-7ー01話「僕はダフィド」 第2部番外編開始
「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
手織工ダン・グラー。
「チビすけ。先生のお使いができてえらいな」
「何故、力織機を壊したのですか?」
「なんでって、ラズルゴー織は世界一だったんだぞ! それをあんな油くせぇ下手糞に名前を取られたんだ。下手糞ぶん殴って何が悪いってんだ。俺の若ぇ頃なんざ親方にどんだけ殴られたか知らねぇだろ」
「あなたが作る手織物は非常に高品質で有名で、高値がついていましたね。力織機の大量生産品とは購入層が違って競争関係にあったとは言えなかったのではないですか?」
「半端が売れねぇんだよ。俺ならともかく他の若ぇ連中のなんか、高い売れねぇ、下手糞売れねぇ、で食ってけねぇんだよ。育てる暇もねぇと思ってたら外地から戻って来て足が無ぇだと。えっと第何次?」
「学会ではこの度の戦争、第七次西大洋戦争と分類しております。今回は対ロシエでクストラ植民地を巡る領土戦争でした。前回も対ロシエで、ザーン連邦の救援と海上貿易の混乱を是正する目的で北海諸国と連合しました」
「へえ、やっぱ良いとこのパツ金ちゃんは賢いな。何言ってるかあんま分かんねぇ。ま、俺がやらなきゃ誰がやるんだよってこった」
「改善案はありませんか?」
「おめぇの生地、俺が織ったやつだ。見りゃ分かる」
「大変素晴らしい生地です。柔らかくて皺になり辛いし、洗っても崩れません。風が強くても暖かいです」
「それで売れりゃいいんだよ。金持ちが金持ちならな」
「これから絞首台に進みます。お気持ちを聞かせてください」
「へっ。死んだ方がマシだ」
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「しかし妖精が紳士服はいいとして、筆取りまでとは珍しいな」
採鉱夫マイト・クークス。
「この度、座り込みによる罷業を行った理由をお聞かせください」
「給料が安過ぎる。超過労働規制の反動にしたって糞過ぎる! 賃上げしろって言ったって社長は、金が無い、とか、嫌なら辞めろ、としか言わない。そうかと思ったらチンピラ雇って護衛になんかしてる。その給料分は金があるってことだ。最低でもな」
「石炭は今のランマルカの原動力になりつつあります。需要は旺盛にあって売れているのに何故給料は低く抑えられていると思いますか?」
「外人だよ外人! 奴等、幾ら安くても働きやがる。自分を安売りすんのがどれだけまずいか知らないんだよ。特にフェトラントの連中、飢饉だか何だか知らないがこっちにまで来やがった。安全守則も守らないで自殺するみたいに働きやがるしな。何だあいつら、呪われてんのか?」
「改善案はありませんか?」
「あったら座り込みなんかしないで何か別なことやってるよ」
「機械の打ち壊しのようなことはしていませんね」
「カーピルニーの虐殺みたいに撃ち殺されたって女房子供にパンが配られるわけでもないからな」
「解禁されたこの労働組合活動ですが、今後も続けますか?」
「皆の目が覚めるまでだ! ……お前、銃殺隊じゃないよな?」
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「ごきげんよう、僕はダフィド。君、お名前は?」
「んと、アーくん? だよ」
浮浪児名称不明。
「指、どうしたの?」
「たべられちゃった」
「何に?」
「えーとね、糸のぐるぐるの」
浮浪児は咳き込んだ。
「ごはん食べた?」
「昨日の昨日にたべたよ」
「お家はどこかな?」
「おっきなおじさんにいらないって言われたからないよ」
「お父さんとお母さんは?」
「しらない」
「これからどうしよっか?」
「わかんない」
浮浪児は再び咳き込んだ。
「救貧院は知ってる?」
「しらない」
「行けば、少し食べられるよ」
「行く」
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「うん……」
街娼ギヨルの娘カイラ。
「あなたはフェトラント人ですね。こちらへ渡って来た理由を聞かせていただけませんか?」
「……あっちの飢饉ぐらい知ってるでしょ。芋は病気だし、麦は火山灰で駄目だし、魚は網がね、増えた氷山とかトドがね。あっちでこれやってたら出るのよ、人食い。見分けがね。仲間もやられたし」
「こちらでの労働条件はどうですか?」
「場所代と一食で無くなっちゃうわよ。男はあんたら美人さんが好きで尊敬も糞も無いし!」
「今なら女性でも工場で働けますよ。機械化により筋力は余り必要ではなくなりました」
「夜明けから深夜まででしょ。これから夏で夜も短いけど、誰が面倒見んのよ」
「お子様ですか?」
「あ、うん、ねえあんた、連れてってやってくれない? 下働きでもなんでもいいからさ、私じゃ無理なんだよ」
「僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています」
「そう言えばあんたらそうだっけ」
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ランマルカ本島中央部、内陸、フリッシュ川中流のラズルゴー市。
機械化工業発祥の地。上流から鉱石、近郊には炭田に牧場もあって運河伝いに陸水路から原料が集まる。更に農場も近郊に広がる。
曇天に工場の煤煙が重なって更に暗い。日照時間の短い冬は昼が更に短い。
石炭火力の熱気と蒸気が街路を蒸し揚げる。北海にしては暖かい夏を不快にする。今は春も終わって夏に入る頃。
街角によくある同胞達の溜まり場へ向かう。公園ではないが、街路の隅に住人達が好意で木箱や古い椅子を置いている。気が利いていると卓がある。
労働者の姿をしたハッド同胞達の視線が集まる。皆、帽子は揃いの赤で、服は石炭汚れ、糸屑付き、汗染みと仕事の種類が違う。
連れて来た野良犬を放つ。
「これは犬くん」
『犬くん!』
連れて来た野良猫を放つ。
「これは猫さん」
『猫さん!』
「わん」
「にゃん」
「わん」
「にゃん」
『わんにゃん』
『わんにゃん』
『わんにゃん』
『わんにゃん』
座れそうな席は空いていないので、一番身体の大きい同胞の膝の上に座る。
犬、猫、同胞、好き好きにゆったり動いたり、動かなかったりする。
家まで帰ると次の訪問場所まで遠くなるので、ここで屋台で買って来た芋と魚の油揚げを食べる。味は塩と酢。
皆は似たような値段帯のものを食べている。黒パン、チーズ、安酒。犬と猫が物欲しそうに鳴いたり身体を擦ったりと皆にねだるが無視。人間相手には通じるだろうが。
人間の子供がこの集まりに混ざってくる。うろうろしたり、あちこち触って回ったりする。自分の服を撫で回す。良い生地は触っていて面白い。
買い物帰りの人間の女達がこちらを覗き見て「また集まってるー!」などと言って笑う。
「見ない子だー」
「お金持ちのとこの子みたいだね」
寄って来た彼女達に自分は頭を撫でられた。
少しして、子供の親が「あらあらお友達?」と言いながら迎えに来た。
小雨が降り出したので解散。傘を開く。
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「ごきげんよう、紳士服の妖精さん」
工場主シャールズ・リンストンス。
「こちらの鉄工所は、管理部門は本島人ですがその他はフェトラント人だけ雇用されていますね。理由をお聞かせいただけますか?」
「とにかく安い、と言ったら見下されますかね。他にも理由があります。外人は犯罪者ばかりと言いますが、これは実は違うんです。フェトラントの彼等は生きるのに必死でとにかく真面目なんです。ここを出たら他に働き口がありません。盗んだり壊したり、勿論脱走なんてしたら推薦状なんて私は書きませんから。
推薦状があってもなくても本島人は、どこかでここを辞めてもやっていけるという風に思っていて真剣に、真面目に働きません。実際、どこかでやっていけなくはないですからね。
多少の欠損があっても引き取り手に困らない妖精さんには分かり辛いかな? おっと失礼。これ、悪意の中でも嫉妬というやつですよ。流石にちょっと待遇が、改良種のあなた達は特に良いですからね。犬になりたいとは思いませんが金髪の改良種にはなってみたいですよ。
話を戻しましょう。こちらの管理上の問題だと思うでしょう? それもそうなんですが、売り上げが下がっていてこれが限界に近いんです。見て分かって貰えると話が早いんですが、ここの高炉、父の代からので古いんですよ。安物売りしないといけなくて。
でも新型に変えれば改善の見込みがあるんです。一緒に鉄道の、列車の、知ってます? あれの軌道を作るんですよ。あれなら本当に、きっと無限に需要がありますよ。あとちょっと頭金があれば銀行からも信用を得られるんですよ。そうですね、何も事故が無ければ三か月、これで再建の見込みが立つんです。やっと燃料代がかからない冬を抜けたんです。
こう見えて私も必死なんですよ。ここが潰れたら、この歳ですし、労働者に混ざるなんて無理です。というか、きっとその前に背中を刺されますね。教会で祈っています」
「ありがとうございました」
「ダフィドさん、ウルキア先生の次はこちらに来ませんかね? 彼方のような管理できる子がいないと中々国は、最近ではハッドでも、雑種でも卸してくれないんですよね」
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「ごきげんよう。以前はありがとうございました。今回もラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「ダフィドくんも真面目だね。看板持ってケツで道路擦ってる奴等に君のチンポの垢でも飲ませてやれば治るのかね。一部にはご褒美か、まあいいや」
警察官ペンコット・ハック。
「また同じ質問になりますが、最近の犯罪動向を教えて頂けませんか?」
「最近はやっぱり外地からの帰還兵がやらかすな。武器を返却しないで持ち込んでる連中がいるんだよ。管理してるったって限界あるしな。今回は帰還船に、大分外地土産の持ち込みを許したらしいし、ロシエ製の鹵獲拳銃とか、全く分からんな。
前の戦争の時より田舎から都市に流れる勢いがあるだろ? 戦場帰りで畑も無い奴等が帰る場所も無く連隊のまま徒党組んでやってきてんだよ。棍棒と密造銃ぐらいのヤクザもんじゃ全然敵わねぇ。乗っ取りの勢いが凄くてな、縄張りとか手口が変わり過ぎて一から勉強みたいなもんだよ」
「一月前に退役軍人会から武器の密輸容疑で逮捕者が出ましたね」
「本当はもっと出るはずだったんだけどな、生贄一人でお終いだ。戦友の絆ってやつでな。この調子だから退役軍人会に庇われると面倒事が多くてな、証拠不十分って処理が何度あったか、何度かな? たぶん所轄で、昨日で二回。うちの”会社”にも退役軍人は多いよ。俺もそうだし、前に言ったっけ?」
「聞きました」
「あとヤクザ周りだけじゃなくて最近は労働運動にも参加してるな。武器持ってるのはあんまり見ないが、前と隊列が違うんだよ。あれ、教官やってるな。いずれやらかしそうだ」
「銃殺隊の出動は最近、このラズルゴー界隈では聞きませんね。戦中のカーピルニーの一件は大々的に報じられましたが」
「労働運動の合法化、男子普通選挙、議員の改選年数の短縮、庶民議員も出られるように議員歳費の支給とまでくれば流石に音頭取れるような頭がある奴等は動きを変えるさ。チンピラヤクザより議員様の方が何でもできる。
そうだ、そうだそうだ。まだ外地から戻ってないのが多いだろ? うちの子達の変異種、ロシエの猟兵に結構狙撃されたらしくてな。そこから現地の臨時再編で行方が分からないんだ。
暴動が落ち着いた上に撃ち手がいないから撃ってないのもあるだろうな。前は直ぐに出動させてたのが今じゃ様子見、説得重視だ。こっちでもそうだから他所でもそうなんだろうよ。王都は違うかな?」
「ありがとうございます」
「ああダフィドくん、再就職先に困っていないかな?」
「僕はラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています」
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「……うるぅせぇ辞めたっつってんだろ!」
元町医者ネイセル・オブラント。
元医者は窓の外へ、八分の一程中が残っている酒瓶を投げた。取材中に患者を名乗って騒ぎ立てていた者が追い返される。
「なんだっけ、事故だな事故。機械の巻き込みで手が潰される。あとは髪の毛。女工は特に、ぐるっと引っ張られて剥げる、頭皮。程度で即死はしないが、まあ予後が悪くて、最終的に助からん。女余りのご時世じゃ結婚もできないどころか離婚。国教会は離婚ができるから。
あれだ、近眼も難聴も肺病も、変形も精神異常も、何なら圧迫に誤爆事故だって全ては慢性疲労と栄養失調からくるし、資金難が原因になる。給料が低いから食えない。儲からないから労働時間を長くする。そうするから脳も身体もイカれる。この病気は社会が原因だよ」
「外地クストラから帰還されてもお仕事に復帰されませんね。理由をお聞かせ下さい」
「社会が原因だ。外地じゃ毎日、じゃないな、戦闘が始まったらずーっと腕が無い足が無い、腸出たとか目を潰したとかそういう奴がずっと並んでいる。全員チビの痩せ。干物じゃない……魚市場かな、生きててもちょっと跳ねるだけ。痩せすぎで少しの出血で動けなくなる。すぐ死ぬ。
患者は無限に出てくるし、手をつけても障害で何もできなくなる。救貧院にいけば病気か新薬実験体、路上じゃ野垂れ死に。働き口は無いから物乞い、やっぱり救貧院か路上だ。家族が養えばいいが、そんな家が何軒ある? 貧民街に押し込められて汚い水を飲んで赤痢に傷寒、嘔吐病になって野垂れ死にだ。
全く治療のし甲斐がないんだ。この状況、人間があり余ってるからなんだろ? だったらそのまま死なせて減らしてやればいいんだ。人が貴重になれば治療完了。
お医者の勉強でな、黒死病、あれが流行った後に生活が良くなったって記述があったんだ。人が死に過ぎて貴重になったからだ。
俺は医者だ。だから今、こうして仕事をしないで皆を治してんだ」
「ご自分は治療されないのですか?」
「黄疸が出てる。もう死ぬ。疲れたからせめて楽に死なせてくれ」
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「時間は有限だ。早速始めてくれ」
下院議員オズマン・クレンティン。
「以前の議会では労働組合法可決に賛成されたと聞きます。ですが今回、工場法の新設、労働法の改訂には反対されましたね。理由をお聞かせ下さい」
「順番通りに話していいかな」
「どうぞ」
「私はね、抗議活動自体には賛成なんだ。奴隷ならばともかく労働者は自由民だ。自分の意見を訴えても許されるし、どこで働くかも選べる。起業するのに身分の高低はないし、私のように雑貨商を父に持つ次男坊が議員になって法律を作る側に回ってもいい。そのための下院だ。上院のように国王陛下から選んで頂かなくてもなれる。
ここで誤解して貰いたくないのは、届け出をした上での抗議活動は支持するが暴動は反対だということだ。
暴力と破壊を許すなんて道理がそもそも社会にあるわけがないだろう? 許さないからこその社会組織、国家だ。火事だ喧嘩だと騒ぎを聞きつけて参加して理性を失うような連中に困らない市民はいない。当人だって得などあるのだろうか? とにかく暴動では何も解決しない。不満があるのなら組合が主導して統制を取って堂々と言論で戦うべきだ。組織立って、自分達の意志を明確化して運動をする。これはあるべき姿だ。
だから無政府主義者などという昨今の、わけの分からない連中は理解できんね。政府が無くなったらそもそも抗議する相手がいなくなるし、統制してくれる相手がいなくなり、無法状態になって暴力絶対の世界になり、究極的には誰かの台頭を招いて政府ができあがる。散々に殺し合って元に戻るだけなのは自明だ。もしかしてあれは、政権を引っ繰り返して実権を握りたいだけなんじゃないのかな? これは無駄話じゃなくて、統制が大事ということだ。
理屈の通った労働組合主義は歓迎しているよ。たとえ耳の痛い話を突きつけてこられてもね。赤ん坊じゃなくて話ができる大人が相手であって欲しいものだ」
「では工場法の新設に反対された理由をお聞かせください」
「商売に限らずだが、国が仕事の内容にまで制限を設けるべきではないと考えている。私もそうだが、自分が手を出したこともないような事業の内容や現場ごとの、そう、機微など分かるわけがない。できることができなくなり、要らないことをさせてしまうようになったら利益が出なくなる。自由な発想や工夫が無くなってしまうだろう。
商売は競争だ。互いに切磋琢磨することによって下手は衰退し、上手は繁栄する。衰退といったが、仕事に失敗したからと言って死ぬわけではないし、自分の仕事が無くなったらそのまま他人の仕事に加わればいい。私が若い時に何回破産したか知っているかね? 三回だ。父の雑貨商を継いだ後の一回目は自殺も考えたが、今はこの通りだ。議員と銀行と事務所と、その傘下にそれなりの会社がぶら下がっている。
それぞれに適性がある。適正化のためには自由化が必要だ。国家が制限することではない。補助金で、倒れる企業を支えようと言った愚か者には強い言葉で批判しよう。私はそういう考えだ」
「労働法の改訂反対はどうでしょうか?」
「工場法と似た話だが、今は財政難だ。債務不履行寸前で、ここを何とか支えないと貸し出した銀行が共倒れになり連鎖倒産が始まる。矛盾するようだが、先程の補助金、このような危機には極めて、限って投入することは検討しても良いと思っている。死人を動かす真似は許されないが、助かれば何とかなるのならばすべきだ。あまり一般企業には当てはまらないと考えるがね。
金融網の破壊は中世、古代どころか原始時代への退行だ。資金の機動性と言っていいかな、これは偉大なる発明なんだ。これも統制の話になるが、市民と企業と国家からなる組織の崩壊は絶対に阻止しなければならない。たとえ労働時間が長くても、重税を課そうとも、無政府状態よりは遥かに健全だ。今こそ食うに困っている者が多いが、崩壊後は隣人を食い合うことになりかねない。フェトラント公国の窮状を知って作り話とは言うまいね」
「財政難の原因は何でしょうか?」
「先の戦争のせいだというのは当然の認識かな。軍事予算への偏重と輸入超過、重税による産業不活性。債務不履行になったロシエからは賠償金が獲得できず、土地も奪えていないから新事業への展開もできない。細かいところを言うと手元に資料が欲しいから……おおまかなところはこうだな。
戦争で儲かったと言えばロシエ船を多数拿捕したことだが、海軍将兵と私掠船主達には狂乱するような出来事だっただろうが、国家にとっては小遣い程度だったよ。時代が一つ前だったら国家予算の二年分は補填できたんだがね。規模が大きくなり過ぎているよ。
それから、だからと言って今回のロシエみたいにラスアレス川流域をエスナルに売るような愚行は褒められないね。今は原住民との紛争で価値が無くても、いずれ違ってくるはずだからだ。目先のはした金に囚われてはいけない。これは国教会の精神にも基づくよ」
「私は今回、救貧法について補正がされると思っていたのですが何もありませんでしたね。話題にはあまりなっていなかったと記憶していますが」
「金さえあれば何とかなる。だから何ともならない。今は苦しいが、ここを耐え切れば、将来的には……また戦争が起こったら? 誰か教えてくれないか。議員先生と呼ばれるが、先生の先生は聖なる神をおいて、あとは学者先生もだね、他にいなくて困っているんだよ。
さて、以上かな?」
「ありがとうございました」
「そうそう、これはノールバラの高等弁務官の噂なんだが、君達改良種を海外に輸出して儲ける経路を作ってるらしいんだよ。本島経路じゃ無理だから抜け道から、とね。金さえあればとは言ったけど、ランマルカ人の誇りは彼に無いのかね?
と、こんなことを言うのはだよ、君の縁故で彼を追い落とす一翼になって欲しいんだよ。君等は助かるし、私はね、更に出世を狙っている。
下種と思うかもしれないが、思い通りの政策を実現するなら出世しかない。属領を差配するのが一番の閣僚入りへの道なんだ。外地のほら、奥地の石器人のところじゃ駄目なんだ。高等弁務官になったとしても馬しか走っていない荒野じゃ何も評価されない。
勿論これは秘密の話だ。分かってくれるね。ウルキア先生には寄付させても貰うよ。次のご著作が楽しみだ……それからこれは君にお小遣いだ。これは先生にも内緒だよ」
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ランマルカ本島北部山岳地帯から南下した水が、南部平野で大規模河川になってゆるやかに流れる。
上流の鉱山から豊富な鉄に銅、錫を始めとする貴重な金属が送られる。
中流のラズルゴー市に金属が集まり、運河網を通じて市中、近隣都市に配られ工業製品に加工される。
更に下って北海に注ぐところに王都ニルスフライがあり、そこで製品の最終組み立てや加工がされて世界各国へと輸出される。そこを目指している。
蒸気機関を用いて外輪を回して進む実験船を、帆走客船で容易に追い越す。
流れる風景、岸辺には灌木と草地、農地と羊の牧場。
合流してくる、また逆に分岐していく支流。
客船は予定に合わせたので等級は気にしていなかったが、今回は少し高かった。
人間と妖精の仲良し組が目立つ。この船に乗れるような立場の者は”恋人”と一緒に旅行できる余裕があった。
乗客の足の隙間を縫って歩くのはねずみ狩りの労働者たるねこさん。遊びでねずみを嬲り殺すものの、狩猟意欲に影響があるとされて餌やりは基本厳禁。船員が管理している。
「いい金髪ね、君。凄く色が白いわ、赤から遠い金ね」
「ごきげんようご婦人。お褒めにあずかり光栄です」
「まあまあ! ちゃんとお喋りできる方の妖精さんなのね」
頭を撫でられる。
「ご主人は?」
「僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに、一人で取材をして回っています。ニルスフライに用事があります」
「それに変異種なのね」
「はいそうです」
「うちの子に種付けしてってよ。同じ変異種なのよ。それでしかも珍しい、若いのに銀髪ちゃんなの。どう?」
どう? と背中を押されて前に出て来たのはその紹介通りの見た目。サヴァルヤステンカからの輸入ものに見える。
変異種、知能が高い者は価値が高い。増やして愛でて、売って儲けて、育てて助手にと使い出がある。
「主人であるウルキア教授の許可が無ければ窃盗法と動物虐待防止法に抵触するおそれがあります。ご婦人」
「あらやだ、そんな心算はありませんでしたのよ」
巨石列柱が見えてきた。今やロシエの一地方にしかいないフレッテ人も大昔はここにいたらしい。
墳墓からは彼等の遺体が見つかる。特徴的な牙の顎骨から人間ではないと分かり、金属を使わない原始的な貴石の副葬品や黒曜石の槍も見つかっている。骨塚からは毛象や海獣、妖精や獣人も食べていたらしいが、人間は食べていなかったらしい。人間が到達する前にいなくなったという証拠だ、と考古学部の教授が言っていた。
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フリッシュ川を下り続け、国王の狩猟館が建っている森が見えてくれば間も無く目的地。この島に森はほとんど残っていないので見ればわかる。
下流までいくと土が代わり、農業にはあまり適さない地になって牧場ばかりになってくる。
今日はやや珍しく快晴。
人口百万都市のニルスフライに到着。ランマルカの政治と海軍と金融と交易の中心。
都市郊外では近郊の衛星都市とを結ぶ鉄道の運行が始まっていて、蒸気船が陸上も走っているかのよう。
都市内運河を下る。今は上げ潮で、市内港へ巨大な洋上船がそのまま進入して来ている。
乗客達はそれぞれの目的地に近い市内桟橋で下船していく。銀髪ちゃんが去り際に手を振ってきたので振り返す。彼女は主の影響で詩集の話が好きだったが、自分とは話が合わなかった。
自分はまだ先へ下って海港まで行き、終点の一つ手前の最初の目的地に近い民間港で下船。
突き出た岬が断崖になって港を風から防いでいる。その高台には灯台、気象台、天文台まで並ぶ。こちらから見上げると岩に隠れるような位置にあるのは、沿岸要塞でもあり、ニルスフライ各所にある宮殿の一つでもある。ランマルカ王が改宗する前からある、一番古い城。
民間港に併設される広場では一つの活動団体が声を上げていた。労働団体ではない。
「私達に夫を配給しろ!」
「妖精との性行為は動物虐待だ!」
女性団体である。革新的な動きが起こりやすいのが都市であろう。
「うっせーブス! 外地で異端相手にケツ振ってろ!」
「人間から逃げるな!」
「うわこわっ!」
人間同士の衝突は大小に関わらず絶えない。そのぐらい人が多い。
民観港からは外地行き、新大陸便が多く出ている。その外地にはこの島の倍以上の人口がある。十倍では利かない土地が広がっている。
外地行きへ乗船するのは、先の戦争以来更に肩身が狭い非国教徒、内地での就労環境に見切りをつけた者達、ノールバラ人にフェトラント人は外地各所にある同族共同体を目指すのだろう。拘束されて連行されていくのは流刑相当の政治犯、刑事犯。拘束こそされていないが見張りがついているのは大陸産白人奴隷。そして、あちらでは需要がある女達も乗り込んでいく。
戦争で男達が死んでは女が余り、紳士階級以上では”恋人”として妖精が愛でられては男女共に結婚をしないか、名目上だけしても子供を作らない事例が目立つ。
経済的に逼迫していれば子供も作らず、できても邪険にして孤児院行き。道端に捨てられ、相手のいない女が拾って育ててみて、やはり苦しくて救貧院に置いて戻らない。
悪い例ばかり取り上げると悲惨だが、今日この本島ではそれらが目立つ。
女性団体が揚げる声の一つに異物が混じる。
「大陸金食い豚を追い出せー!」
戦中ならばともかく……騒ぎになって予定が中断されることになっては困る。忠告しに行こう。
「もし、ご婦人方」
「え? きゃーなに!? 話しかけてきたんだけど!?」
「なになに、うっそ? 妖精くんどうしたのー?」
「わっ、ホント、わー! お腹空いたの? どしたのー?」
「戦争が終わった今、大陸やカラドス王家への発言は大変危険ですよ」
「え?」
男の大声で「赤服だぁ!」と響いた。
「あ!?」
統率されて重なる複百数十の軍靴。道を開けろと慣らされる号笛。悲鳴をあげて逃げ出す女性団体。
人間指揮官に率いられた赤軍服が現れる。同胞達で編制された”俗称”銃殺隊が行進隊形のまま、小銃を担いで駆け足で到着した。
血を吸って染まったなどとも云われる銃殺隊の軍帽軍服は赤揃い。敵よりも犯罪者、逃げる人間兵士を撃ち殺して来た。
「分たーい、止まれ!」
隊列は逃げ去る女性団体が居た位置に左側面を向けて停止。
「左向け、左!」
正対して横隊となる。この時点で彼女達が居たら発砲もあり得た。
「解散しろ!」
人間指揮官の怒声で聴衆、野次馬の類も解散する。
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「あー、うん」
元契約兵であり日雇い港湾労働者リモン・シャイラー。
「契約兵に志願した理由から教えてください」
「海軍に入りたくて募兵所にいったけど陸軍行き、駄目だった。あれかな、炭鉱で働いてた時の肺病で落とされたと思う。今は落ち着いてるけど、発作がくるとキツいんだよ。あれだ、今日みたいに晴れてると少しいい」
「どこで軍務に従事していましたか?」
「外地に派遣される船を待ってたら戦争終わっちまった。志願できる歳待ってからだったんだけど、間に合わなくて。あれ、嘘の歳書けばいいって知らなくてさ」
「軍務は過酷でしたか?」
「戦地に行ってないからなぁ。訓練軍曹はおっかなかったけど、飯はちゃんと食えるし、酒も出るし、休む時間も寝る時間も屋根も布団もあったし、怪我すれば軍医さんが見てくれるしで全く文句無かったよ。怪我って言ってもなぁ、膝とか肘擦り剥くとか、その程度だし。ずっとあそこにいたかったけど終戦で追い出されちまった。あっ、軍法会議は恩赦とか減刑とか無くてさっと処刑しちまうから、これはおっかなかったな」
「今の仕事はどうですか?」
「軍の逆? 給料は安い。あれ、あの、ロシエからの綿花輸入が再開して仕事が増えたんだけど、給料変わらないんだよ。それから雇い主がすげぇ敬虔な国教徒でな、休み明けの二日酔いとか許さなくてさ、具合悪いのバレたら一発でクビ。飲んだくれることもできないんだよ。酒と怠慢が死ぬ程嫌いなんだって。教会でそんなこと、あんまり言ってなかったと思うんだけど」
「退役軍人には女性団体から結婚相手が充てられるそうですが、ご結婚はされましたか?」
「外地で最低、幾つだ? えーと、航海中入れたっけ? ちょっと忘れたけど、半年勤務してからの特権だったはずだけど。俺は出てないから。まあ、余りもののブス押し付けられなくて良かったよ。足とか手が無いってならあれだけど、結局娼婦の方が安いし。俺も水兵さんみたいに”恋人”が欲しかったんだけどなぁ……あんた男だよな? うーん、男だよなー、うーん」
「四十二歳、男です」
「え、親父と同い年?」
■■■
「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「戦地のことしか喋ることはないと思うが」
現役陸軍下士官ダン・フレッチェ。
「外地での作戦お疲れ様でした。今回、大々的に契約兵が陸戦に投入されましたね。現場で感じたことなど教えて下さい」
「農民は使える。飯も炊けるし、穴も掘れるし、大工の真似もできて体力もある。行軍もまあ、文句は垂れるがついてきた。
街から出て来た貧民共は糞以下だ。戦う前に行軍でぶっ倒れるような虚弱病弱ばかりだ。行動半径が短くて戦いにならないことがあった。ロシエ領に積極的に攻撃できなかったのは貧民兵の弱脚のせいだよ。野戦で迎え撃って、それで勝っても追撃できなかった。土地を分捕れなかったのは”軍靴で踏む”ことができなかったからだ。
背が低い、身体が細いのはまだいい。病気持ちは最悪だ。特に感染症持ち、何をどうして検疫をすり抜けてきたか知らんが糞どころじゃない。
それに奴等の盗み癖はこれも疫病並みだ。そうやって育ってきたんだろうが、面倒事ばかり起こしやがる。何人鞭打って処刑したかもう数えてない。あーくそ、やり過ぎてまだ肩痛ぇんだよ。銃殺が一番楽でいい。首吊りは準備が面倒くさい。
糞共の話はこれぐらいでいいか。常備軍はちゃんと訓練通りに動いて、ちゃんと軍人の義務を果たしていたのは保証する。文屋があれこれアホな噂から何からでっちあげか知らんが、各連隊は故郷と領主の名に恥じず間違いなく義務を果たした。これだけは言い切れる。
国王陛下の各妖精大隊も立派だった。射撃は正確、砲弾でも動じない、行軍には騎兵じゃないと追いつけない。惜しいのは投入時期が遅かったことだな。こう言うとお前とその同胞に悪いが、内地から送るのが丁寧過ぎた。大事な決戦兵力だってのは分かっているが、まるでお姫様でも送るような手の入り用は軍隊のやることじゃない。妖精好きも大概にして貰いたいものだな。
あー、お前達を批判しているんじゃないぞ、言っておくが」
「外地から引き揚げての今は、どのような生活を送っていますか?」
「新兵しごいて、嫁の愚痴聞いて、いつも通りだな。いや、半給の日が増えたから、ちょっとあれだな、副業しないとな。ガキは義務教育学校に入れてんだが、なーんか何かと小金がいるんだよ。教材にあれを買えこれを買えってうるせえんだよ。
ただあれだな、軍人年金の額が据え置きだって聞いたのが不安だな。そこら中の物の値段が上がりまくってるのにこのままじゃ引退もできなくなってくる。爺さんになったら何すればいいか分からないんだよ。正直、戦死したかった。バーンって、頭に砲弾当たって、派手に逝きたかったよ。頭が無きゃ何にも考えなくていい。
あ、お前って今幾つだ?」
「四十二歳です」
「年上かよ! でも自分の歳が分かってるなんて偉いな」
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「ごきげんよう、僕はダフィド。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています。お話を聞かせてください」
「お前女?」
「男です」
「あーうん。やっぱわかんねぇな」
現役水兵エドワン・ネラシア。
「二等戦列艦アンセルバラ号の乗員でしたね。金塊を乗せた船だったとのことで、兵卒でも相当な拿捕賞金が出たと聞きました」
「おう! すげぇ額だ、まともに働いたら百年かかるぜ。港につきゃ女に商人、詐欺師の糞共が餓えたねずみみたいに集ってきやがって気持ち悪かった。酒場のババアは潰してふっかけようとしてきて糞だったし、吐いてふらふらしてた時にゃガキ共が後ろからつけてきて金落とさないか狙ってやがる。心配して水持って来てくれたのは玄関先掃除してた妖精さんだった。ホントに人間って糞だよな!」
「賞金の使い道を教えて頂けますか?」
「博打ですった! それがよ、聞いてくれよ、違うんだよ。俺はな、ずっと一緒だった”恋人”を引き取りたかったんだよ。でもな、作戦終わった後の競りになったら前の野郎が出てきて賞金の倍額出しやがったんだ! そりゃもう一発狙うしかなかっただろ! そいつもまた、競りに出る歳になるまでよ、給料を酒にも女にも使わずにためて起業して成功して金貯めてからやってきてよ、服もお前みたいな立派なの着て、何か片っぽ眼鏡までつけて洒落てる紳士でよ、もう金があろうがなかろうが俺が勝てっこなかったんだよ! ”私が絶対に幸せにします”なんて言われたら、出せても引き下がるしかなかったんだよ! あんな金持ちになんか、俺、なれねぇよ」
「新しい”恋人”を探そうと考えてますか?」
「あー、分かんねぇ。俺単純だからよ、たぶん、次の相方決まったらそっちの方が好きになるかもしんねぇ。でもよ、本気だったんだって! 二年もまともに休暇もしねぇでであっちこっちやって、頭がイカれてねぇのはあいつのお陰なんだよ!」
「失恋はお辛かったでしょう。それでも水兵を続けられますか?」
「当たり前だろ! 陸も商船も”恋人”がいねぇ。俺達はあんな配給女とくっつくしかねぇ出来損ないのクズ共と違って選ばれた、国王陛下の海軍軍人だ! 国王陛下と愛しき妖精達に、ヘペップ、フラーイ!」
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「ご機嫌麗しゅう、殿下。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしております、ダフィドです。園遊会以来です。お目に掛かれて光栄です」
「妖精さん、彼方との面会は予定にありませんのよ」
ウェタール朝ランマルカ王国王女ユージェーン。
ニルスフライ都内に複数ある宮殿の一つ、門前。馬車に乗ろうとしているユージェーン殿下の面前、自分との間に殿下の護衛が斜め方向に割って入る。
「お見かけしまして、このような機会も滅多に無いと思いお声掛けさせて頂きました」
「ふう。途中まで同乗を許します」
「ありがとうございます」
「仕方のない子ですね」
馬車へ同乗。席に座り、相対する。豊満な身体、強靭に見える二つ顎。隣には護衛。
馬車が動き出す。
「貧困、労働問題について、殿下から働きかけている、働きかけたいことはありますか?」
「あらゆる問題は解決されるべきです。遍く国民はどのような形であれ救済されるべきです。
宮廷費は削減され、王族費は実質無くなりました。軍縮にも限界があります。戦争税は終戦で無くなりましたが、財政再建のための新税案は諸々可決されています。歳出歳入は議会による調整でおよそ極限にまで洗練されました。これ以上の改革があるとすれば、急進的かつ相食むような略奪的なものとなって社会的混乱がもたらされるでしょう」
「各種事業からの撤退が検討されましたが、多くが費用削減の形で存続が決定されましたね。”ぬるま湯で冬の暖を取るようなもの”とも批判されましたが」
「救貧施設の維持は副業の自由化で廃止を免れました。義務教育学校には大学と同様に個人と企業の献金が可能となりました。各種伝統儀式は当面の間略式化が決定されました。公共施設には献金した者、会社の名を冠する権利が新設されました。名誉職としての売官枠も種類と数が拡張されました。至らぬところはあるかもしれませんが、できる工夫はされています」
「新しい穀物政策には賛否がありますね」
「新大陸穀物の価格を自由化することにより食糧価格の下落が見込まれています。これは貧困問題に寄与します。労働者の生活にも余裕が生まれ、実質的な職業選択の自由化に繋がって労働市場の膠着を打開できます」
「そうなると本島農家が過酷な競争下に置かれ、収入が下がって肥料が買えなくなってきますね。現代農法で肥料を投入しないなどあり得ません。これは農家の縮小を招き、農民の都市流入を促し、労働者価格が下落して労働問題が悪化するように思われます」
「新大陸への移民を促進しています。渡航費の補助額を増やし、補助適応範囲も拡大しました。家族を伴えば妻子の分は無償にさえしています。公有地に限っては五年の定住で所有権を認めるところを三年にまで短縮しました。本島で禁止されている武器所持制限も緩和しています。新大陸への優遇税制も今回の税制統合法で撤廃され、安定した税収が見込まれているのでこれはランマルカの実体ある拡大になります。債務返済もこれで加速され、いずれ終わります」
「講和の証としてカラドス家と国王陛下がご縁を結ぶこととなりました。本邦の宮廷と大陸の儀式、伝統には大きな差異があると思われます。質実と華美とも対比されます。華美へと舵を切られれば国民からの反発は必至かと思われますが」
「先程も申しました通り、宮廷費などは削減されております。ランマルカの伝統儀式も簡略化を余儀なくされております。華美の点ではわたくしの服装の通り、大陸では時代遅れとも呼ばれるような流行服のままです。男性の方々も体裁を取るために軍服で揃えて衣装の種類を削減してどうにかしている状況です。子たる国民の親として振る舞おうにも難しい問題があります。
ロシエの儀式伝統は膨大な宮廷費を要求するものです。多数の使用人を雇い、多くの貴族を中央に集めて究極の中央集権を目指しているものです。これはかの王国の事情、方針に拠るものです。ランマルカではその必要はありませんのでそのような大仕掛けは基本的に必要ありません。
しかし彼女は売られてやって来るのではありません。宮廷費の範囲内でロシエ式の振る舞いをすることを完全に否定することは難しいでしょう」
「結婚式典は盛大なものになると思われますが、その費用については確保されていますか」
殿下が天井から下がる紐へ目をやる。護衛が紐を手にし、一度静かに引っ張って車外の鈴を鳴らす。そうして間も無く御者が馬車を路肩に停めた。
「……ウルキア教授の著作、新社会原論には最近になって手が付きました。
一巻は言葉を明確に定義していく課程が大変に哲学的でした。まるで唯物論者が書いた上級聖法官僚試験対策のようでしたわ。副題はウルキア学派語辞典にしてはいかが?
二巻は理想の中央統制社会を描いていて非常に夢想的でした。地域差に通信速度差、現地環境に合わせた工夫を考慮せず基礎を語っていて正に机上論でした。地図に定規を当てて距離を測っても仕方がありませんのよ。ご存じ?
第三巻は現実と向き合った実用書にして頂けると段階的でまとまりがよろしいと思いますわ。出版は何年後になりますか?」
「今、取り掛かっております。それがこの取材です」
「結構。理想、夢想を現実に近づけて下さる?」
「ご明察です。そのような構想です」
「一封送らせて頂きます。ご住所にお変わりはありませんか? お加減も良くないと聞きます」
「ありがとうございます。殿下の激励があれば元気を取り戻すと思います」
「率直に、失礼と思いますが、後継者は決まっているのですか?」
「私が」
「あなたが?」
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店舗によるが、ここの茶店には三つの入り口がある。
庶民部屋。大通り沿い。天気が良ければ大扉は解放されたまま。窓から中にいる客が見える。
紳士部屋。同じく大通り沿いだが、扉は常に閉じられている。採光窓から客の顔は窺えない。
個部屋。裏通り沿いにあり、階段を上がった二階。
妖精部屋。庶民部屋と紳士部屋の中間にあり、床が一段下がっている。ここに両部屋との仕切りは無いが、天井から大人の人間が入る場所ではないと飾りや人形が吊るされて疑似的に天井が低くなっている。ここへは基本的に人間の進入は禁止されているが、子守りの仕事をしている妖精に限って児童以下を連れ込むことができる。
自分は紳士部屋の方へとまず入り、店員に声をかける。
「ごきげんよう。僕は一人で来ました」
「紳士服の妖精さん、ごきげんよう。ご注文は何にされますか?」
注文できる品は部屋によって変わりはないが、値段が席料分追加されて違う。
水、炭酸水、レモン水、珈琲、茶葉茶、カカオ茶など飲料は各種。氷は高い。煙草や砂糖菓子類も用意がある。また酒は置いていない。
「僕は珈琲を。あの子達にはお菓子を人数分」
「かしこまりました。えらいですね」
客の紳士淑女達が微笑む。
「あら彼方、あの子を見習った方が良くてよ」
「気の利く子だね。どこの子かな?」
気になる新聞を一冊取り、妖精部屋へと移る。そこは同胞達の遊び場になっている。
札遊び、人形遊び、積み木、木馬、絵本。枕にしがみついてお昼寝。
庶民に紳士、彼等が連れて来た妖精がそこで主人の喫茶軽食、談話などの用事が済むのを待っている。
赤い帽子を被り、作業服でなければ同色の服を伝統的に着ているのがハッド種。妖精兵が着る赤軍服の由来。
赤い服を避けて着ているのが主にサヴァルヤステンカ種。オルフからわずかに輸出されてくる。
ハッドより小柄で色もあまり薄くないのが大陸雑種。扱いは総じて悪いが、本島ではあまり見かけることはない。
そして身形の良い者が改良種。海外からはランマルカ種とも呼ばれる品種改良の結果。
「皆、良い子にしてるかな?」
『はーい!』
「よろしい」
声を掛けてから、人間が使うものより低い椅子に座って待つ。
まず自分のところに珈琲がくる。嗅ぐ、イルベアラだ。ベルシア王国の新大陸植民地産の珈琲豆である。ただ頼んでいないのに安くはない砂糖が入っている。
次に同胞達へ焼き菓子が配られる。皆「わーい!」「やった!」「おぎょぽー!」などと歓声。
紳士部屋からは静かな笑い。庶民部屋からは大きな声で「良かったな!」「お礼言いなさい!」などの声がかかる。
そして自分のところにもお菓子が。
「頼んでおりませんが」
「良い子にはご褒美です」
「頂きます」
折角なので、店員の目がこちらに注いでいる内にお菓子に手をつけようとすると、同胞達が寝ている子も起こして目の前に整列する。年長ではなく、賢い変異種の同胞がまず「せーの……」と音頭を取る。
『ありがとーござい、ます!』
「仲良く食べるんだよ」
『はーい!』
■■■
ハッド島総督にしてローディ伯ルバート=ヘクティル・マクスレン。
「遠慮しないで食べなさい」
「頂きます」
マクスレン卿のお茶会に招かれた。砂糖を使った生菓子がいっぱい。
ほわぁ。
「うちのハッドはかなり徴用されたから大変だよ。動物虐待防止法があるとはいえ、海の向こうにいるとなれば心配だ。目の届かないところにまだ意識が前時代の者がいる。早く全員戻ってきて欲しいのだが」
牛馬を見世物として酷使。闘犬や闘鶏に闘猿。猫や鳥の袋焼き。それら全てに代わって妖精。動物虐待防止法以前のランマルカは酷かった。
「同胞達の前線への投入は契約兵の存在により、以前より控えられましたね」
「そこは良いのだが、決戦への投入が遅れてそのまま戦争が終わってしまったのは、中々、禍根を残すかな? そうそう、ラズルゴーの様子はどうかな」
「契約兵を多数出兵させた影響で一部は資金面では改善されたようです。給料と恩給と、過剰労働者の一時的解消と」
「人間の価値がこれ程までに下がっているなどと、祖先に言ったら笑われるかな、怒られるかな? うちの農場は小作人を足して何とか運営しているんだが素人ばかりだ。落穂を拾うくらいはいいが、油断するとあいつら刈り込むんだよ。油断も隙も無い。ハッドに銃持たせて監視させないと何をやらかすか分からない。ユージェーン殿下は穀物政策について何か、我がハッドを救ってくれるようなことを言っていたかな?」
「自由化による価格下落を見込んでおります。閣下に直接利することはないと思われます」
「うちの麦も羊毛も安くなってきている。そのくせ糞石はエスナル商人共が足元を見て上げている。昔通りの肥料だと不作は確実だ。こう、知見は無いかな? 正直袋小路に追い込まれた感覚がある。山を掘ってもいいんだがね。流通に乗せるとなると道路建設から、いや測量からとなるし川が酷くなるから選定がね。鉱毒塗れはご免だよ」
「閣下の権力を使って大規模且つ集中的に外地開拓に投資するのは? 他所に真似できないことと考えますが」
「それは沿岸部ではなく内陸ということだね。五年から三年に期間が縮んだのは状況を変えているね」
「山沿い、斜面での開発はハッド島での採掘、治水技術が発揮されると考えます。他所の山を掘っても良いのでは」
「うんうん、そこから山越えもいいな。しかし戦力が足りるかな? 人間は安いが、管理する妖精が足りるかな。荒野に放り出すのは可哀想だ。原住民との衝突はやはり懸念だな。武器は終戦で余っているわけだが……契約兵も余っているな。うん、悪くない。あとは銀行屋の説得か。国が返済を終えないと渋るかな?」
「国教会はいかがですか?」
「そうなるとおまけで宣教師付きだが……拝金共への配分が……いや、原住民の教化ができれば住民に勘定できるか。流石だな、ダフィド先生」
「僕はラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の助手です」
「助教授などと名乗ってみてはどうかな」
「准教授どころか講師資格もありません」
「ほう。政経顧問という肩書に興味はあるかな?」
「僕はラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の助手です」
「君達はやはり、そこはそれだな」
■■■
国教会サルカン大司教オータック。
ランマルカ国内に三つある大司教座の一つより、大司教オータックがニルスフライへ訪れた。大聖堂の一つを貸し切り、有力者達の他に記者等も招いた礼拝後に記者会見を行っている。
幾つかの記者との平易な問答が過ぎ、自分の番になった。
「ごきげんよう、猊下。ラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしております、ダフィドです。お目に掛かれて光栄です」
「ごきげんようダフィドくん。変異種さんから公式に質問を受けるのは初めてだ。こちらこそ光栄だよ」
「ありがとうございます。では質問させて頂きます。一部では国教会は、穀物庫ならぬ金庫を開放して今の窮地を救うべき、という批判がありますが、ご意見を伺いたいです」
大司教オータック、それそれ、と頷きながら笑う。
「質問をありがとう! その件は言われていなかったら後で私から言うところでした。宮廷道化師の姿や在り方は変わっていくものですね。
その金庫の解放、実は既にしてあるんですよ。教会資産の運用は投資へ、積極的に、神聖に行っています。この解釈は中々理解して頂けないところがあります。
国教会は堕落した聖都と違います。我々の思想は三つで、慈愛、節度、勤勉。勤勉が特に違います。ただ黄金を蓄えて、教会を無用に飾り、絹に金糸を使い、宝石を滝のように身から流すような特権階級の真似をすることなどありません。富を見せつけて己を特別と見せることに、ある種の理由がある領主達とも違います。
慈善活動として勤勉な者達へと躊躇することなく投資をしています。己の研鑽を怠らず、堕落せず昇華せんとする者達を後支えしているのです。
救貧院にも勿論支援をしていますが、しかし富める者も貧しき者もいるのが当然です。貧者は努力して富める者になる権利があり、富める者には更に富める者となる権利があり、そして慈愛と節度があれば最も富める彼等が大きな手で最も貧しき者を救うでしょう。逆に勤勉でなくなれば貧者へと至るでしょう。
富める者達も積極的に慈善活動を行っています。今の時代では中々手が届かないところもあるでしょうが、しかし実際に差し伸べている。目に見え辛くとも慈愛ある者はおります。我々国教会も常に、富める者にはそうすべきであると説教をしています。しかし己の身を崩してまで救うべきではないとも教えています。
聖皇派が唱えるような、愚かにも身を削るような、時には自殺するような救済方法は最終的には皆を救いません。そもそも救われるべき第一の存在は己自身であるからです。人生は演劇ではないのですから自ら悲劇を演じて妙な人気取りをする必要はありません。
財産を捨てて一度、人々を救ったとしましょう。二度目はどうしますか? その財産をもって三倍の財産を生み出していればどうですか? これも節度です。赤字にならぬ程度に、己を無駄に肥えさせずに、徐々に無理しない範囲で救っていけば、これは結果的に、自身を含めて皆を永遠に救うことになります。
救い方も重要です。ただ赤子を養うように救うのは愚かで、魂を堕落させる行為です。魂を昇華させるのならば大人へと育てるように救わなければなりません。勤労精神を皆に広めていけばこそ真の救済になるのです。聖皇派のようにただパンをばらまくのではなく、鍬と種を与えて自立させていかなければいけません。だから寄付ではなく投資です。
勿論、追い詰められた者にいきなり農具を与えても働けませんから、最低限のパンを与えなければいけないことは理解していますよ」
「批判の原因には、その最低限のパンすら足りない状況があるから、だと考えます。いかがでしょうか?」
「様々な言葉に”市場”と付けた概念があります。それらの最適解は誰が決めるでしょうか? それは聖なる神に他なりません。我々人間には把握できない大きな、人と物と金と魂の複雑な流れを把握しているのは神のみであります。今この瞬間に生まれ、消え、変換されていく万物を知れるのは神以外にありえない。
最適解は常に今、この状況です。迷い子たる我々は慈愛、節度、勤勉の考えを持って今、目の前のことに集中するしかありません。その結果は今、この状況です。
私は悪戯にこの流れに逆らうようなことは愚かであると考えます。流れは堰き止めず、むしろ押し流していく自由競争こそ国教会精神に適いましょう。これによって勤勉で才ある者がより多くの税を納めることになるでしょう。
国が潤えば潤う程人々を救えます。人々が救われ、自立すればこそまた更に多くの税が納められます。最終的には皆が生まれた時から完全に父母によって育てられ、児童労働の必要もなく教育を受けて成人し、何の悲劇も無く自立していってまた男女が健全に結ばれて子供達が誕生する、永遠に循環する社会へと至れるはずです。理想の社会でしょう。
今は過渡期と言えるでしょう。既に理想には向かっていますが、理想には遠い社会ではあります。この道程、この苦難は聖なる神に祈りつつ耐え忍んでいくしかありません。どうにもならない苦難こそ神の与えた試練以外の何物でもありません。
人が与えてくる苦難ならばどうにかできましょう。できぬならば祈り、耐えるしかありません。吹雪や大時化に対してできることは限られます。家を建て、帆を畳むことはできますがそこまでです。心が壊れぬよう神に縋るより他は無いのです。
苦難を受ける内に気の迷いが生じるでしょう。この道程が正しいことなのか分からなくなる時がきます。私も実際に分からなくなる時があります。祈っても空虚に空を切ることばかりです。ダフィドくんに批判される通りのことも常に考えています。
国教会はランマルカの国家のための教会です。中大洋辺りの、何やら暖かで豊かな国々とは違います。厳しい北海に浮かぶ小さな島々に暮らしているのが我々です。我々はランマルカ人のためだけの灯台となって人々に、たとえ弱くても灯りを指し示し続けて、荒波によって蛇行し苦労しようとも座礁だけはさせないようにと導くものです。
であるから国教会は理想の社会を目指しながら、慈愛、節度、勤勉の教えを断固として継続していくものです」
■■■
ブレントン参事会館管理者、兄弟アレシオ。
扉の外にランマルカ国旗を立てる。これはこれからブレントン通りを練り歩く人々に対する意思表示。
「すみません。人形焼きの日なのに立てるのを忘れていまして。御成婚の準備で日付が前倒しになっていたのをすっかり忘れていました」
「国教暦はオトマク暦と少しずれていますから」
「そこも中々、うっかりするところで」
旧ブレントン修道院はいわゆる聖都派、正統派修道院だった。それが国教会改革の一環で資産を没収され、今は国内に残る非国教会系信徒のための諸手続きを行うだけの会議所、事務所になって長い。かつての共同生活場だった複数の建物は民間に払い下げられている。
「発言力も無ければ、何か発言することも許されない私に何か、協力できることがあるのでしょうか?」
「兄弟アレシオはエスナル人ですね」
「そうです」
「エスナル商人との間で通訳をされていますね」
「本来は修道士なのですが、喜捨で生活を続けられる世情ではありませんので」
「昨今、糞石肥料の価格が非常に上がっていますがどのような理由がありますか?」
「戦争で船舶保険料が上がったままだからでしょう。何事も無ければ直に落ち着くでしょうけど」
「昨今、糞石肥料の価格が非常に上がっていますがどのような理由がありますか?」
「それ以上のことは……」
扉の外から祭囃子が近づく。
「昨今、糞石肥料の価格が非常に上がっていますがどのような理由がありますか?」
「……ファロン植民地上流でもペセトトと遂に接触したことでしょうか。山脈東斜面には人間の原住民が少しいた程度だったのですが、ついに西斜面から交戦が始まったそうで、単純に採掘現場が紛争地帯に組み込まれたのです。
山頂側は大層険しいそうで互いに大軍を送れるようなところではないらしいですが、小競り合いは小競り合いで大変だそうですよ」
「その情報は経済各紙、報じておりませんね」
「先程、伝手で入ってきたばかりです。私は聖職者なので売って歩くことはできませんので」
「僕はラズルゴー大学政治経済学部のドレアル・ウルキア教授の代わりに取材をしています」
『反オトマクに裁定を!』
『フラルの悪魔に厳罰を!』
『悪魔の僕に鉄槌を!』
白衣の聖皇、緋衣の枢機卿、黒衣の聖職者に修道士などなど、非国教会系聖職者達を象った巨大人形山車が通りを進行中。山車を押すのは狼頭の獣人に扮した者達の仕事。
警察が道の安全を確保しながら号笛を吹き、交通整理をしながら先導中。これら人形は祭りの最終夜に中央広場で火刑に処される、ランマルカ国教会独自の祭り。
尚、今回の祭りにはロシエ王、ユバール女王、アレオン王太子、ビプロル人、フレッテ人の人形山車は不参加であるものの、その仮装者はいる。焼かぬが茶化す。
■■■
ラズルゴーの自宅に帰宅。ドレアル・ウルキア教授は安楽椅子に座り、窓から弱い太陽光を浴びていた。五十代にして七十過ぎの老け込み。
「先生こちらです」
「良く調べて来てくれたね」
フリッシュ川を遡上している最中に、今回の取材行で得た情報を報告書にまとめた。教授に書類を提出すると、痩せて皮余りになった顔に眼鏡をかけて読み始めた。矯正してすら眉間に皺を限界まで寄せる弱視。
その間にお茶を用意してくれた、同棲の同胞女中に留守中のことを聞き取る。
肉が食べられず、他の食事も場合によっては発疹にかゆみを伴う。下痢の回数も増えていて、便秘から二、三日に一度の排便。これは出発前から相変わらず悪い。
親族に更なる体調の悪化を伝えたものの、要約すると”死んだら教えてくれ”程度の返事のみ。以前は見舞いに来ていたが、古い借家を埋める蔵書は死後、大学へ全て寄贈することになっていることが分かって以降は顔も見せない。
教授が報告書を読み終えて顔を上げる。
「……いっそ君達だけの社会であればこんなことにはならなかったかもしれないね。ダフィド、聞きなさい」
「はい先生」
「私達はこう、完璧に心身まで救われている、理想の楽園を実現する社会を作らないといけない。作るには社会全体で統一された考えで突き進む思想が必要だ。
人々は皆、利己主義に走っている。これは悪だが、そうしなければならない状況に追い込まれている。そもそもそれは自然状態では悪ですらないが、我々は文明国家に住んでいるのだ。そのような人工の悪を見据えることができる。
皆が溺れて、互いにしがみ付き合って、沈み掛ければ相手を引き沈めるようにのし上がって、そうすると足場にした相手が沈んで自分も沈む悪循環が現出している。
このままではいずれ皆、餓えて富を取り合って殺し合って、その隙に大国ロシエ、海賊エデルトの奴隷にされてしまうのではないかと思う。我々の土地は狭く貧しい。一旦増えた人口を養い切れていない。北海を”我が海”とするにはエデルトの木材資源量は膨大だ。君達を水兵の愛人にあてがってようやくだ。どうにかしている。
大陸人は我々のように妖精を愛さない。国教会と違い、彼等正統派は君達を牛馬のような家畜と見做している。美しい人の形に近ければ一層手酷いだろう。そうなれば将来、君達の暮らしもどうなるか分からない。
どうしたものか。ダフィド、少し、人間ではない君の頭で考えてみてはくれないか?」
「はい先生」
「論題が必要だな。利己主義ではないなら社会主義、個人ではなく社会全体の利益のために鉄の腕を揮う。組織的摩擦を絶無にして最大の労働生産効率を叩き出す。そんな感じで本を進めたいなぁ」
「はい先生」
「実行性が欲しいな。あわよくば実例も欲しい。断固たる意志で突き進むように。そうしなければきっと解決できない」
「はい先生」
「三冊目の続きを書こうか。書く準備をしてくれ」
「はい先生」
教授は慢性的に腫瘍、坐骨神経痛、眼病を患っていた。更に、以前に貧民街へ労働実態調査へ出かけた時に嘔吐病に感染してしまった。生存して完治したものの、そこから体重を相当に落として以来、このようにあまり動けないでいる。便所へは女中の補助付きで行ける。階段は危険なので寝室は二階から一階へ移した。
口述筆記の用意をして、教授の執務机で帳面を広げ、筆を持って向かう。
「どうぞ先生」
「まずは、ふうん? すまんが、草稿を一度最初から読み直してくれないか?」
「はい先生。では……」
*2025/12/11より第1話から加筆修正開始
進捗報告は https://x.com/sat_Buttoimars
次回第2部:番外編『大聖女ヴァルキリカ』は2026秋から冬を予定




