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ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー  作者: さっと/sat_Buttoimars
第2部:第14章『ぼくらの宇宙大元帥』

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18話「ロシエ軍」 ヴァンス

 ベーア帝冠解体の儀が執り行われる。

 場所はイェルヴィークの宮殿礼拝堂。俗事ではなく聖事である。神聖教会の論理では国王とは俗人だが皇帝は聖人である。ただの”諸王の王”ではない。

 エデルト女王マールリーヴァが、皇帝亡き状態で宣言。

「神より授かりし帝冠、今お返しします」

 帝冠の作成は勿論、ヴィルキレク一党の手腕によるもの。ただ形式上は地上の代行者たる聖皇から、神の思し召しにより授けられた物ということになっている。カラドスを聖なる王とした時の故事による。

 帝冠には宝石がちりばめられているわけだが、これは旧帝国各諸侯から一つずつ贈られた物が嵌められている。これを女王が参列者の前で外していく。

 通常、専用工具が必要なわけだが、どうも予行演習の時に女王が爪や指の腹で外せることが分かったので素手で行われている。石に無用な傷が付かないから悪いことではないわけだが。

 あれに殴られたら失神しそうだ……何を考えているのか自分は。女王が他人を拳で殴るわけがあるか。

 ここには各諸侯、揃っていない。傷病者に行方不明者、革命政府の誕生などにより身動きが取れない者がいる。代行もいるが、代行指名もされていない場合は継承順位から選ばれた血縁者がいる。

 外した宝石は財産であるので、財産を一番に受け取る権利者の手に渡る。儀式らしく無表情で受け取る者が多い中、泣いて取り落とす者もいた。

 自分はマロード陛下の付き人として式典に参加した。

 陛下が、女王から受け取って来た宝石を自分が一旦預かる。そして儀式が終わった後に本来の付き人、侍従官に手渡した。

 この小芝居には意味がある。自分は史上最大規模の横領を働いたのだ。金額では天政旧王朝の歴々には敵わないだろうが、鉄量では絶対に負けない。

 陛下に命じられた通り、陛下が命じたという事実が無いとされている中で大量の旧ベーア帝国軍管理の武器弾薬をガートルゲンに鉄道移送した。逮捕されてもおかしくはない。憲兵に囲まれ、人狼に内臓を掴まれる空想が尽きない。

 そこで陛下の侍従官という公的立場を取ることで逮捕が困難になる。今や陛下も自分もロシエ帝国臣下、容易に手が出せない外国人なのだ。王族関係となれば更に、政治的にも難しい。

 しかし旧ベーア帝国軍解体作業に一つ関わっている将官という中間存在でもある。”人目につかないところ”にいるとどうなるか分からない。まだ自分にはやることがある。公的立場を取る必要がある。

 マールリーヴァ女王の、硬貨でも曲げそうな手により、苦労することなくポチパチ鳴らして宝石が全て抜き取られていった。そして石の無くなった冠は、聖皇代行のまた代行のと、少々軍部に入り浸っていると誰か分からないフラルの高位聖職者の手に渡った。

 ベーア帝国は壮大で短く、最後は呆気なかった。


■■■


 イェルヴィークからガートルゲン行きの列車に乗った。

 マロード王の侍従官という立場で王に隣席。逮捕防止策は続いており、諜報員に聞かれたくない会話も控えている。

 年寄り二人、仕事の話もしないで隣り合う。付き合いは長い。

「ヴァンス、娘の結婚が近いらしいな」

「はい。まだ、十六になったらですが」

「これ、やろうか?」

 帝冠から外されたガートルゲンの赤いルビー。かつて人質に取ったロシエ王の身代金として支払われたもの。色硝子ばかり嵌めていた当時の冠の中で唯一本物と言われた。

「ご冗談を。釣り合いません」

「一旦ケチがついたからな……おっと、娘さんのことではないぞ」

「敵から取り戻したと考えればケチでは」

「それもそうだな」

 本物の侍従官が包みを二つと瓶を二本持って来た。

「食堂車は営業していませんでした。荷が無くなるのは茶飯事だそうで」

「まあ、毒でも盛られたらかなわん。丁度いい」

 それぞれ膝の上に鞄を置いて、卓にして食べることになった。

 侍従官が切った黒パン、バター、そして瓶ビールを出す。

「ビール! はっはぁ、良く手に入ったな。禁令で飲み干したかと思ってたぞ」

 本物の侍従官が見ている中、仮の侍従官なので主人の前で遠慮せず食べる。


■■■


 ガートルゲンにある実家に一度戻った。とは言っても持って来た二つの手荷物鞄を一つ置いていくくらいの心算だった。

 少し面倒な事がある。進展具合によってはもっと面倒。もう少し名家として大きければ執事にでも仕事を投げておくのだが、我が家では年契約更新で置いている程度なのであまり大事は任せられない。

 居間にて自分は椅子に座り、横に妻ヘルザが立つ。正面に立っている四名を見る。自分の視点からは分類が難しい。あえてしない。

「お父様、妻と、子供達です。名前は……」

 ジェムスが勝手に結婚したと宣言している農民女と連れ子三名の紹介。名前に興味は無い。代々の農民らしく身体が小さい。子供等は痩せていて歳が良く分からない。そして大人しくしているなりに態度は卑屈。

 エデルトでは既に農民でもそこそこ良い暮らしをしているが、そこの女子供達は時代が数世代下がった感じである。農奴という程酷くは無いが、丈の合っていない衣服の肘や膝にある継ぎ目が無数。靴も現代構造ではない、いわゆる”足ぶくろ”。

「別れるか廃嫡か選べ」

「別れません!」

 凍傷で傷だらけになって男振りは上がったようだ。前はもっと、自分の意見が無かった。

「では廃嫡だ。財産分与はしない。フェンドック姓も使わせない。その一家の姓を名乗るか新しく作ればいい。次の住居が決まるまで離れに住むことは許す。本宅には入るな。期限は一年、それまでにどうにかしろ。ヘルザ、ここと家名は最終的にコラニクの分家に譲るよう手配しておいてくれ」

「分かりました」

 娘は嫁いで家を出る。この”お家”は親戚に譲ってフェンドック家は残す。名を消すことは自分の責任では出来ない。

 このように指示は出すが、明後日にはフラルへ経つので忙しい。実際の作業はヘルザに任せ切りになる。

 結局、婦人決死隊は戦わずに戦争は終わった……それで良かったと思う。死ぬ役目はやはり男のものだ。

「後は任せた。帝国連邦の軍務長官は執務中に死んだらしい。私もそれぐらいはせねば申し訳が立たん。フラル戦線を立て直しにいく」

「真似する必要が?」

「事務屋にも名誉がある」

「失礼しました」


■■■


 実家で特に面白いことはなかった。先祖の墓に参ったら苔が少し生えていたぐらい。戦争で皆、忙しくて余裕が無かった。

 それから農民達がおかしな泣き落としをしてきたら面倒臭いと思っていたが何も無かった。

 登殿してマロード王に面会する。執務室にはビールが五種類くらい並んでいて、陛下は比べて飲んでおられる。陸相の時は酒造禁止令の模範を示すとか何とかで飲めなかったのだろうか。

「旧ベーアの軍事遺産の集積ご苦労と、やっとこれが言える我が家まで来れたな。逮捕されないかと冷や冷やしたな」

「はい。流石に」

 人狼兵が陰に潜んでいないかとか、壁や天井を突き破って来ないかと良く空想していた。

「国軍とフラルへの派遣隊の編制はこちらでやる。陸相の時に結構引き抜いていたんだ。君に鍛えられた者達も結構いるぞ、気付いていたかね?」

「正式な人事以外は把握していません」

「それもそうだ。君は先にフラルへ行って事務所を構えに行ってくれ」

 紹介状と、列車の指定席切符、新しい大将の階級章と勲章各種が並んだ盆が差し出される。

「ギローリャ市のロシエ陸軍司令部に出頭して指示を仰いでくれ、フェンドック大将。流石に元帥号までやっては先方に申し訳ない。あちらの現場最高指揮官はラープ・リノー元帥という。私はあまり聞いた名前じゃないな」

「ユバールの旧王国軍出身ですね。確か、鉄兜党員。ロシエ内戦以降現代戦と理術兵器の研究論文を良く出しています。実戦指揮の人ではありません。ただ、そんなに階級は高くなかったかと。覚えでは技術系の大佐だったはず」

「鉄兜党員に高級将校が少ないから無理に上げられたかな」

「組織論理がベーアと違いますね。あの宰相も元は売官でのし上がったんですから。ロシエのやり方に馴染むには時間が掛かりそうです」

「全くだ。それと似たような話がこの切符にもあるぞ。以前までなら階級章が代わりになっていたが管理会社が変わってな。ベーアでは公営だったが、ロシエでは半官半民。持ち株の過半が国で、運営は民間だそうだ。それで管理上切符は軍人でも自費か、領収書を貰った後で会計に提出するという手順になっている。もしくはこのように事前に発行して貰う、ということになる。政党だけではなく組合も強いぞ、新しい祖国は。慣れたまえ」

 民間運営ということは採算重視の論理も? 不採算路線は廃線にしていくということも許容しているのか? 路線が営利で変更ということもあるかもしれないのか?

 ……慣れないと理解出来そうにないな。そのような手間のかかる論理が幾重に重なっているのがロシエの常態ということで間違いなさそうだ。

 臣下になったからと言って国内の制度全てをあちらから、一から百まで教えてくれるわけではない。

 我々は既にロシエ軍の一翼。”本国”に合わせなければ。


■■■


 次にガートルゲン陸軍の軍政局へ移動して現状を確認。

 また完璧ではなさそうだが、これから同じ陸軍として働く以上は、ロシエ中央から資料が送られてきている。それに加えて、ベーア帝国以前からの情報部の解釈もある。

 ロシエの中央政府からの要請で再動員するかは別として、続々と帰国しつつある徴集兵は家へ帰すことになっている。また職業軍人でも傷病兵に古参兵と呼べる者も休養、予備役入り、退職も認めている。疲れている者達からは新たな従軍など冗談ではないと、噂話が一つ流れた時点で抗議殺到。座り込み、落書き、投石、色々。

 末端から上層部まで厭戦気分に満ちている。「フェンドック将軍も一緒に抗議しましょう!」と何度も誘われた。

 軍事革命でも起こったらロシエ軍に鎮圧を要請しなくてはいけないのか?

 派遣兵は志願者から募るしかなく、高給で釣るしかない。数が揃うまで時間が掛かりそうだ。志願兵以外も送れと、ロシエ中央に強要されるのも何時頃になるか?

 編制された派遣隊は一度ロシエに送られ、新しい指揮系統に慣れる訓練を行うことになっている。ロシエ語に精通する将校、通訳官を育成するのが最重要目的。日常会話以上に軍事用語を交えての会話が、緊張感に切迫感がある上で出来なければならない。

 横領で集めた兵器だけは先に送れる状態である。ガートルゲンとしての補給司令部の開設は急がなければならない。管理しないで、いい加減に駅かその辺の野原に積まれて略奪されてはかなわない。

 現地フラルの情勢。聖皇聖府主導の統一フラルは、半島北西部のシェルヴェンタ辺境伯国、アネモン大司教領、ギローリャ=ヴァリアグリ王国の上下パルナッテ部、ビオウルロン諸邦を残し、ビオウルロン山脈の山岳防衛線で持ち応えている。内陸路の要衝であるカトロレオ峠は陥落しておらず、沿岸路は強力な海軍が存在し、敵軍の突破を許さない。

 だが統一フラル軍自体は末端からの崩壊が始まってしばらく経つ。ロシエ軍がいなければ既に消滅している程度には酷い。脱走、離反が相次いでいる。

 第十六聖女ヴァルキリカの豪腕で無理にまとめられたフラル兵達には、ベーア思想のような統一するものがない。フラル概念にはその力が無い。エグセン人以上に諸邦諸都市が愛する故郷であって、他所は歴史的には争って来た宿敵である。

 北西部の四地域人以外は全て、故郷を魔王のフラル解放軍に抑えられている。フラル人男性の多くが帝国連邦軍によって虐殺されたわけだが、そのせいで多くの畑や仕事が余っている。そこでフラル解放軍では、

 ”ロシエの尖兵になる必要は無い。故郷に戻って普通の仕事をしろ”。

 ”家族が心配している、君達の男手を欲しがっている”。

 ”女達も夫を失って本当に男が足りない”。

 ”フラル解放政府は家に畑や仕事、結婚相手を紹介することが出来る”。

 という広報活動を行っている。いつの間にかこのような宣伝紙が挿絵付きであちこち、街頭から塹壕まで張り出されるらしい。

 脱走、離反が相次ぐ理由はこれで十分過ぎるくらいだろう。皆、戦争を嫌がっている。英雄譚や冒険話で語るには死に過ぎた。

 ロシエ本国軍は信頼出来ようが、フラル兵は前線で突如裏切るので信用できないという評判になっている。難民も多く、軍と民、双方から秩序が抜ける傾向。

 例外としてはフラル解放軍に占領されていない四地域人の兵は士気が高いものの、全体の傾向を示すものではない。彼等は彼等で歩いて帰れる故郷に逃げ込み、家族が隠す。手や足の骨を折って従軍を拒否することも珍しくない。

 最近ではめっきり水上都市による沿岸攻撃をしなくなったペセトト軍だが、温かいフラル半島方面にはまだ大量に存在している。以前は死ぬことが目的のように突撃を繰り返していたが、今では民族服とも呼べぬ衣装を改め、文明兵士として統率されているとのこと。冬を越せないと言われたあの妖精共も、今では冬服を着て越冬するらしい。冬の山岳戦で姿を見せている。

 事実関係は不明だが、亡命したエデルト軍関係者がまとまりの無かったペセトト兵を集めて組織化しているという話もある。対帝国連邦戦中は旧帝国諸邦の団結にひびを入れるものとして情報統制されていたが、少しずつ出て来た。

 これくらいの情報だけでも現地は、志願兵でなければ規律が保てないように感じる。きっと悪い誘惑が無数にある。

 もう一つ、南エグセン連邦なるロシエとセレードの合作国家がフラル解放軍ではない、別系統の魔王軍と国境紛争中という情報について。相手は南大陸系軍閥であるということが発覚したらしい。敵が同じではなく、共同戦線ではないらしい? とも。まだ詳細不明。

 帝冠解体前後にもう情勢がおかしくなっている。政策の決定が早過ぎやしないか?


■■■


 バルマン経由、アネモン大司教領を通る山岳鉄道に乗ってギローリャ=ヴァリアグリ王国の都、ギローリャ市に入った。

 かつてはウルロン山脈縦断経路など、迂回して現南エグセン連邦を通らなければいけない難所だったが、開発により直通と言える程に道程は楽だった。

 我がガートルゲン王国は、ロシエ帝国内は勿論新参で、主君マロード・フッセン王も中央同盟戦争での成り上がり者であり、王族としても新参。王国号を背負っても中々、我々の影は薄い。

 旧ベーアから持参した大量の土産を、現物として見せてからじゃないと歯牙にもかけられないといった雰囲気だった。銃を持って戦う派遣隊、一名も到着していない状況では更に視線は冷たかった。

 ラープ・リノー元帥と面会した。いわゆる旧王国的ロシエ貴族のような小洒落た会話など一切しない型の叩き上げ親父で、鉄兜党員としての証か常に鉄帽を被っていた。こちらが持ち込める武器弾薬量にだけ興味を示していた以外には「フェンドック将軍はこちらが出す書類に署名だけしていればいい」とのこと。

 我々はもうロシエ軍である。外国からやってきた義勇兵ではない。リノー元帥が発行する命令文書には、余程のことが無い限り抗議などしない。ガートルゲンの、まだ環境になれていない将兵達のため、納得感を演出するため、自分が命令を発行しているという形は取る。盲署名も仕事の一つ。

 聖皇聖府の代表代行とされる姉妹イヨフェネとも面会した。随分と人当たりが良いというか、子供に人気がありそうな女性であったが、有事の指導者としてはどうしても頼りない。本当に臨時も臨時で、人員の払底、聖都襲撃の悲惨さが窺える。人を選んでいる場合では無かったのだろう。また背中に翼が生えていて、飛べるわけでもないらしい。天使も名折れ。

 エスナル戦線にいる、実績のあるモズロー元帥と聖戦の象徴エンブリオ枢機卿の組み合わせと比べると見劣りがする。奇才ランスロウ元帥の喪失は相当に痛かったのではないか?

 その後、我々ガートルゲン軍に少し遅れてやってきたナスランデンとザーンの派遣将校等を出迎え、割り当てられた新しい事務所に迎える。

 我々新参三国は、当面の間は一か国のように行動を共にする。単純な話、ロシエ式装備とベーア式装備は規格が違うので、当然ながら混ぜて使うと戦闘効率が著しく下がってしまう。当面の間はベーア式軍として、ロシエ軍中で肩を並べる。

 我々ベーア式軍は、保有しているベーア式装備が枯渇するその時まで補給組織を一元化したままフラルの戦場を戦い抜く。お互いに仕事の仕方も、言語も問題無い。

 ここでも懸念がある。ザーン連邦では共和党員と鉄兜党員が独立するかロシエ帝国に加わるかという闘争があって、軍部の支持を得た鉄兜党員が共和党員を一気に虐殺して前時代的に街頭に吊り下げて早期に政治的混乱を収束させたという事件があったらしい。

 終戦時の混乱で、しかも属国扱いとはいえベーア帝国外のことで注目していなかった。”そんなことよりも”ということがあり過ぎた。

 一気に始末をつけたというところが気になる。徹底的に粛清したわけではないということだろう。可能性として、粛清対象の共和党員残党を兵士に仕立ててこちらへ追放してくること。絶対に士気が低い。横領に反抗、現地住民への暴行は有り得る。

 ナスランデンもザーンも所詮は賊上がり。何をしでかすか。


■■■


 あまりしない行動なのだが、ギローリャ市を散歩する。現地がどういうところか知らなくて良いわけが無かった。先行偵察の任も負っていると考えれば。

 ここにはガートルゲン兵が、一時でも駐屯する可能性がある。すぐに前線へ飛ぶだろうが二泊三日くらいは装備の受け取りで留まるだろう。

 連れて来た部下達にも言ってあるが、日常行動ついでに現地の風俗、衛生状況を調べて共有して欲しいと言っておいてある。

 戦前でも慣れぬ南国風俗は知っておいて損は無いが、戦時の荒れた状態では尚更。

 昼にざっと見ただけで分かった異常は数える程度。あるだけで悪いが。

 街路を飛び交うのはフラル語なのだが、各地方の方言が混ざって猥雑としている。

 徒党を組んでいる子供達の目がギラついているし、大人が殴ったり蹴っても大事にならない。

 手足の無い一般市民が物乞いをやっている。兵士にはその点で手当てがあって似た姿を全く見ないが、そうでなければ放置しているようだ。

 宿屋、酒場等の店番を小銃を担いだ兵士がやっている。歩哨のように立直ではなく、入る客を選ぶ権利を持っている。

 露天に並んでいる商品が、型番を削った明らかな横領品。食糧、薬品、衛生用品。武器弾薬は裏でやっています、という雰囲気が消せていない。憲兵の巡邏があると一斉に店が消える。

 銃声が時々聞こえて来るが、皆は大きな反応をしない。爆弾の時は流石に騒ぎになるが悲鳴は少ない。「誰だようるせえ!」という反応がある。

 散歩しながら仕事の不安が浮かぶ。ここは前線のカトロレオ峠ではなく、後方の補給拠点ギローリャ市。後方地域の方が、危機が目前に無く弛緩することもあるわけだが。

 ベーアではあり得なかったような面倒事がロシエではあり得る。多少は事務仕事をしただけで感じる。

 労働者の立場が革命政府を経由したせいで強い。各職業に組合が強く関係している。

 戦時なので昼夜を問わない労働体制が組まれているが、労働時間と休憩時間と輪番制は厳守されている。言い分は”労働者の過労での喪失は長期的に国家的損失”。分かる話ではある。

 鉄道組合については先に自分も一端を味わった。マロード王に言われた通り、階級章じゃなくて切符が無ければ列車に乗れなかったのは、旧ベーア将校である我々全員が経験したこと。

 鉄道計画が立て辛い。まず人を動かすためには切符や定期券を人数分確保しなければならない。兵士や武器輸送の純粋な軍用車両の場合は不要だが、我々がアネモン大司教領を渡って来たような民間人も乗る車両では必須。

 各現場の労働者の交代時間、休憩時間、食事時間を計算しないと計画が破綻とまで言わないが、時刻通りに進まず確実に遅れる。

 更に残業手当の支給を会計に認めて貰ったり、その手当金額自体に割り当て、上限があってそこに配慮しないと労働者を、組合を動かせない。

 遅れるような計画を提出すると抗議が来る。事前に来るならまだしも計画が動いている最中に来たら最悪と言って良い。また訂正という書類手続きを取ると計画承認が遅れる。司令部に書類を提出する際、鉄道局を代表に関係各部からの署名が必要になるので手続きが煩雑。

 それから署名が必要なように、旧ベーアでは電信一つ打てば済むようなことにも書類が必要になっているし、基本的に全部局一致がされないと命令が有効にならない。

 それから各種組合の主張や利害を訴える新聞が発行されているのだが、これを読んでいないと計画提出のための”流行”が掴めなくなる。

 流行とは待遇改善を求める組合活動とか、指導者選挙で意思決定が麻痺状態だとか、とにかく異界の生業。

 軍人が銃後の組合員の顔色を窺わなければならないことは良く分からされた。

 今は行方不明のランスロウ元帥の独立戦略機動軍のような、ネーネト宰相を通じて皇帝勅命を受けている特務軍は、特別予算が割かれて事務処理が一括されているのでそのような手間は無かったらしい。

 特務軍としての適応がガートルゲン派遣隊にも適応されるか資料を取り寄せて検討したが無理だろうと結論。

 ”外洋を跨いで連絡が長期途絶する前提であるが故に”という文言が、独立戦略機動軍の運営方針に大きく関わっていた。

 もし適応させるとしたら特措法を国会に提出、承認という段取りがいる。マロード王にはこの件は打電済み。”旧ベーアとロシエの方式は外洋を隔てるがごとく非効率である”と。相当、嫌な顔をしているはず。

 ある組合の宣言によれば”軍自治などという世迷言は粉砕すべき思想である。国家枢軸を裂いてまた内戦を呼ぶ悪しき行い”とのこと。

 ロシエ内部の動向も窺わなければならないとは。勤務に忠実でありたいだけなのに雑音が耳元を舞っている。特措法の件は本当に、マロード王に頑張って貰いたい。

 更に一件、ロシエ革命内戦中に発生しては悪しき存在と言われた兵士組合なる存在だが、長期線による疲弊、不安から設立承認の方向に向かっていると、各組合報からその存在が報じられている。

 嘘の無い休暇制度、代休制度、残業や傷病手当、遺族年金などなどの確約。反故となれば兵士にも怠業の権利があって、無謀な命令には民主的に抗議して取り消させるなどと。

 これが労働者の権利を守る革命思想か? こんなもの、人の心の無い妖精共にしか運営出来ないのではないか?

 ネーネト宰相は良くこれで君主を損なわないで政権を作って守れたな。全ては強権と鉄兜党の圧力のおかげか?

 勉強すべきことは歳を取っても増え続けるものだが、よもや組合に党政治が教養として必要になるとは想像していなかった。

 派遣前のマロード陛下からも言及はここまでは無かった。ご自身も些事だと思っていたのかもしれない。表面上はオーサンマリンの中央政府が上手くやっているように見えていた。

 雑感だが鉄兜党に入ると色々と、面倒事が省ける気がする。代わりに別件を背負い込むことになるだろう。

 ガートルゲン国民にも鉄兜党員が増えてきそうだ。ここでも、兵士でも無いのに鉄帽を被っている民間人が見られる。

 懐中時計を見るとそろそろ礼拝の時間である。熱心ではないが貴族の務めとしては、忙しく無ければ祈りは捧げている。

 家屋より高い、礼拝呼びかけの尖塔を目印に近くの寺院へ行ってみる。

 道中、小さな修道女達が屯っているのが見えた。行儀が悪く、階段に足を広げて座っていたり、煙草を吸って、笑い方が下品。こう、誰かを嘲笑する話題が尽きない様子。十歳ぐらい?

 その脇で、いかにも少年訓練兵といった者達と、もう少し年嵩で十二歳くらいの少し大きな修道女達が絡んでいる。会話は耳元、少年は耳が赤い。卓の上には醸造元も分からない無地の酒瓶。

「地元に好きな人っているの?」

 など言われて腰砕けになって、理性を失った状態で金を手渡しては路地裏へ消える。

「男って馬鹿ね。嫌いじゃないけど」

 ままごとにも見える未成年同士の売春など関わることではないと目を逸らしていたが、そんな声が聞こえる方へ振り返ってしまった。

 元締め風のこれまた修道女で、年頃は我が娘とほぼ同じ。十五歳? この中では年長。

 目が合う。からかう? 値踏み? 営業の笑顔? 子供がそんな目をするんじゃない。

「おじ様、内緒よ、内緒」

 人差し指を唇に当てながら、この手に押し付けてきたのは切り取り線が付いた十一枚つづりの回数券で割り印入り。手書きだが一応、定規を使って描いてあるのは分かる。

「何だねこれは」

「ふふふ、やっだ、ねえ?」

 この界隈ではこれは常識、という顔だ。相手をして良いことはないが、ガートルゲンの我らが同胞兵士達への注意事項は増えた。

 彼等はきっと命を懸けている。もう、身体と心はともかく大人にされている。

 あまり面白い光景ではなかった。喫茶店にでも寄ろうかと、治安の良さそうな店は無いかと看板、佇まい、屯する人間を見分けた。爺さんが軒先で椅子に、何するでもなく座っている家が向かいにある店が良かろうと、入ろうと思った。

 硝子窓越し、堂々とセレード民族衣装を着た女性が帽子掛けに引っかけた三角帽を手に取って退店。

 女性はその帽子を被らず、既に金色の毛皮帽子を被っている。何だ?

 目が合う。何か、確実に見透かされた。

「失礼、道を塞いでしまった」

 道を譲る。しかし何も言わないし、目礼などもしない。こちらを視線で追って見たまま足を止めている。

「知り合いではないと思うが」

 まだこちらを見たままで不思議な目付き。面倒事が起きる前に立ち去るか。

「お姉さまだ!」

 先程の不良修道女達が『わー!』と集まって来た。あれに囲まれるのは嫌なので、立ち去ろうと背を向けるとそのお姉さまと呼ばれる、セレード女性に袖を掴まれた。逃げられず、少女達に囲まれる。

 拳銃を取り出す相手ではないが……集団スリってどう対応すれば良かったか? 思いつかない。

「このおっさんどうにかするの?」

 やっとセレード女性が「礼拝の時間」と喋ると修道女達が『はーい!』と言ってえらく素直に解散した。また、自分に回数券を押し付けて来た年長だけは袖が引かれて留められる。

「お姉さま?」

「これで好きなことしておいで」

 年長に硬貨で膨らんだ重たい財布が渡された。

「大好き!」

 二人は別れのような抱擁を交わす。自分はこれを見せられて何か、何かするべきなのか?

「それで、私に何か用なのか? 何も無いなら離して欲しいが」

 一度、その手の三角帽で顔を煽がれた。鼻から脳へ、眩暈、死臭? 悪臭というには違うが。

「ベルリク=カラバザルに勝ちたければ主は選ばないこと」

「何だと?」

 聞き捨てが無さ過ぎる。

 年長がお姉さまとやらの背後に回って、その肩に顎を乗せて言う。

「お姉さまって凄いのよ。”先見”が使えるの。ねー」

「時間」


  聖なる神の祝福あれ

  聖なる神の祝福あれ

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖オトマクからの信仰を貫く

  聖オトマクからの信仰を貫く

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  篤き正しき信者こそ招かれん

  篤き正しき信者こそ招かれん

  教会の扉は開かれた

  教会の扉は開かれた

  聖なる教えを私は今日も信じる


 礼拝の呼びかけ。寺院の尖塔から喉自慢が声を張り上げる。懐中時計を確認、時刻は勿論正確。

 尖塔へ目線をやっていた隙に、袖を掴んでいた手の主はもういなくなっていた。年長の修道女は、座っていた老人を介護するよう、共に道へ跪いて祈りの姿勢を取っていた。

 魔女に化かされた?


■■■


 ロシエとフラルにどのような部隊が存在するかを見るためには出征式に参加すると良い。新着の、出戻り再編の部隊がギローリャ市の大通りを行進して、棚の生花も尽きたか、花弁も小さな野花を観衆が投げて散らす中で戦場へ向かう。

 中でも異彩を放ったのは聖科学医療修道会の出陣式だった。

 防毒覆面を頭上に被って顔を晒す修道女達が医療鞄、担架、瓦礫撤去の工具を担いで行進。修道士、男達は既に前線で多くの死傷者を、払底するぐらい出している。

 まるで、いや婦人決死隊そのもの。彼女達は前線、弾雨に瓦斯雲の中だろうと救命のために突撃する。聖なる神に誓願し、結婚出来ない女は女ではないという扱い。

 不良修道女達が隊列に「ロサーヌ!」と名を呼びながら駆け寄って行進速度に合わせて進み、一人が己の口で煙草に火を点け、出征するあの回数券の彼女に咥えさせた。

 本当にこんなことが許されて良いのか?

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― 新着の感想 ―
金色の毛皮帽子ってヴァルキリカと三角帽の2つの特級呪物保持者なのね。リュハンナは。べるべるを討ち取る最重要キーマンになるのかな?
ベルリクの三角帽はリュハンナの所にたどり着いたのか。 帽子の持ち主の資格が無い者を何人呪い殺したんでしょうね。 「先見」ってシアドレク公のような魔術的な物じゃないですよね? 蒼天の神の目みたいなもの…
外からは鉄の塊に見えるロシエも内情は継ぎ接ぎしてボルトで無理やり止めてるだけか… 独立戦略機動軍はかなり例外的な運用だったんですね
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