06話「悪い夢」 ヴァンス
イェルヴィークの宮殿へ登庁、道中。
運転手付きの三輪自動車の後部座席に座っており、晒し者にされている。雨避けの幌は雨天時にしか展開されない。運転手はロシエ人。
自動車はロシエ製で、マールリーヴァ様ご帰省の折に各省庁へ贈答。要人に使わせることによって先端技術を広報、普及したいらしい。
その先端技術とは石炭や蒸気ではなく、揮発油の燃焼で動く内燃機関である。
非常にうるさく、振動も耳というより尻から頭蓋骨に響く。排気瓦斯も臭い。どう考えても馬での牽引の方が優れている。
将来性は技師ではないので分からない。蒸気機関で動く地雷処理車両は実戦で性能が証明されているので先が真っ暗ということはなさそうだが。
少し前までエグセン中央の都ファイルヴァインにいた自分が、帝都にまで来ている理由は第二次内閣発足の影響で起きた人事異動による。陸軍では少々、海軍は絶無。その少々に含まれた。
参謀総長を辞し、代わりに前任者が黒死病で空席になっていた準備軍司令の座につく。第一次内閣打倒のためとはいえ、偽命令を発したのが陸軍最高司令部から不興を買った。”人狼少年”は嫌われる。
人を遊ばせている余裕はベーア軍に存在しない。将官級を懲戒処分に出来るのは平和な証拠。狗を煮る鍋すら砲弾製造に供出されているのが現状だ。
準備軍の司令官、前線に直接命令する権限は無い。歴代、高齢の高官の名誉職枠で、運ばれてくる書類に盲で決裁したり、新兵を前に偉そうな訓示を垂れるのが仕事。
脳が撹拌された気分で登庁。廊下で息子のジェムスと顔が合う。
「お父様、あの」
「少尉! 私の階級を言ってみろ!」
ジェムス少尉が踵を合わせて敬礼する。
「将軍閣下、失礼しました」
ただでさえ親の七光りがどうのと言われる立場で、馬鹿者め。
「何の用だ」
「お母様から手紙が」
「後にしろ。大体分かる」
「はい」
妻と娘は親戚を頼って田舎へ疎開している途中。現着としたということだろう。
自分にはあだ名がついている。”未亡人製造機””塹壕肉屋””疫病吸血鬼”。好きに呼べばいいと思っているが、自宅への投石や嫌がらせ、放火未遂など家族に危険が及び始めたので逃がした。都心部は人口が多く、様々な性質の人間もまた割合として多いものだ。
「手紙を出しますが」
「適当にしておきなさい」
ジェムスは、こちらから人事には介入していないが陸軍省付きの通信将校である。まだまだ上官の言われるままに動き回る新人だ。通り一遍の雑務が出来るようになるだけでどれだけ掛かるか。
息子が宮殿付き。偶然か、成績相応か、気遣いによる保護か、人質か。第一次内閣の時に決まった配置である。
些事はさておき、第二次内閣陸軍大臣マロード・フッセン王に面会。
「フェンドックです。先日の件の確認です」
「うん……国民突撃令を発して国民突撃隊を編制可能にする。国民突撃隊は準備師団隷下へ新兵と同等の扱いで補充可能になる。訓練修了時には正規兵として登録される。本当にこれでいいのかね」
「はい」
「準備軍司令の初仕事がそれでいいのかね」
第四級無制限兵役令。四百万加増見込み。
第五級国民突撃令。ベーア八千万とし、半数が戦闘員になれないのならば、動員男子を除いて、二千万強加増見込み。これは推定値を出すのも難しい。全国民健康調査を行う組織は無い。
とにかく五級まで議会を通過した。どこまで実行されるかは運用する側の判断となるが、不可能ではなくなった。戦中での政権転覆という愚行、遂げた甲斐もある。
「北カラミエ、マウズ、ブリェヘムの三戦線、ヤガロ反乱の可能性も入れれば四つ。セレード二年振り二度目の奇襲、バルリーの大規模地雷発破から始まった損害は今回も想像を越えるでしょう。
準備師団の予備兵力化は治安維持に寄与し、敵浸透戦力への迎撃に効果を発揮しています。たとえ局所戦闘で劣勢であったとしても、無防備を突かれたわけではないことで実戦証明済みと言えます。ここに国民突撃隊を加えて数量を保障出来れば更に効果的です。
兵数に余裕が出れば対フラル、マインベルト国境警備戦力から熟練兵を引き抜いて他所に回すことも断然容易になります。戦場の霧は濃いですが。だからこそこの方針は間違いありません」
「そうかね? そうかな」
「いずれベーア国民八千万が適切な準備の下に、段階的に突撃すれば必ず勝てます」
「その論文も読んだ。そういう考え方もあるとしておこう」
「横槍が入って運用に支障が出ぬよう反対派閥への掣肘を引き続きお願いします。早期に実例を作り先例として”型枠”を作って調整して、各所へ増派しなければなりません。
今このセレード戦線はイェルヴィークまでの縦深に余裕がありません。かつてベルリク=カラバザルが直接攻撃をしてきたように戦術的に短い。またヤズ公子がシュラージュ殿下のような煽動をすればカラミエで何があるか分かりません。五つ目にすらなり得ます。何時、何処だって危機ばかりですが今の危機は内部の綻びを許さないでしょう」
あの英雄ヤズ公子が敵の尖兵になって戻って来る。何か、私は不思議な恐怖物語でも読んでいるのだろうか?
「悪い夢のようだな」
「全くです」
「……以上かな?」
「はい。失礼します」
■■■
「先輩、私の軍を作ってください!」
同郷、ガートルゲン出身で士官学校――創成期のアレはそんな立派なものではなかったが――では自分より一期下の男、クルツマン・ゲルドリット。国民突撃隊の運用実例、先例を現場で実現してくれる人材を探したところ、この男が見つかった。宿舎に招いた。
彼は反転攻勢時から剣片手に陣頭指揮を執り、帝国連邦軍をバルリー高地まで追い返す一角を担った。
要塞線攻略を前にクルツマン君は負傷して後送されていた。だがこの度、療養中に大佐から准将に昇進させて復帰させた。予備軍司令の力なら、このぐらいは手軽に、根回しを最小限に素早く出来る。
彼は病院で療養中、あれこれと新聞記者等の質問に答えている内に”作戦の名人”と紙面上で呼ばれるようになって少し有名。国民人気があると言える。
報告によれば、彼の作戦の基本は砲兵がしっかり揃うまで囮部隊も使ってでも耐えて陣地構築に集中。そして十分な砲火力支援を得られるようになったら準備砲撃は最小限に、移動弾幕射撃の弾着点を友軍誤射覚悟で歩兵に追わせて突撃すること。前衛は敵陣地をとにかく後方連絡線を無視して浸透、後続部隊は現場判断で臨機応変に対応させる。また一連の作業、行動期間中は兵士達に徹夜や犠牲を強いることも多いのが欠点と評価。兵士からの人気は、元気で嫌味が無く、常に前線に立っては兵士に激励を続け、士官が疲れて動けない時は代わりに書類まで書き上げるという勤労振りで、誰も文句が言えないぐらいの働き者という認識。
そんな彼だが瞳孔が開いている。久し振りに見た時は誰だか分からなかった。傷痕がどうのという顔付きではない。
痛みに臆病、眠気に疲労止めのために配られている合成薬の副作用が出ているのだろう。恐怖ではなく勇気に振れる側の戦争神経患者のようにも見える。戦争が終わったら廃人だろうか?
「名簿から、暇そうな奴探して声掛けたんですが、どこまで何を用意すればいいか分かんないからどうにかしてください! 前より頭が回らないんです! 助けてください!」
クルツマン君と私的な会食のために卓に並んだのは、酒造が禁止されて以来価格高騰中の蒸留酒、中でも平時から高いロシエの蒸留ワイン。これは自分が出した。
もう一つは今期限定で大盤振る舞いの豚肉の塩漬けの缶詰。これはクルツマン君が持って来た。
反芻動物以外の屠殺令が出されて以降、肉の処分先の一つがこの缶詰。出征兵士とその家族、また遺族に優先配給される。
「カラミエの戦場へ行って貰う。セレードは正規軍と浸透騎兵戦力の組み合わせで正面からも側面からも、裏からも攻めてくる可能性があるぞ。もう目前、裏庭かもしれない。いいな」
「ありがとうございます! これで御奉公が! 最後の息子も逝ってしまいましたからもう後は自分だけなんです。将兵ご家族、ご遺族等に面目が立たぬとこればかりを最近気にしていたのですよ!」
「同感だ」
蒸留ワインを硝子杯二つに次ぐ。美しい琥珀色。何やらこれを投機材料にすればどうのと、という話を聞いたことがある。
「ご皇室、万歳!」
「万歳」
皇帝万歳という言葉は出せない。
皇太子殿下、皇后陛下を始めとしてご一家は療養で離宮へ行かれた。
今、このイェルヴィークの宮殿には摂政としてマールリーヴァ様がいらっしゃる。他家に嫁いだ方が摂政というのはどうにも……危ういだろうか?
政治的な不安感の代わり、ロシエ軍の協力で対ランマルカ沿岸防衛の負担は大幅に軽減されている。
……折角の銘酒も歯が折れていると味わいが悪いな。歯医者で差し歯を作って貰う時間も無い。
■■■
早くカラミエへ兵力を。前線からの戦況報告は混乱ばかりである。浸透騎兵が戦場の霧を濃くしている。
連隊長大佐ゲルドリットが准将となったため、旅団准将として扱い、兵力を集成して即席で軍を編制した。
第一次内閣打倒時に発生して解隊されていない因数外の正規兵、民兵達。ナスランデンの海上民兵、エデルトの海兵隊、水兵の一部。海軍から陸軍に転出させた。
官候補生達には教官もつけて組み込み、作戦中に教育を修了させる。学校じゃなくても学べる。
マロード陸相子飼いの義勇兵。大人の男達、騎兵が多い。彼等を徴集して動員すると言った時にマロード陸相、国王陛下は言葉を濁らせた。だが許可を取った。近衛の温存など許されはしない。
帝都には中核業務のために多く置かれている。そこから後方支援、管理要員を引き抜いた。
第一次内閣打倒時から現時点に至るまでイェルヴィーク周辺で逮捕された犯罪者からなる懲罰隊も加えた。
そして周辺地域から、書類上で装備受領済みとなっていた国民突撃隊を編制完了と見做して集めた。制服警官、腕章平服の国民突撃兵。
各種装備は配送中止になった物を予備倉庫へ送る前に確保して調達期間を短縮。表敬訪問に来ているロシエ艦隊からも装備提供の要求を出して確保。表敬中、ケチなところは見せられないという心理を利用。
名はゲルドリット嚮導旅団とした。先立って導くから嚮導。編制初期から国民突撃隊を主力にするこの形式は、これからの対帝国連邦戦の見本になる。
予備軍司令の権限は限定されているが権力はある。方々に声をかけ、結果が伴うように出来る。誰に何を頼めば良いかは参謀勤務時にほぼ全て把握している。だから出来る。
我が子のように送り出すことが出来る。エデルト人も多く組み込んだ。
陸軍最高司令部は自分を予備軍に流刑したつもりになっている。しかしやれることは幾らでもある。この旅団を模範にベーア八千万の特攻を実現させてみせる。
イェルヴィーク東、イェルヴィーク準備師団駐屯地の一角にてゲルドリット嚮導旅団の出征式を執り行う。可能な限り最速で組み上げた。
「整列休め!」
クルツマン君が号令。
旅団構成員約三千名が乱れた隊列を見せている。一部整ってはいるが、全体的に乱れている。
遠目にも”違和感”。隊列などいっそどうでも良い。
「休ませなさい」
「休め!」
この出征隊列に息子がいる。我がフェンドック家も御奉公出来るといいが。
”違和感”の正体は、隊列周辺を歩き、近くで彼等を見て理解する。書類上ではなく、肉眼で、感覚として。
子供、子供、子供、老人は? もう動ける高齢者はいないのか。
この子は身体が細い。こちらの子は休めの姿勢を取るだけで辛そう。
肩が右に傾いている。猫背に出っ歯はまだいいのだろうか? 口が開きっぱなし、上前歯の隙間が黒くて虫歯。
イェルヴィーク周辺の、豊かな地域に住んでいる子供でこれ? たくましい子供達はもう戦場に立った後か?
訓練の前に、朝に起きて三食食べて、夜に寝るという日常生活をまず送ることから始めなければいけない。そういう者が多い。
背が低く、白い肌に真っ赤な頬が年齢を教える子供に声を掛ける。髭ではない産毛が日の光りで白く浮いて見えている。
「君、幾つだね」
「十六歳であります!」
十四か十五、十三にも十二にも見える。十六での従軍も若いのだが。
年齢を誤魔化しての志願か、替え玉か。徴兵逃れをしている奴等に見せてやりたい、という言葉がおかしいものに感じる。
これが、自分が通した、五級に至る諸動員法の成果。
堕胎罪、未婚罪が新たに議会で議論がされている。
神も女達も私達をお許しにならないだろう。




