プロローグ《森に住まうモノたち》
──その森は、ある国に隣接するようにして存在した。
人が暮らしているすぐ側にあるにしては、危険度が高く足を踏み入れたら最後、森の縁に骸が並ぶと言わしめたその場所は、森の成り立ちを知る者たちによって『誓約の森』と呼ばれている。
「先生……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「あら、どういう意味かしら?」
「足を踏み入れたら最後、生きて出られることはないという森に入る行為がですよ」
「命の保証はしない、という書類にサインをしたのは君でしょう? 今更文句を言われても困るわ」
のんびりとした口調ながらきっぱりと、青年の訴えを切り捨てた女性は小さく笑いながら大樹の聳え立つ森へと歩みを進める。誰もが忌避し、恐れる森への恐怖はその顔には浮かんでいなかった。
「…………」
女性に連れられて歩むのは、富裕層に属するのであろうことが一目でわかる男女三人──一人は先ほど口を開いた青年、誰よりも立派な衣を纏い上に立つことが当然というような自信と傲慢さが見え隠れしていた。
二人めは、『あり得ない、あり得ない』とブツブツ呟きながら神経質そうに爪を噛んでいる青年、そして三人めは明らかに森に向かうには相応しくないヒラヒラとした服を纏った少女──見た目も雰囲気もバラバラな三人を引き連れて女性は森の入り口へと辿り着く。
『ゴ用事、デスカ?』
頭上からかけられた片言の言葉に三者三様の驚き方をし、目を丸くして上を見上げれば肩に乗るくらいのサイズの極彩色の鳥がこちらを見下ろしていた。
「まっ、魔獣!?」
魔獣──魔力に飲み込まれ、変異した獣。
ヒトに仇なす害悪として基本的には討伐対象となっているイキモノである。
三人がそれぞれ得意とする武器を構えて臨戦態勢を取るが、引率としてついてきている女性だけは何も構えることなくその鳥を見上げてにっこりと笑った。
「御用事ですよ」
「…………」
『オ名前ハ、“アラウダ”デスカ?』
「アラウダですよ」
端から見ていれば何とも言えないのほほんとした会話を繰り広げる一人と一匹に、気色ばんでいる青年たちが口を開こうとした瞬間──バサッと翼を広げた鳥が大きく息を吸って思わず耳を塞ぎたくなるような音量で絶叫した。
『エナ、ジオ、トゥリア! オ客サンダヨー!!』
ちゃっかりと耳を塞いだアラウダ以外、あまりの音量にしゃがみこむほどのダメージを受けるが、その声は一度では止まらなかった。
山彦のように近くに居たらしい鳥が同じことを同じ音量で叫び、森全体に響き渡るように伝達されていく。
フラフラとダメージを受けた三人がしばらくして立ち上がると、森は先ほどの喧しさが嘘のように静まりかえっていた。
「……う、うるさかった」
「フフ、言い忘れてたわね。ごめんなさい」
何かを待っているらしいアラウダが木にとまったままの鳥を指差しながらその生態について説明をしてくれる。
曰く──一羽で独立したイキモノに見えて、実は全く同じ個体が何十羽も存在するこの森特有の伝達用生物であり、意識や情報が全て共有されている。故に、一羽が来訪者を見つけると共有されている情報によりこの森での扱いが決まる──お客さんか、侵入者かの二択しかないが──ということになる。
「答え方にも一応決まり事があるのよ」
そう言ってまた笑ったアラウダに聞き返すよりも先に、静かだった森の奥から何かが駆けてくるような足音が聞こえた。
「…………何だ?」
そう誰かが呟いたのとほぼ時を同じくして、森の中から紅蓮の毛皮を纏った獣が三匹姿を現した。
「「「…………」」」
先ほどの鳥とは違って、目の前に姿を現したモノを見て三人は完全に沈黙する。
成人した女性の頭とほぼ変わらぬ高さに鋭い牙をもち、近づけば焼かれるような熱さを彷彿とさせる毛皮に覆われ、さらには鼻面に立派な一本角をもったその姿──青年たちの通う学園では、出会ったら死を覚悟しろと言われる一角狼の中でも火角狼と呼ばれる火属性持ちの魔獣であった。
「こ、こんな……街に近い森に、何で一角狼みたいな魔獣がっ……」
「彼女らはこの森の案内人よ。他の子達は案内なんてできないもの……ね? エナ」
『皆、ヒト嫌イダモノ。ジークヲ筆頭ニネ』
エナ、と呼ばれた一頭がアラウダに頬を擦り寄せながらクスクスと笑った。
聞き取りづらいものの、しっかりとした言葉を発したエナに倒れそうになっていた三人の目が見開かれる。
ただの魔獣には、意思疏通が出来るほどヒトの思考に慣れたものはいない。今のエナのように笑い、アラウダの言葉にヒトの言葉で返答するような高度な思考を出来る魔獣がいるなんて信じられない──と、三人の顔にはわかりやすく驚愕が刻まれていた。
「先生……」
「あら、ダメよ? この子には主人がすでにいるんだから、貴方の使い魔にはならないわ」
『ジオト、トゥリアニモネ』
「…………ならば君の主人と交渉することにしよう。私の使い魔にしてやる」
さっきまで青ざめていたくせに、危険がないとわかると突然傲慢になった青年に呆れたようなため息を吐いたのは指差された当人(?)のエナである。
『……ジークノ嫌イナタイプネ。死ナナイヨウニ気ヲツケテ』
『案内スルワ』と三人の生徒たちの前にそれぞれ一頭ずつが腰を下ろして背中を向ける。
「さぁ、乗って。彼らの背にいる間は攻撃されないわ」
「「「…………」」」
ジオとトゥリアは男の子らしく、その背には二人の青年がそれぞれ騎乗する。
エナの背にはまず少女を腰かけさせ、それを補うようにしてアラウダが跨がった。
「今日は誰がいるの?」
『珍シク全員イルノ。フリードタチモイルカラ煩クテ……』
「あらら……時期が悪かったかしらね」
慣れない狼に乗っての移動であるにも関わらず、アラウダとエナはそんな話をしながら走っていく。舌を噛まないように必死に口を閉じて、ただただその毛皮にしがみつくことしか出来ない三人はこの苦行のような時間が早く終わってほしいと願いながら森の中を駆け抜けていった──。
「うっ……」
少し開けたところで狼たちの背から振り落とされるように転げ落ちた青年二人は、グルグルと回る視界と戦いながら何とかその場に立ち上がった。
「ジオとトゥリアは優しくないものね、大丈夫かしら?」
「「…………」」
『コイツラ臭イ』
フンフン、と匂いを嗅いでカパッと口を開いたのはエナではないどちらかの狼である。
身なりが良いだけあって、身だしなみにも気を使っているらしい三人は自らを飾るものとして勿論自分に見合った香水を纏っている。それに対する感想なのだろうが“臭い”とは何事か、と特にこれまで静かにしていた少女がワナワナと震えた。
「こ、これだから獣型の魔獣は嫌なのです! わたくしたちの高貴な香りが理解できないのですもの!」
『……アレ?』
「どうしました? ジオ」
『最近ノ学生、狩リシナイ?』
「最高学年になって使い魔と契約してからなので、この子たちはまだですね」
『フゥン……コンナ匂イサセテ狩リナンテデキルワケナイケドサ』
フンッと鼻を鳴らして、器用に三人をバカにしたジオはエナとトゥリアと連れだってさらに開けた場所へと向かっていく。ヒトの手が入ったかのように均された地面に程よく降り注ぐ日光──アラウダを筆頭に着いていった四人は、開けた場所に立つ一つの家を見つけた。
「……こんなところに誰か住んでいるのか?」
「あら? この森には五人、ヒトだった方たちが住んでるのよ。知らなかった?」
「……ヒト“だった”?」
「私たちはソレを魔人、と……そう呼んでるわね」
「「「…………」」」
「エナたちの主人は、その魔人の一人よ。ヒト嫌いではないからお話だけなら聞いてくれると思うわ」
『ただ彼じゃ返事はもらえないだろうけど』と笑ったアラウダは、慣れた様子で家の扉をノックした。
「お、いらっしゃい。アラウダちゃん」
「……何でヒト型なんです?」
「ヒトを出迎えるんだからこっちのほうが取っ付きやすいだろ?」
「…………はぁ」
開けられた扉に寄りかかってにこやかに対応してくれるのは、赤い髪に黄色の瞳が印象的な青年であった。
黒い髪に褐色の肌、赤い瞳が魔人の特徴であるはずなのに目の前の青年はそのどれも纏っていない──その色彩を見るだけならば本当にただのヒトである。
ただアラウダが言った“ヒト型”という言葉を否定しないということは、今見せている姿は本来のものではないということである。
『カイン!』
「ぐえっ……」
ドゴンッ、グシャッ──思わず身を竦めたくなる音が響き、格好よく立っていた青年が三匹の狼に潰された。
尻尾を振りながらベロベロとその身体をなめ回しているのを見れば、愛情表現であろうことは分かるのだが三匹に乗られた本人は今にも死にそうである。
「……何をやっているんだ、このバカ」
「久しぶりに帰ってきた主人に対する愛情を広い心で受け止めている最中さ」
「……そのまま死ね」
凍てつくような言葉を吐き、奥の方から姿を現したのは“白い”としか言い様のない青年であった。
微かに入り込む陽光を反射して煌めく銀髪に、限りなく白に近い碧眼──病的ではないが、外にあまり出られないのだろうかと思わせる白い肌。
肩甲骨の辺りまで伸ばされた髪を軽く紐で纏めたその青年は、扉の前に立っているアラウダと三人の学生を見て小さく『また今年も来たのか』と呟いた。
「……この森の管理をしている、ジークハルトだ。そこに転がっているのは、カイン……まぁ、魔獣たちのまとめ役のようなもの、か?」
「……ヒトのような名前ですね」
「今はヒトではないが、元々はヒトだからな。名前はあるに決まっているだろう?」
「ふんっ……ヒトから堕ちた魔族のくせに偉そうに」
「堕ちたと見るか、進化したと見るかは人の勝手だ。使い魔もいない実戦経験皆無な子どもがあまりこの森で大きなことは言わないことを薦めるが?」
『好戦的なやつらもいるからな』と続けられた言葉に、一番身なりの良い青年がジークハルトをバカにするように笑った。
「一角狼以上の脅威がいるとは思えないが?」
「……エナたちはこの森ではまだ庇護すべき子どもだ。親やその他の魔獣たちによって匂い付けされているから誰も手を出さない、というより出せないようになっている」
「……これが子どもだと!?」
「俺たちの元に居るモノの中では年少組だ。森の中全体で見ればまぁ……古株にはなるだろうがな」
『全ては把握してないから知らん』と話を打ち切ったジークハルトは、来訪者たちを招き入れ部屋の中心に置かれている机の上に地図のようなものを広げた。
「この家が大体森の中心になる。そこから東西南北に森は広がり、それぞれの方位に魔獣と魔物が属性や種族ごとに別れて暮らしている」
「風属性のやつらと精霊たちは決まった場所に居ないから全方位な」
「南にエナたちを筆頭とする狼と、それらと対立……というか、一方的に好敵手認定している猫たちがいる。まぁ、獣型が多いと思っていればいい」
「……南には絶対に行きませんわ」
「東は基本的に水の属性を持つモノが多い。これは、そこのまとめ役が水蜥蜴だということも大きいだろうな」
「蜥蜴がこの森にいるのか!?」
「蜥蜴も竜も龍もいる。個体数は多くないがな」
「フフッ……やはりここには居たのか。ボクに相応しいリュウがっ……」
「…………」
ブツブツと、端から見れば荒唐無稽なことばかりを呟く青年にジークハルトとカインの二人は思わずアラウダを見た。
「……自分は選ばれた人間なのだからそれに相応しい使い魔でなければ認めない、というのが彼の主張なんです」
「「…………」」
穏やかな気性であるアラウダもどこか困ったように笑い、カインは思わずひきつった笑みを浮かべた。
ジークハルトは小さくため息を吐いてから話を進めていく。
「西は土属性がメインだ。こちらにも蜥蜴がいるが、東の水とは生きた年数が桁違いだ。失礼のないように気を付けてくれ」
「西のじっさまはちょっとしたやんちゃくらいなら笑って許してくれるけどな。森の動物に手を出したら怖ぇぞ~?」
いつの間にやら立ち上がり、唾液でドロドロになった顔を布で拭いながらカインが三人を脅すように低い声を出した。
「黙ってろ、カイン。あと、北には火属性をメインとしたモノがいる……ここは、少々気難しい火蜥蜴がまとめ役をしているからあまり行くのはお勧めしない。死ぬ率が一番高いからな」
「それに今は珍しくアルタートさんもいるからなぁ……」
「あ、アルタート……とは、まさか、あの……?」
「そうそう、道化師のアルタートさん。いい人なんだけど、ちょっと過激だからさ。行かないほうがいいよ?」
“道化師・アルタート”
今の世代からすればもうずっと昔のことになるが、かつてこの森の近くにある国で逃げも隠れもせずに殺戮を繰り返した歴史上稀にみる犯罪者の名前である。
黒い髪をもち、魔人に近いモノとして本人もまた差別の対象となっていたが──彼は、差別に止まらず黒髪というだけで“処分”されてしまった子どもたちのためにその力を奮い、その結果対面ばかりを気にする国の上層部に食い込んでいた人々を殺し尽くしたのである。
犯罪者として広く名前が知れ渡ってしまっているが、その一方で心優しき人としても語り継がれていたりもする。彼の末路は、軍すらも退けたその力と黒髪であったが故に膨大な量を有していた魔力に飲み込まれ、魔人と化してどことも知れぬ場所へと姿を消したと言われていた。
「そんな……犯罪者が、ここに?」
「犯罪者っていうんだったら俺ら全員そうでしょ? だってヒトに仇なす魔人様だし? な、ジーク」
「ふんっ」
『説明は以上だ』と地図を折り畳んで片付けたジークハルトは、窓際に向けて歩いていくと日の当たるところで微睡んでいる鳥を腕にのせて話しかける。
『今から三人のヒトが森に入る。男が二人に、女が一人だ。使い魔契約を望んでの来訪者になる、いたずらに殺さないよう気をつけろ』
そう言葉を紡いだジークハルトに合わせて小屋の外から同じ声が何度も聞こえた。先程の鳥の別の使い方なのだろう。それに答えるように外から片言の『了解』がたくさん聞こえた。
『こっちに誰か来る予定はあるかい?』
「いえ、そちらには行かないように言いました」
『その方がいい。フリードの機嫌がそこはかとなく悪いからね』
「……何をしたかは聞きませんよ」
『フフッ……ちょっと水遊びをしただけだよ』
「フリードは火蜥蜴なんですから、手加減してあげてください」
『善処するよ』
ジークハルトの腕にとまったままの鳥から穏やかな青年の声がする。
火蜥蜴や、“そちらに行かない”というキーワードからその話し相手がアルタートなのだろうと予測をつけた学生三人は知らず息を潜めて身を固くした。
『……こちらには?』
「蜥蜴、竜、龍との契約を望むものがいる。多分行くことになるだろうな」
『……はぁ。アラウダ、居るんだろう? お前が引率して連れてこい。ハクたちが寝てるから騒がれると困る』
今度の声はどことなくぶっきらぼうに聞こえた。アラウダを名指ししたということは知り合いなのだろうが、その正体は今の時点ではわからない。
アラウダが了承するように頷き、その答えをジークハルトが相手に返す。
それでどうやら話は終わったようで、微睡みの中にある鳥を元の場所に戻してからジークハルトは三人の学生に向き合った。
『死にたくなければ己の未熟さに向き合え。ヒトはこの森では弱者だ』
「「「…………」」」
『無意味な殺生は禁じる。守れなかった場合、お前たちの命で購ってもらうからな』
「「「……はい」」」
声が魔法のように力をもっているような感じがした。絞り出すようにして三人が返事をすれば、これで話は終わったとばかりにジークハルトは外へと通じる扉を開けた。
「この森で契約を果たして帰ったモノは片手に満たない」
「えっ……」
「分不相応な力を求める奴らばかりだからな。お前らも気を付けろよ」
そう言って背中を軽く押され、三人は森への一歩を踏み出すことになった。
一人はアラウダに付き添われ、東の森へ──。
もう一人は背中を押したカインに話しかけようと後ろを振り返り──。
最後の一人は、とりあえず南に向かわないように足を踏み出した──。
ヒトには優しくないこの森で、彼らは一体何を得るのか──失うのか。
白の魔人、ジークハルトは空を仰いで小さな吐息を漏らしたのであった。
のんびりと気ままに更新です。
規則正しい投稿をお望みの方にはあまりお勧めできませんので、ご注意くださいませ。