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河童所長と怪奇な事件簿  作者: 雨咲まどか
四章 真相
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空っぽな心と透明な涙


 与一は、沙苗が小学生の時、養子としてやってきた。資産家の父が跡継ぎとして男子を求めたのだ。


「は、初めまして……」


 沙苗が挨拶しても、与一は一瞥し会釈をするだけだった。痩けた頬に鋭く冷たい眼差し。第一印象は無愛想な人だった。そんな与一の態度に父は憤り、与一を厳しく教育した。沙苗に対してはどこまでも甘い父が、沙苗の前で初めて見せた姿だった。


 それからというもの、自由の無い、社長になるためだけの教育を彼が受けているのを、沙苗は一歩引いたところで見ていた。父はまるで自分の分身を創っているかのようだった。与一には意思を与えず、毎日のスケジュールは父によって支配されていた。


 与一は聡明な子どもだった。父の期待通りに成長し、そしていつの間にか、父の仕事の多くを代わりに行うようになっていた。与一は父の言う通りに何でもした。まるで父が二人いるようで、沙苗は気味悪く感じていた。ふとした瞬間に自分を見つめているその視線も、恐ろしかった。

 気の弱い沙苗が度々同級生に泣かされたりすると、与一は横でじっと沙苗を見ていた。飼っていた猫が死んだときも、祖母が入院した時も、彼はまるで仮面のように固まった表情のままで涙を流す沙苗を見つめる続けるのだ。怖いと家政婦に相談すると、「心配して下さっているのでは」と笑われてしまった。


 同じ家で暮らしているというのに、沙苗と与一が会うのは一日に数回程度だった。与一は食事の席にさえいないことがよくあり、そんな時は家政婦が部屋へ食事を運んでいた。

 屋敷内ですれ違う時、必ず与一は沙苗をじっと見つめた。沙苗が笑顔を作り「こんにちは、お兄様」と声を掛けると黙って頷いてみせる。仕事ぶりや背格好は父と瓜二つになってゆくのに、沙苗に対する態度だけはいつまでも変わらなかった。 


 そんな折、沙苗が高校生になってしばらくすると縁談が舞い込んできた。相手は家柄も容姿も申し分ない青年で、沙苗は彼に恋をした。

 縁談が進むにつれ、与一は沙苗に付き纏うようになった。恐ろしい形相で彼女を見て、縁談相手との仲を邪魔するのだ。

 沙苗は、与一は自分を憎んでいるのだと思った。令嬢として生まれ、何不自由なく生きてきた沙苗が気に入らないのだと。

 しかし与一は沙苗が正式に婚約した夜、沙苗の部屋へ忍び込み激高した。






「愛し合っていたではないかと。どうして裏切るのだと、言われました。何のことかわからなかった。そして兄は、恐ろしくて泣く私の首を絞めました」


 沙苗はさめざめと泣いた。大粒の涙が零れて落ちるのに、絨毯には染み一つ出来ない。涙までもが、透けていた。


「ああ、私は死ぬのだと。婚約者に別れも告げられずに。意識が遠のいて、気がついた時には私は幽霊になっていました。兄の怨念が私を幽霊にしてこの世に引き止めたのだと、すぐにわかりました。妖怪になり私を探す兄から、私は何十年も逃げ続けて……とうとう追い詰められた時、夢中で近くにいた絵里さんに取り憑いたのです」


 与一はただ唖然として沙苗を見ていた。魂が抜けたように「嘘だ」と唇だけを動かし続けている。

 絵里は沙苗を気の毒に思った。酷いことを言ってしまったかもしれない。


「事情はわかった。ごめんね。……でも、私だって辛かった。貴方たちに振り回される義理はないもの」


 口を開けば開くほど、惨めになっていく気がした。この一ヶ月間は、何だったのだろう。正体もわからない犯人に怯えて、殺されかけて、いざ犯人を捕まえると蚊帳の外だなんて、馬鹿みたいだ。

 床に転がっているナイフの刃が、間抜けな自分を映していた。


「絵里さん……」


 相良が泣きそうな顔をしていた。それを見て、絵里は自分も泣きそうなのだと、気が付いた。

 絵里は大きく深呼吸をした。


「……相良くん、沙苗さん成仏させてあげて。わがまま言ってごめん」


 沙苗が顔を上げる。ほんの少しだけ、寂しいなと絵里は思った。


「迷惑かけてごめんなさい。ありがとう」


 最後に、沙苗は泣きながら笑って、溶けるみたいに消えた。

 与一の見開かれた瞳から、涙が一筋頬に流れた。







 どれくらいの時間が経過しただろうか。

 与一は絨毯に転がったままぴくりとも動かなくなった。涙も涸れたように止まり、感情が無くなってしまったかのようだった。

 絵里もまた、空っぽな心持ちだった。ぼんやりしていると、相良がそっと肩を抱いてくれた。その手がおかしな位に温かくて、五感を取り戻していく。


 空虚な沈黙を破ったのは化野だった。


「おい、お前にはまだ訊きたいことがある」


 声を掛けられるが、与一は反応を示さなかった。

 どんな手を使ってでも手に入れたかった相手が消えてしまった男の心を、絵里には想像も出来なかった。愛しい相手を殺す気持ちも。


「ねえ、沙苗さんの事、どれくらい愛してたの?」


 与一はゆらりと絵里に目を向けた。掠れた声で言葉を紡ぐ。


「私の全ては彼女のものだ」


 狂った彼の心の底に、あるのはきっと呆れるくらい単純な感情なんだ。絵里は与一の視線から逃げるように下を向いた。スカートの裾に皺が入っていた。

 たった一人の少女に、恋をして、たったそれだけのことが、どうしてこんなことになってしまったのだろう。殺したくなるくらいに、好きって、どんなに心臓が痛いんだろう。


 化野は腕を組んだ。


「私の質問にも答えろ。お前の能力は普通の妖怪のものじゃない。人間が妖怪になること自体は昔は稀に合ったことだが、人間の形に化けるのではなく、人間そのままになれる妖怪など聞いた事がない。お前は何者だ」


「……そんなこと、私が知りたい。……私はずっと何者でもなかった……私以外の誰かだった。沙苗さんに対する気持ちだけが私のものだと思えた」


 投げやりな口調だった。


「お前はどうやって妖怪になった」


「金色の狐が私を妖怪にしたのだ。それだけだ」


 その単語が出た瞬間、相良は緊張した様子を見せた。

 眉間の皺を深くし、しばし悩んだのちに化野は改めて口を開いた。


「絵里、こいつは私が引き取るが、いいか」


「引き取る?」


「面白い能力だからな」


 絵里は瞬きした。妖怪の感覚は理解できない。面白いから、なんてそんな事で、済ませられるものなのか。しかし、下手に野放しにされるよりも化野たちが見張ってくれている方が安心できるようにも思えた。


「わかった」


 絵里が同意すると、与一は首を振った。


「……殺してくれ」


 与一が喉の奥から絞り出すように言った相手は、相良だった。


 妖怪は死の概念が薄い。いつかの雑談で水希が言っていたのを絵里は聞いた事がある。その時はまだ水希の正体を知らなかったから、聞き流していた。超人的な存在である妖怪に、人間のような「死」は確かにしっくりこない。妖怪を確実に消滅させる方法は――人間によるお祓いだ。

 相良は眉を寄せ、唇を引き結んだ。

 緑色が、遮るように与一の前に立ちはだかる。化野は与一の胸ぐらを掴んだ。


「相良にそんなことさせようとするな」


 空気がビリビリと震える。化野が怒りを顕わにするのを絵里は初めて見た。

 化野はそのままドアまで与一を引きずった。


「相良、結界を解いてくれ。こいつを連れて帰る。一ツ目も借りるぞ」


「……はい!」


 ドアの向こうでは一ツ目が待ち構えていた。一ツ目は与一を担ぐと、化野に連れだって歩き出す。

 相良と二人残された部屋で、絵里はベッドに寄りかかった。ベッドが軋む音と、シーツの肌触りがいつもと同じで、少し安心した。

 与一が落としていったナイフだけが、この部屋で起きた悲劇を脳裏に張り付かせていた。

 終わったのか、これで。


 絵里は頬を引っ張った。


「なんか……恥ずかしい」


「え?」


「だって私、幽霊に説教垂れたりして……」


 妖怪の類いなんて、つい数日前まで信じてすらいなかったのに。

 相良は目をぱちぱちさせて、それから笑った。


「格好良かったですよ」


「ほんとに」


「ほんとです」


「……化野さんとどっちが?」


「それは師匠ですね」


「即答なんだ……」


 なんだか、笑えた。

 開いたままだった窓から風が入ってきて、カーテンが五月蠅いくらいに靡いた。潮の匂いが、鼻腔に戻ってきた。

 そうだ、窓の鍵、直さなきゃなあ。



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