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04 事件が明らかになる

 退屈で奇妙な日も、ようやく終わりが見えてきた午後五時。

 冬に向かう秋の夕方は紫がかった紺に染まっている。選挙事務に慣れてきたアルバイトたちは、つい雑談をしがちになる。


「――だいたいな最近の若いミステリファンは海外の作品を読まん。おい梅沢絆。このミス海外編のベスト10は読破したのか」

 推理小説マニアの説教が始まってしまった。

「『スキン・コレクター』良かったで」

「私読みましたよ。ボーンコレクターの続編ですよね? 伏線回収がスゴくて面白かった」

 意外にも穂波さんが話に乗ってきた。

 推理研副部長の葦月は相好そうごうを崩し、顎肉が揺れるほど頷く。

「サスペンスとしても一流やなあれは。おい、松山祈。聞いてるのか。最近のミステリ事情について、お前が感じるところは無いのか」

「米澤穂信の勢いが凄すぎると思う」

「何だよその言い方! 『王とサーカス』最高だぜ。そりゃ、オレも『鍵の掛かった男』が一位じゃダメなのか、とは思ったけど。ああっオレも何てことを……っ!」

 ひとり悶絶するオレに、早乙女、野巻、雷宮の視線が痛い。

「今の会話で悶える要素はなんですか?」

「全然意味がわからない」

「声が大きくて煩い」

「やあ、随分と賑やかだ――」

 はっとして姿勢を正す。

 スーツ姿の男が入口でオレたちを見回していた。投票はせず、長い脚で真っすぐ選管委員長の元へ向かう。

「ちっす」

 立会人・大畑が会釈えしゃくをした。

「よお、ちゃんとやってるか?」

「それはもう」 

 良く言えたものだ。

「陣中見舞いだ。順調に進んでいるか」

「ありがとうございます」

 箱入りの栄養ドリンクを枡条がうやうやしく受け取る。

「僕が会長選に出たときは、投票率が六割に届いていたかな。まあ、国の選挙もそうだけど投票率は劇的に上がるものではないからね」

 前の合同自治会長、と穂波さんが隣の葦月に伝えるのが聞こえた。

「かねてから思っていたが、『一人一票制』は見直すべきだな」

 だってそうだろ、と演技じみた口調で前会長は続ける。

「自治活動を真剣に考える学生と、そうじゃない学生。彼らの一票が同じ重さで良いのか? 投票は“選ばれた者”に与えられるべき権利だ」

「でも」枡条が戸惑ったように、「その選ばれた者は、どう選べば?」

「有志を集めて、試験なり選挙なりを行えばいい」

「……選挙?」

「そう。有権者を選抜するための選挙。名付けて――“選挙前選挙”!」

 声高に宣言する。

 アホか。

 こんな時間もコストもかかることを二度もやってられるか。祈も同じようなことを感じたらしく、けっと舌打ちをするのが聞こえた。

 演説を終えた男は白けた空気を察したのか、ところでと咳払いする。

「一昨年、投票用紙の盗難未遂事件があったな。今年は大丈夫なのか」

万全ばんぜんです」

 ぐいっと胸を張る枡条。

「投票用紙は目につかない場所に移しましたし、開票結果が出るまで金庫で厳重に保管しますから」

「ふうん。なら安心か」

 男は適当に相槌すると、これから社で会議があるから、と足早に去った。

 穂波さんによると、全国規模の大手メーカーに勤めているらしい。合同会会長という身分が就職に有利というのは本当なのか。

 前会長がいなくなった途端、大畑がだらりと姿勢を崩した。

「便所行ってくる。小便をする権利くらいあるだろ」

 睨みを利かす選管委員長にそう言い捨て、立ち上がる。俺も行っておこう、と腰を浮かせた葦月に枡条が素早く言いつけた。

「見張っておいてくれ」

「……嫌な役目や」

 葦月は本当に嫌そうな顔をして、重い足取りで立会人の後を追った。しっかりやれよ。

「――はい!」

 ワンコールの着信音がして、穂波さんの快活な声が響く。

 本来、会場で電話の使用が許可されているのは彼女だけで、用件は選挙に限られる。

「……ええ。八時半まで開いてますから大丈夫ですよ。お待ちしてます」通話を終えて、「夜間部の経済ゼミの方々。フィールドワークが終わった後、投票に来るそうです。三十人程」

「おっそうか」

 枡条が今日はじめて明るい表情を見せる。

 差し入れの栄養ドリンクを手に給湯室に入った。英気を養うつもりか。

 一方、オレは首を回して、凝った筋を揉んだ。

 三十人が一気に来るのか。投票用紙は足りるだろうか。そろそろ補充しておいた方が良いかもしれない。

 穂波さんに言伝ことづてしようとするが、どこか様子がおかしい。焦点の定まらない目つきで、彼女は足元のトートバッグを探り出した。

「眼鏡、眼鏡……」

「会長どうしました」

 受付係の早乙女君も異変を察したようだ。

「……コンタクト落としちゃったみたい」

「またですかぁ!」

「大丈夫。こんなこともあろうとワンデーの使い捨てにしてきたから。それより、予備の眼鏡を持ってきた筈なんだけど見当たらなくて」

「え~」

 バッグを押し付けられた早乙女が遠慮げに探ると、

「一番上にあるじゃないですか! どんだけ近眼なんですかもうっ」

「すまないねえ」

 よろよろと歩きだす先輩の腕を早乙女君が支え、枡条と入れ替わりに給湯室へ。もう片方のコンタクトも外して、眼鏡にするのだろう。

「あの二人いい感じじゃない?」

 野巻さんが雷宮さんに話しかける。

 そうか? オレには、お祖母ちゃんを介護している光景にしか見えなかったが。

「意地張ってないで、光も水無月みなづきくんと仲直りしなさいよ。好きなんでしょまだ」

「うるさい」

 雷宮さんがぷいっと横を向いた。

 オレは彼女を『無愛想なのが玉に瑕』と感じていたが、無愛想なのは彼氏とケンカ中だからで、普段はもっと人当たりが良いのかもしれない。

「ダメじゃないすか、見張ってないと」

 祈の声に振り向くと、葦月が弱ったように頬を掻いていた。個室からなかなか出てこない大畑にしびれを切らして先に帰ってきたらしい。

「見張るといっても限度があるやろ。変に睨まれたら怖いし。あ、手を洗うの忘れてた」

 そこはちゃんと洗っとけよ。

 枡条にも小言をいわれた先輩はぶつぶつ不満を呟きながら、穂波さんと入れ替わりで給湯室に入った。



 ぽつりぽつり来る投票者に対応しつつ、時間をやり過ごす。

 動く椅子と動くサボテンと女の子、という奇妙な取り合わせの子供向け番組を眺めていると、

「投票用紙、残り何枚だ?」

 枡条に尋ねられた。そうだすっかり忘れていた。

「四十二枚」

 祈が即座に答える。手渡すと同時に集計していたのだろう。

「そろそろ補充しておくか」

「ですね」

 眼鏡女子になった穂波さんと選管委員長が頷き合う。

「金庫の開錠お願いします。大畑さん?」

 長い便所から戻り、舟をこいでいた大畑の肩を叩く。

「……鍵? ああ」

 寝ぼけ眼の立会人が、選挙要綱の下から鍵束をむんずと取り出す。枡条が給湯室から手提げ金庫を持ってくる。

「開錠お願いします」

 鍵束から一つを選び、大畑が鍵穴に鍵を挿し回す。続いて、枡条が開閉レバーを押し下げるが――

「開かない……?」

 困惑する大畑の代わりに、挿し込まれたままの鍵を枡条がもう一度回すと、すんなり金庫は開いた。

 実はこれは異常事態である。

 だが、このときは誰もそれに気づかなかったのだ。選挙会場という特殊な空間に長時間拘束されたことで、皆が疲弊ひへいしていたのだと思う。

「ん?」

 金庫が開いた瞬間、かつんと何かが落ちる音がした。

 気になったオレはしゃがんで床に手を這わせる。黒い断片が長テーブルの脚元に見える。何だろう? 拾い上げようとしたところで、

「どういうことだ……」

 選管委員長の混乱したような呻き声。


「会長選の投票用紙が無くなっている――!」

「えっ」


『第三十二回合同自治会《監査長》選挙投票用紙』――250枚ずつの束が二つ。スチール製金庫に在るのはそれだけだった。

 ちなみに監査長選の用紙は白色、会長選用は黄色で区別している。白一色の光景に、枡条の顔も蒼白になった。

「変だな今の」

 静寂のなか祈がぽつりと言う。

「大畑さんが鍵を回して、枡条さんが更に鍵を回した。で、金庫が開いた――ってことは、鍵は(・・)元々(・・)開いていた(・・・・・)ってことだ」

「っ、そんなバカなことあるか!」

 すぐに枡条が反発したが、至極当たり前のことである。開錠→施錠→開錠。トリックのつけ入る隙もない明快さだ。

「だって、投票が始まる前に施錠を確認したぞ! 立会人と」

「そのとき中身は? 投票用紙はちゃんと在りました?」

「……たぶん」

 選管委員長の語気が弱まる。

 彼のことだから、慌ただしく作業したに違いない。立会人が大畑というのも頼りないし、と思っていたら、

「しっかりしてください委員長! 私も立ち会いました。会長選・監査長選の用紙500枚ずつ、間違いなく在りましたよ。鍵も掛けてました」

 穂波さんが加勢してきた。

 オレは低く唸る。三人が揃って見過ごすことはさすがに考えにくいだろう。

「確認したのはいつ? そのとき、今ここにいるメンバー以外の誰かが居ましたか」

 祈が尋ねる。枡条は力なく首を振った。

「投票が始まる直前に……僕たち以外誰もいなかった」


「――じゃあ、選挙が始まってから今の間に誰かが(・・・)金庫を(・・・)開錠して(・・・・)投票用紙を(・・・・)盗った(・・・)。そういうことになるな」


 あっけらかんとした祈の言葉に、緩みかけていた投票会場の空気がぴんと張り詰めた。

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