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河童所長と怪奇な事件簿  作者: 雨咲まどか
四章 真相
15/19

犯人

 夜八時半。打ち合わせ通りの時間だ。

 自身の部屋の前に着くと、絵里は横にいる一ツ目を見上げた。


「あの……部屋着に着替えるので、少しの間ここで待ってて頂けますか?」


 一ツ目は黙って頷いた。

 ドアを開けて一人で部屋に入る。緊張で胃の奥が冷たい。

 出来るだけ自然に見えるよう意識しながら、クローゼットを開けて部屋着の長いワンピースを取り出した。

 ベッドに腰を下ろし、一息ついてから服のボタンに手をかける。心臓が壊れているかのように大きな音を立てていた。


 その時だった。視界の端を黒い塊が疾走した。

 絵里は反射的に振り返ったが、何もいない。その代わりにガムテープで固定したはずの窓が開いていた。

 肩を落とした瞬間、背後におぞましい気配がして息が止まる。

 後ろから抱え込まれ、大きな手のひらで口を覆われた。ナイフを握った男の手が目の前で振り上げられた。


「今助けてあげます」


 耳元で囁かれた声に聞き覚えがある。

 鋭いナイフの先が絵里に向けられた。勢いよく振り下ろされる。

 絵里が目を閉じた時、男の動きが止まった。


「そこまでです!」


 叫び声と共に、相良が姿を現した。

 どさり、と音がして床に倒れる。

 絵里は無我夢中で相良に抱きついた。恐る恐る男を顧みると、そこにいたのは生駒だった。眼鏡はしていないが、長い前髪も地味な顔付きも、見知った生駒そのものだ。


「どうして……」


 生駒は唸り声を上げながら相良を睨みつけている。絵里は目の前の光景が信じられなかった。

 どうして生駒が絵里を殺そうとするのだろう。ただのサークルの先輩が、どうして。

 相良は眼光鋭く生駒を睨み返した。


「動きを止める術をかけました。逃げられませんよ」


「邪魔をするな!」


「叫んでも無駄です。この部屋全体に音を遮断する結界を張りました。観念して下さい」


 床の上でもがく生駒に、相良は冷たく言い放った。

 絵里は相良の腕を握って唇を噛んだ。


「……どうして生駒さんがこんな事……」


 これまでのも全て、生駒がやったのだろうか。

 ずりずりと床を這い回り唸る姿は、気弱で腰が低い生駒とは思えない、憎悪に満ちた醜いものだった。


「――おい、いい加減化けるのは止めろ」


 化野の低い声に、生駒は口を閉ざし動きを止めた。

 忽然と現れた化野は、生駒に近付くとその顔を見下ろした。


「お前の化ける術は見事なものだ。だが、お前自身も気付いていない欠点がある。化ける時に妖気が漏れ、それがしばらく取れないんだ。だから化けたばかりのお前からは妖気が漂っている」


 化野は訥々と続けた。


「相良に化けたのが間違いだったな。初めて見る人間はまだしも、毎日見ている相良の違和感はすぐにわかった。あいつに妖気が付く訳がない。――いったい何人に化けた?」


 生駒の顔がぐにゃりと捻れた。絵里が悲鳴を上げる間もなく、次の瞬間には生駒の姿は全くの別人に変化していた。服装までもが、ジーンズから浴衣に変わっている。

 ついさっきまで生駒だった男は、見たことも無い顔をしていた。人間とは気配がまるで違う。絵里にも一目で分かる。妖怪だ。


 化野は眉を顰めた。


「それがお前の本当の顔か」


 男は化野を無視し、絵里を見上げて笑いかける。


与一よいちです。迎えにまいりました」


 絵里は全身の力が抜けてへたり込んだ。

 そんな名前、知らない筈だった。この顔も、知らない筈だった。なのに絵里の心はぐちゃぐちゃになっていく。


――どうしてだろう。知っている。私は彼を……違う、私じゃない?


「絵里さん?」


 相良の声に、自分が戻ってきた感覚がした。そうだ。絵里だ。

 与一と名乗った男の顔から、表情が消える。


「お前のせいだ小娘。お前が沙苗さなえさんを閉じ込めているんだ」


「沙苗さん……?」


「殺してやる。――どいつに殺されたい? こいつか? こいつか?」


 与一の容貌が次々に変わっていく。生駒。大月。宗輔。相良。水希。

 絵里は呆然とそれを見ていた。

 どういうことだ。どうしてこの男が、生駒たちの姿になるのだろう。どうして。

 青ざめていく絵里に、与一は大月の姿で満足そうに笑った。


「お前、こいつと仲良かったな。残念ながら、お前が大月優だと思ってたのは全て私だ」


 大月の顔が歪み、宗輔の幼い顔に変わる。


「この子どもも実在しない」


 甲高い声に似合わない口調で言って、与一は元の姿に戻った。


「嘘……」


「お前の両親にも、従業員にも、大学の奴らにも化けたことがある。様子が可笑しいと想ったこともないのか? とんだ間抜けだな」


 絵里の脳裏に、様々な人物との思い出が蘇る。

 あの時もあの時もあの時も? あの言葉もあの笑顔も? 全て与一だった? 

 すがるように見た化野の目は、絵里の期待を裏切って下を向いた。


「事実の可能性が高い。妖怪以外の何にでも化けられるのだろう。限界はおそらく猫程度の大きさまで。」


 猫、という言葉に絵里は黒猫のクロ助を思い浮かべた。撫でたことも、抱き上げたこともある。

 どの人の言ったどの言葉が本物で、どれが偽物だったのだろう。誰にでもなれるということは、どの瞬間に誰と入れ替わっていたかすらわからないという事だ。


 絵里は口に手を当てた。胃液が上がってくる。吐き気がした。

 相良が絵里の背中をさする。


「何も考えないで、ゆっくり呼吸して下さい」


 言われて、絵里は自分が呼吸を忘れていた事に気が付いた。

 化野は与一に対峙すると腕を組んだ。


「絵里が悪いだと? 片腹痛い。お前が女に逃げられているだけだろう。――相良、絵里に取り憑いている女を引きずり出せ」


「……はい」


 相良は絵里の顔を覗き込んだ。


「ごめんなさい絵里さん。少し苦しいかもしれません」


 言っている相良が苦しそうな表情で、絵里はほんの僅かに心が軽くなった。

 相良は絵里の背中に両手をあて、目を閉じた。

 石がのし掛かっているかのように、背中が重くなる。絵里は歯を食いしばった。


「沙苗さん!」


 与一が歓喜の声を上げる。それと同時に、絵里の背中はすっと軽くなった。

 上を見上げると、年の若い女性が浮かんでいた。首の横で緩く結われた美しい栗毛。伏し目がちの瞳に小さな体躯。

 十六、七だろうか。可憐な少女であったが、彼女の体は透けていた。


「会いたかった……」


 与一は恍惚とした表情を浮かべ、沙苗へ手を伸ばした。相良が目を見張る。与一にかけた術は解けていないはずだった。執念が与一を動かしていた。

 沙苗は怯えて相良の後ろに隠れる。


「やめて……」


「何をおっしゃるのです。さあ、こちらへ来て下さい」


「嫌……」


 頭を振る沙苗に、与一は首を傾げた。


「まだ何か貴女の邪魔をするものがあるのですか? 私が全て消して差し上げますよ。私は貴女に全て捧げてきました。なのに貴女は何故私のために何も捨ててくれない? 何故私のもとから離れるのです。何故。私達は愛し合っているでしょう。何が貴女を苦しめているのですか。何が。何がお望みですか。私は何もかも捨てました。こうして妖怪となってまで、貴女をずっと私は!」


 与一はのべつ幕無し語りかける。沙苗は瞳に涙を沢山浮かべて、相良の後ろで耳を塞いだ。


「その男が沙苗さんを誑かしたのですか」


「違う……もうやめて!」


 沙苗が震える声で叫んだ。


「ずっと迷惑だった! 私は貴方に殺されたのよ! なのに何故死んでまで、こんな想いをしなくちゃならないの!」


「嘘だ! 私達は愛し合ってる! 貴女は騙されているのです!」


 与一と沙苗のやりとりを聞きながら、絵里は自分でも不思議なほどに頭が冴え渡っていくのを感じていた。


――なにこれ。


 全く訳がわからなかった。何の説明もなしに、いつの間にか勝手に話が進んでいく。

 沙苗は潤んだ瞳で上目遣いに相良を見た。


「……私を解放して下さい。相良さんなら出来ると思うんです……あの男が私にかけた呪縛を解いて下さい」


 相良は一つ頷いて、沙苗に両手のひらを向けると目を閉じ念じ始めた。


「よせ! やめろ!」


 泣き叫ぶ与一に、沙苗は微笑んだ。彼女の透けた体が、もっと薄くなっていく。


「これで成仏できる……ありがとう……」


「嫌だ! 沙苗さん! 止めてくれ!」


 与一の悲痛な叫びが耳に付く。見慣れた自分の部屋とその光景が、似合わないと絵里はすっかり冷静になった脳で、思った。


「――なにこれ」


 呟いてみると、まるで自分の言葉だけがその場でぷかりと浮いているみたいだった。


「なにこれ、って言ってるの!」


 声を大きくしてみたら、やっと自分がそこにいるのだと感じられた。

 相良が目を開ける。化野と沙苗は驚いた顔をしていた。

 絵里は消えかかっている沙苗を見据える。


「あんた、誰?」


「え……?」


「誰か、って訊いてるの」


「――小娘! 沙苗さんに何をする気だ!」


 怒鳴る与一を絵里は一瞥した。


「黙ってて。私はこの子に訊いてるの」


「さ、沙苗です……」


 戸惑った様子の沙苗はもごもごと口を開いた。


「ずっとどこにいたの?」


「え、それは……」


「私に取り憑いてたの?」


「……だって……」


 沙苗は俯いた。


 悲しい顔して俯いていれば、どうにかなるとでも思ってるんじゃないの? 絵里はそのいたいけな様子に苛立った。初対面なのに、ずっと昔から彼女に苛立っていた気がした。


 要領を得ない沙苗の返答に、絵里は諦めて化野に視線をやった。

 化野は神妙に首肯する。


「絵里が初めて相談に来た日には、もうその娘が憑いていた」


「じゃあきっと、もっと前からだったんだね」


 沙苗が抜け落ちた時、絵里は心臓の一部が無くなったような感覚がした。卒業式の次の日の朝のような、当たり前が当たり前で無くなったような。


「霊に取り憑かれている人間は珍しくない。だがそいつは、頑なにお前の中の深くに隠れていた。霊が人間に取り憑くのは、大抵が相手を苦しめるためか、守るためか、人間の体を乗っ取るためだ。存在を隠す事は、まず無い。だから少し気になっていた」


「……どういうこと?」


「その娘はお前を隠れ蓑にしたんだ。そこの馬鹿から逃げるためにな」


 化野が言うと、与一は目を見張った。


「そんなはずない! 沙苗さんはその小娘のせいで……」


「――絵里が霊を自分の体に閉じ込める様な真似、出来るわけないだろ。お前はずっと何を見ていたんだ。絵里のことも、沙苗のことも」


 与一は狼狽して沙苗を見た。沙苗は顔を上げようともしない。

 そんな沙苗の態度が、絵里はどうしようもなく癪に障った。


「……沙苗さん。成仏する前にちゃんと説明して。最初から全部。人に自分のこと話されて恥ずかしくないの? 迷惑だったのは私だよ。幽霊だかなんだかしらないけど、人間を舐めないで。――相良くん、私が良いって言うまでその子成仏させたりしないで」


 手のひらを沙苗に向けたままでおろおろしていた相良は、絵里の頼みに素早く頷いた。彼は豹変した絵里に少し怯えている様だったが構っていられない。


「話してくれたら解放してあげる。取り憑いてたなら、私の気持ちくらいわかるでしょ」


 絵里はスカートの裾を握りしめた。

 涙を流す沙苗に、泣きたいのはこっちだと内心で悪態を吐く。

 沙苗はか細い声でぽつぽつと話し始めた。



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