01話「遠征途上」・第4章開始
標高差に合わせて湖、川、湧き水の各水源から引かれた灌漑が通る。水が縦横に輝いている。
ここ、カチャ市が管理する耕作地は広大。旧マシシャー朝からの水断ちを受けず、作物は広く青い。大麦小麦、米に黍、南瓜に西瓜、葡萄や杏子に林檎と一揃い。
アッジャール朝及び残党諸勢力へ多額の貢納品を出していたことから先の、苦難の時期を迎えていたハイロウとは取引が少なかった。その代わりか荒らされた形跡は一つも無い。真新しい墓地が増設されてもいない。
現在、アッジャール朝残党諸勢力は退潮傾向。占領地、属国を維持出来ずに故郷へと続々撤退。
一部は現地で王朝を創設。一部は戦力をあてにされて移住。一部は報復で抹殺。カチャ市では貢納を催促する連絡が途絶えて自然消滅と相成った。
カチャ市内の風景はハイロウ諸都市と同じ。干し煉瓦に漆喰が塗られた建物に乾いた地面、厳正に管理されている井戸。言葉も文字もハイロウと同じ。天政官語、遊牧諸語ラグト方言が併記されている看板が多少目立つ程度。
ビジャン藩鎮で逆賊討伐軍を再編制して出立し、大軍故の遅い歩みでようやく到着したここは物心共にオアシスであった。
久し振りに専門の料理人が作った料理でも食べられるかと甘く考えていたが、市の供給量を我が軍の需要が大きく上回ってしまった。混乱が起きぬよう上層部から入市制限がかけられていて、その機会は失われた。
塩の配給も多くていつもより食事が美味しく感じたのは幸い。
それでも湖の水が使い放題だったのでかなり良かった。体も洗えたし、シラミだらけの服も洗えた。
湖で泳ぐのも、小便するのも大便するのも禁止されており、禁を破った者が鞭打ち刑に処された。それは破った奴が悪い。
交代制なので毎晩ではないが、しっかりした屋根と壁と床のある所で寝られたのも良かった。鼻の穴が土だらけにならないのがこれ程良いとは思わなかった。
末端の戦闘要員の兵士は、掌班を長とする約十人の班にまず組み込まれる。内訳は三人組が二つ、二人組が二つである。三人組が小銃を持ち、射撃を担当する。二人組が矛槍を持ち、銃兵の護衛をし、突撃時に先陣を切る。また二人組の片方に掌班が、もう片方に副長の班補が属する。銃兵の督戦も兼ねるのだ。
自分の班は、今は長を含めて九人。欠員一名は出兵前に自ら指を切り落として兵役逃れをしたと聞いている。生きているかどうかは知らないが厳しく処罰されたと聞いている。そのような事が多発しないよう噂も大きく広められている。
それから補充要員の話は聞かないが班毎に支給される食糧はきっちり九人分だ。我等の、あの節度使様の組織である。余計な配給、不埒は邪心が挟まれぬ限り有り得ないだろう。
「皆、今日は蛇肉を分けてもらったぞ!」
死んでいる蛇を手に提げて見せる。貰った時には弱々しく生きてたので痛んではいない。
「おぉ! 流石は我が班の便利係、ショウ・フンエ! 勲章を授与してやろう」
「うわっ!?」
髭面の熊みたいな掌班、我々の班長が太くて土だらけの汚い指につけた山盛りの鼻糞をつけてこようとするので逃げる。しかし、
「待ておい、まずはズボンを脱げ!」
「何でですか!?」
追って来る。すげぇ楽しそうな顔をして追って来る。鼻息が馬みたいに荒い。
「班長、喰いっ逸れますよ」
腹を壊さないようにお粥の煮え具合をみているお粥担当の仲間が助けてくれた。
「おおっと、それはいかん。俺の舌はもう肉なんだ、早く焼け」
焚き火で炙って熱した兜に、皮を剥がして十八枚に切り分けた蛇肉を置いて焼く。
伝令の仕事をしている従軍前からの友人が手土産代わりに時々肉を持ってきてくれるのだ。兎や山羊に地栗鼠に鳩も。蛇程度ならそのままだが、大きい動物の肉だと捌いた物を持ってきてくれるので手間が無い。
肉は良い。毎度配給の豆と麦のお粥じゃ飽きてしまう。たまにチーズや羊乳、悪くなった塩漬け肉がつくがそれじゃ苦しい。気分転換に小出しにしている胡麻や香辛料類もやはり、胃に残らない重さが無いので物足りない。
行軍中は山菜を取るのも難しいし、休憩時間は競争になるし、競争をすれば足を休める時間が無くなって疲れる。野営後は余裕が若干あるがそこでも競争だし、暗くて見えなくなってしまう。
カチャにつく前、ある野良犬がおこぼれ目当てに従軍していた時期があったが何日かするといなくなっていた。よく懐かれていた兵士は困惑して泣き出す始末だったが、たぶん誰かに食われた。肉がそこにあれば食いたくなってしまうのだ。
持つべき者は友だと云う。
「そっちの班いいなぁ。取りに行く時間もねぇぞぉ」
他所の班長が羨ましそうにこちらの焼けた兜を覗きに来る。こっちの班長と仲が良いらしい。たぶん。
「ぬわははは! これが俺様の人徳よ。蒼天とか宇宙大帝? 何だっけあれみたいなあれがあるんだよ」
「糞野郎、糞みてぇな乞食だったクセに」
「俺が糞ならテメェは乾いた糞だ。蝿も集らねぇ、寄って来るのはあの不細工な嫁だけだ」
「毒に当たって死ね!」
「吐いた分、足すだけだぜ!」
持つべき者は友だと云う。
班長の椀には蛇のお頭焼きを追加。
「おい、毒無いよなこれ」
「大丈夫ですよ」
正直知らないけど、班長は乞食時代に腐った生ゴミ食ってたらしいから大丈夫だろう。その割りには体が太いし、きっと内臓が幽地の際にあるのだろう。そんなわけないか。
■■■
カチャ市を出発する。
「お偉方は良い宿で寝泊りして良いよな」
と僻む者は良くいる。節度使様等のお仕事振りの一端でも知ればそんな馬鹿な事も言えないのだが、知る機会はまず無い。
光明八星天龍大旗を簡略化した白黄一色の光明旗が隊列の至るところで見られる。
本物の光明八星天龍大旗は節度使様や将軍級の方々の所にのみ掲げられる。理由は権威的な理由と、経済的な理由。あれほどの立派な旗になると高いのだ。以前、我が家に忠誠の証として一旗飾ろうと思ったら織物職人がとんでもない額と納入日を言ってきたのだ。
その代わりではないが白地に標語が書かれた旗が各連隊で掲げられる。
我有天命 宇宙太平 逆賊成敗 天政万歳
全て節度使様直筆である。美しく躍動感があって正しい字の形が一切崩れていない。どの旗を見比べても寸分違わぬ精緻さである。まるでご本人の人格を映す鏡のようだ。行軍列に訪れる、学ある各国使もそれを見て唸る。
房飾り付きの矛槍を担いでいる。三日月斧と槍の合いの子の形。房に目がいって穂先を避け辛くなる、らしい。刺して良し叩きつけるに良し。皆で矛槍を掲げれば矢の雨にもそこそこ耐えうるという。
その矛槍を長い事持っていると手が痛くなって、肩に乗せた柄が擦れてもっと痛い。皮が剥けて赤くなって血が服に滲む。それより重たい小銃を持っている仲間がいるのだから文句は決して言えないが、心の中ではいくらでも言う。
背負っている背嚢も必要最低限の物とはいえ重たい。矛槍のような形状だと重さが掛かる場所が局所的で長く圧迫されると痛くてたまらない。行軍の辛さが肌に染みた。実際に傷になって染みる。
班毎に荷車があればいいが、荷車は小隊毎に配られている。その荷車には天幕や食糧に弾薬、小隊長である下校尉の私物! が乗せられているので使う事はまず不可能。
士官の中で最も下っ端である下校尉のくせに生意気だが、その士官からようやっと人間扱いされるのが軍隊だ。節度使様直筆の旗を見よう……痛みが和らぐようだ。
お粥担当になっている仲間の靴底が爪先の方から剥がれて変な歩き方になっていて通りがかったどこかの参隊に怒られる。
参隊は兵卒上がりでは最も高い階級にあり、総校尉以下の隊長級士官を兵卒視点で補佐する役目を受け持つ。要するにガミガミ屋なのだ。だから下の者にも声を掛ける分面倒見は良いがとにかく小うるさい。
「今日の野営地で修理してやるから我慢して歩け」
応急処置にとりあえず布切れで縛って”新しい口”が開かないようにする。
野営地に到着して班の天幕を張ったらお粥担当の靴を修理する。革縫い用の針で内と外に革の切れ端を当てて縫って防水加工。
「お前、足臭過ぎ」
「うえ、酷ぇぜお前。べちょべちょに腐ったチーズだぜこれ」
牧場出身の仲間が悪臭を品評。
「そこまで酷くねぇよ!」
「いやーいやー、人ってのはどんな動物よりも臭いもんだ。手入れの具合が同じなら人間が一番臭ぇ。その点猫は凄ぇ、尊敬するぜ。野良でも鼻当ててクンクン出来るって凄いぜ?」
「う……うるせぇやい」
家畜商売の者が言うと反論は難しい。
お粥担当に見られながら靴の修繕を終える。
「これで良し。でもやっぱり新しい靴見つけた方がいいな。素人芸だからまた壊れる」
「おお! ありがとう! 助かるぜ。お前何でも出来るな」
お粥担当が色んな角度から治った靴を見て、中も見ようとして臭くて咽た。
「何でも出来るな」
「全然。出兵前になんとか勉強出来ただけだよ」
「でも凄ぇよ。礼はするぜ」
「いらないよ」
水は貴重。おそろしく臭くなった手を土で洗ってから毛布にくるまって星空の下で寝る。
班の天幕には五人しか入れない。一日交代で三人組と二人組の五人が天幕を使い、外の五人が見張りの当直をしたり、それに備えて短いながら寝るのだ。
■■■
翌朝、焦った様子の班長に叩き起こされた。夜の見張りのせいで寝る時間が不規則なので若干イラつく。
わけも分からない内に手を引っ張られる。妙に騒がしい人だかりを掻き分けていく。
足が止まり、寝呆けた頭で周囲を確認すれば、顔が腫れ上がってはいるものお粥担当だと見て分かるあいつが、上半身裸でカタカタと震えて木の幹に縄で磔にされている。
憲兵士官が大声で宣言をする。
「罪人クワン・ベチルは畏れ多くも天政が管理し、天子様の財産である我等がビジャン藩鎮が保有する食糧、その中からメロン一玉を不届きにも盗もうとした。本来ならば利き腕切断の罰であるが、今は逆賊征伐に向けて皆一丸となって天政に尽くす時である。であるならば兵士生命を絶つことは不適当。よって鞭打ち三十回を持って放免とする。連座無し。鞭、構え!」
鞭を持った憲兵が空気を切る音を鳴らして鞭の手応えを確かめる。鼓手が太鼓を小刻みにドロドロ叩き続ける。
嘘だろ?
「一つ!」
憲兵士官の声に合わせて太鼓が止まる。ヒュンっと鳴ってベチルの背中を鞭が切り裂く。口に布を噛んでこそいるが、その悲鳴が響いてくる。
また太鼓がドロドロと、叩かれる。見ているだけで痛い。本人は痛みを堪えるように布をかみ締めて唸っている。顔はもう真っ赤になり血管が浮き出ている。
「二つ!」
憲兵士官の声に合わせて太鼓が止まる。ヒュンっと鳴ってベチルの背中を鞭が切り裂く。傷口が交差した。網の目でも作る気か憲兵め。
ベチルの限界まで力んだ顔から涙に鼻水に涎が垂れる。縛られた手も力みで真っ赤だ。泣いて、背を捩って、縛られた足で地面を何とか蹴って痛みを誤魔化している。
見てられないが班長は手をぎっちりと握って離さない。
ドロドロ「三つ!」ヒュンっ。「ウー!」
ドロドロ「四つ!」ヒュンっ。「ウー! ウー! ウー! ウー……」
ドロドロ「五つ!」ヒュンっ。「ングゥ! グッグッグッ……」
ベチルが力を抜いて、だらんと縄に吊られる。
憲兵がバケツに入れた水をベチルにぶっ掛けると、驚いたように目を覚ました。覚ましてしまった。
ドロドロ「六つ!」ヒュンッ。「ンガァ! アァー!」
この罰は儀式だ。皆、太鼓と鞭と声に心が奪われている。今日明日、自分達がこうなる可能性があると思いながら。
昔あの時、節度使様の打擲は自分に当たらなかった。理由は分からないが……。
「七つ!」「八つ!」「九つ!」……。
夢のような気さえしてきた。
「……十と八つ!」
鞭が網目に切り裂かれて肉が見えているベチルの背中を切る。全く反応が無くなったので、四度目の水掛けが行われるが目を覚まさない。
憲兵がベチル首を触りながら顔を見て、憲兵士官の方を向いて首を振る。
それからベチルを縄から解放し、墓穴を掘る。その間に他の仲間が小銃や弾薬を補給隊に返納しに行った。
石を掴んで掘る。穴が深くなって広くなってくる。
穴のそばに寝かせたベチルの顔を見る。痛いのは無くなったか?
皆が集まったら埋めて、適当な大きさの石に名前を削って掘って置いて野花をいくつか供えた。
遺品を班で分配した。臭い靴は自分が貰った。
少し時間は貰ったが所属小隊に遅れぬよう、行軍する隊列に走って戻る。
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カチャ市を出発してしばらく、一際高い尖塔が地平の彼方に見えてくる。道中のオアシス村とは完全に違う。
また、既に乾いて骨皮になっているが人と馬の頭で”塔”が複数作られていた。アッジャール残党勢力には武力で抵抗し、また今後もそうするという意思表示である。
ベイラン市に到着した。まだまだ序の口だというのに一生の半分を過ごしたような重さを頭に感じる。
市外に野営する段階からベイラン市民、農民の態度を見るに歓迎されていない様子が窺える。我々は伝統的にも歓迎される旅人に隊商ではなく、忌々しい大軍だ。飛蝗のようなもの。
市外の、水場の近くでも野営できないのが辛い。水汲みにも出かけないといけないが、これがまた遠い。朝早くに出発したら昼過ぎでないと戻ってこられないような距離の水場しか割り当てられていない。そして到着してもベイランの銃兵隊が水場を監督しており、市民に農民等が優先され、水を汲む場所が空いているのに我々は長蛇の列を作らされる。
当然気分が良くないが、水場の確保が生き死にを決める土地であればそんな事も言えないかとも思う。故郷では一つの井戸を巡って殺し合いになった事を思い出す。
他の隊の真似をして小隊の荷車を空にし、水運び専用にしたら少し楽になった。使える物を使うというのは常識的で中々難しいものだ。それでもまだ時間が掛かる。
であるならばと、班長と小隊長に許可を取ってベイランに私服に着替えて忍び込み、騾馬を買って戻ってからはもっと楽になった。英雄扱いでもあった。
それから一兵卒如きが個人で持っているとあまりよろしくはない物、酒を一箱、小隊長の私物ということにして預けた。小隊長は心得た人でちゃんと我等の小隊の皆にその後配ったものだ。何故そんな金を自分が持っているかは、小隊長は何も言わず察してくれた感じであった。便利な駒にあれやこれと言うのは無粋である。
騾馬分の飼料を調達しないといけないのだが、小隊長が補給将校と交渉して給料天引きの形で自腹を切って配給される事になったので解決。
士官の中で最も下っ端である下校尉だが、このような裁量を利かせられる権限を持っている。責任を果たして権利を得るとはこういうことだろうか。荷車に私物が余計にあっても当然である。
このようにして労力と引き換えに権利を得て、水を多めに割り当てて貰ってあの臭い靴を洗った。市内で手に入れた石鹸も使う。全く未だに鼻に残る程の臭いだ。
いらないと言ったのに。




