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河童所長と怪奇な事件簿  作者: 雨咲まどか
五章 終わりと始まり
18/19

妖怪


 手分けをして相良を捜索する。化野が何も言わなくても、相談所中にいた妖怪は皆自ら捜索に参加した。それが、絵里は悲しいほど嬉しかった。早く伝えたかった。みんな、言葉や態度にしないだけで、君が好きなんだよ。


 服の中で揺れるお守りに絵里の不安は膨らんでいく。これは相良と繋がっている。相良の優しい気持ちが詰まっている。だからわかるのだ。彼が今、寂しがっていることが。

 雨は冷たい霧のようになっていた。傘は邪魔だから置いてきた。


 走っていた足が、高校の前でぴたりと止まった。相良が通っている高校だ。

 もうとっくに学校は終わっている時間だった。残っているのは遅い時間まで活動する部活の生徒だけ。

 絵里は導かれるように、開いた門を通った。教師にでも見つかれば、足止めを喰らってしまうかもしれない。周囲に気を配りながら、坂を登った。ブレザーの制服を着た生徒たちが奇異の目で絵里を見る。

 上履きなど持っていないから、靴を脱ぎ捨てて靴下で走る。迷わず階段を駆け上った。知らない高校に不法侵入しているのに、どこに向かうべきなのか手に取るようにわかった。

 一番上の踊り場まで来ると、屋上への扉に阻まれた。屋上は、多くの高校で立ち入り禁止だ。

 ドアノブに手をかける。捻って押し込むと、重い扉が動いた。

 誰かの話し声が聞こえる。屋上はさっきまで降っていた雨で濡れていた。

 辺りを見回すと、金色が見えた。


 風に靡く長い金髪。同じ色の猫のような大きな耳。白い着物に濃紺の袴。高い下駄。

 そして、紛れもない九本の尻尾が金色に輝いていた。

 九尾はゆったりと右手を前に伸ばした。その先に、見慣れたおかっぱ頭があった。

 絵里は胸のお守りをぎゅっと握りしめる。


「――相良くん!」


 大声が屋上に響き渡る。九尾と相良の動きが止まった。

 丸い目を更にまん丸にして、相良は絵里の登場に目を疑っている。

 気だるげに絵里を顧みる九尾の瞳はどこまでも無感情で絵里は全身が竦み上がった。

 見られているようで、まるでこちらに関心が感じられない。九尾の目は、ただそこに絵里の姿を反射させているだけだった。


「なに? 今忙しいんだけど」


 敵意も悪意もそこにはなかった。化野に見せていたころころ変わる表情が嘘だったかのように。


「相良くんを妖怪にするつもり?」


 懸命に言葉を紡ぐ。声が震えてしまっていた。

 九尾はため息をついて、手を腰に当てた。頬を膨らませるその仕草は、全てが演技じみていた。


「なにそれ、まるでおれが無理矢理しようとしてるみたいな言いぐさ。心外だなあ。相良くんは自分からおれに頼んだんだよ?」


 相良は絵里から目を逸らした。


「ごめんなさい絵里さん」


「……どうして謝るの? 一緒に化野さんの所へ帰ろう?」


 絵里は両足に力を入れた。靴下だけで屋上まで上がってきた足の裏は、ずきずきと痛んだ。

 今絵里に出来ることは、時間を稼ぐことだ。きっと、自分では相良を説得できない。言葉の重さが違う。

 相良がここに立っているのは、彼なりの覚悟があるからだ。それこそ、絵里では想像も出来ないような。


「ねえ、相良くん。どうして妖怪になんてなろうとするの?」


 ずるが見つかってしまった子どものように、相良は下を向いた。


「僕……」


「そりゃあ、人間なんて無力だもん」


 かき消されそうな声を遮って、九尾が笑った。目の奥は冷たいままの、偽物じみた笑顔だった。


「どうせ後何十年かで死ぬんでしょ? 何千年だって生きる妖怪とは、住む世界が違うよね。ちょっとしたことですぐ死んじゃうんだもん」


「何千年も生きることが、そんなに偉いことなの?」


「面白いこと言うね、君」


 本当に心の底からおかしそうに、九尾はクスクス笑った。

 その笑い声が、不思議なほどむかついた。


「おれはね、人間ってだいっきらい。弱っちいくせにえらそうで、群れで行動して強者に楯突くんだもん。どうせ生まれついた時から、強い奴は強くて、弱い奴は弱いんだから、最初っから媚びへつらえばいいの。それなのに相良くんはさ、河童のこと守るなんていってさ、笑っちゃうよね。人間風情が河童と生きようなんて」


「そんなの、あんたが決めることじゃない」


「だって、あと何年河童のそばにいれるの? あと何年その霊力を保ってられるの? 今だって、みるみる力が弱くなっていってるじゃない。霊力が無くなったら、河童のこと見る事すら出来なくなるんだよ?」


 相良は唇を噛んだ。

 きっとこれが、彼をこんなに追い詰めた理由だった。

 相変わらず無機質な声色のまま、九尾は残酷なほどに当たり前のことを言うみたいに続ける。太陽が昇ると朝になって、沈むと夜になるんだよ、とごく当然のことを、無知な子どもに教えるみたいに。


「霊力が強いせいで人間に弾き者にされたのに、次はその霊力が弱まるせいで役立たずになっちゃうなんて、可哀想な話だよね。可哀想すぎて笑えちゃう。……君さ、考えてみなよ。相良くんにとってどうすることが一番幸せなのか。人間にも妖怪にも馴染めずにいる相良くんを、おれは救ってあげようとしてるの」


 妖怪になれば、化野と共に生きられる。相良の願いは、ただそれだけのことだ。

 膨大な霊力のせいで人間を傷つけた相良が妖怪と暮らすことを選んだのは、彼にとって最良の選択だったのかもしれない。化野の元で、化野のためにその力を奮えることは、どんなに救いになっただろう。相良の特異さを、化野は平然と受け入れ長所にした。そんな存在に、相良はどれほど安心できただろう。そのままでいいと、言ってくれる人がいることが。


 でもさ、相良くん。

 貴方の長所は、そんなことだけじゃないんだよ。霊力が強いとか、そんなこと、きっとみんな気にしてないの。それこそ、化野さんが水希に言っていたでしょう。人間の部分も、妖怪の部分も、名前でさえ、ただの一部だって。


 絵里は歩を進めて、相良に対峙した。靴下に雨水が染みていた。

 いったい自分は、彼の事をどれくらい知っているだろう。

 名前? 顔? 声?

 そんなの、どれも本物だという確証はない。偽名かもしれないし、化けているのかもしれないし、全部嘘かもしれない。

 何を持って彼を彼とするのか、そんなの、絵里にも相良自身にも、きっと答えられない。絵里が自分を自分たらしめるものを、みつけられないみたいに。

 けれどたとえ、絵里が知ってるどれもが嘘だとしても、その嘘だって彼の一部だ。


「私は、妖怪の事とか、相良くんがどんなに悩んできたのかとか、わかんない。でも一つだけ、心の底から言えることがあるの」


 あの日、絵里の手を引いたのは相良だった。


「私は、人間の相良くんと出会えてよかった」


 勝手な話だった。

 九尾の言うことは、正論なのかもしれない。相良の望みを邪魔する権利は、絵里にない。幸せの定義なんてどこにもなくて、人間らしい「幸せ」を掴む事が、相良のためにならないのかもしれない。

 けれど今ここに絵里が辿り着いたのは、相良がほんの少しでも、自分を誰かに止めて欲しいと思ったからなんだと思う。木本優佳が呪いの最中に相良を無意識に呼んだように。

 面を上げた相良は、泣き出しそうに黒い瞳を濡らしていた。


「――相良」


 よく響く低い声が聞こえてきて、絵里はほっとした。これで役目を全うできた。

 現れた化野に、目を輝かせたのは九尾だった。つまらなさそうだった態度から一転し、九本の尻尾を振る。


「河童だーーっ! どうしたの? 河童の方から来てくれるなんて嬉しい!」


 抱きついてこようとする九尾を化野はさっと避けた。


「ひどい」


 泣き真似をする九尾だが、化野は見事なまでに無視をして相良の方を向いた。


「師匠……」


「私はお前を信頼している。お前が決めたことなら、口出しはしたくない。だが、大切な事を決める時は、一度私に相談しろ。それから決めるんだ。私の弟子であるうちはな」


「……僕、怖いんです。師匠の邪魔になるのが、怖いんです」


 相良は自身の制服を見下ろした。間違いなく相良は、人間だ。学校にも通って、クラスにも所属して、家族だっている。このまま年を取って、大人になって、それから老人になって、死んでいく。既にもう、化野と出会った小学六年生の頃とは、容姿も考え方も違うだろう。相良は、化野に見捨てられるのが怖いのだ。


「私が相談事務所を開く事にした理由、知ってるな?」


「妖怪と人間の友好、ですよね」


「お前と過ごすうちに、思いついたんだ」


 口をぽかんと開けて、相良は固まってしまった。

 化野はその間抜けな顔に笑って、黒髪をくしゃりと撫でた。


「相良には私の理想の先駆けでいてほしい。どうしても妖怪になりたくなったら、その時は馬鹿狐なんかでなく私に言え。私はお前の成長を楽しみにしてるんだ。私にも考えさせろ」


 それから、と化野は優しい声色で続ける。


「お前が私を見られなくなったら、私がお前に見えるようにする。それくらいはさせてくれ」


 相良は膝を折って化野に抱きついた。肩に目元を押しつけて、声を殺して涙を流した。

 散々訊いた相良のどんな言葉よりも、絵里はその涙が一番化野への敬愛が込められている気がした。


「なに、これ? おれこういうの一番嫌いなんだけど」


 九尾は泥水でも飲んだように顔を歪めていた。

 薄くなり始めた雲の切れ間から夕陽が漏れ出して地面にまで届いている。光の柱みたいだな、と絵里はグラウンドを眺めた。野球部が片付けを始めている。


「相良、私はそこの馬鹿と話がある。絵里を連れて先に戻っていてくれ。――絵里、いつまでもここにいたらまずいだろ」


 少し落ち着いた相良の背中をぽんと叩き、化野が言った。

 そういえば、私服で不法侵入したんだった。靴も下足に脱ぎ捨てっぱなしだ。

 靴下でここまで来たことを思い出し、絵里は頬を赤らめた。髪に触れると、広がってぼさぼさだった。格好付かないなあ。

 涙を拭いた相良と屋上を後にする。


「絵里さん、ありがとうございます」


「……私なんて、なんにもしてないよ」


「格好良かったです」


「……化野さんよりも?」


 相良は赤い顔で微笑んだ。絵里が好きな、少し幼い微笑みだった。


「同じくらいですね」


「……ちょっと出世したね」





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