22話「大転換」・ファルケフェン
我々の暦での春、この亜大陸における暑季にケジャータラ近郊での会戦でメルカプール軍に勝利した後、この冬、亜大陸における乾季までケジャータラ市の包囲が続いている。完全に想定以上に長引いている。
かの要塞の弱点のはずであった南側城壁が、まるで何年もかけたかのように強固になっていたのが原因だ。何重にも組み合わせた塹壕や無数の防塁。そして対坑道作戦用の対抗坑道、地下水路。
まるで突然降って湧いて出たような出来栄え。ジャーヴァル人に作れるものではないとの評価。
バニトゥール村での小競り合いのような、交通の要衝を塞がれる案件が多発していたことがその予兆であった。これが要塞強化工事を悟らせない作戦だった、と推測されている。
ザシンダル軍は相対的に準備不足状態へと陥る。
出撃前の楽観論では、暑季にケジャータラ市を包囲し、雨季を前に陥落させる。雨季で道が使い辛くなって双方攻め手を失っている内に準備を整え、乾季になってから再度攻め上がるというメリハリを付けた計画があった。
結果は雨季まで包囲することになり、坑道作戦が雨や定期的な洪水で不可能になる。雨季直前まで昼夜通して掘った坑道があったが、敵の対抗坑道に潰されて終わっている。
そうなれば敵要塞と正面から大砲で撃ち合って砲台と城壁を崩すことになるが、敵砲兵と大砲が腕も砲も優れており、撃ち負けて早々に断念。火箭による敵砲台の麻痺も試みられたが頑丈な耐火耐爆の屋根に阻まれた。
兵士の消耗を惜しまず強行突撃する計画は一応立てられたが、一度撃破したとはいえ撃滅には至っていない敵主力が残っている状態では無期限延期となった。
最低限の包囲部隊を残して迂回突破も考えられたが、雨季でも補給任務に差し支えないような主街道は、この周囲ではケジャータラ市を通っている一本だけ。違う展開が必要だが戦力不足と考えられた。
ケジャータラ包囲部隊、敵主力警戒の主力軍、道路建設警備部隊と、均等ではないが三分割の必要性の発生。
他方面から攻めてもいる。
ビサイリ藩王国経由の海上補給線を切断するため、荷揚げ港を焼く作戦がロシエ艦隊を中心に行われたが海賊ファスラの妨害で頓挫してしまっている。この南洋海域にまで船を持って来ること自体が大きな負担となっており、海戦で消耗すると割に合わないということで活動は早期に低迷。海上補給線の切断に失敗した。
ガダンラシュ高原経由のアギンダ軍による陸上補給線への攻撃が期待されたが全く働きがされていない。
ジャーヴァル帝国軍は攻撃と防御を使い分けていた。
メルカプール藩王の主力軍がケジャータラで防御し、ナレザギー王子の軍がガダンラシュ高原に攻め入って虐殺する勢いで攻め込み、アギンダ軍に防御以外の行動をさせていないのである。
あの狐共が憂き目に遭っているとは良い気味だ。そう思う反面、勝利から遠のいていると思えば心中が複雑になる。
こうなった結果、タスーブ王子は軍の整備と保存に一先ず徹して、国王率いるザシンダル本軍との合流、共同攻撃を行う時期まで待機することになった。
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そうして春、暑季を迎えてザシンダル本軍が全て西部に到着した。大軍の準備と歩みは鈍いものだが、ここまで鈍いのは国力の限界点に迫っているのではないかと思わせる。ロシエ式の近代化軍のやり方に慣れていないというだけの理由では説明出来ない鈍さ。最後の賭けになるような攻勢作戦になるだろうか?
併せて、本軍が王都を出発すると同時にパシャンダ全土を支配する帝権、パシャンダ帝国建国の宣言が出された。
ジャーヴァル帝国と対等な称号が認められれば、名ばかりではなく実益に直結する。今までの独立王国と藩王国ではどちらが偉いか微妙なところだったが、明確に差別化されることで関係が明確になる。ジャーヴァル臣下の藩王国が寝返ってきた場合も受け入れやすい。
またこれは、藩王国級でも属国として受け入れる能力があるという宣言である。例えばだが、ある男爵軍に負けた国王がそれに服属するというのは論理や秩序が許さない。当事者同士でもかなり困る。そういった弊害が無いということ。
タタラルでは――特別配給があって――住民共々帝国宣言を祝した。ただジャーヴァル帝国と、帝国の更に上位である魔神代理領という二つの存在があったせいか、お祝いの雰囲気も空々しい気がした。
ザシンダル王国改め、パシャンダ帝国。勢力下の藩王国は正式に全て臣下とされ、帝権との契約が交わされた。今更それに反対するような輩はいまい。
後はこのままケジャータラ市を、増援戦力も用いて攻略する。
孤立した上で大したことも出来ないでいるニスパルシャー市の攻略にも手をつけられるようになる。
両藩を抜いたら西北三藩ナガド、メルカプール、アウルの番である。そこまで行けば優位に停戦条約を結べるはずだ……はずだった。
しかしここで図ったかのように梯子を外されるような出来事が起きた。ジャーヴァル=パシャンダ会社軍の本国召還令である。一体何事かと皆が驚いた。
召還理由は、共和革命派による王都での暴動である。
一部有力貴族もその共和革命派へ賛同を示し、反乱勢力と化したとも言われる。
この騒ぎに乗じて貴族共和派に、嘘か真か新王を名乗る勢力もいるという。
ユバール貴族も不穏な動きをしていて、我がバルマン貴族も態度をハッキリさせない者がいる等、流言が飛び交っているらしい。
亡国の危機に晒され、確かで信頼できる軍が欲しいと国防卿からの手紙で、王の連署が入っているらしい。
あまりに突然であると感じてしまうが、アレオン王領での紛争と支援、エデルトや魔神代理領との海上戦争で生じたであろう膨大な戦費、失った商船に交易品を考えれば財政破綻をしていても決しておかしくはない。
先の大戦で魔神代理領と正面切って戦ったのも、幼子でもなければ覚えている程度の、遠い昔ではないのだ。その時の大赤字、アレオン喪失による財源喪失も引き摺っているはずだ。
前代聖皇より多額の供出金を求められたという話は、教会関係者が大いにロシエを褒め称えたという事実で証明される。
そして畳み掛けるように、ジャーヴァル帝国との一時休戦の話である。これこそ一体何事であるか?
ジャーヴァル、パシャンダ諸国は伝統的に、外敵に対して戦争中でも団結する。ジャーヴァル北東部に東の大国レン朝が侵攻してきたらしい。
現在北東部はアッジャール朝残党勢力の支配下にあるが、その地の権利を放棄したわけでも何でもないので排除にかからなければならない。
アッジャール朝のジャーヴァル侵攻時には消極的だった”ザシンダル”とは違い、レン朝侵攻時の”パシャンダ”は帝権の威信にかけて積極的に追い返す心算らしい。今更であろう。
会社軍の一騎兵士官に分かることは少ないが、休戦時に取引が交わされた可能性は十分にある。積極的な共闘を条件にパシャンダ帝国の成立、そして独立を認めさせるというもの。
パシャンダ帝国はパシャンダであって、ジャーヴァルではない。ジャーヴァル全土の征服までしていたらどれだけの時間と人と金が浪費されるか分かったものではない。
いい加減にジャーヴァル帝国も青息吐息。パシャンダ帝国も、いつ新規に魔神代理領中央から親衛軍が派遣されてくるかと気を揉んでいるに違いない。
仔細は不明。この西部戦線維持のための兵力を最低限残すとし、折角西部まで出張ったパシャンダ帝国の大軍は南下して一度ザシンダル本土へ向かう事になった。
本土に着いたならば再編して、先遣隊をジャーヴァル北東部に派遣し、本軍をどう動かすか? というところだろう。
頭が変になりそうだ。
先の大戦、聖戦の続きは不断に続くものと思っていたのに、本国では革命、任地では第三勢力の出現、今までの敵は敵ではなくなった?
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会社軍の者は全員、ナギダハラに帰還した。
久し振りに会う兵士家族等の再会は、何時もより不安が大きかった分、騒がしかった。
ジレットが奇声を上げ、走ってお土産のレギャノン大尉に抱きついた。奥さんは臨月のようで、腹がかなり大きくなっていた。再会の感動でお産が始まらないかと少し危惧したが、大丈夫だった。
それでもあの目を抉られた者達は、残る理由がある者以外既に本国へ帰る船で去ったとは言え、重苦しい雰囲気はまだまだロシエ人街には残っていた。
帰還祝いにまたレギャノン大尉のお宅でご馳走になったが、純血と混血系の家族間で揉め事があったらしい。原因は勿論、抉られたか抉られていないか。社員家族会では既に派閥が血で分けられて対立しているらしい。
会社軍は最低限の人材を残して本国へ引き上げる事になった。残す人材もベバラート藩王国にほとんど集中する心算か。
原則的に純血ロシエ人等は本国へ帰還する事になった。混血の者達はこのまま現地に残って会社を引き継ぐ。
本国召還令と同時に故郷の兄から手紙が届いていた。色々あり過ぎて手紙を確認するのが少し遅れた。
内容は、自分の戦死が誤報であった事を喜ぶ返事と……婚約者が別の人と結婚したという話だ。信じられないわけではなかったが、何度か読み返し、「やっぱりか」と「そうだよな」と何度も独り言が出てきた。
彼女は良家のご令嬢で、結婚適齢期で、美しくて教養がある。何時までも死人に拘れる立場では無い事は理解できる。
故郷に戻ったら美人の見合い相手を誇りにかけていくらでも集めてきてやると兄は励ますように文を書いていたが、胸の気持ち悪さは取れない。
頭が変になりそうだ。
会社軍でロシエの者が命を懸ける理由が消失した今、残る理由は無い。しかし一日でも早く帰還すべき理由も消失した。
魂を燃やすためにはこの地に残り、あのグルツァラザツクという奴の首を取るしかない。しかし婚約が解消されても故郷には家族が待っている。今この地で何をしようと名誉には繋がらない。魂が冷えてきた。
枕に顔を埋めて唸る。
床で逆立ち、足を伸ばし、肘を曲げて顎を床につける。繰り返す。繰り返す。汗は出る、鼻水が垂れてきて息苦しいが繰り返す。床板がミシミシと鳴る。魂は熱を取り戻さない。
「扉を開けるとそこには筋肉の壁が立っていた」
「あぃ?」
変な声が出てしまった。逆立ちを止めてドアの方を見る。レギャノン大尉がいた。
「いらっしゃい、ませ? どうも」
「ちょっと付き合ってくれますか」
「分かりました」
レギャノン大尉について歩く。本国帰還組の引越し準備で兵舎内はやや騒がしい。
「ついさっき部隊長以上での会議が終わりました」
「はい」
「私はナギダハラに残ります」
「ご家族がおりますからね」
「それから今日で退役です」
事情を知っている者はそれを止めやしないだろう。
「お疲れ様でした」
会社を出てロシエ人街を歩く。荷物の移動が多くて活気があると言えなくもないが、悲壮感が漂う。敗戦したわけではないが、何やら夜逃げの空気すら漂っている。本国の疲弊が伝わっているせいか。
「こうなるとは思いませんでした」
買い取り業者を呼んで、家先で家具の値段交渉をしている中年女性が買い叩かれまいと高い声を上げている。
「戦闘で負ける、魔神代理領軍の主力乱入、皇帝の討ち死に、内乱で独立どころではなくなる、というのは確率が低くてもあるかとは思ってましたがね。まさか”実弾”切れとは、パシャンダ暮らしだと空気が掴めませんでしたよ。ガンドラコ殿は本国を出る時、そんな感じはしてましたか?」
「いえ、全くです。出港する時に何時もより軍港が賑わっていたと感じたぐらいですね。出発するまで何日か留まっていたのですが、大きな船の進水式を五回は見ましたよ」
「進水して浸水って、笑えませんね。魔神代理領海軍が先の大戦終了を期に比べ物にならないくらい強くなったと会議に出ていた海軍将校さんが言ってましたよ」
あの海賊ファスラの顔が脳裏にチラつく。大規模とはいえ海賊一味が参加しただけで強くなったわけではなかろうが、負けは負けだ。
先の大戦、アレオン王領で戦っていた時は海軍が惨敗した話は一度も聞かなかったものだが。
「ロシエは魔神代理領が出したジャーヴァル干渉に対する抗議声明を受け入れたそうです。浸水はとりあえず収まるでしょう。パシャンダの乱、とは呼ばなくてもいいですが、介入はもうしません」
「ロシエが魔族の抗議を受け入れた? 信じ難い話です。負けることはあっても屈することなど、ロシエの誇りが許さぬと、昔なら大声で言っていたかもしれません。バルマン騎士なら迷って腐ってもそう、言うべきでした」
広場に到着。二人で座るに良い場所は無いかと少し回るが、この大事にどうしようかと街の者がそれぞれに集まり、相談の場に使っている。考えることは同じか。
「昔は昔ですか。状況が状況です。意地を張ろうにも、魔神代理領からジャーヴァルでの交易認可が下りたのです。ベバラートに拠点を構える事も追認。これでパシャンダにだけ良い顔をしなくても良くなりました。南北どちらが勝っても良くなったんです。ジャーヴァル=パシャンダ会社は富の源泉であって、それ以上ではありませんから」
広場をうろつくのを止めて、とりあえず神聖教会の方へ足を向ける。
「ガンドラコ殿、パシャンダに傭兵のように使われる事を快く思っていない幹部はどのくらいだと思っていますか?」
「”タタラル”以降であれば、ほぼ。義務感は別で」
「その通りです」
ロシエ人街の神聖教会は、ナギダハラで一番立派な建物である。教会の天辺にある、青銅製の聖なる種と、傍らにある種月旗を見上げようとすれば、頭が仰け反る。
良くも焼き討ちに遭う様な反感を買わずにこんな物を建てられたものだ。聖なる神こそ唯一至高とは信ずるも、この地でこの建物はやり過ぎだろう。
「レギャノン……さん。現聖皇聖下は魔神代理領と共存しようというお考えです。太陽に月は逆らえません」
「そちらの話にうといので、いまいち、すみません」
「前聖皇聖下は先の大戦を引き起こす程、魔族を討つべきと考えるお方でした。現聖皇聖下はそんな前聖皇聖下を追放し、神聖教会直下のアソリウス島騎士団が魔族から奪った魔族の種を返却したお方です」
教会脇の墓地では合同葬儀が行われており、神父が聖典を引用しつつ死者を称え、遺族が泣き声を漏らしている。
目を抉られた者達からは、五体無事な者より遥かに多くの病死者と自殺者が出ている。何とか生きて帰っても生きる気力が沸かねばこうもなろうか。
「社長も明言していますが、被害が許容範囲を越えました。被害報告に議員の顔が青ざめて、遺族補償に本社が悲鳴を上げて、商船帰還率の低さに株主が、本国の家族会と遺族会の抗議が酷くなることは必至です。秘密裏に処分したらしいですが、会社前で自殺抗議をしようとした人がいたそうです」
「打ち倒す敵は一つならば何故内輪揉めをするのかと、昔の私は言ったかもしれません」
葬儀をジロジロと見ているのも失礼なので、教会周辺の静かな道を歩く。
「その敵すらも失いましたね」
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レギャノン氏と別れた後、仇は居るが敵は失ったと頭の中で確認し、本国に帰還する準備に手をつけようと部屋に戻ったら、来客があった。兜と胸甲を保管する箱は何処で揃えようかと悩んでいた時だ。
「お忙しいところを申し訳ございません、ガンドラコ様。お時間よろしいでしょうか?」
ネフティ皇女殿下だ。肩書きが凄くなったのに、顔色はいつもよりかなり陰鬱な感じだ。あまり明るい性格の方ではないが、ハッキリと陰鬱と分かる程度に表情が暗い。
「勿論です殿下。問題ありません、ご用は?」
こんな野暮ったい兵舎に一体の用だろうか?
「殿下は、ちょっとすいません、その呼び名はあまり……」
「失礼しましたネフティ女史」
「はい……はい、わがままを言ってすみません。実はですね、グナサルーンに一度来て頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「グナサルーンにですか?」
ネフティ女史ともあろう賢い人が、我々が今から本国に帰還しようという事を分かっていないはずはないが、何かあったか?
「重大案件のようですが、何故私が?」
「兄が指名していると言えば、来ない……ですよね。すみません、とんだ失礼を。ガンドラコ様には婚約者の方もいらっしゃいますし、早くロシエ王国に帰らねばなりませんよね。ごめんなさい」
「私が行かなければネフティ女史は叱責を受けますか?」
「私ですか? いえ、そのようなことはお気になさらないで下さい。些細なことです。では、お騒がせしました。失礼します」
本国帰還用にと荷物をまとめていたので、旅支度は一瞬で済んだ。
「行きましょう」
「え?」
ネフティ女史は驚いた顔をして、少し明るい顔になった気がする。
「グナサルーンまでお供しますよ」
「でも」
「実はですね、婚約解消となりました。早く帰る理由がもうありません」
「ですがご家族が」
「それに私には倒すべき敵がいます。悪魔将軍グルツァラザツクです。アギンダの者を殺しているのは、何とも、口に出すには複雑ですが、とにかく会社の仲間達の恨むべき敵です。ダルヴィーユ中佐の格好悪い赤外套も継ぎました。まだ帰れません。魂にかけて仲間と己の名誉のために戦いは放棄しません。決めました」
「分かりました。女の私が口を出す事ではないようですね」
ネフティ女史の陰鬱な顔は消え去った。いつも見ていたような顔だ。ほっとする。
「急ぎますか?」
「他に用事はありませんので今にでも発ちたいのですが、よろしいでしょうか?」
「行きましょう」
魂が赤熱してきたように感じる。
騎士が乙女を守る任に対して不服申し立てをするわけがない。




