになったって仕方がない。これ以上考えるのはやめよう)


天羽はおもむろにシートモニタに触れて「エイドニュース」というアプリケーションを起動した。

少し遅いが今日のニュースのチェックだ。


「……何だ、これ」


そのトップニュースに目を疑った。


『東京 草創(そうそう)大学にて原因不明の建物破壊事故』


 草創大学は、これから天羽が向かおうとしている心の避難所だった。天羽は記事を読んだ。


「本日未明、東京都新宿区にある草創大学で建物の破壊事故が発生した。場所は同キャンパス内にある図書館で、一階の壁が破壊されていた。原因は不明であり、警察の調査が行われている……」


 事故の現場は、どうやら天羽が行く予定の建物とは違う建物だったらしい。

天羽は安堵した。

そして同時に、その奇妙な事件に興味をそそられた。


「写真は無いのか」


 エイドニュースにしては珍しく、記事に現場の写真がついていなかった。


「破壊」の二字だけでは、様子はまるで分からない。

こういうとき、余計な詮索をしてみたくなる。


天羽は自分の右隣に背の低いロボットがいることに気付いた。

ドラム缶の形をしていて、山手線の車体のように、表面の白地には緑のラインが入っている。

前と後ろに一つずつカメラを内蔵し(どっちが前なのかよく分からない)、大人しく立って何かを見つめている(その体では座れまい)。


「事故の原因か……例えば、ロボットの暴走とか?」


詮索というよりも思いつきで呟いた。

当然、ドラム缶は何も言わない。

昔のSF映画に出ていたようなそれを見ていると、自分の考えがおかしく思えて、天羽は内心嗤った。


「それはないか。エイドニュースが分かってないなら、誰にも分からないよな」


 エイドニュースとは、二年前から都内で普及しはじめたニュースアプリで、都内を巡回する数百のドラム缶型ロボットが、目撃した出来事を記事にしてネット上で掲載している。


その内容は一枚の風景写真から一大事件までと多岐に渡り、政治、芸能、スポーツの分野も網羅しつつある。

現在も、ロボットの全国的な展開が続いている。

しかもその作成に人間は一切関与していない。

ドラム缶型ロボットが、独自の判断で写真を撮り、記事を作成する。

そしてそれは驚くべき程に正確だ。


 だからこそ天羽は、写真がないことを怪しんだ。

ロボットが写真と共に記事をあげるのは、信憑(ぴょう)性を高めるためでもあるからだ。


「いや、意外と有り得るか……?」


 しかし、この時点では推論に過ぎなかった。



 高田馬場駅を降りても、AIDを付けた若者を数多く見た。

その度に嫌悪と、不信と、優越を覚える。


「僕は彼らとは違う」


そんな優越は卑劣だ。


二十分ほど都道を歩くと、文房具屋と定食屋の間の小道に入った。

「学生」という文字が目立つ店々の看板を数えて十三件目に達したところで、伝統ある大学らしい荘厳(そうごん)な門が見えた。


(ほほ)を強張らせ、手を制服ズボンのポケットから出してから、天羽は草創大学のキャンパスに入った。制

服を着てここを通るには、若干の気恥ずかしさが伴うのだ。


キャンパス内の桜の木々は、その枝に若葉を芽吹かせていた。午後の陽光が暖かく心地よい。


例の事故が起きた図書館も気になったが、それは目的の棟よりも奥にある。

億劫だというより、野次馬根性を好ましく思わなかったので、天羽は事故現場には寄らずに真っ直ぐ祖父がいる三十号棟三階の研究室に向かうことにした。


この建物は少なくとも半世紀は使われているだろう。

三十号棟の中に入ると、少し埃っぽいような匂いがした。


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