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河童所長と怪奇な事件簿  作者: 雨咲まどか
一章 「普通じゃない」ストーカー事件
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奇妙な手紙


「ここがうちの旅館なんだけど……忙しい時間帯だし裏口に案内するね」


 三階建ての古い旅館は、くの字に折れ曲がった形をしており、中庭や駐車場に面する内側が廊下で海に面した外側が客室、という作りになっている。全室オーシャンビューにするためであるが、そのせいで一部屋が大きくなり、客室数が少なくなってしまっていた。そのため敷地の広さや一泊の料金を考えるともったいないように絵里には思えていた。しかし、のんびりとした旅館の雰囲気を考えると、これくらいが丁度良いのかもしれないと最近になって気が付いた。


「落ち着いたいい旅館ですね」


 相良が声を弾ませ、絵里はその真っ直ぐな賛辞に自分が褒められているようで照れくさくなった。

 時代の流れに合わせるように何度か改築をしているのだが、壁や柱の端々から年季が入っているのが一目で解る。外観は出来るだけそのままに、というのが絵里の両親の考えであり、長い年月を刻んだその趣がいいのだという客も多い。

 ぐるりと旅館の周りを通り裏へ回ると、絵里は鞄から鍵を取り出した。絵里の幼い頃などは裏口の鍵は夜以外開け放たれていたものだが、いつ頃からか防犯のために必ず鍵をするようになっていた。

 扉を開け中に入る絵里に相良が心配そうな顔をする。


「ご両親に挨拶もなしにお邪魔しても大丈夫なのでしょうか」


「へーきへーき、私の友達ってことにするから」


 絵里が言い終わる前に化野はずかずか入り込み、廊下を歩いて行った。スリッパを履いて追いかける。足を拭けだとかスリッパを履けだとかの注意はしても無駄そうだ。

 化野は歩きながら周囲を注意深く観察していた。


「お前の部屋はどっちだ」


「案内するからちょっとまって」


 遠くから客の話し声が聞こえる。日が落ち始める今の時間は、丁度チェックインする客でロビーが少し騒がしくなるのだ。今日は平日だが、そこそこの客がいるようだった。


「ご両親が旅館を経営されているのでしたよね」


 気を遣ったのか声のトーンを落とした相良が言った。

 絵里は頷いて、長い髪の毛先を指先でつまむ。


「娘としてはちょっとつまんないけどね。夏休みなんてどこも連れてってくれないし」


「寂しい想いをされたんですね」


「相良くんは育ちがよさそうだけど……お坊ちゃんとか?」


「……どうでしょう」


 曖昧に微笑む相良に、絵里は何も聞けなくなった。まだ出会ったばかりだから当然と言えば当然だが、相良は謎が多い。妖怪の弟子をする理由は、一体何なのだろう。「カッコいいから」、本当にそれだけだろうか。


 化野のぺたぺたという足音がやけに大きく聞こえた。

 裏口から絵里の部屋まではほんの数メートルしかない。廊下の突き当たりで絵里たちは足を止めた。


「ここが私の部屋。どうぞ入って」


 普段はあまり人を入れたくないが、丁度部屋を片付けたばかりだから恥ずかしくない。

 鍵を開け中に入る。見た所には出掛ける前と変化がなくほっとした。


「失礼します。可愛いお部屋ですね」


 相良は白と水色で統一された室内を見回して言った。


「部屋、めちゃくちゃだったから気分転換に少し模様替えしたの」


 絵里は気恥ずかしくなり頭を掻いた。よく考えると、異性を自室に招くのは初めてだ。あくまでも現場検証であり、河童も同伴だが。

 化野は目だけをしきりに動かすと、指先で嘴を撫でた。


「ほんの僅かだが妖気の跡がある。それも、さっきの子どもから感じたのと同じ妖気だ」


「ど、どういうこと?」


 目を丸くして絵里は化野の視線の先を追った。宗輔に感じたのと同じ妖気。どうしてそんなものが、自分の部屋にあるというのだ。


「考えられるのは、あの子どもに接触したのと同じ妖怪がこの部屋にも居た、ということだ」


 今日の天気でも話すような口ぶりで言ってのけ、化野はベッドの方へ歩を進めた。じっと観察したのち、枕を持ち上げる。

 枕の下には白い封筒が置かれていた。


「なにそれ……私知らない」


 絵里は全身に鳥肌が立つのを感じた。昨夜寝た時は無かった筈だ。だとすれば、いつ置かれたのだろう。

 水かきの付いた手で器用に封筒を拾い上げ、化野は迷わず封を切った。


「相良、読んでくれ」


「えっちょっと待って」


 絵里の制止を無視して、化野は取り出した便箋を相良に渡すと読むように促した。相良は困り顔になり化野と絵里を交互に見ていたが、やがて便箋に視線を落とした。


「ごめんなさい絵里さん。えっと――『何故こうも私を焦らすのですか。会えない日が続くほどに、私は気が狂ってしまいそうになるのです。私が迎えに来たことを、貴女は気付いているのでしょう。何か理由があるのならどうか聞かせて下さい。貴女の為となるのなら私は何だって致します。ああ、分かりました。会えない月日が貴女を不安にしたのでしょう。もう私を試すのはお止め下さい。こうしてこんなに近くにいるのですから』」


 相良は読み終えると面を上げた。

 口元を両手で覆って聞いていた絵里は、彼の手から便箋を奪った。すぐに目を滑らせる。

 そこに並んでいたのは、歴史の資料で見るような草書体だった。こんな字を書く人を絵里は知らない。草書にあまりなじみが無い絵里には一目で解読すら出来なかった。


「読めないし、一字一句身に覚えがないんだけど」


 気味の悪さよりも文面に対する疑問がまず浮かび、絵里は冷静さを失わずにいれた。

 焦らす。迎えに来た。会えない月日。どれ一つとして、引っかかる言葉がない。


「大丈夫ですか、絵里さん」


 顔色の悪い絵里に相良が声を掛ける。絵里は力なく笑って見せた。


「妙だな」


 化野はベッドに腰を下ろし足を組んだ。河童が自分のベッドに座った事が絵里は少し気に入らなかったが、今はそれどころで無い。


「何故今になって手紙を書く? それもこんな字体で」


「筆跡を誤魔化すため、でしょうか」


 相良の意見に、化野は「そういう考えもできるが」と返し、しばし黙考した。


「今時、筆跡残さない方法なんていくらでもある。草書を覚えるよりワープロの方が余程楽だろう。それに、字から書き慣れている印象を受ける。……小娘、どこかで老人でも誑かしたか?」


「そんなことするわけないでしょ」


 絵里は化野の口から「ワープロ」という言葉が出て来たことに驚いた。河童といえども、どうやら現代文化に精通しているらしい。


「まず、ストーカーが部屋を荒らすこと自体がおかしいんだ。荒らす必要なんてどこにもないからな。考えられるのは何か物や個人情報を盗む目的や、何かを壊す事くらいだが、お前は荒らされた、としか言っていなかったな」


「………うん。無くなった物とか、壊された物は特にないよ」


「ならば何故犯人は部屋に侵入しただ荒らしたのか。何故その後に手紙を残したのか。これが逆ならまだ納得がいく。手紙に対する返事が無かった腹いせに、自分の存在を知らしめようとした、とかな」


 そう言うと、化野はまた黙り込んでしまった。

 絵里は慎重に記憶を探りながら手紙を読み直した。

 まるで覚えが無い筈なのに、どうしてか胸がざわついて仕方がない。

 迎えに来た。……それは、絵里を?


「妖気が残されている以上、これは私の管轄内だ。小娘、この旅館の他の場所も案内しろ」


 ふいに化野は立ち上がり絵里に向かって顎をしゃくった。

 どうしてこの河童はここまで偉そうなのだ。

 絵里が一言もの申してやろうと口を開きかけた時、相良が「あ、すみません」と控えめに手を挙げた。


「師匠、そろそろ水分補給の時間です」


 相良は肩に掛けている小さな鞄の中から水の入ったペットボトルを取り出した。何が入っているのかと思っていたが、水だったとは。

 手を添えて零れないよう上手く頭の皿を潤したのち、相良は化野の開いた嘴に水を流し込んだ。化野が飲み終わると、ハンカチで嘴を拭いてあげる。


 その光景を見ながら、絵里はついさっきの疑問の答えが分かった気がした。相良が甘やかすから、こんな傲慢な河童になったのではないか。








 河童とその弟子を連れて館内を歩く。


「この辺りはお客さんは入れないんだけど……従業員は鍵の場所知ってるから、入れないことは無いと思う。でも私の部屋の鍵は私と親くらいしか持ってないから誰でも入れるって訳では無いはず」


 古い旅館といえども、セキュリティは特に甘くない。従業員も皆長く勤めている人ばかりだ。こう何度も犯人が侵入するのはどうにも腑に落ちなかった。


「妖怪が関わっているなら、人間の防犯対策などしてないのと同じだ。妖怪の種類にもよるがな」


「一反木綿なんかならドアの隙間から侵入出来ますし、幽霊なら壁もすり抜けられますからね」


 人間界の常識は妖怪には通用しないらしい。絵里は、こんなことならばオカルト研究会の活動にもっと真面目に参加しておけば良かったと反省した。

 夕食の準備に追われる両親たちの邪魔をしないよう注意しながら一つ一つ説明していく。


「ここは住み込み部屋。今の時期はいないけど、もう少ししたら短期のアルバイトの人が寝泊まりするの。この奥は従業員用のお風呂とかキッチンとか」


「視線を感じるのは、主にどこにいる時ですか?」


「うーん。本当に色々だなあ。ここを歩いている時もそうだし、ロビーとか人の多い所でも。――あ、このドアの先を少し行ったらロビーだよ」


 内鍵を開けて通り、すぐにまた鍵をする。絵里が両親に渡されている鍵は、ここと裏口と自室の鍵のみである。

 受付やお迎えの仲居に会釈しながら、絵里はしまった、とこっそり呟いた。相良は部屋で待っていて貰うべきだった。化野は仲居たちに見えないが、相良は人間だ。彼女達の目には、絵里が年下の男を連れ込んでいるように見えてもおかしくない。

 幼い頃から、館内を遊び場にするなと再三注意されてきた。遊んでいるのではないが、じゃあ何をしているのか、と聞かれても答えに困る。これだけの人数に見られては、すぐ母の耳にも入るだろう。


「あー、絵里ちゃんだあ」


 今日はよく人に見つかる。少し離れたところから大声で絵里を呼んだのは、最近常連となった大月優おおつきゆうだった。

 白いブラウスに幾何学模様の変わった柄が入ったロングスカートという出で立ちの彼女は、細かなパーマをかけた髪を揺らしながら絵里に駆け寄る。


「二週間ぶり! かなあ? あたし、今日からからまた泊まりに来てるんだ」


「こんにちは。絵は順調ですか?」


 美大生だという大月は、「ここで描くのが一番はかどる」という理由で度々絵を描きにやってくる。いつも素泊まりで、部屋に籠もっているために顔を合わせる事は少ないが、話相手が欲しいのか年の近い絵里にしばしば話しかけてくる。

 大月は絵里の問いに苦い顔で笑った。


「微妙だなあ。今から息抜きにご飯食べに行くとこなんだあ」


「たまにはうちで食べればいいのに」


「ビンボー学生だもんー。食べてみたいけど」


 残念そうに言って、大月は絵里の後ろを見上げた。


「あれ、絵里ちゃんの彼氏?」


 絵里は目を瞬かせてから首だけで後ろを顧みた。相良が大きな目を更に大きくしている。


「ちちちっちちがいます。友達です!」


 動揺する絵里の背後で相良がにっこり笑って「どうも」と挨拶した。

 大月は「ふうん」とだけ言うと、じゃあまた、と大きく手を振り立ち去ってしまった。

 その後ろ姿に顔を顰めたのは化野だった。


「おかしい」


「……もしかしてまた妖気がなんとかって言うんじゃ」


 熱くなった顔を手で仰ぎながら絵里は声をひそめた。誰かに聞かれたら言い訳に困る。

 化野はきっぱりとした口調で言った。


「あの女、相良に無反応だった」


「へ? あー、そういえば」


「相良には人間の女をたらし込む方法を教え込んでいる。挨拶だけでも多少は反応を見せる筈だ」


「まあ男の子に興味ない人とかもいるから。――ってか、なにを教えてるのよ」


 絵里は相良の不自然なまでに女慣れした言動を思い出し声を荒げた。はっとして口を押さえる。


「完璧な筈なんだがなあ。女のタイプ別の対処法も考えた方が良いか」


 ぶつぶつ言う化野に、相良は「不甲斐ないです」と肩を落としている。


「何が不甲斐ないのかさっぱりわかんない」


「だって僕、化野さんの弟子なんですよ」


 至極真剣な表情の相良に、絵里は頭が痛くなりそうだった。相談する相手を間違えたかと、今さらになって己の行く末を案じてしまう。ついでに相良の将来も。


「かっ……化野さんの弟子と女たらしになるのとはどういう関係が?」


「えっ。そっか、絵里さんはまだ知らないんですね。師匠の妖気に触れた女性は、それだけで師匠を好きになっちゃうんです。あ、師匠自身の魅力ももちろんですが」


 絵里は顔をぐにゃぐにゃに歪めた。事実なら衝撃的すぎる。しかし、そう言われてみると化野が現れた時、女の妖怪が二人も寄り添っていた。


「でも私全然化野さんに惚れてないよ」


「……人間は手間が掛かる上にかなり面倒なことになるからな」


 化野がふて腐れたように言った。

 言葉の少ない師の代わりに相良が説明する。


「人間の女性には取り憑かないといけないんです。でも取り憑かれると人間には耐えられなくて、色恋に狂ってしまうらしくて」


 絵里は化野に取り憑かれた自分を想像してぞっとした。


「お前には取り憑きたくないから安心しろ」


 顔に出ていたのか、化野は絵里を見上げると肩を竦めた。







*

 私が守ってあげるのだ。

 彼女のためならなんだってしよう。

 味方の一人もいないあの家で、私のことをただの「私」として見てくれた。

 こんな家どうだっていい。こんな私もどうだっていい。彼女がいるから私は存在した。

 彼女は私の全身を作っている。彼女の言葉も思想も、彼女が私に与えた全てが、私を作る一部なのだ。

*



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