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河童所長と怪奇な事件簿  作者: 雨咲まどか
二章 進まぬ調査
8/19

人魚と雪女

 夜の帳が落ち、雲の切れ間から三日月が姿を現した。

 自分の部屋なのに、どこか落ちつかない。絵里はドライヤーのスイッチを切り窓から外を見やった。風に乗って運ばれてくる雨上がりの空気はぬるく、土の匂いがした。


 相談所を出る頃にはすっかり日が暮れていて、相良が絵里を送ると名乗り出てくれた。年下にそんなことさせられないと遠慮すると水希が「じゃあ私が」と手を挙げてくれ、ついでに泊まっていく事になった。正直な所、一人で寝るのが怖かったからほっとした。


 生乾きの髪を手ぐしで撫でつける。この二日間で、あまりにも多くの事が起きた。ストーカー騒動など、このどさくさに紛れて収まってくれればいい。

 ふいに、廊下で床が軋む音がした。水希が風呂から戻ったのだろうか。

 音はゆっくりと大きくなり、ぴたりと止まる。

 しばらくしても水希が入ってくる様子はなく、絵里は首を傾げた。部屋を迷っているのだろうか。


「水希ー?」


 ドアを開けると廊下は闇に包まれていた。廊下の電気を消した覚えはない。誰かが間違えて消してしまったのだろうか。

 そこまで思案して、ぞっとした。廊下の軋む音がした時、足音は全く聞こえなかった。

 すぐにドアを閉じ、窓も閉め切る。鍵に手をかけると覚えのない感触がした。


「どうして……」


 鍵は歪んでいた。回しても引っかかって動かない。帰ってきた時は何ともなかったはずだ。誰かが意図的に、それもほんの少しの隙に、壊したとしか考えられなかった。

 絵里はカーテンを閉め、ベッドに腰を下ろしてドアを睨み続けた。化野が言っていた言葉が脳を過ぎる。

 妖怪が相手なら、ドアも壁も、なんの意味もなさない事がある。――ならば逃げ場などどこにも無いではないか。


 再び、廊下がぎしぎしと音を立てた。次はスリッパを引きずる音も聞こえる。

 ドアノブが回る。

 静かに開いたドアの隙間から顔を出したのは、黒猫だった。

 黒猫はするりと部屋に入り込み尻尾を振った。野良猫のクロ助だ。


「ただいま」


 クロ助の後を追うように入ってきた水希の視線は、クロ助に注がれていた。


「水希、さっきね」


 絵里が口を開くと、クロ助は窓際の棚に登って窓を引っ掻いた。開けろ、ということらしい。

 仕方なく絵里が窓に手を伸ばし隙間を作ると、クロ助は窓から飛びおりた。

 水希は神妙な顔付きで口元に手を当てる。


「絵里、今の猫……」


「このあたりに住み着いてる野良猫だけど……どうかした?」


 素早く窓を閉め、絵里はカーテンを引っ張った。

 水希は絵里に並んでベッドに座る。貸したパジャマは、少し小さいようだった。袖が短く窮屈そうに見える。


「ほんの少しだけ妖気を感じた。あの猫からじゃない。なんて言ったらいいんだろう。――そうだ、残り香みたいな」


 似た台詞を、昨日も聞いた。化野がばったり出会った小学生の宗輔に対して言っていた事と同じだ。

 あの時化野は『可能性』と言った。今絵里が直面している可能性は、何だろうか。

 絵里は上半身を倒して寝転がった。蛍光灯が眩しくて腕で目を隠す。


「……なんか、疲れちゃった」


 自分の事の筈なのに、わからない事ばかりだ。いつもどこか蚊帳の外で、知らないことばかり。知らなかったことばっかりだった。まるで絵里のことなどどうでもいいと周りに言われているような気さえした。ストーカー被害を受けているのは自分で、そのせいで苦しんでいる筈なのに、何故こんなに疎外感があるのだろうか。これも影が薄いせいだというのなら、どうしろというのだろう。どうすれば影は濃くなるのだろう。

 そもそもどうしてこんな事になったんだったっけ。振り回されるばかりで、もう何が何だかわからない。


 水希は青色の目を伏せた。


「あのさ、私、本当に絵里のこと助けたいって思ってるからね。化野さんに会いたかったのは本当だけど。でも私が化野さんを紹介したのは、それが一番絵里のためになるって本気で思ってたから。私が心から信頼してる化野さんだからこそ、絵里を助けてくれるって思ったから」


 腕を退けると、水希の苦しそうな横顔が見えた。いつも自信たっぷりで勝手気ままな彼女には似合わない表情だった。

 絵里は何も言えなくなって、「うん」と一言頷いた。

 ただ少し、拗ねてみたくなっただけだった。まるで友達が、取られてしまったみたいな気がしたから。


「水希はほんとに化野さんが好きなんだね」


 一瞬きょとんとしてから、水希はびっくりするほど綺麗に微笑んだ。


「私、自分が何なのかずっとわかんなかった。人間としても人魚としても中途半端で、どっちでもないなら何なんだろうって。妖怪の中にも人間の中にも、どこにも居場所が無い感じがして」


 濡れたままの金髪がきらきら光っている。

 水希は明るい声で続けた。


「化野さんはそれを、全部ただの一部だって。人間の部分も妖怪の部分も、私のただの一部分だって言って、その言葉の通りに私を見てくれた。化野さんの前では、私は私でいれる。他の誰でも無いし、人間の内の一人でも、人魚の内の一人でもない。でも仲間はずれじゃない」


 仲間はずれ。その感覚は、絵里にもわかった。誰だって仲間でいたい。仲間の内の一人でいたい。けれどどんなに沢山の仲間に入れて貰っても、どこかずっと不安なのだ。


「なんか、羨ましいな」


「お? 恋愛相談? 私そういうの大好き」


 湿っぽい空気はどこへやら、水希は歯を見せていたずらっぽく笑った。

 絵里もつられて笑って、水希の方へ寝返りをうった。


「すぐそういうこと言う」


「だって、絵里ってあんまり言わないんだもん。どういう人がタイプとか」


「言ったら水希は笑うから言わないの」


「笑わない笑わない。言ってみなよ」


 真面目な顔をしてみせる水希だが、目の奥が期待で輝いている。


「…………王子様みたいな人」


「へえー。――って痛い! まだ笑ってないじゃん!」


 水希は絵里に背中を叩かれ悲鳴を上げた。







*

 彼女の姿は清く美しい。彼女の声は無垢で美しい。彼女の言葉は愚かで、美しい。

 彼女は一人では生きられない。私が居てあげなくてはならない。彼女が美しく存在するために、私はどんな手も厭わない。

 目立たない小柄な体躯も、引っ込み思案な弱い心も、全て私が守るのだ。

*







 夜遅くまで喋っていたせいで翌日は二人揃って寝坊してしまった。土曜日でよかったとほっと息を吐く。

 昨晩の猫の件を伝えるために、絵里はまた化野霊能相談事務所を訪れることになった。

 二人はほとんど昼食のような朝食を取り、旅館を出た。駅を目指し海沿いの道を歩く。


「あーあ、バイト入れるんじゃなかったなあ」


 水希は盛大に嘆息して唇を尖らせた。彼女はプールの監視員のアルバイトをしていた。人魚であると聞いた今となっては、天職なのではと思われた。


「あ、でも、化野さんのところまでは送るね!」


 嬉しそうに水希が言って、絵里は苦笑した。


「化野さんに会いたいだけでしょ」


「いやいや、絵里が心配な気持ちと六対四くらいだよ!」


 絵里はどちらが六でどちらが四なのかは訊かないことにした。


「水希はさ、その……化野さんと付き合いたいの?」


 歯切れの悪い絵里に水希はきょとんとする。


「付き合えないだろうな、とは思ってるよ。でも、役に立ちたいし、化野さんに私を必要として欲しい」


 潮風が水希の金髪を揺らす。彼女には海がよく似合った。絵里は化野の緑色をした皮膚や尖った嘴を思い出して、やっぱり彼がこんなにも想われるのが不思議になった。


「役に立ちたい、かあ」


「私、学者になるの。化野さんの目標が叶ったときに、私が人間側からサポート出来るように」


 化野の目標、それはすなわち妖怪と人間の友好と共存だ。たとえ妖怪がどんなに人間に歩み寄ったとしても、人間が拒否すればそれは叶わない。なるほど、役に立ちそうだ。

 ただの妖怪オタクに見えていたが、彼女が妖怪や、それに関わる人間の文化に対して知識を持つ理由がこんなところにあったのか。絵里は大した目的も無く人文学部にいる事が恥ずかしくなった。


 電車に乗り、化野霊能相談所へ向かう。

 最寄り駅で降り、改札を抜けた時だった。肩が何かにぶつかり、絵里は慌てて振り返る。


「すみませ……」


 人にぶつかられるのは日常茶飯事だった。絵里の存在に気がつかなかった人がよくぶつかり、いつも驚かせてしまう。

 しかし今は、驚くのは絵里の方だった。

 見覚えのある、絹のような白髪に縁取られた儚げな相貌。白いまつげに青白い肌。九尾の狐の後ろに隠れていた、雪女だ。


「あ」


「げ」


 絵里が思わず声を上げると、雪女はその風体におよそ似合わない渋い顔をした。よく見ると着物ではなく黒いストライプのスーツを着ている。


「ウィッグ付けてくりゃよかった」


 忌々しげに呟くと、雪女は絵里の横をすり抜けて立ち去ろうとする。それに立ちふさがったのは水希だった。


「ちょっとまった! どこいくの、そんな格好で」


「はあ? 関係ないでしょ」


「関係大あり。あんた達がなんか企んでるのは知ってるの」


「なんか企んでるのはあんたらの方でしょ」


「失礼な」


「失礼なのはどっちだっつーの、お魚風情が。冷凍して出荷されたいの?」


「うるさいこの冷凍庫女」


 飛び交う悪態に絵里は目が回りそうになった。そっと水希と雪女から離れようと足を引く。

本能的に理解した。この二人はきっと、恐ろしく馬が合わないのだ。


「とにかく、そこらへんでぴちぴち跳ねてるだけのあんたとは違って私は忙しいの」


 吐き捨てるように言って、雪女は早足で歩き出した。水希は絵里の腕を掴み、引っ張るようにしてその後を付ける。


「あんたって、本当に九尾が居ないと態度悪いのね。好きな男の前でだけ取り繕ったって性根は直んないんだから」


「好きな男の前でも色気の欠片も無いお魚さんよりマシよ」


 水希に引きずられながら、絵里は二人の会話を整理した。水希が化野さんを、雪女が九尾を好いていて、化野と九尾が対立しているからこの二人も仲が悪い、という事か。でも九尾は化野が好きで……? いや、やっぱり難しい。


 ずんずんと進んでいく雪女に付いてゆくと、いつの間にか人気の無い道へ来ていた。

 瞬間、吹雪が巻き起こり絵里達の視界を白く染める。絵里が次に目を開けたときには雪女は姿を消していて、水希が大きな建物の前で腕を組んでいた。


「くそ、撒かれた」


「水希、ここって……」


「何かの研究所みたいだね。きっときな臭い研究でもしてるんだよ。雪女は人間のふりして色んな事に手を出してるって噂。一体何を企んでるのかはわかんないけど」


 悔しそうに顔を顰めて、水希は建物を睨み付けた。真っ白な建物は大きな門や監視カメラによって守られている。

 雪女が研究していること。それはおそらく九尾からの命令が関わっているのだろう。こんな大きな施設で、何を。


「あああ! 時間! バイト遅刻する!」


 急に水希が叫んで、絵里は飛び上がった。


「ごめん、絵里。私行かなきゃ。駅に戻るとこまで一緒に行くから、駅から化野さんのところまでは一人で行って、ごめんね。――あーもう、あのアイスクリーム女のせいで化野さんに会いそびれた!」


 走り出す水希を絵里は急いで追いかけた。




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