13話「力は天下に」 ベルリク
秋に起きた霊山での暗殺未遂事件以降、自分と護衛百騎、イスパルタス班五名、ジールト班四名、同志ピエターはヤンルー都内に留まっている。
自分だけは宮中にいて、客室で寝泊りをし、下女達の食堂で飯を食う立場で軟禁中。不便は無い。
他の者達は壁内の指定宿泊所以外で寝泊りは出来ないが、日中は壁外で馬を走らせることが許可されている。
暇もあまりしていない。日課の義手義足に慣れるための運動は時間が掛かるし、眺める庭園も異常で面白い。仲良くなった下女達と雑談するのも良いし、同志ピエターは遊んでいても見ていても可愛い。公安号は未だにモフモフ出来ていないが追いかけると逃げるのが楽しい。
それから、害無しと見られたか連絡役という名目でジールト班は宮中に出入りする権利を得ている。帝国連邦からの報告を持って来るのが仕事。
「では歌います。僕達私達ブットイマルス……」
ブットイ、僕達のブットイマルス
母の作った肉団子鍋
ああマトラの山で培ったデッカイアレス
いっぱいの毎日を過ごしてきたね
かけっこに給食、労働党宣言
雪合戦に押しくら、英雄語録
射撃演習の前の……革命軍野外教令
ブットイ、私達のブットイマルス
大元帥の金ぴか銅像……デカい
おちゃんけぴろぴで、にゃんぷーにゃんぷー
僕達、私達のブットイマルス
動物さんのお顔が笑っているね
雪が解けたら労農、軍務……初年生
歌うのは趣味らしい。
ジールトの息子のにおいを嗅ぎながらこの、へんちくりん郷愁歌謡を聞くのも面白い。公安号が触れないので代わりに犬頭のメハレムの耳を触ったり。アーラの新大陸話も面白かった。あっちには渡っていないから耳新しいことが多い。
それから子育て話。”面倒臭ぇのは全部親父とか親戚とか女の方にぶん投げるんだよ!”と叔父のトクバザルが生前語っていたと言ったらアーラは「偉い人はそうですね」と言ってジールトの尻を蹴飛ばしていた。個人差はあるだろうが、女は不満を溜めるらしい。
破廉恥館の鑑賞だけではなく、主のいなくなったレン・セジンの部屋にある破廉恥絵も見れた。修正中の未発表作品、描きかけ、引き裂かれた物。裸婦画だとか、非実在人物の証に胸をはだけている女性画だとかは西にもあるが、そんな俗品ばかりではない逸品揃い。
修正中の絵も裸婦ではなく裸夫、それも逞しい筋骨隆々で――中には毛深い――巨根の男臭い男をどこまで美しく描けるかという物もあった。美少年を愛でる文化は世界に広くて絵も残されているが、これは絵画界に革新を与えそうだった。
事件をもう少し遅らせていれば! そう想像してしまう。
秋から冬に変わっていく風景を見るのも良かった。今の冠雪は薄っすら。石のような冷たいところに残り、木のような冷え辛いところでは解けた程度。
霊山風の庭園は土が赤い。同志ピエターが言うには辰砂、硫化水銀ではなく単純に鉄分が多い土で毒性は無いという。
天政では割と最近ぐらいまで、普通の薬ではない霊薬というまじない薬に水銀を用いると言うものがあった。それか? と思っていたので安心した。
ただし、地上で生育しない龍道特有の草花が生えているので、土も含めて間違っても口にしない方が良いとのこと。冬枯れしない種類もあって面白いが、楽しむのは見た目まで。
それから奇妙な、見たことのあるような無いような樹木、盆栽もある。これは北征巡撫サウ・ツェンリーの方術園芸で、知らぬ果実も、知っている果実が同じ株から複数実っている個体も多くある。中には防虫性に特化させて毒性を結果的に帯びている物もあるという。また落ちて腐って勝手に繁殖すると困るということで担当の下女が果実を採取して分類、冬を前に、霜が降りる前に終えていた。
秋の内に、北征巡撫に”これ食っていい?”と聞いたら”止めて下さい”と怒られたこともある。試験作物に手を出すのは悪いことだ。同じ品種で代を重ねたり、交雑させて新種にしたり、研究は遠大である。
悪童シゲヒロに話を聞いたら”林檎かと思って盗み食いしたら渋柿百倍みたいなヤツで引っ繰り返りましたよ”とも”腹で死なない種があって、うんこに白芽が生えてた時はゾっとしましたね”とも言っていた。こわっ。
秋の内にシゲヒロと嫁の金蓮郡主は宮中から消えた。
嫁の方は”シャンルくんを返して!”とか言っていた。
”ソルヒンが独断でやったことだしなぁ”と言ったら”ぐぬぬ”と唸っていた。
会話というか抗議くらいしか聞かなかったが、素直で良い子だということは分かった。反射的に手を出すような暴力性も無い。龍面の癖に表情が読みやすい。政治家には向いてないだろうな。
爆風で破片があちこち、一部は頭蓋骨に刺さってあの場では失神したシゲヒロは早期に体調を取り戻した。自分を庇って黒龍公主閥に逆らったように見えたが”ムカつくけどあいつは放っとけないんですよ”と金蓮郡主の傍から離れなかった。
人龍夫婦は龍道に、宮中にいた龍人と霊獣達と共に消えた。消えた理由は不明だが――作業中の金蓮に聞いてみたらプイっと無視――緊急時の手順と分かるような段取りの良さがあった。
ヤンルー内に拘わらず、オウレン盆地と南北の両碧道に禁軍として配備されていた龍人将官に龍人兵と霊獣は全て装備や物資と共に地上から消え去った。うんこと足跡ぐらいしか残っていない。うんこは霊薬として流通しているとか、いないとか。
制止する者は行政府にも禁軍内にもいなかったそうで、今残された常人将兵達は中核を失って指揮系統が軽く乱れたままである。人民より自身の混乱も防ぐためか非常事態宣言を出してオウレン盆地内で戒厳令を発したままでいる。我々の軟禁――保護でもある――の理由はこれ。
大量の龍人と霊獣達が通ったとされる巨岩とその物陰――理由不明――を用いた謎の出入口の全特定は困難らしい。まず常人将兵等は把握していない。自然物か人工物か見分けがつかない。足跡や轍は残るが秋雨と方術の隠蔽によって追跡は難しくなっている。
残された禁軍の、繰り上げで司令官となった常人、フェー・フォジュウ将軍はレン朝支持に明確に回ったサウ・ツェンリーにも”従いかねる”という態度を崩していない。ソルヒン帝を認めるかは保留としている。
死んでも蘇るレン・セジン、行方不明なだけで死亡が確定していない黒龍公主、武官としては北征巡撫より格上の南覇巡撫の宣言次第で態度を変えると言っているようなもの。
司令官としては、常人将兵達の身の安全が保障されていない限りは厳戒態勢を解くわけにはいかないだろう。四巡撫軍いずれとも交戦したくはない。天政最高意思の指揮には従うが北征巡撫一人の言葉には従いかねる。他の三名からイェンベン政権に従うようにと言われない限り動けないという立場を、まずは取る。
それと言説は出されていないが、ヤンルーの禁軍とイェンベンの禁軍――回天軍五十万とイェンベンの首都警備隊が相当――は並立するのか、合併するのか、したらどうなるのかなど不安な要素が多いだろう。自己保身を悪とするのは簡単だが、身内の生命財産を守るために意地を張るのは当たり前。歴史を辿れば軍丸ごと粛清、抹殺流罪に財産没収から奴隷落ちなどと良くあること。懲罰的に無茶な遠征に出される裁兵も辛い話。
サウ・ツェンリーはこの禁軍の意見をまとめ、龍道沿いにイェンベンへ飛んで調整に向かい、ヤンルーには不在である。良く働く文官の鑑。在中時は夜の灯りを消すこともなかった。本当に不眠らしい。
禁軍が動くまで各軍は待機及び準備状態である。小競り合いを含めて武力衝突は陸上と海上で確認されず。
回天軍も黒軍もジン江沿岸から離れて待機。
北征軍は事実上イェンベン政権に寝返ったわけだがこれもまた待機中。
西克軍は北征軍に追従すると思われるが動き無し。
そして海上で偵察行動に出ていたファスラから報告が送られて来た。
南覇軍は、東海艦隊まで含めて通常運行に見える。
東護軍は動員を掛け、民間船徴用も進めてサイシン半島防衛を強化。アマナ駐留軍の引き上げに加えて傭兵の募集も始めているという。
またアマナには流言飛語を広めてきたという。”東護軍は単独で勝てるだけの力が無い””オン・グジンは不利となれば殉死名目に自害して責任を放棄する””レン朝との関係修復には東護軍との協力拒否が第一歩”という趣旨で難しい言葉、簡単な言葉を種々交えて。
以後、東タルメシャ海を中心に南覇軍の動向を探る、とのこと。
さて、ヤンルーと言えば他にも顔を合わせる人物がいる。
懐かしの恩師、ザリュッケンバーク中将、先生。ベーア軍事顧問団の長。もう八十歳にはなろうという老体だが矍鑠としている。
天政軍へ軍事指導する立場からそれなりの兵数と兵器を保有しているが、一応は大人しくしている。こちらからも危害は加えていない。
北征軍の寝返りが急過ぎて逃走に失敗したのだ。趨勢が決定されていないので宙ぶらりんというところ。
禁軍による戒厳令も含めて多大な緊張状態にある。意志疎通を図っておくに越したことはなく、あちらからお茶の誘いが度々ある。
衣食住に苦労していないか、という話題は秋の内に喋るネタも無くなるぐらいには話し合っている。
一番の憂慮は、趨勢が決定的になった時にベーア将兵達が民衆から敵と見做されて略奪暴行の憂き目に遭わないかというのが目下の懸念だろう。それに抵抗して発砲となれば治安維持のために、戦略的価値の無いただの殺し合いに発展する。
この憂慮は、フェー将軍とも話し合って対処済み。ヤンルー郊外の軍事顧問団駐屯地に総員集合させて民間人から隔離。
もう一つの憂慮。
「ラーズレク殿下のご容態は」
「晴れの日に上体を起こせる程度には」
龍朝に、新型高速巡洋艦による極西極東周航記録を見せてやると息巻き、この海軍技術提供の見返りに更なる支援を引き出そうという作戦に挑んだおかげでご老体は体調を崩している。リャンワン市入港まで寄港休暇をどれだけ省いたことだろうか? 航海日誌を見せて貰いたい。
「うちの鉄道を使えば直通で故郷に戻れるでしょう」
「ご配慮感謝するが」
鉄道列車の方が早いと言ったのは嫌味の心算ではないが。
帝国連邦軍とベーア軍は全線で激戦中。一応、セレードとハリキ国境では睨み合いに終始しているので安全に送ることが出来るが、冬も厳しくなる中であんな北極の僻地へ送っては体力の消耗が著し過ぎる。もちろん、要人を送るために停戦なんかする状況ではない。
イスタメルからフラル経由で、ウルロン山脈中央を縦断する経路が取れれば安全だろうか? フラル解放軍が応じてくれればの話だが。それ以外の経路は病人に厳しい。
「続報がありまして……」
内務長官ジルマリアより”ベーア破壊はベーア呼称の棄却、帝国解体の方向で停戦交渉進行中”と報告を受けている。もう終戦工作に入っている、というのは機密で明かさないが。
こういう時は第三国の情報が中立的。合併や条約が進んであまり第三というのも無いが、マインベルト発行の新聞を見せる。こちらは鉄道を通じて送って貰えるので海上頼りのベーア軍人より情報が早い。
「……カチビア戦線にて義勇兵軍およびゼーベ軍集団の降伏が確認されました。こちらが包囲してから、ヤガロ兵解放を条件に身体身分を保証して人道的に捕虜にするという交換条件で、ですね。マインベルト国内で預かり、物資はこちらから出すという扱いで、一安心ですね。この写真は……収容所かな?」
こちらは公開情報。大規模地雷爆破の後、カチビア正面は第一予備軍集団が押し、後背にナルクス分遣師団が回り、敵弾薬集積所はシルヴ総統の術砲撃で尽く破壊。そして軍内のヤガロ兵反乱、あちこちにいる民衆の暴動や破壊工作を受けての降伏。更に救出に来る友軍もいなかった。そして大虐殺が常の我々が身体身分を保証という言葉。疲れ切った者達には効いただろう。
「君が一番優秀で最悪な生徒だよ」
「奇襲の大切さを良く教えて貰いました。今でも基本の思想です」
師匠をぶち殺す、弟子が出来る最大の恩返し。
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ベーア軍事顧問団の武装解除とフラル経由での移送手続きが済み、極西行きの列車の発車を見送った頃。
孫が生まれた。母子共に健康。
男児と分かった時のソルヒンの喜びようといったら赤子より泣いたらしい。
冬生まれは身体が強いと言われるが、悪霊憑きやすいので火で守るべきともされる。一般へのお披露目は春になって温かくなってからだろう。
名をレン・フレガンと言い、ユロン族復古風。母方の姓のみ文書で使う。グルツァラザツク姓は、まあ西側で外交する時にでも好きに使えばいい。
また元号を光復と改めて光復帝とする宣言が出される。発効日は歳節暦の冬始一日からとされたので、まだ光復元年ではない。
各暦同日。
ズィブラーン歴四〇一一年十一月八日。
オトマク歴一七九三年八月十五日。
革命歴六五年二節七日。
龍朝の元号である龍元永平の扱いは面倒になりそうだ。施政下で改元、併用、存続の並立が、文書の元号統一が終わる時まで続く。
ソルヒンは同時に摂政となり天太后と称することになる。後宮で女達を相手にしているような太后とは違い、実際に施政する天子同等という意味が込められているようだ。無駄に派手な自称という感じはしない。自分の、まだ実体を伴っていない宇宙大元帥に比べれば実態感が余程ある。
この宣言で、天政と遊牧両皇統が男児を得て合一した。龍朝に少しでも疑問を持つ者への影響は大。遊牧皇帝に嫌悪を持つ者へも大だが。
孫のフレガンくんはソルヒンにくれてやったのであちらの論理で好きにすればいい。
しかし孫と自分は二帝並列みたいな感じになるのか? こちらを兄たる帝、あちらを弟たる帝とするというのが極東伝統に則る。戸籍だと父子、血縁だと祖父孫……父たる帝、子たる帝というのが妥当か?
小難しいことはさて置いて、手紙には小さい足形が付録。初孫は足形も可愛い。なんだこのちっちゃい指と踵に母趾球! 生のにおいを嗅ぎたいな。
出産の連絡が来た辺りで『おめでとうございます!』と言ってくる、こない官僚と下女が大別されてくる。足形の紙を見せると「きゃあ可愛い!」とか「天の相が見えるようであります」とか言って来る。
「おい公安号、こいつを見て何とも思わんのか。ああん?」
足形の紙を鼻先でペラペラ振ってみる。一応においを嗅いでから面倒臭そうに歩いて去る。
「同志ピエター、こいつ見てどう思う?」
「幼体の痕跡ですね」
うーん、ランマルカ妖精だな。
「おい、ジーくん、これ見ろよ」
「うちの子を兄って呼んでもいいんだよ」
「んだとこの野郎」
ジールトの鼻の穴に指を突っ込んで「んぎゃー!」と鳴かせる。
北征巡撫の追従者と目されている西克巡撫サウ・エルゥにも見せてみる。
「巡撫殿、どうかな? 息子なんだがね」
「一官僚につき最終決定に従います」
この人と龍の継ぎ接ぎ野郎、人の心は無いのか? しかし登殿していることには感心。本件に積極的である。
南覇巡撫ルオ・シランは本件について沈黙を貫いている。
ただ行政の定期報告は以前と変わらずヤンルーに上げてきているので反乱という程でもない。また軍事力を吸われているプラブリー政策から人と金を引き上げてもおらず、動員もかけていない。まるで他人事のようでもある。
東護巡撫オン・グジンからは”拝命に従い死守する”という手紙があった。拝命とはソルヒンからではなく、主人のセジンからであろうか。
消極的な宣戦布告という解釈が可能。戦わなくても龍朝崩壊が確定するまで立場を譲らないだろう。崩壊後に臣下となるかも不明。
他の諸高級文官武官が登殿するか、しないかという返信はほぼ各巡撫に追随する形を取っている。
義手義足慣れのため、庭でメハレムと擦り傷打撲ぐらいは負う勢いで相撲を取っていると、禁軍司令官フェー・フォジュウが電信文を手に自分のところへ伺いに来た。
相撲中断。メハレムが後ろ向きに受け身を取って寝て「これでかたわの爺さんかよっ!」とお褒めの言葉。
「これを」
「うん、ちょっと待って下さい」
アーラから「どうぞ」と手拭いを受け取って「奥さんどうも」と言って汗を拭って深呼吸、息を整えながら座って読む。
読み終わったので立つ。疲労で右脚がちょっと震えている。義足にもう少し頼った方が良かったな。
「ちょっと失礼、全力で踏ん張ったもので……」
メハレムは水桶からガバガバ飲んでいる。ジールトは相撲に相手にならなかった。ピエターはいけないことをしている気分になった。
「……ふう。フェー・フォジュウ殿、正式な禁軍司令官就任おめでとうございます。妻のソルヒンも今後、貴方のことを頼りにするでしょう。私も戦列を並べることもあると思えば今から友と感じております。活躍に期待しております」
フェー将軍、拱手して最敬礼。
「宇宙大元帥閣下」
「握手、よろしいかな」
「はい」
手を握る。文官寄りの武官らしく、何か武術をしている感じではない。
ヤンルー禁軍、身体と身分の保証なる。
イェンベン禁軍とされる回天軍は解体。元は民兵なので基本は帰農して予備役入り。精鋭は東王領の光複軍に編入される。首都イェンベン警備隊は禁軍とされない。
天太后ソルヒンがヤンルーに来て、謁見の間で新元号を発表するまであと少し。
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ヤンルーの広い謁見の間には、大人には暑い程に火が焚かれている。
高級文官武官が、左右の列に分かれて揃った。
武官筆頭の位置に西克巡撫サウ・エルゥ。次席に禁軍司令官フェー・フォジュウ。
文官筆頭の位置に北征巡撫サウ・ツェンリー。
すやすやと眠る男、分厚いお包みの赤子を抱えたソルヒンが玉座に座る。その脇に自分が立つ。
赤子の頬をつつきたいが、起きて泣き出すと困るので堪える。
孫は何でこんなに可愛いのか? 息子と娘より可愛い気がする。
さて文官と武官達だが、平伏する者が大半。そして頭を上げたままで困惑、怒り、不服の表情を見せる者も少なくない。ざっと七対三で従順。
「皆の者、皇帝陛下の御前です。頭が高い」
ここを仕切る北征巡撫が言う。一応下げる者もいて、敢えて立つ者すらいた。
西克巡撫は、謁見のしきたりは詳しくないが、役目なのか反抗しているのか立ったままである。
北征巡撫が言い直す前にソルヒンが声を上げる。
「まあ良いでしょう。突然の召集に応え、皆ご苦労様です。
話の前に一つ言っておくことがあります。
私は興人滅蛇の精神を掲げました。ここで言う蛇とは黒龍公主なる悪逆迷老の首魁、妖怪変化のことです。信仰の霊的龍ではなく、実在の龍と偽称して世の理を覆そうとした外道達の邪教精神を指してのことです。
その妖術によって変化した者達には酷な言葉でしょう。半ば人間ではないことは事実でありますから。
その者達を今から全て逆賊として誅するのは能の無いことです。文明人の心を持って私心無く官として天下に仕えるのならば私から言うことはありません。
言うことが特別有る者がいればここで聞きましょう」
平伏しない者でも一言あるものはいなかった。「どうですか?」と促されても。
ここで一言あれば龍朝にもレン朝にも逆らうことになる。まず一つ、従わせた。
「現在、天下には黒蛇妖術集団が油蟲の如く目障りにも跋扈徘徊しております。
またそれらを親と誤認している不心得の無知者も多く存在しており、託された卵がカッコウと知らず、世話を焼いている徒労の愚か者も存在しています。素朴な人民の信心を利用した手口は夷狄戎蛮の単純害より悪質汚猥であることは言うまでもありません。
皆の頭の中には何が大きく横たわっているでしょうか。あの老兄レン・セジンですか? 彼は間違いなく新境道で戦死しました。遺体も確認されています。あなた方が良く知っている心算になっていたのは薄汚い狐狸とも知れぬ偽物です。
かつて老兄を騙った者はそもそも人間ですらありませんでした。ある時は青年、老人、女、異形と芋虫蝶のような変化を続ける変態が人間のはずはありません。蛇の変化にして異様も異様、反倫理黒蛇が特に邪力を入れた作った人心を惑わす”出来合い”です。それを皇統と認める等不敬千万、軽挙白痴、恥ずべき思い込みでしょう。
黒龍公主などというあの正体不明の老いた化け物を有り難がるのは大概にしなさい。そもそもエンの乱を誘発させたのはあの邪悪な妖怪です。あれを無思慮にも重んじること自体が天に唾して先祖に呆れられるような誤りです。
どこぞに去った龍帝なる大蛇、あれが何なのか考えたことはありますか? 古の物とも知れぬただの巨大な獣です。山川に海空に加えて大蛇を拝んで何としましょうか?
龍への信仰とは霊的な龍への畏敬、天への敬いであって実際に置かれていた巨大な置物、理解不能な怪獣に手を合わせることではありません。龍の天朝など戯れは大概にしなさい。猿でも置いた方が真っ当な生物である分、正統でしょう。最高尊厳とは何たるか、思い出して下さい。
黒蛇の謀略により正統天政が沈没することは光複軍の手により免れました。今や屋台骨を作り直し、大黒柱を立て直そうという時です。白蟻に食い荒らされた我等天下文明の家を清潔安住の住まいに戻す時です。
黒蛇妖術集団は血の通った人間の欲望ですらない悍ましい、生ける物を飽きた玩具のように壊して遊ぶ魂無き化け物の集まりです。破壊の衝動に任せて人民が泣き叫び、腸が捻じ切れるのを笑いさえせず、虚無のまま実行しようとしております。病的に狂ったと例えるのすら生温い。
正に災害。洪水は肥沃な土をもたらし、大雨は水をもたらすが、あの災いはただ害のみもたらします。飛蝗に冥蛾ですら子孫を残す行いであって名分がありますが、蛇共は子すら成せません。何も残さず破壊するだけの虫にも獣にも劣る極大反道理です。これを億千万の徳武で粉砕して塵芥の微塵として大地に穢れとしても残さず大海の沖に捨て去り永劫抹消すべきなのです。
今こそ人間の、文明人の誇りを取り戻しなさい。天政は人間が人間のために文化を隆盛させるためにあるのです。外敵を討ち、内憂を改め、天災を凌ぎ、疫病を鎮め、人民を養う。この行いを、半万年存在と称する妖怪と、口も利けない怪獣に委ねるなど正気の沙汰ではありません。あなた達、正気を取り戻しなさい。
あなた達は宗教家でも呪い師でもありません。符を水に解いて飲むような馬鹿真似をせず、書類をしたためて天下を実際に治めて人民を実際に安んじるのが役目でしょう? そこに私利私欲、そして私慮を挟むべきでしょうか? 博学のあなた達が今更指摘されずとも分かるでしょう。先人達の確かな書物の文面を思い出しなさい。
初心を思い出して下さい。剣の柄を握り、筆の軸を持ったあの日、あなた達は何を為そうとしましたか? 詐欺師の真似をして狂ったように罵詈雑言を吐くことではなかったはずです。
地虫のたまう底に落ちた今、雲上へ飛翔する時が来ています。
まずは天下統一です。本来ならば百千万の犠牲を払おうかという戦争をせずに統一する方法は、あなた達が邪政を捨て正統政治に戻ることです。これがどれ程の奇貨であるか分かるでしょう? 忠誠を向ける先を改め、文字の書き方を、剣の先を多少改めるだけで流血は避けられます。これがどれだけ幸福か、それは今日までの争いで心胆に染み込み散々に分かっているでしょう。犬猫畜生でなければ分かります。
文明人同士で互いにいがみ合う必要はありません。そもそも人間同士でいがみ合う必要すらありません。冷血脳無しの魚のように我が子を食らう時ではないのです。
隣にいる我が夫、蒼天王とはもう呼びません、遊牧諸族の皇帝であり、私が宇宙大元帥号を与えたベルリク=カラバザルを見て察している者はいるでしょう。我が子フレガンの父であると言えば、この場に並べる者であれば理解したでしょう。
誤解無きように言いましょう。
遊牧勢力とは長年争い、時に征服され、冊封すると繰り返して来ました。今ここに二つの天下が揃う時が来ました。その証、要こそ我が子フレガンです。
共に天下を統べて、この子が代を繋いでいくということがどれ程のものか理解していますか? 北からもう攻めて来ません。これがどれ程中原に良い影響を及ぼすか分かるでしょう。天下をどれ程安定させるか明瞭です。
八大上帝の代より我々は、放浪先の無人の荒野からここまで中原を広げ、冊封国を抱えて天下を広げて来ました。その次の段階を踏むことが出来ます。
かつて私が女帝を名乗っていたことに不満がありますか? レンの王朝が乗っ取られたとでも思っていますか? この名はレン・フレガン、間違いありません。そもそも帝と帝の結婚は過去に前例がありません。新例ならば今、これが正しいのです。
法則律令の専門家の方々が揃っていますね。この新例、何に違反しますか? 伝統に反するというなら、この子が生まれる前は最後の正統レン家だった私を考慮したならば何に不徳でしたか? まさか臣籍降下し、乱世ですら何も成せなかった祖先に恥じる手弱の白首共をここに連れて来たかったのですか?
疑問があったならば天命に問うてみて下さい。そして他の答えが降りて来たのであれば聞きましょう」
西克巡撫が拱手して最敬礼。
「どうぞ」
「宇宙大元帥の称号、いかなるものか教えて頂きたい」
「我々が使う天下という言葉、宇宙という言葉、これが同一のものになる日がいずれ来ます。真に後代、僭称ではない九番目の上帝が現れることでしょう。聡いサウ・エルゥならばもう、二天の軍勢が如何なることを成し得るか計算が付いていますね?」
西克巡撫が平伏、床を鳴らす叩頭。
「光復帝万歳!」
その大声でフレガンが起きて、負けじと大きく泣き出した。こいつの声はデカい。体重も重い。
流れは決した。
■■■
天命に逆らう逆賊を成敗、とまで過激な宣言はしないが圧力を加える。龍道に巣食う不明戦力への対処は防御一辺倒である。
光複軍はサイシン半島軍事境界線へ集結。一番戦闘可能性が高く、火力も集中させた。
北海艦隊、レン朝艦隊はミンラン湾へ集結。先日まで敵同士であったので合同演習を行わせている。
極東艦隊はウレンベレ港で待機。東護軍との開戦が確認されたらアマナ海封鎖へ移る。アマナ派遣軍を島に閉じ込める。
西克軍は朱東道から紺西道へ進入する。内陸西側進路。南覇軍に抵抗無ければ戦闘しない。
北征軍は白南道から東海道へ進入する。東岸進路。同じく抵抗無ければ戦闘しない。
禁軍は龍人等のヤンルー奇襲を警戒して戒厳令配置のまま守備待機。
黒軍は碧右道の都シャンライで内陸中央を警戒しながら予備待機。天命有りとはいえ完全に遊牧軍の姿では天政人の反感を買う。まだ非勢力圏で動く時ではない。
東護巡撫オン・グジンがセジンへの個人的忠誠で戦う愚を悟って降伏しつつ自殺するのが理想。その通りにはなりそうになく、開戦の覚悟をしている。
南覇巡撫ルオ・シランは態度を明らかにしていない。征伐されても文句が言えない状況をわざと作っているのには、まだまだ黒龍公主の影響があると見られる。
我々に龍道へ進軍する能力があれば両巡撫に抵抗を諦めさせることも出来ると思うのだが、現状では小規模作戦が限界で毎回全滅を覚悟するようなもの。イスパルタスが龍道を細々覗いているが手の出しようが無いという評価。
「では歌います。ぼくらの宇宙大元帥……」
ぼくらの望みは天命なり
天下を丸める勅令なり
王道照らせる錦よ
何より並びし人民軍だ
宇宙、大元帥
果てまで、統べる杖よ
力は天下に広まり、外地も自ずと下りし
宇宙、大元帥
果てまで、統べる杖よ
力は天下に広まり、外地も自ずと下りし
ぼくらの宇宙大元帥
二天を守りし太陽なり
人馬を手綱し鉄腕
何より無双の超元戦略
宇宙、大元帥
果てまで、統べる杖よ
力は天下に広まり、外地も自ずと下りし
宇宙、大元帥
果てまで、統べる杖よ
力は天下に広まり、外地も自ずと下りし
フォル江の遠く霞む対岸が見下ろせる高い川岸で、弦楽器を鳴らすジールトが歌った。黒軍騎兵も各々の楽器で伴奏。
何故だか黒軍騎兵達に彼等は大人気で、ブットイ兄さん、ブットイ孫くん、ブットイ奥さん、黒くてブットイなどと呼ばれて有名人である。労働軍務英雄サニツァ・ブットイマルスの威光は思っているより広い。
「お前が作った歌なの?」
「せーの……」
『みんなで作りました!』
黒軍騎兵達が唱和。うーん、ま、いっか。
「お兄様」
「うん」
やや久し振りに再会したアクファルが電報を持って来た。
”朱西道で大地震発生。フォル江氾濫要因の多数形成確認。沿岸部からの避難準備をされたし”だと。
「黒蛇一党による怪しい仙術だと、流言を流せ」
「はい宇宙大兄」




