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ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー  作者: さっと/sat_Buttoimars
第1部:第3章『ジャーヴァル三国志』

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10話「乙女の騎士」・ファルケフェン

 日が明けて間も無く、ナギダハラ騎兵連隊の連隊長室に呼び出される。

 ラザム藩王国での戦傷は癒えた。今すぐにでも戦場に出られる。軍医は表面的な傷は治ったかもしれないが、傷が深かったから大事を取れだの何だのと言っていたが、もう何処をどう動かしても痛くも何ともないのだ。たとえ痛かろうとも、我が家名を思えば痛くはない。

 扉を二回叩いて「入れ」で入る。

「ファルケフェン・ガンドラコ、入ります」

 口髭を指でしごいているダルヴィーユ連隊長が椅子に座らず、机に軽く腰掛けて足を伸ばしていた。行儀の悪い。

 踵を揃えて敬礼。ダルヴィーユ連隊長は簡単に返礼してくる。

「ファルケン君、君、寝てなくていいのかね?」

「呼び出したのは連隊長ではありませんか。それとファルケフェンです」

「車椅子はどうしたね?」

「自分で歩けますので必要ありません」

 一度車輪付きの椅子に無理矢理座らせられたが、型が小さくて尻が窮屈だった。無理に使ってみれば軋みを上げて壊れたので、入らなかったと言うべきだろう。

「そうかね。あーそう、その怪我では通常任務に耐えぬということで、警護任務についてもらう」

 疑問よりも先に来たのは怒りだ。通常任務に耐えぬとは侮辱に過ぎる!

「怪我などもう治っています! 今一度突撃命令があれば何度でも行けます!」

 しかしダルヴィーユ連隊長はこちらの態度は無視する。

「警護してもらうのは後宮連絡官ネフティ・シュマフマン・ダフ=グナサルーン・オガ=アバブ氏だ。主に我が社とザシンダル宮殿との社交関連の連絡役を務めている方だ。それなりに位の高い方だから、それなりに位の高いファルケン君となら文化は違えど釣り合う。ここは大事だぞ。階級が同等、臣従関係に無く、触穢の禁忌を犯さない」

「社交関連ですと? 軍務ですらないわけですか。私は舞踏会や晩餐会の案内のためにここに来たのではありません。ファルケフェンです」

「社交は政治的に重要だから軽くみないで貰いたいね。食って飲んで騒ぐだけじゃあないんだよ。それに警護担当は兵士の役目だよ。腹の出た事務職員にでも任せるかね? それとも旦那のケツを叩いて奇声を上げているお気の強いご夫人方かな? それから適任者が君しか言っているのは分かるかな、バルマンくん?」

「宮中の方ならばあちらの近衛兵が警護するのでは? ファルケフェンです」

「普通はそうだが、あれだ、君には分からないのかなぁ、乙女心が? うん、どうだね」

 髭外套野郎が急にニヤリと笑う。作戦中でもないのに肩に外套なんかつけてるんじゃない。

「私は生まれも教育も男です。分かりません」

「バルマン騎士道物語には美しい御婦人との月下の噴水での語らいの代わりに、胸毛溢れた筋骨隆々の男との髭擦れ合う組討ち稽古の場面でも描かれているのかな?」

「仰られている意図が分かりません。ファルケフェンです」

「全く鈍感な奴め。身を挺して救ってくれたカッコいい騎士様を先方がご指名だと言っているんだこの馬鹿め。槍を振り回して馬に乗ること以外勉強してこなかったのか? それとも戦い過ぎでカチ割られた頭がその超自然治癒力のせいで治っているのに気づいてなかったか? ラザムに脳の欠片落としてきただろうが、ええ?」

「何の話をしているんですか?」

「おい待て、覚えてないのか? 後宮連絡官ネフティ・シュマフマン・ダフ=グナサルーン・オガ=アバブ氏だ。分かりやすく言うとアバブ神を崇めるグナサルーン出身のシュマフマンの娘ネフティだ。お前が車輪ぶん回して助けたお美しい彼女だ。

 分かるかバルマン人、羨ましい出会い方しやがって! 男じゃなくて、美女だ。胸が膨らんでいて子供が産める方の人間だ。気楽に立小便が出来ない方の人間だ。勿論乗って手綱を振るう方の四足蹄でデカい糞垂れる方じゃない。言葉を喋る人間様の女だ。因みに美女っていうのはな、見た目が麗しくてつい視線を奪われてしまい、心を鷲掴みにしてくるような者のことだ。分かるかな? バルマン人でも!」

 後宮連絡官ネフティ・シュマフマン・ダフ=グナサルーン・オガ=アバブ氏? 美女、車輪……あの女性か。確かにネフティというような名前を聞いた覚えがあるが。

「何故私を指名して、それで近衛の仕事を奪うことになるのですか?」

「おいさっき理由は言っただろうが。更に私に言わせるのかバルマン人? ではこれでどうだ。今後、会社と宮殿の円滑な関係を築く為の一策として双方から人材を出し合って一つ事を成し遂げて先例にするため。でいいのか?」

「私は暴漢を倒すために修練を積んできたのではありません。敵の軍を打ち倒すためです」

「ええいこのクソ石頭のバルマン人め。ではいいか、これに反論してみろ。騎士が乙女を守る任に対して不服申し立てをするのか!?」

「それは……出来ません。警護任務、引き受けました」

 アラック人め。女好きの貴様等がやればいいだろうに。

「良い子にしたまえよ。悪評を拭い去るのは難しいからな」

 ようやく無駄に立って声を荒らげていた髭外套が席に座る。

「外套はつけていません」

「言うじゃあないか、えぇ? 社門の前でネフティ氏と待ち合わせすることになっている。女を待たせるものじゃないよ、ええファルケン君?」

「ファルケフェンです。失礼します。ファルケフェンです」

「早く行け」

 連隊長室を出て、長距離用の身支度を整える。馬屋から新しく与えられた馬を連れて行く。

 倉庫係から携帯保存食料と拳銃用の弾薬、新しい槍を受け取る。

 槍の穂先は肉厚で頑丈。深く刺さり過ぎないよう両横に突き出ている部位は斧。柄は石突まで中空の金属製であり、その周りに割いた竹に紐も巻いてにかわや漆で固め、中空内にも木材が差し込まれている手の込んだ逸品である。自分の手の大きさと膂力に合わせているので柄は太く頑丈で、並の人間では長時間扱えまい。

 ロセア司令が褒賞をくれるというので良い槍が欲しいと言ったらこれだ。ありがたい。

 馬を引いて社門につく、既にネフティ女史が待っていた。

 パシャンダの女性が着る長い布を巻きつける民族衣装で、比較的裕福なロシエ人街の女性が着ているものより格段に質が良い生地であることは一目瞭然である。耳飾りの宝石も煌びやかで、形状は聖なる種を模している。そして肌が黒くて異人であるが間違いなく美女だ。

 何故一人でここに? これでは暴漢に襲ってくれと言っているようなものではないか。何故護衛が一人もいない?

 あの長い名前を思い出して頭の中で反芻してから口を開く。

「後宮連絡官ネフティ・シュマフマン・ダフ=グナサルーン・オガ=アバブ女史でしょうか?」

 ネフティ女史はこちらを見たが返事が無い。フラル語が確か通じるはずだが。

「……はい?」

 彼女は訝しげな顔になって、即座に理解した、と顔を明るくする。

「はい! そうです。私がネフティです。名前を全て呼ばれることがあまりありませんで、すみません」

 聖なる神を奉じる、聖王カラドスの王冠を戴くロシエ王国に封じられしエルズライント辺境伯爵ヴィスタルム・ガンドラコの弟、騎士爵フェルケフェン・ガンドラコ卿ですか? といきなり聞かれたら確かに返答に困りそうだ。

「この度はネフティ女史の警護役を務めることになりましたジャーヴァル=パシャンダ会社ナギダハラ騎兵連隊中尉フェルケフェン・ガンドラコです。よろしくお願いします」

 槍を左手に持ち替えて、帽子を脱いで胸に当てて一礼。

「こちらこそよろしくお願いします」

 ネフティ女史が返礼する。

 帽子を被る。髭マントは彼女がこちらを指名したと言っていたが、話十分の一ぐらいに考えておこう。それにまさか、指名したんですか? とは聞けまい。

「ガンドラコ様、この前は危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました」

「いえいえ。むしろ助けに遅れたことを謝罪させて下さい。貴女に声をかけられる前に駆けつけるのが道理でした」

「そんなことはありません!」

 ネフティ女史が勢い良く手を掴んできた。女性に触れるのは随分……ええい! 自分よ浮つくな。あの人がいる。

「ガンドラコ様、御社の皆様には返すご恩もございません」

 じっと見つめられる。ダメだ、気恥ずかしい。

「ではあの、行き先はどちらになるのでしょうか?」

 はっとネフティ女史は手を離して少しモジモジとする。

「グナサルーンまでお願いします」

 グナサルーンはザシンダル王国の都だ。中々遠い。

「ネフティ女史、こちらまでは徒歩で?」

「川を下って船で来ました」

 グナサルーンとナギダハラはパラガティ川で繋がっている。

「帰りも船でしょうか?」

「帰りはいつも馬車を使っておりますが……」

 そこで何故かネフティ女史が弱気そうに首をやや傾げる。

「その馬車はどちらに?」

「いつもは御社か知り合いの馬車に同乗させてもらう形で帰っております。上りの船は大分遅いですし、昨日の大雨で増水しているので今出すのは難しいと聞いています」

 何ともいい加減な。南の人間ほど時間感覚が長くて呑気だとも聞くが、これは緊急性が無いからだろう。

「では、乗られる予定の馬車はここで待っていれば来るのですか?」

「あの……その、ガンドラコ様についていけばいいと聞いていたのですが……」

 ネフティ女史の顔が曇る。

「……手違いがありましたか?」

 何故あなたが申し訳なさそうな声を出すのか? ええいあのアラック野郎め、お遊びのつもりか!?

「いえ、問題ありません。お急ぎでしょうか? お時間があるのなら馬車を用立てて来ますが」

 用立てるあても無いぞあの髭外套め! 会社に出させるにしても書類申請から受理にどれだけかかる? 出発予定の馬車を探すにしても運頼りはごめんだぞ。

「すみません、今回は少々重要な案件ですのであまり……申し訳ありません。急がせる心算はありませんので」

 手を差し伸べる。

「馬にお乗り下さい。私が引きますので」

「そんな心算はありませんでした! ごめんなさい」

「私が馬に乗って御婦人を歩かせるなどとてもではありませんが出来ません。亡き父に見られたら殺されてしまいますよ。ならば私のためと思ってお乗り下さい」

 躊躇ってからネフティ女史がこちらの手を取る。

「すみません、よろしくお願いします」

 ネフティ女史は馬に乗ろうとするがどうしていいかと動きが止まってしまった。

「鐙を踏んで乗ってください」

「はい」

 ネフティ女史は鐙に爪先をかけて乗ろうとするが、長い布を巻きつける民族衣装が足を高く上げるように出来ていないか、力が入って揺れる鐙に慣れないのか、とにかく体の軸がぶれて乗れない。

「失礼」

 ネフティ女史の腰を持ち上げて馬に乗せる。

「あっ」

「ご無礼をお許し下さい」

 胸に手を当てて一礼。

「いえ、申し訳ありません。お世話かけます」

「参りましょう」

「はい」

 ネフティ女史を乗せた馬の手綱を左手に引き、右には槍を持ってロシエ人街を進む。

 身形の良いご婦人方がネフティ女史に一礼し、そして返礼する。社交を担当する後宮連絡官というだけはあるのか。政治的に重要だとかダルヴィーユ連隊長が言っていたな。そちらの話はまるで分からない。否定はしないが。

「私は初めてグナサルーンに行くのですが、馬車ですと日程はどの程度になりますか?」

「悪天候でなければ四日ほどでしょうか。いつもなら途中のカジュロハラの街で一泊するので五日です」

「なるほど。そのくらいで行きましょう」

「ガンドラコ様の馬はどうされるのですか?」

「走ります」

「まさか?」

「走ります」

「あの、ご無理はなさらないで下さいね」

「心配ご無用です」

 ロシエ人街と現地人街を隔てる門に差し掛かる。

「待って下さい!」

 掛かる声に振り向けば、レギャノン大尉が娘のジレットを抱えて小走りにやってきた。大尉は制服姿ではなく私服、非番だ。足を止める。

「レギャノン大尉、おはようございます」

「おはようございますガンドラコ殿。おはようございますネフティさん」

「おはようございますレギャノンさん」

「窓から見えたんで、どちらへ?」

 レギャノン大尉の家は門の近くで、通り沿いにある。こちらの姿が見えてもおかしくない。

 レギャノン大尉がジレットを手渡してきたので、手綱を手放して抱き上げる。ロシエとパシャンダが混ざった顔と肌はなんとも不思議だ。あまり黒くない、白くもない、赤くもない。

「ファルケン兄ちゃん!」

「おーファルケン兄ちゃんだぞ。ネフティ女史をグナサルーンまで警護します。連隊長が通常任務から外すとか、怪我は治ったのに」

「兄ちゃんいたいの?」

「もう痛くないなー」

 ジレットが笑いながら小さい手で鼻を摘んでくる。

「わっ、苦しい、息できない!」

「あの社史に残る突撃ぶりですからね。”英雄”になられると流れが変わるんですよ。前線勤務はしばらくお預けでしょう」

 娘の前だから遠回しに言っているが、死んだら士気に影響する身になったから前に出るな、だ。

「有名人になってしまいましたか」

「なってしまいましたね。あれでならなかったら誰がなるんですか?」

「兄ちゃんすごいの?」

「うん凄いぞ、一番だって褒められたんだ。二刀流に言われたくありません」

「伊達や酔狂でやってるんじゃないですよ」

「兄ちゃんが一番?」

「うーんそうだ」

 レギャノン大尉が抱き上げようとジレットに手を回したので離す。「うー」と不機嫌に唸ったジレットの頭を撫でる。

「おじいちゃんがね、妻の父がその武術の達人でして、師事したんです」

「なるほど」

「すみません、お引き止めして。ほらジレット、兄ちゃんとお姉さんにさようならは?」

 機嫌でも損ねたか、顔をぷいっと背けた。

「はっはは、ではまた」

「はい、お気をつけて」

 ジレットがまたこっちを見ないか待ってると、こっちを見て、ネフティ女史が手を振るとちょっと手を上げてまた顔を背けた。

 馬を引いて門を通り、相変わらず混沌として猥雑な現地人街を通過する。

 前回のことがあるのか、先ほどまで顔が綻んでいたネフティ女史の顔は恐怖に強張っている。こういうところとは縁遠い高貴な人ならば、自分の不満はどうでもいい、護衛は多くてしかるべきだろう。以前の暴動時も護衛は一人だけだった。使い走りにされる程度の高貴さなどというものがあったろうか? その割りには政治的にある程度重きのある仕事を任せられているようでもある。

 巡回任務中に覚えた一番警備が厳重な道を通って進む。それでも近寄ってくる乞食は槍を振って追い払う。こんなことをするために物心つく前から剣に槍に馬を覚えたのではないというのに。

 門衛に敬礼をしつつナギダハラ北門を潜って出る。


■■■


 川沿いの道を北上する。多少雑ではあるが、石畳の整備された街道である。王都に直結する港への街道となればこれくらいは当然だろう。

 増水して泥に濁ったパラガティ川が唸り声をあげている。街道は高く、護岸されているので多少の氾濫は問題無さそうだ。

 この濁流では遡上は有り得ない。今この川を下ってくるのも無理だろう。

 ロシエに送られて船材となる、種月の焼き印押しの麻栗樹が川沿いの集積場に山と積んであった。河口まで送る業者が暇そうに煙草を吹かし、我が会社の社員が雑談に付き合っていた。挨拶をした。

 街道は東側が川で西側が密林。街道に延びた枝から落ちてきた蛇を槍で、空中で密林側へ払い落とす。

 正直、馬はもう一頭欲しかった。会社は馬の数に余裕が無く、騎兵一人につき一頭いる状態ではない。伝令、郵便局員、荷駄馬も必要。

 パシャンダは馬に辛い地だ。とてもではないが馬産地ではないし、使える馬はもっぱら輸入に頼る。欲しい時に買えるわけではない。

 カジュロハラに到着するまでは会社経営の、砂糖黍農園の管理人の屋敷に宿泊した。


■■■


 カジュロハラの街に到着。

 幼い花婿、花嫁を乗せる篭を担ぐ列に誘われる。ネフティ女史の護衛の任があるので断ろうとしたが「参加されるといいですよ」と言われたので参加。

 何のためにこんなことを? と思ったが、今後良く通うであろうこの街の人に自分の顔を、友好的に広める機会であると気付かされた。

 ナギダハラの人の見る目と、カジュロハラの人の見る目が明らかに違う。大都会と地方の街という違いもあるだろうが。

 結婚式の後はアバブ派神殿を管理する、穢れから遠いとされる神官の家に宿泊することになった。

 自分が敷居を跨ぐ前にネフティ女史は、この者は穢れていないという説明を丁寧に行って誤解を解いたところで、神官一家の鬼気迫る顔が綻んで招き入れられた。

 食事が出された際に、異国の伝統かと最初は思ったが、材料の小麦粉や塩を見せて神官一家が、これには混ぜ物など入っていないと、掴んではサラサラと落としと繰り返し、しつこく説明していたのが印象的。

「どうしたのでしょうか?」

「これは北の穢れた小麦や塩を使っていないと、入手経路から説明してくれたのです」

「穢れた食べ物?」

「アッジャールが北部に攻め込んだ時に、あちらの商人がこちらへ卸す物に骨や砂を混ぜて売っているという噂が流れたことがありまして」

「まさか、いや、おが屑を混ぜたパンを売る悪徳商人がいるという話が私の国にもありましたから。しかし骨?」

「はい。詳細は不明ですが、世捨ての托鉢僧の方々の口にものぼったそうですよ」

「それはアッジャールの分離工作ではないですか?」

「戦争はちょっと、分からないのですが、そういうこともあるのかもしれませんね。骨は骨でも不可触民の骨だとか、確かに、極端な噂がありましたね」

 寝室はネフティ女史が一番良い客室。神官一家も掃除以外で入室したことのないような煌びやかな佇まいで、こんな扱いを受ける彼女に何故ザシンダル側から付き人を新たに出さないのか全く不明である。

 自分は下男用の、隣り合うが数段劣る物置のような部屋が割り当てられたのだが「そんな部屋に泊まらせるのは申し訳がありません」とネフティ女史が神官に掛け合う。

 言葉は不明だが、雰囲気では、神官の視点では異教徒の異人を良い客室に迎えるのに相応しくないという判断らしい。神官夫妻の論争も哲学問答をしているような、感情的な舌戦ではない。

 迷惑になるなら下男用で構わないと言いかけたら、今度はネフティ女史が神官と問答し始める。

 これは本格的に迷惑になるだろうと思い、その物置のような部屋へ入って、もう寝転がることにした。

 ネフティ女史はそれから抗議するような声を少し出してから、何か言おうとして不味いと途中で気がついたようで、その日は終わった。

 パシャンダの言葉、勉強しないとならないのかな。


■■■


 カジュロハラを発って少し。パラガティ川の濁流がほぼ収まった頃。

 空が赤く染まる前に王都グナサルーンに到着した。旧来の高くて薄い城壁より南側前方に、近代的な低くて厚い防塁の星型城塞が建造されている。完成はまだ先のようで、会社の技官が建設指導に当たっていた。

 新要塞の城門を潜ってからではないと都内には入れない配置になっている。

 新城門では門衛が先にネフティ女史へ敬礼をする。パシャンダの言葉でおそらく、お帰りなさいませ、と門衛の士官が言う。そして身分証明などせず通過。

 次に、象に乗る神々や、その使いが乗る様々な動物が無数に彫刻される旧城門を通過。こちらにも門衛がいたが出入管理はしていなかった。

 中に入れば、初めに足を踏み入れる新市街地は木造住宅にあばら屋が立ち並んでいた。ナギダハラより清潔だが、また乞食がいる。ただここの乞食は定位置、縄張りに座ったままあまりその場を動かないで物乞いをしているようだ。統制された乞食とは何だ?

 道案内をするネフティ女史の顔を見れば、ナギダハラのように強張った顔はしていない。ダフ=グナサルーンか。

 旧市街地は古代石造文明の遺跡に乗っかっていて、古い石造住宅に新しくて立派な住宅が立ち並ぶ。こちらに入れば人々の身形も良くなり、間違っても乞食は道端に座っていない。

 ただ、バブの神像の釜戸では何かが猛烈な黒煙を上げて焼かれていて、その前で信者達が跪いて拝んでいる……聖なる神への信仰に目覚めたはずのネフティ女史も、馬上からだが拝んで一礼をして、何か呟いてからまた一礼をした。故郷の風習ならば信仰が変わっても致し方無いだろう。

 旧市街地を後にして、比較的高低差の少ない長大な階段を上った先にはまた城壁、そして黄金の球状屋根が光り輝く宮殿だ。

 宮殿の城門にもまた彫刻があって、その、自分には正視が難しい、いわゆる、官能的な彫刻が並んでいた。ネフティ女史は特に気にしておらず、それはそういうものだったらしい。

 ここでもネフティ女史の顔を門衛が確認するだけで扉が開かれて通される。そしてまたパシャンダの言葉でおそらく、お帰りなさいませ、と位の高い門衛の士官が言う。

 お嬢様? お姫様?

 宮殿に入り、またその中で門と壁に区切られている後宮前に到着。

「ガンドラコ様、お疲れ様でした。まずはここで」

「はい、お手を」

 ネフティ女史の手を取り、馬から降りるのを手助けする。

「後宮は立ち入り禁止ですので、お部屋の手続きもして来ますのでここでお待ち下さい」

「分かりました」

 何も言わずとも門衛の手で開かれた門をネフティ女史は潜っていく。

 音が立たないように閉められた門の脇で待機する。待てと言われれば三日三晩でも歩哨のように待つが、言葉の通じぬ宦官と思われる門衛の隣ではちょっと具合が悪い。

 門衛は無口で、こちらも用が無ければ口は開かないので沈黙。馬の顔を撫でると首をくねらせて擦り寄って来た。水ぐらい飲ませてやりたいな。

 どうやって言葉の通じない門衛に水をくれと頼もうかと思案していると、タスーブ王子が付き人を引き連れて後宮へ進んで来た。戦場にて、こちらから一方的に顔と名前が一致する程度の知見がある。

 騎馬火箭隊等を率いてザシンダル王の補助に当たって功績を挙げている方。実力もお飾りではない、継承順位も一位の王太子殿下である。

 門衛は門を開き、跪いて頭を下げる。こちらもそれに倣って跪いて頭を下げる。作法は間違っていないはずだ。

 何か失礼が無いかと思いながら通過するのを待っていると、

「ナックデクの象騎兵に真っ先に突撃して突破した上に生き残った勇者、ガンドラコ卿か?」

 タスーブ王子が声をかけてきた。彼もフラル語が話せるようだ。発音は、バルマン訛りの自分よりは上手いだろう。

「はい殿下、私であります」

 聞かれた事以外には答えないようにする、で作法は良かったはずだ。

「こんなところで話もなんだ、招待しよう」

 上手い返答はどうする? 少し考え、待たせてはいけないと、とにかく正直にと返事をする。

「勿体無いお誘いです、殿下。ですが今、後宮連絡官ネフティ・シュマフマン・ダフ=グナサルーン・オガ=アバブをここで待っております」

「いい、頭を上げて立て」

「はい殿下」

 立ち上がる。近くで初めて見るが、タスーブ王子は何やら、気難しいというか生真面目な感じがする顔をしている。それと少々、老けている。

「ネフティを待っているなら問題ない」

 断れば外交問題か? 従うしかないだろう。中にいけば彼女とも会えるだろうし。

「ではお言葉に甘えさせて頂きます」

 すると門衛が素早く立って、腰の剣や拳銃を指差し、槍の柄に手をかけてくる。もう一人は馬の手綱を取ってどこかへ連れて行く。流石に武器と馬は後宮に通せないようだ。素直に預ける。

 手で入れと促すタスーブ王子に従って中へ進む。

 王子の部屋に通されるかと思ったが、行き先は風呂だった。アバブ像があって、鼻から噴水する象の像もあり、亀の甲羅を模したような大理石の浴槽もある。汗は大分かいたので有難いと言えば有難いのだが。

 それから女官の一部が、その手の仕事をする者が、スルスルと音を立てて服を脱ぎ始めた。何の冗談だと言う雰囲気でも無い、これは。

「ガンドラコ卿、好きな者を選べ。その身体ならまとめてか?」

 物語でこのような話は聞いたことがあるが、本当にあると吃驚してしまう。

「申し訳ありませんが殿下、私はロシエに将来を誓った婚約者がおります。ご厚意は有難いですが誓いを破ることは出来ません」

「ここはザシンダルだ。フラルの神の目も届かぬぞ?」

「有難い話だと存じますが、バルマン騎士が誓約を破る時は自決覚悟であります」

「そうか、客人に自刃されても困るな。では旅の垢だけでも落としていかれよ」

「はい、ありがとうございます。殿下」

 タスーブ王子が去り、去らない一部の女官達に見られながら、早く立ち去れよ、と思いながら服を脱いで風呂に入る。身体も服も旅汚れたので入らないのはダメだろう。

 何を言っているかは不明だが、こちらの体を女官達が見てワーとか言ってクスクス笑っているのは分かる。体を布で擦ろうと女官が寄ってくるが、手を振って断る。

 こういうところにはアラック人が来ればいいんだ。

 風呂から上がると着替えを持ってきてくれる。白い寝巻きのような、パシャンダの民族衣装の一つだ。

 女官達が着替えさせようとしてくるが、自分で着る。着方が違ったようで、他よりは真面目な顔をした中年の女官に、言葉は不明だが、これはこういう風に着ます、とちょっと叱られる風に説明されつつ着直しさせられた。これくらい遠慮が無い方が良い。

 後宮の中庭の、蓮が咲く池の見える席に案内される。既にそこではタスーブ王子が酒を杯に注いで飲んでいた。こちらにも杯が渡されて酒を注がれる。何の酒かは味で分からないが、果実酒と香辛料の組み合わせというのは何となく分かる。

 それと虎が飼われていて放し飼い状態だ。人にかなり懐いているようで、仕事中の女官に擦り寄っては邪魔だと頭を叩かれ、落ち込んで退散する姿は猛獣ではない。ただのデカい猫だ。

「ガンドラコ卿はフラルでもあのように戦ってきたのかね?」

 北大陸西部の神聖教会圏のことをまとめてフラルと呼んでいるようだ。

「はい殿下。我が家では命よりも名誉を尊びます。ですので何時死んでもいいように華々しく戦うことを心がけています」

「言うだけなら簡単だ……」

 思うところがあるように頭を軽く揺らしながらタスーブ王子は呟く。

「ロシエ軍が来てからというもの、良く助けられている。ガンドラコ卿もだ。君等は素晴らしいよ。如何に我々が古きにまどろんでいたのか分かる」

 それからはさほど酒に酔っているわけでもない様子なのに、自分の世界に入ったようにパシャンダの言葉で語り始めた。

 対応のしようも無く困っていると、遠くにネフティ女史を発見。しかしタスーブ王子がいるせいか近寄らない。近寄りたくないのは凄く分かる。

 気づいたタスーブ王子がネフティ女史に手招きすると肩身の狭い感じでやってくる。付き人達からの視線も何やら冷ややかだ。

「我が従兄妹ネフティ、ガンドラコ卿が護衛とは贅沢なことだ」

 高貴であることは確信していたが、まさかそこまで王に血が近い王族とは! ネフティ殿下とお呼びせねばならないか。

「叔父の王弟殿下がジャーヴァル派だったので首が落ちた。王弟一族の処遇もそれに倣うが、ネフティは庶子の上に女でしかもそちらのフラルの神も信仰したし、フラル語に堪能ということで私が保護した。実際に役に立っている。物覚えもいいし、知っている限りでは口も堅い。それに何はともあれ可愛い妹だと思っている」

 本当に可愛がっているのかと疑問が浮かぶが、口に出すのも考えるのも憚られる。

「ガンドラコ卿には婚約者がいると言ったな? それは遥か海の向こうの話だ。こちらとあちらに作れば良い。何、扶養の金なら心配することはない。我が従兄妹には働きに見合った分の資産がある」

 軍人としてはともかく、そのようなことをスラスラと述べる奴は気に食わん。ただし口にも表情にも出してはいけない。

「そのようなお話は苦手なのでご遠慮願います。私は一介の武人に過ぎません」

「だと思った」


■■■


 それから暗い顔をしたネフティ殿下……に声もかけられず、女官に案内された上等な部屋に一泊する。

 夜は廊下の方から飼われている虎の唸り声というか、猫の喉鳴らし? が聞こえてくる以外は静かなものだった。

 朝になったので、言葉は通じないが察しの良い女官に案内されてネフティ女史の部屋を訪ねる。一応は暗い顔をしていないようだ。

「ネフティ女史、おはようございます」

 殿下呼ばわりはしないでおこう。

「ガンドラコ様、おはようございます」

 返事をする時は笑顔でいてくれている。安心した。

「何時頃発たれますか? その前に服を取り返さないといけませんが」

「あら、その服もお似合いですよ。ふふふ」

 機嫌は良いようだ。嬉しいものだ。

「もう何日か留まります。手紙がある程度溜まってから送りますので、もう少しのんびりしていて下さい」

 定期便ではないか。

「分かりました。その時になりましたら」

「はい、お願いします。そう、朝食の方をお召し上がりになりましたか?」

「いえまだです。お腹が空きましたね」

 ネフティ女史が女官にあれこれ指示する。

 部屋で待って朝食を二人で取る。途中で開いた窓からスルリと音も立てずに虎が飛び込んできて、ネフティ女史に身体を擦り付けて回っていた。

 自分は我慢できずに虎の背を撫でると、立ち上がってこちらの肩に体重をかけてきた。倒れないように踏ん張る。

 何だこの猫め。立ち上がって虎を抱き上げて一回転振り回す。男四人分ぐらいの重さか?

「わ、凄い力ですね! タタルを持ち上げるなんて近衛にもいませんよ」

 虎のタタルが首を舐めてきた。うげ、臭ぇ!


■■■


 虎のタタル相手に力比べをして時間が潰れた次の日、グナサルーンの神聖教会へネフティ女史と出向くことになった。

 教会は町外れにあって、古代遺跡を利用したそこそこ大きな建物である。

 神父は大分お歳で、会社が出来るより前にこちらで布教を始めた人だそうだ。苦労があったと顔の皺に刻まれている。具体的な神事は改宗した現地人が執り行っている。

 聖なる種が刻まれた壁の前で跪いてお祈りをする。

 名誉に殉じる覚悟に見合った成果が出せますように。高望みではなく、希望でもなく、やった分だけ返って来るように。

 ネフティ女史も熱心に祈っている。アバブ神にも拝んでいた彼女だが。

 お祈りが済んで、教会を出る。

「ネフティ女史、少し気になったんですがよろしいですか?」

「はい、なんでしょうか、どうぞ」

「オガ=アバブという名前は変わらないのですか? 聖なる神への信仰に目覚めたのでは?」

 ネフティ女史は戸惑ったように目をパチクリして顎に手を当てて首を傾げてしまった。不味い質問だったのか?

「二柱とも信仰しております。聖なる神の方をより大事にと信仰しておりますが、ロシエの方ではそれはおかしいのでしょうか?」

 返答に困る。聖職者ではないし、無責任にそれは不信心だと決め付ける知識も権利も無い

「差し出がましいことを申し訳ありません。信仰は人それぞれですから正解はありません」

「そう言っていただけると嬉しいです」

 帰り道、どこからどこまでかは分からないが、手を繋いだ記憶がある。まさか。


■■■


 出発日までは静かに過ごした。

 他の王子に王女はいるかと薄っすら興味はあったが、何やらいない様子だ。

 王と会うことがあるかも? と多少緊張はしたが、ネフティ女史に聞いたらラザム藩王国とナックデク藩王国の事後処理をしているらしい。

 代役はいないのか? まさか反対派の粛清で人材が……他国の王室、内政に武人が関わるものじゃない。

 タスーブ王子も暇ではないようであれ以降は顔どころか壁の向こうにも気配を感じることは無かった。

 ネフティ女史と食事して、体が鈍らないよう筋力鍛錬し、虎のタタルと遊んで、後は昼と夜に寝て、綺麗な部屋で、女官の世話付きでの生活。もし本当に負傷して療養が必要だったら歓迎している。

 ネフティ女史の方は色々と付き合いがあるようで、出かける頻度が多くて忙しい様子だったが。

 手紙がある程度溜まったようなので船でパラガティ川を下ってナギダハラに戻る。


■■■


 会社事務所に帰還報告をしたら早速ダルヴィーユ連隊長に呼び出しをくらう。

 文句をつけようと思ったが、会えばその雰囲気ではない。

 無言で突き出された手紙を読めば、自分が死んだという誤報が本国に伝わっていた。

 海賊に襲われて乗艦のシェフューロン号が沈んだ情報だけが伝わったのだろう。遺骨までは望まないから遺品だけでも無いかと訪ねる内容で、差出人は兄だ。兄の筆跡であるが、少し字が下手に見えてしまうのは無意識に悲しんでくれることを期待しているせいか?

 訂正の手紙を書いて送らねばならない。生きて可能な限り名誉に準じていると。死しても愛しのあの人への想いは変わらないと。


■■■


 ネフティ女史をまたグナサルーンに送る前にすることがある。

「馬の乗り方を教えましょう。とにかく便利です」

「はい、お願いします」

 本国からの船には馬の補充があった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 優しくて強く誠実に"騎士"であろうとする。 彼はこの物語では眩しいぐらいに真っ直ぐであると改めて感じました。 彼の先を知っているからこそ、尚更眩しい。
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