薬を求めた少女
『オ客サンダヨー!』
ビリビリと空気を震わせ、伝えられた言葉に森に居たモノたちは顔をあげる。
「……来客の予定なんかあったか?」
「いんや? アラウダちゃんはついこないだ来たばっかだしね~」
軽く首を傾げながら問いかけるジークハルトに応えるのはカインである。
食事を摂らなくても死にはしないが、ヒトであった頃の習慣が抜けずに料理をするために必要な野菜などを育てている畑をいじっていた二人は、手に付いた土を払い落としながら家へと向かう。
『ジーク、客だって』
「……フリード、お前が迎えに出るなんて珍しいな」
『だってアーティーいないし……暇だったから』
「あぁ、そう言えばアルタートさん出掛けてるんだったな」
火蜥蜴であるフリードの牙に服を引っ掛けられ、まるで巣に運び込まれる餌のような有り様で運ばれてきたらしい客人は、まだ十にも満たないであろう少女であった。
「……カイン、下ろしてやれ」
「はいよ~」
大体ヒト型で過ごしているカインは、フリードの牙にぶら下がっている少女を抱き上げ、下におろしてやった。
完全に竦み上がってしまっている少女は下ろされたまま、その場に座り込み──どこか遠くを見るような目で辺りを見回していた。
「生きてるか?」
「…………はい」
ジークハルトが声をかければ一応返事があった。
フリードから解放されて、とりあえずヒトに見える二人を視界に入れた少女は安堵したように表情を緩めた。
「あのっ、わたし……お願いがあって」
「…………」
「こ、ここに来ればどんな薬草でも手に入るって聞いたんです! お願いですっ『氷結草』をわたしに譲ってください」
「……何のために?」
「お母さんがっ、お母さんが熱病にかかって、もう何日も熱が下がらなくて……氷結草があれば薬を調合できるってお医者様が……」
「……母の熱病を治すために氷結草が欲しい、で間違いないか?」
「はいっ!」
『「…………」』
『あちゃ~』とカインが額に手を当て──フリードが『あ~ぁ、知~らない』と呟いた。
小さな声は必死になっている少女には聞こえなかったらしく、少女は神様でも見るような目でジークハルトを見つめていた。
「カイン、用意してこい……あぁ、袋くらいは用意してやると良い」
「了解」
軽く肩を竦め、家の中へと入っていったカインが少しして麻の袋を持って戻ってくる。『はい、氷結草』と軽く渡された袋を受け取り、中に入っている凍り付いた薬草を見た少女は涙を溢れさせ──何度も『ありがとうございます』と感謝を述べた。
「さぁ、気を付けて帰るといい。フリードが迎えたと言うことは、北の方から来たんだろう? あの木と木の間を真っ直ぐ歩いていけば集落につながる道に出るはずだ」
「はい! ありがとうございました!!」
大切そうに麻の袋を抱いて何度か振り返りながら歩いていった少女が見えなくなったところでフリードが小さく笑った。
『ジークってひどいよね』
「何がだ?」
『氷結草を冷やすものも入れずに渡すところが』
「袋には入れてやっただろうが」
『森から出る頃にはただの草じゃん、アレじゃ』
「氷結草が欲しい、としか言われなかったからな」
氷結草──一年中雪が積もっているような寒い地域にしか自生していない薬草の一種である。その薬効は元となっている薬草の成分を取り込んだ氷の部分にあり、草の部分が残っていても意味がない。
氷結草持ち帰るためには、袋自体に熱を遮断する魔法をかけておかなくてはならないのだ。ただの袋では、この森を出る前に融けきってしまうことだろう──。だがそれはジークハルトたちの知るところではない。きちんとした知識もなく、この森へと足を踏み入れた少女の責任である。
『しかも北を通って帰れって……半分も行ければ良いほうなんじゃないの?』
「生きて家に帰りたいとも言われなかったからな。一番家に近いところに出られる道を教えてやっただけだ」
『ホント、ジークって対人対応が適当だよね』
「願いを叶えてやるだけましだと思え」
「……あの氷結草、採取したの俺だけどね」
──フリードに採れたての野菜を振る舞って、のんびりと過ごしていた中央にか細い悲鳴が届いたのは少女を見送ってからさほど経っていない時だった。
──手の中にある麻の袋を確認しながら意気揚々と森の中を歩いていた少女は、しばらく歩くとフリードに運ばれていたときは気にならなかった足場の悪さに気づいた。
ボコボコと凹んだ地面に、あちらこちらで倒れている大木の山──そこかしこに見られる焦げあとはいったい何事だろうか、と辺りを見回しつつも足だけは止めずに出口を目指す。
『ヒトがいるよ』
『珍しいね、北の森にいるなんて』
『お客さん?』
『違うよ、だってジークの匂いがするもん』
『じゃあ、もうお客さんじゃないね』
『お客さんじゃないよ』
『『うふふ……』』
「…………な、何……?」
ざわざわと木の枝が揺れるのに合わせて笑い声が聞こえる。
小さな子どものような、年をとった老人のような──不思議な音程の声にびくつきながら少女は、森を進んでいく。
『……クスクス』
『ほら、足元に気を付けないと……』
『『アブナイヨ?』』
「え……?」
しっかりと足元を確認しながら歩いていたはずなのに、下ろした足はフニュンとした何かを踏みつけた。
踏みつけたモノを確認しようと少女が下に視線を向けると──そこには艶々とした身体をもったゼリーのようなものが鎮座していた。踏みつけた少女の足をじわじわと取り込むように揺れるソレは、外にほとんど出ることのない少女よりも幼い子でもしっているような有名なイキモノ──スライムである。
「いやぁぁあああっ!」
スライムを踏んでいない方の足を軸にして、渾身の力を込めて踏んづけている足を引き抜いた少女はそこから転がるようにして逃げ出した。
スライムとは──物理的な攻撃で殺すことのできない厄介なイキモノである。意思をもつモノはほとんどおらず、自分の近くにあるものを取り込んで際限なく巨大化していくイキモノで、取り込まれたら最後魔法の使えないモノは生きたまま溶かされるのである。今回の少女は踏んづけただけで、まだ取り込まれていなかったから逃げ出すことが出来たが接触していた靴の底からはプスプスと煙が上がっていた。
「はぁ、はぁ……」
がむしゃらに走って息が苦しくなったところで足を止め、息を整えた少女は先程よりも周りを気にしながら足を進めていく。
『ザ~ンネン』
『ほら、あの子じゃ捕まえられないって言ったじゃない』
『まだちっちゃいもんね』
『クスクス』と笑う声がまた聞こえる。
できるだけ気にしないようにしながら、足を進めていた少女は森の中のいたるところにきらきらと光を反射するモノが転がっていることに気が付いた。
「……あんなに、スライムが」
無の透明、水の青、風の緑、火の赤、土の黄色──光の白に、闇の黒までそろった大小様々なスライムが塊を作っている。
透明なモノを見落とさないように気を配りながら少女は進んでいくが、中央の家からそれほど離れていないところに入り口があったらしく見覚えのある鳥をみつけてほっと安堵の息を吐いた。
『……氷結草、融けちゃったね』
『融けちゃったね』
『乾かしてあげる?』
『乾かしてあげようか』
クスクス笑う声に麻の袋を覗き込んだ少女は、もらったときには立派についていた氷がすべてなくなっているのをみて目を丸くするが底のほうに薬草が残っているのをみつけて『良かった』と呟いた。
『知らないの?』
『氷結草は氷がないと意味ないよ?』
「そんな……嘘でしょ?」
『氷が薬』
『薬になるのは氷』
これまで姿を見せなかった声の主が近くの木の枝に腰かけて少女を面白そうに見下ろしていた。
少女よりも幼く見える顔立ちの赤い髪をもった少年少女──重さを感じさせないその姿に、いたずら好きな火妖精なのだろうと予測をつけた少女は信じられないと言わんばかりの目を向ける。
「氷が薬だなんて……誰も言わなかった」
『聞かれないとジークは答えないよ?』
『カインはジークに言われないと答えないよ?』
「…………」
集落に戻るための道はすぐそこである。
少女は、道と森を交互に見たあと唇を引き結んで森の奥へと向かうほうへと足を進めた。
『いらっしゃい』
『歓迎してあげる』
『『ボクたちじゃなくてスライムたちが、だけど』』
「え……」
笑った子どもたちの顔が変に歪む。
ベシャッと木の上から降ってきた透明なゼリーが頭から顔にかけてを覆ったからだと気付いた時には、周りをスライムに囲まれていた。
「あ、あ……そん、な……」
もがいて叫んで、森から抜け出すために走り出そうとした少女は──足を赤いスライムに取り込まれ、背中に青いスライムが張り付き、頭には透明なスライムが乗ったままである。走り出すための一歩すら踏み出せずに転び投げ出された腕にも緑や白のスライムたちが群がっていった。
『溶けちゃった』
『溶けちゃったね』
骨だけを残してその存在を失った少女は、その声に答えることはできなかった。
『外に出してあげる?』
『出してあげようか』
クスクスと笑いあい、ヒトの形を崩さないようにして運び出された骨は少女が暮らしていたであろう集落へと続く道に置かれた。
『ウフフ』
『アハハ』
楽しそうに笑った火妖精は、空中を踊るように飛びながら中央へ向かう。
『ジーク、ジーク』
『小さい子死んじゃった』
『スライムに食べられて骨になっちゃった』
『骨はちゃんと並べてきたよ?』
「……はぁ。お前たちがそうやって森の外に骨やらなんやらを並べるから骸の並ぶ森だなんて言われるんだ」
『『クスクス』』
“死んじゃった”という言葉には反応もせずにため息を吐いたジークハルトは、クスクス笑いながら周りを飛び回る火妖精の頭を撫でる。
いたずらが好きな火妖精にとっては骨を外に運び出す行為はお手伝いに分類される。誉めてほしくてここまで来ているので、何もせずには帰せないのだ。
「それにしてもスライムか……なかなか珍しい集団に遭遇したな」
『北には結構いるよ?』
『フリードがいっぱい殺すから』
『『お掃除、お掃除』』
魔法の使えないヒトにとっては驚異でしかないが、魔法が使えるモノにとっては何の危険もないイキモノである。
特に魔法に長けた魔族に対してはスライムたちも襲いかかるようなことはせず、どちらかというと共生を好む傾向にある。身体の大きなフリードや水蜥蜴の表面にはよくスライムがくっついていて、その身体についた汚れをとると同時に割れた鱗などを取り入れて栄養としているのだ。
ゆえにこの森のスライムたちは本来外から迷い混んできたモノに対して興味を示さない。
「おとなしいはずのスライムを煽ったのはお前たちだろう?」
『ウフッ』
『でもノッてきたのはアッチだよ?』
「まぁ、獣に噛み殺されるのとリュウ種に踏み潰されるのとスライムに溶かされるのはどれがいいかと聞いているようなものだからな」
『結局死ぬしかないの』
『ただのヒトじゃ生きられない』
『『み~んな一緒』』
『そうだな』と同意しながらジークハルトは笑う。その顔に、少女を悼む気持ちは微塵も浮かんでいなかった。
────それから数日して、ふらりと森の近くに一人の女性が姿を現した。病み上がりだとわかる痩けた頬に疲れきったような表情──何かを捜すように辺りを見回しながら誰かの名前を呼んでいる。
『こないだの子に似た匂いがするね』
『本当だね』
『もしかして捜しに来たのかな?』
『そうかもしれないね』
クスクスと木の上から女性を見ながら火妖精たちは笑う。
『ほら、そこにいるよ』
『待ってたんだよ、ずっとそこで』
道に横たわるようにして置かれた骨に気付いた女性が『そんなはずない』と震えながら、その骨に触れる。
『焦げ茶の髪の小さな女の子』
『スライムに溶かされて死んじゃった』
『骨はいらないから帰してあげるって』
『優しいね』
『優しいよ』
『『ウフフ』』
女性の近くに降り立った火妖精たちは涙を流す相手を見ながらクスクス笑う。
『はい、どうぞ』と手渡される小さな頭蓋骨を思わず受け取ってしまった女性は、そのぽっかりと空いた眼孔をみつめて慟哭した。
『熱病で死んじゃうのは小さい子どもだけ』
『大人は死なないって、ジークが言ってた』
『無駄足だったね』
『本当にね』
泣き続ける女性の近くで火妖精たちは嘲笑う。
薬なんて要らなかった母のために、命をかけた少女は美談として語られることになるのだろうか。
クスクスと笑う火妖精は、少女について嘲笑いながら楽しげに語っていた──。
『正解は、“熱病の薬を手に入れて、この森から生きてお母さんの所へ帰る”だな』
様々な種の生きる森──薬の材料もあれば、魔人の手によって作成された薬もある。
無知な少女は、この森に入る危険も知らず、選びとるべき道も誤ったのであった──。
優しくはない魔人さん。
言葉が足りなければ、それで終わり。
基本的にヒトが嫌いです。
次回は、アルタートさんの優しくない治療です(笑)
今回は字数少なめでした。