棄てられたモノ 後編
独り言だと思っていた言葉に返事があり、振り返ったところにはにこやかに笑う一人の青年──黒髪に黒眼の忌避される色彩を持ってはいるが、それだけの青年。
その青年の腕が伸びてきたかと思うと、何の配慮もされずに首もとを掴まれて引き倒された。
「ぐっ……!?」
『ひどい匂い』
『ひどいひどい』
『血と怨みの涙の匂いだ』
『怨まれてるね』
『怨まれてるよ』
「ひっ……」
地面に引き倒された男の周りに小さな火の玉が現れた。クスクスと笑いながら周りを飛ぶその火の玉たちは、時折小さな子どものような顔を形作りながら不穏な言葉を呟きつつ、男を嘲笑う。
「……止めないとあの男、殺されるぞ?」
そんなことは言われなくてもわかっている、とマリアと身体を離した男が言った。
アルタートが見た目にそぐわない物理的な力の持ち主であることも、魔人であるということから魔力的にも全く敵わない相手であることもわかっている。だからこそ、止めたくてもあの場に割り込むような無謀な真似はできずその場に立ち尽くすことしかできないのだ。
「アルタートは……どうしてアイツを?」
「……アルタートさんのヒト型は、あの見た目だ。知らないか? 黒髪に黒眼をもつアルタートという名の“犯罪者”のことを」
「…………“道化師”のアルタート……」
「付き従うのは闇に飲まれた……というよりは、闇の属性に染められた火蜥蜴」
ジークハルトの説明とともに、アルタートの影からズルリと巨大な蜥蜴の頭が出てくる。
「なっ……」
「やはり、ついてきていたか……“フリード”」
どうやって収まっていたんだ? と問いたくなるサイズの火蜥蜴が路地を埋め尽くすようにして全身を現した。
突如として現れた巨大な火蜥蜴に、近隣から悲鳴が上がった。路地に入ろうとしていたモノは手に持っていたものも何もかも放り出して違うところへと走りだし、近くの家に住んでいたらしい住民たちはフリードの視界に入らないようにしながら逃げ出していく。
『くっさっ……』
「文句を言うんだったら出てくるんじゃないよ、フリード。邪魔になるんだから」
『ハクばっか街に出掛けんのズルい』
「……サイズが違いすぎるんだから仕方ないだろう?」
拗ねたような声をあげながらも、鼻先をアルタートの背中に押し付けているフリードは久しぶりの外出に喜んでいるようだ。──結構な長さを誇る尻尾が近くの家の外壁を破壊する程度には。
『フリードが出てきたから面倒事も飛んできたじゃん』
『アーティーが止めなかったんだから別に問題ないし』
『自分の大きさ考えなよ』
『うっさいなぁ、ハクは』
ジークハルトの傍らに浮かんでいるハクと、アルタートの傍らで大人しくしているフリードの口喧嘩が始まる。
この二体は、それほど歳も離れていないため悪友のような関係にあるのだ。
『喧嘩する?』
『喧嘩しちゃうの?』
『街が壊れるね』
『壊れちゃうね』
クスクスと笑いながら飛び回る火の玉──火妖精たちがフリードの背中に集って彩りを添える。
地面に引き倒されたままの男がどうにか目だけを動かして辺りを確認したとき、太陽の光を遮る影たちが姿を現した。
「騎士団だ!」
どこかからそんな声が上がると同時にアルタートを除いた三人の魔人がザッと姿を本来のモノに戻して、住宅の屋根へと飛び上がる。
魔人らしく黒髪に赤眼、褐色の肌をもった短髪のカインに同じ色彩をした長髪のレオ──そして、限りなく白に近い銀髪に色素の薄い碧眼をもったジークハルトが屋根の上で辺りを守るように魔力による障壁を展開した。
「魔人だとっ!?」
「なぜ、このような街中にっ……」
飼い慣らした飛行できる魔獣に乗った騎士団の団員が火蜥蜴以外の思わぬ敵に空中でたたらを踏んだ。
『あぁ……あのヒトと同じ匂いがする』
『くさいくさい』
『血の匂い』
『怨みの涙の匂い』
『『コロシチャッタノ?』』
「「う、うわぁぁあああっ!?」」
フリードの背から飛び出したおびただしい数の火妖精たちが騎士団の団員へと近づいていく。
横を素通りされるモノがいる一方で、火妖精に集られてひどい火傷を負うモノがいた。
「な、何事だ?」
『貴方は匂わないね』
『団長さんと同じ匂い』
『アーティーの嫌いないい匂い』
クスクスと笑う火妖精に戸惑った一人の団員は『団長さんアッチにいるよ』と言う言葉に従ってそちらを見ると、失ったと思っていた上司がそこに麗しい奥方を伴ってそこにいた。
「団長っ、ご無事だったんですね!」
思わず声を張り上げ、そちらに向かおうとした団員であったが降りようと魔獣に指示を出そうとしたところで目の前に浮かぶ白いヒトの姿に気がついた。
「……何、だ?」
『…………』
「待ってくれ、ジークハルトっ! そいつはっ……」
地上から男が叫ぶが、その声はジークハルトには届かない。
『……飼い慣らされ、誇りを忘れたか? 空の覇者たるグリフォンよ』
風に乗ってそれほど大きいわけでもないジークハルトの声が辺りに響き渡る。
背にヒトを乗せ、指示に従って動き回っていたグリフォンの動きがジークハルトの一言で止まった。
『思い出せ、お前たちの主は誰だ?』
ぐぐっと頭を振ったグリフォンが言う。『自分達に主などいない』と──。
背に乗っているヒトを振り落とし、噛まされていた轡を鋭い爪で引き裂いたグリフォンたちが大きく翼を広げて枷が外れたように大空へと舞い上がっていく。
「うわぁぁああっ」
騎乗していたモノに放り出された形となった騎士団員が、叫びながら落ちていく。
ジークハルトが簡単に行っているように見える“空を飛ぶ”という行為は、風の属性にかなり適応しているモノでなければできないのだ。
目の前で落下した男は、ジークハルトが襟の部分を掴むことで地面に叩きつけられるのを免れたが火妖精によって火傷を負わされた男たちは三人が張った障壁にぶつかった後、地面へと放り出される。火傷を負っていなかった団員はカインとレオ、それに猫やフリードの背中によって地面との激突からは保護されていた。
「…………」
下に降りたジークハルトに投げ出された男は、眼を丸くして団長と呼んだ男の元へとりあえず向かう。
「団長、あれは……?」
「面倒臭がりの、森の支配者だ」
「森の……? 森とは、あの森ですか!?」
「あぁ……」
怪我を負っていない団員たちが我先にと団長である男の元へと集う。
駆けつけたときに放った魔法は大半が障壁に弾き返され、火蜥蜴に放った魔法は鱗の一枚も傷つけられはしなかった。騎獣は騎獣で、どこかへと飛び去ってしまったしで団員たちに出来ることなど後は剣で斬りかかるくらいのものだがそれも多分効果はないのだろう。
「ジークハルト、何をするつもりなんだ?」
「アルタートさんによる粛清だ」
「粛清?」
「……お前たちの知らないところでこの街は腐っている」
「…………」
「道化師のアルタートは、ヒトの生き死にに興味はない。だが、それでも……彼にとって譲れないもの、というものがある」
「…………」
「彼は……“黒を纏うヒトへの差別”を許さない」
忌避するだけならば構わない、だがそれを蔑み下に見る行為はヒトとして生まれたモノへの侮辱だ──とジークハルトは言う。
「俺とアルタートさんの主張は、対象が違うだけでよく似たものだ。俺は“魔族だから”という曖昧な理由で攻撃してくることを許さない」
「…………」
「落ちた衝撃で死んだヤツも、火傷に呻いているヤツも……アルタートさんに捕まっているアイツも、全て“枷を嵌めた黒の奴隷”を殺したり、慰みものに使ったりしたことのあるやつらだ」
「そんなはずっ……」
即座に否定しようとした男であったが、目の前に突然火の玉が躍り出て、最後の言葉まで言えなかった。
『匂いがするの』
『怨みを残したひどい匂い』
『“どうして、どうして?”って泣いてる』
『小さな子もいた』
『死にたくないって叫んだ後で、殺された』
「なぜ、知っているんだ……」
『私たちは火妖精』
『火を司る妖精』
『松明も蝋燭も全て私たちの領域』
『隠し事なんてできない』
クスクスと笑い、まだ十歳にも満たないような子どもの姿に変化した火妖精は『これは殺された男の子』と言った。
また、少し離れたところでは同じような年頃の少女に擬態した火妖精が恐ろしいものを見るような眼を向けてくる団員の男の周りを回っていた。
『あれは手当てもされずに死んだ女の子』
『痛い痛いって組み敷かれる度に泣いてた』
「…………」
そんな戯言を、と言いたくても言えない現実が騎士団の目の前には広がっていた。
火妖精が擬態している姿は、炎のように赤く揺らめいているが知っているものが見れば顔立ちがわかるくらいには整っている。火傷に呻き、高所から落とされたことによる痛みにも呻きながら、擬態した火妖精に囲まれている男たちはそれぞれに向かって名前を呼びながら『死んだはずだ』としきりに叫んでいた。
『ほら、始まるよ』
『アーティーの弔い』
『炎を司る魔人に相応しい血の宴』
「「なっ……!?」」
『止められないよ』
『止まらないから』
『殺したヒトが悪い』
『あの子達だって生きてたのに』
楽しげな火妖精たちの言葉と共に血の花が咲いた──。
『うぐっ……』と何かを堪えるような騎士たちの声に、ジークハルトは冷めた視線を向ける。
一振り──二振り──三振り、とアルタートのもつ剣が振るわれる度に地面に落ちて呻いていた男たちの首が飛んでいく。返り血も周りへ飛び散る血飛沫も気にせずに振るわれる剣は、無慈悲にも美しく──堕ちた騎士団の騎士たちを刈っていった。
「……最後だ。しっかりと見届けろ、この街を守るのであれば」
「…………」
舞うようにして首をはねていたアルタートが、フリードに押さえつけられている最後の一人の元へと向かう。最初にアルタートに捕まえられて、最後まで残されたその男は冷たい雨の降る日に上司であった男の手足を斬り飛ばして森へと捨てた男であった。
俯せになった状態でアルタートに背を踏みつけられ、逃れることのできない拘束をされたまま──その首にゆっくりと剣の切っ先が埋め込まれていく。一撃で斬り落とされるのではない、ゆっくりとした動きに、押さえつけられている男は苦痛と恐怖を植え付けられながら絶命することとなる。
「「…………」」
「……あぁ、終わった」
動かなくなった男の身体の上から足を下ろし、何かをやり遂げたように呟いたアルタートはくるくると飛び回っている火妖精に命じて息絶えた男たちの骸を燃やし始めた。
「……これで、君たちは眠れるかい?」
風に吹かれて舞い上がっていく灰と熱に向かってアルタートは問いかける。『ありがとう』と声が聞こえたような気がするが、それは火妖精の声だったのだろうか──。
『ハク、手伝って』
『仕方ないなぁー』
鼻先に寄りかかるようにして力を抜いたアルタートの身体を支えているフリードがハクを呼ぶ。ふよふよとフリードの所まで飛んでいったハクがその手を使ってアルタートの身体をフリードの背中まで引き上げた。意識を失っているらしいアルタートの身体を火妖精たちが押さえるのを確認してからフリードは、静かに身体を起こした。
『先に帰るよ、アーティー寝ちゃったし……』
「あぁ、そうしてくれると助かるな。お土産はちゃんと買って帰ってやる」
『お肉でいいよ、お土産』
「わかってる」
『じゃあねー』と言いながら動き始めるフリードに警戒体制をとった騎士団であったが、フリードは器用に足元に障壁を張りながら住宅の上を走っていく。巨大な火蜥蜴が頭上を走っていくという珍事に、フリードの通り道にいたヒトたちは叫んでその場から逃げ出していった。
「……アルタートは大丈夫なのか?」
「問題ない、いつものことだからな」
「そうそう、アルタートさんはこれがガス抜きだから。抜けたらしばらく起きないんだよね」
「…………」
骸は無くなったが、血の痕はそこかしこに残っている。明らかな惨劇の痕を見つめながら騎士団員は、複雑な表情を浮かべた。
「……俺たちはどうすればいい?」
「俺の知ったことか。お前たちはこの街に巣くう膿の一端を垣間見た、それをどう処理するかは俺が決めてやることじゃない」
「……それもそうだな。俺たちが、どうにかしなくちゃいけないんだよな」
ふぅ、と小さくため息を吐いた男は一度頬を叩いてから顔をあげる。その顔には、確かな決意が浮かんでいた。
「俺たちだけじゃどうしようもないときは頼っても良いか?」
「……ふん」
「殺すとか、枷を嵌める以外の解決法を見つけてくれるとありがたいけどね」
黒を纏うモノは闇に囚われやすい──負の感情の高ぶりによって許容量を越えてしまえばすぐに闇に堕ちてしまうのだ。そうならないための解決法を、どうにか見つけなくてはならないだろう。
幸いにも、近くに対処できそうなモノたちがいるのだ。模索という形でも、少しずつ意識を変えていくことができれば今回のようなことは起きなくてすむかもしれない。
男がもう一度、決意を新たにして顔をあげたとき──そこにはもう、三人の魔人の姿はなかった。
「……え?」
「消えた……?」
──『ニャハハ』と小さく笑い声が聞こえたような気がした。一瞬にして姿を消した魔人たちはきっと、お土産を買うために市場へと向かったのであろう。ヒト型の姿を知ってはいるが、別に害をなすわけでもない──と、団長と呼ばれた男は小さく笑った。
巨大な火蜥蜴と、魔人の襲来によって失われた騎士団員たちはこれまでの所業を調べあげられて騎士であったにも関わらず“犯罪者”として名を刻まれることとなった。
また、騎士たちは不法に行われている奴隷売買の現場を制圧しそこで“黒を纏っているから”という理由だけで捕らわれていたモノたちを解放する。魔力の暴走を恐れるものには、枷を改良した魔法具を渡しそれを望まぬものには無理強いはしなかった。
幸いにも、魔人化するものはおらず──団長と呼ばれていた男が歳を理由に騎士団を引退した頃には、少しずつ黒を纏ったモノに対する認識が変わり始めていた。
「……アルタート?」
「フフッ……随分とお爺さんになったね、君」
「……お前は変わらないな、あの時からずっと」
「変わるはずないさ、だって僕は魔人……ヒトとは異なる理で生きるモノだからね」
「そうだったな……」
若々しい姿で街を歩くアルタートに声をかければ、飄々とした声が返ってくる。『じゃあね』と軽く手を振って去っていくアルタートを見送り、自分も家に帰ろうとしたとき──どこかで『ありがとう』という声が聞こえたような気がした。
『黒い子、助けてくれてありがとう』
『幸せいっぱい、愛情をありがとう』
「フフッ、悪くないね。笑顔に溢れた世界も」
よぼよぼの老人の周りには沢山の子どもたちがいた。“黒い髪”の子どもたちが──。
クスクスと笑ったアルタートは、もう一度会うことはないであろう老人の顔を思い出しながら嬉しそうに、もう一度笑った──。
時間軸は色々と移り変わります。
今回はちょっと過去に戻っているのです。
のほほんと更新して参ります。