客は部外者?
少し道に迷った絵里が昼過ぎになってからどうにか相談所の門を叩くと、私服姿の相良に迎えられた。何かの作業中だったのか、男性にしては長い髪を縛っている。それが新鮮で、絵里はようやく慣れてきたのにまたしても眩しくて直視出来なくなった。
「――相良、ご飯出来たぞ」
客間へ向かう途中の廊下で、聞き覚えの無い声がして絵里は赤くなっていた顔を上げた。
三十代前半くらいだろうか。背が高くがっしりした体型の男性が奥の部屋から姿を現した。
絵里はここに来るのは三度目だが、初めて見る顔だった。一見普通の人間に見える。しかし、ここにいる時点で油断は出来ない。
男性は絵里に気付くと、腕まくりしていたワイシャツの袖のボタンを留めながら会釈した。
「お客さん?」
「あ、えっと、はい」
「一昨日からご相談に来られている湊さんです。――絵里さん、こちらの方は工藤さんです」
うろたえていると相良が紹介してくれたので、それに会わせて頭を下げる。
工藤と紹介された男性はどこか不器用に笑った。
「工藤雅文だ。警察官で、刑事部に所属している。……一昨日から、ということはもうあいつには会ったのかな」
警察、という単語に絵里は思わず身構えてしまう。悪いことをした覚えはないが、連日様々なことが起こりすぎて少し神経質になっていた。
あいつ、というのはおそらく化野のことだろう。嘘を吐いても仕方がないので首肯しておく。
「どういう相談かは聞かないが、警察にも力になれることがあれば言ってくれ」
「…………力になってくれるとは限りませんけど」
消え入りそうな声で相良が言うと、工藤は彼の頭をくしゃりと撫でた。いつもしっかりしていた相良の子どもっぽい言動に絵里は目を瞬かせた。
「警察の方がどうしてここに?」
絵里が訊ねると、工藤は複雑な顔をして頬を引っ掻いた。「話せば長くなるんだが」と前置きして相良を一瞥する。
「今日は相良の様子を見にきただけだ。……ほら、冷めるから食べておいで。案内とお茶出しは俺がやるから」
相良は悩む様子を見せていたが、お腹をおさえると絵里に向かって手を合わせた。
「ごめんなさい絵里さん、ちょっとだけ失礼しますね」
そう言うと、相良は奥の部屋へ消えてしまった。
絵里は高い位置にある工藤の顔を見上げる。
「相良くんとはどういう関係なんですか?」
口にしてみるとなにやら不穏な問いかけになってしまった。
工藤は絵里の真剣な眼差しにおかしそうに笑った。
「昔に俺が担当した事件の関係者だったんだ。相良は生活力はあるんだけど、どうも食事に関しては関心が薄いみたいでなあ。化野と一緒にキュウリばっかり食べてるから心配なんだよ。――知ってる? キュウリって栄養素ほとんどないんだよ」
絵里は相良の細い肢体を思い浮かべた。女である自分よりも細く見えていたが、食生活が問題だったのか。
「相良くん、ここに住んでるんですね。ご家族は……?」
「それは、俺から言うべき事じゃないな。――化野の所に案内するよ」
歩き出した工藤の後ろについて、何度か通った廊下を進む。
事件って何だろう。相良は何に巻き込まれてしまったんだろう。どうして家族と離れて一人こんな所に。
知り合ったばかりの絵里が首を突っ込むべき事ではないと、頭では理解しているがどうしても心に引っかかっていた。
襖を開けると、化野はいつもの上座にいなかった。百々目鬼や座敷童は見あたらない。
縁側に腰を下ろしている化野は、首だけでこちらを見た。甲羅のためか、化野の着流し姿は横から見ると不格好だ。
「よう」
「おじゃまします」
工藤は絵里の目線を追った。
「化野、いるのか」
工藤には化野が見えていないようだった。絵里は、ずっと付けたままのお守りに服の上から触れる。
瞬間、化野の気配が濃くなったのがわかった。影が濃くなるような、灰色が黒に変わったような感覚。
あちこちに向けられていた工藤の目が化野でぴたりと止まる。
「久しいな」
化野は立ち上がり、定位置に着くと絵里と工藤に座るよう促した。
何をしたのかは絵里にはわからなかったが、工藤にも化野が目視出来るようになったようだ。
「少し忙しかったんだ。妙な事件が起きてさ」
「妙な事件?」
「相手が河童でも詳しくは言えないけど、犯人がどうにも人間とは思えない逃走経路を通っていたんだ」
「……妖怪か」
「わからない。ただ、容疑者には人間としての経歴が間違いなくあるから、俺は半妖の線で見てる。だがもちろん警察内にはそんな話は持ちかけられないからなあ。暇そうなら少し協力して貰おうかとも思ったんだけど」
工藤は絵里と化野を交互に見て目を細めた。
「珍しくちゃんとしたお客さんがいるみたいだからやめとくよ。警察だけで頑張ってみるさ」
お茶入れたら帰るよ、と工藤は腰を浮かせた。その腕を、絵里は半ば反射的に掴んだ。
「――あの」
言いかけて、絵里はすぐに口を閉ざし手を離した。
工藤とこのまま別れたら、何か大切な事に辿り着けなくなる気がした。頭の中で誰かが、彼ともっと話をするべきだと訴えているようだった。けれどそれが何の事なのかがわからない。
工藤は目を丸くしていたが、やがてポケットから名刺を取り出した。
「困ったことがあれば連絡して。出来ないことも多いけど、出来ることも少しはあるからさ」
絵里が名刺を受け取ると、工藤は人なつっこく微笑んで部屋をでた。
二人だけになった部屋で、絵里は化野を上目遣いに見た。
「相良くんが関係者になった事件って、化野さんも知ってるの?」
「……ああ」
沈黙の後で、化野は息を吐くように頷いた。
「何があったの?」
「私が話すようなことじゃない。相良は特に隠している訳でも無いがな」
しかし、と化野は黒い瞳で絵里を見た。
「お前はそれを聞いてどうする気なんだ?」
「どうって……私は」
どうするつもりなんだろう。つい一昨日出会ったばかりの、名前くらいしかしらない関係で過去なんて聞いて。
そもそも、絵里は相良にとってただの客だ。ストーカー問題が解決すれば、もうお別れ。じゃあ知ったって意味ないではないか。……ただの好奇心?
絵里はそれ以上言葉が出なかった。
相良はふむ、と化野よろしく腕を組んだ。
「なるほど、それは怪しいかもしれませんね」
食事を終えた相良が戻ってから、絵里は昨晩の出来事を語った。誰もいない廊下のきしみと、妖気を帯びた黒猫。
「その猫、部屋が荒らされた日も現れたの。今になれば、どうやって入り込んでるのかなって……。戸締まりには気をつけていたつもりだから」
いつの間にか入り込んでいたのだろう、と軽く考えていたが、そう何度も続くものだとは思えない。それも、あんなにタイミングよく。
「水希がそう言うなら、化け猫ではないということだな。その妖気が、私があの子どもやお前の部屋で感じたものなのかが気になる」
「もし同じなら、その妖気の持ち主が絵里さんに付き纏っている可能性が高まりますね」
絵里は化野と相良の話合いを聞きながら、ねっとりした視線や、差出人不明の手紙を思い出していた。
犯人は妖怪なのだろうか。もし妖怪なら、どうして絵里が妖怪に目を付けられるというのか。自分は、特別容姿が良い訳でも秀でた能力がある訳でもない。
揃って考え込む。
沈黙を破ったのは化野の低い声だった。
「今晩お前の家に泊まらせて貰う」
「と、泊まる? 化野さんが?」
突然の申し出に絵里は思わず声が裏返った。
「お前の話によると、犯人が現れるのは夜が多いんだろう。妖怪は夜行性だ。姿を現した所を捕まえるのが一番早い。今日は水希もいないからな。私が行こう」
「う……そりゃあ、そうかもしれないけど……」
化野と二人で一晩を明かす。わがままを言っている場合ではないが、受け入れがたいものがあった。
「僕も着いていきます!」
相良が爽やかに挙手した。
絵里は額を押さえた。手のひらに熱が伝わる。
むしろ相良も来た方がまずいというか、いや化野と二人きりがいい訳ではないんだけど。実家に男の子を連れ込むなんて……連れ込むって言うと聞こえが悪いけど……。
もごもごと言葉にならない絵里を尻目に、化野は相良に指示を飛ばす。
「そうだな。一部屋借りて泊ることにするか。何かあったらすぐに駆けつけられるよう準備だけしておこう」
「はい! じゃあ泊まる準備しますね」
相良は大きく頷いて腰を上げる。
「――え、旅館の部屋に泊まるの?」
「同じ部屋に男がいるのに犯人がノコノコ現れたりしないだろ。おそらく犯人も私たちの存在に気付いている筈だ。警戒されているだろうからな」
「そう、だよね」
早とちりしてしまったらしい。絵里はばつが悪くなってお茶を啜った。
「お金はどうするの?」
「もちろんお前持ちだ。うちは経費で落ちないからな」
「げ、シーズン外れてても普通に高いんだよなあ」
鞄から携帯電話を取りだし、部屋を出て行こうとする相良に声を掛ける。
「あ、相良くん。私、旅館に連絡しとくね。予約は一人でいい? 化野さんはあれだし」
「はい、よろしくお願いします。お金の方は出せる分はお出ししますので」
相良が席を外し、また化野と二人きりになる。
電話をすると、顔見知りの仲居が快く了承してくれた。土曜日だが、部屋は空いていたようだ。もう少し暑くなると海水浴客が増えて混み始めるのだが。
代金はどうにか割引してもらえるように期待しよう。さっきの工藤と相良のやりとりからして、あまりこの事務所の家計に響かせるとまずそうだ。相良の食費を削るわけにはいかない。
絵里は化野の緑色の顔を眺めた。河童の中では美形なのだろうか。化野以外の河童を見たことが無いために判別がつかない。他の河童と並んだとして、絵里には見分けられないかもしれないが。
「……水希のこと、どう思ってるの?」
想定外の質問だったらしい。化野は目を丸くした。表情の乏しい化野にしては珍しい。
「なんだその質問は」
「だって、水希はあんなに化野さんのこと好きなのに、ちょっと冷たいんじゃないかなって」
「特定の女は作らない主義だ」
どこのプレイボーイだ、と絵里は内心で呟いた。
「でも、ここに来るな、って言ってたんでしょ? どうしてなの?」
本命を作らないのだとしても、遠ざける必要はない。現に百々目鬼や座敷童は侍らしているではないか。
化野は頬杖をついた。
「半妖の水希があそこまで私に惚れると思わなかった。前に言っただろ、人間は取り憑かないと惚れさせられない」
「惚れられたら困るの?」
「……妖怪と人間は違う。人間には成長があり、寿命がある。妖怪の世界は強さが全てだ。だが人間は違う。水希は人間として、成長し、自身の人生を歩める。河童の私に人生を無駄にするべきでは無い」
ぶっきらぼうに化野は言い、外の景色を眺めた。
殺風景な庭だが、よく見ると片隅にキュウリが植えてある。収獲まではもう少しかかるだろう。
「でも」
「私に近付かなければ妖気を浴びる事も無いからな。妖怪の血が薄い水希なら、しばらく会わないうちに私に惚れていたことなど忘れてくれると思ったのだが」
予想以上に時間が必要のようだ、と化野は腕を組んだ。
絵里はその無愛想な顔を見ながら、昨晩の水希の言葉を反芻させた。
――化野さんの前では、私は私でいれる。
きっとこれが、彼女の本音なのだろう。
「化野さんって、案外女心がわからないんだね」
絵里がため息を吐くと、化野は怪訝そうに眉間に皺を作った。
人魚の恋は、童話も現実も一筋縄ではいかないようだ。