02話「政変」 ヴァンス
バルリー高地要塞線攻略の難は内にもある。陸軍参謀本部としては解消したい。参謀総長としては何としてでも。ヴァンス=ホルヘット・フェンドック個人としては、”私”などこの大過の中では意味が無い。
ブリェヘム東部平野部を要塞陣地にして帝国連邦を永久に封じ込めるべき、とは守勢派の主張。
要塞突撃では無限に兵士が死に、砲身と砲弾と資金が消える、とは守勢派の主張。
計画洪水に対しては”大”水路工事で水を逃がせば良い、とはやはり守勢派の主張。
ランマルカとロシエも仮想敵であって戦力は温存されるべき、とはやはり守勢派の主張。
将来的には軍事顧問団の派遣先である龍朝天政が帝国連邦を東から挟撃する、という希望的な観測をしているのも守勢派。
長年の遠征に疲れ、重傷を四つ――胸と左足、噂によれば額と右腕――も負い、既に死亡説も出ているベルリク=カラバザルの寿命が尽きれば遊牧帝国にありがちな内部崩壊が訪れる、という楽観で希望的な観測をしているのも守勢派。
これらを統合すると何と現実的な軍事戦略と呼べるらしい。そんなことを百年千年と続けるのが合理的らしい。
あの要塞を取らなければ永遠に同じ苦境が続く、とは我等攻勢派の主張。
遊牧蛮族共の広大な原野を征服するとまで言わずとも、あの要塞線を奪取して奴等を”バルハギンの沙漠”の向こう側に封じ込めることが出来れば効率的。
今、封じ込めるためにはベーア帝国が真の全力を発揮しなければならない。
今、出来ていないのだからそれは全力を出し切っているとは言えない。
今、どうやっても出来ないのであれば、それはもう敗北しているということ。
戦前の、現役百五十万。多数が死傷。病に倒れ、四肢を失い、心も失った。
予備役百万。現役に同じ。
後予備役七十万。現役に同じだが、主な参戦は反転攻勢直前からなので程度は比較的軽い。前時代の戦死傷者統計と比べれば圧倒的に悲惨、桁の違いに目を疑う程。
義勇兵三十万。現役に同じだが、何かと理由をつけて仕える主人である貴族士官と共に――遺体であることも――故郷へ帰って兵役から離れていることも多い。貴族は領地の、複数企業の経営をしているので人手が要る。企業経営者や農家の跡継ぎ等は原則徴兵対象外だ。
第一級補充兵役百万。一番死傷率が低い。特別な資質があるわけではなく、参戦時期が遅いため。
第二級補充兵役百万。第一級より傷病率が高い。徴兵検査時に一級に満たないとされた比較的虚弱な者達。反転攻勢時の強行軍で落伍し易く、蔓延する疫病に耐える者が多くなかった。
第三級補充兵役令は発令済み。かつてヴィルキレク皇帝が嫌悪したもの。
志願兵は女性以外全て受け入れる体制で、勇敢な虚弱者、心身の不健康者も戦場に送り出す。年齢を偽る子供を追及しない。これを機に追放された厄介者も受け入れる。知恵遅れでも度が過ぎなければ良い。身代わりで来た者も受け入れ、元の者も引っ張って来る。
これら劣悪な新兵達を、休暇や傷病療養から復帰した熟練兵が教官となって教育分隊を編制し、後方地域の準備軍で仕上げてからそのまま前線に補充される。
これでは足りない。今この瞬間、維持出来ている気分になれるだけ。
第四級無制限兵役令は、表向きは議会で承認されず発令されていない。
対象は国内難民、つまり東エグセン人と南カラミエ人に計画洪水で住居や仕事を失った者達を強制徴募する。浮浪罪、不就労罪名目で詐術的に連れて行かれる。やっと避難した矢先に捕らえられてしまう。敵の執拗な焦土作戦で帰ることも出来ない中で。口減らし動員とも揶揄される。
第四級を正式に発令して全土全国民を対象にするべきである。エデルト人に西エグセン人も同様に出血しなければ、とてもではないが要塞線を攻略出来はしない。
第五級”仮称”国民突撃令は発令されていない。
全国では性別年齢に拘わらず、改正民兵令によって民兵として訓練が施されている。旧式銃や鉄管に銃剣をつけて素振りの稽古。本業に加えて塹壕掘り、道路工事、奉仕活動、職種により残業をしながら。
民兵用の武器庫は警察署に有り、蓄えられている物はたかが知れている。指揮権も普段は警察にある。訓練内容の通り戦闘能力もたかが知れている。
彼等を攻撃戦力に転化出来るようにするのが第五級である。地方警察毎指揮権を陸軍へ移乗し、刑法ではなく軍法で縛る。警官を士官や下士官扱いにして住民を兵卒とし、そっくりそのまま戦場に送り込める。警察の指揮下では出来ない命令を強制出来る。刑法に敵前逃亡罪は存在しない。軍法にはある。そこが違う。
安楽死法は発令されていない。
将来的な労働力として期待出来ない高齢者、障害者、傷病者を薬殺して国家的な資源運用効率を高めるというもの。彼等を介護する家族の負担は尋常ではなく、病院にも医師にも限りがある。食糧もロシエからの輸入が止まれば足りなくなる。
奢侈禁止令に続く国防産業従事令も発令されていない。
第一に工場生産物を指定する。食品から機械まで無駄な物を作らせないために、日用品は可能な限り単一簡素な物で統一する。例として、衣服は軍服と国民服、特例で定める作業服以外を生産禁止にすること。
また酒造を禁止する。穀物を浪費させない。
また反芻動物以外の畜産は禁止。繁殖用のみを残して屠殺加工する。愛玩動物の飼育も禁止。
この期に及んでまだやり過ぎと言う者は多いだろう。特に戦場から遠いところに住む者達からは。
総力戦体制を厳しくし、贅肉を筋肉に変えなければいけない。これからも続く帝国連邦との、ベーアを破壊するなどという不明瞭で残虐な戦いから国民を守り、生存し続けるために出来ることはまだある。
そして必要な法案が通らない。攻勢派として推している議員の力が守勢派に負け続けている。
極端すぎて国民にとって多大な不幸だということは分かっているが、それ以上の悲劇を避ける方法はこれしかない。これで駄目なら何も残っていない。それこそ寝返る以上は残っていない。
守勢派である内閣、エデルト閥、何ともお優しいこと。エグセン人にも優しくしてくれれば良いものを。
皇室ではルドリク皇太子とハンナレカ摂政皇后が無気力との噂がある。書類への署名は侍従長が代わりに書いているとも。筆跡は誰も知らないので証明は宮中を覗き見でもしない限り不可能。
ルドリク殿下も十五歳になり、成人も近いがかなり内向的で関心も薄いと言われる。公式発言は一つも無い。
戦死した上に遺体が戻らない父ヴィルキレク、惨たらしく暗殺された長兄エルドレク、仮廃嫡の次兄ハンドリクに続く十五歳とその母。
参謀本部は守勢派が嫌がる法案、お美しくあられれば良い皇室の”目を汚す物”を提示しては形式上の労いの言葉を頂く。侍従長を介して。
君主の強い決断があれば議会から内閣まで動くのだが、ヴィルキレク皇帝が亡くなって以来、そんな力強さを宮中から全く感じなくなっている。
ドラグレク廃王の摂政就任の話もあったがおそらく立ち消え。本人にその意志があるかも怪しい。エデルト帝国ではなくベーア帝国という姿勢を示す意味でも摂政はバルマン人皇后であらねばならないか? そのあたりは専門的ではない。
重大な決断を強い指導力で下すという体制が崩壊している。
宮中の力が衰えている証拠としてはブリェヘム王国案件がある。失地を回復して万々歳とはいかない。
シュラージュ女王が誘拐された後にブリェヘム新王へと指名された者が摂政を名乗っている。一時は受け入れて、また拒否してと判断は右往左往していたが、現在は玉座に新造の冠が置かれたままになっている。被れと無理に言われれば”はいはい”と頭に載せる程度の立場を維持しているらしい。
これは帝国連邦かベーア帝国か両天秤に掛けている。東方からシュラージュ女王と、結婚したとされるラガ王が”帰還”した時、諸手を上げて歓迎出来る体制である。
この件でエデルト、エグセン人だらけの議会が横から口を挟んでも現地のヤガロ貴族の癇に障るだけ。皇室から妙案を出して頂ければ納得のしようもあるところだが、今は無い。
我々攻勢派は、相談が出来る相手が以前より限られているのだ。
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バルリー高地要塞線攻略の難は内にもある。帝国連邦という外の難は今更のこと。
陸軍参謀本部としては解消したい。参謀総長としては何としてでも。
そして今日は内なる難をどうにかする。陸軍大臣を筆頭に内閣守勢派との決着をつける日。間を取り持つ皇室は無いのだ。意志を貫き通すためにはすべき事がある。
本日、帝都イェルヴィーク発の列車から客人一行が到着した。わざわざ陸軍省次官で親王の閣下と、新たな参謀本部人事案に沿った将校達に、それから移管作業員達。ついでに憲兵隊まで。
参謀本部を丸ごと人事異動で刷新させるという書類が届いている。
ファイルヴァインに”仮移設”した参謀本部をイェルヴィークに戻すという書類も届いていた。
書類で丁寧に日付まで教えてくれれば、運行計画を鉄道局に問い合わせて到着駅に時刻に線路番号まで正攻法で分かる。まるで警戒心が足りない。
アルギヴェン血統の証明のように金髪青目で身体の大きい次官が一人、我々の憲兵の誘導で参謀本部まで連行されて来た。貴い方で、またご高齢。物理的に拘束はされていない。
「ヴァンス=ホルヘット・フェンドック参謀総長。自分が何をしているか理解しておられますか? 現状認識は確かですか?」
「反逆は我々、違法は我々、勝利の暁には正義も我々。エグセンだけではなくエデルトの息子達も更に戦って頂きましょう。第四級無制限兵役令の不公平から正していくだけで王朝をどうにかしようというわけではありません」
守勢派による参謀本部からの攻勢派排除計画、その杜撰な計画に反撃を加えた。参謀本部の人事刷新、自分の左遷毎、全てを返事の上では受け入れて従順を演じた。
「こんな時に! 内戦になったら、我々の共倒れで済めばまだ良い方! 私のような次官など逮捕したところでイェルヴィークに動揺などありませんよ。何故なら……」
アルギヴェンの親王殿下の言葉、それはそうなのだろう。
ヴィルキレク皇帝の時にはこんなこと、頭にも過らなかった。エグセン民族の仇とはいえ、統一皇帝の威厳はあって跪くことに抵抗は少なかった。象徴に足る人物を欠くとこうも感じ方が違ってくるのかと驚く程であった。
”親父”の不在、空いた心の穴は大きい。
自分のような参謀総長が内閣に議会に皇室のことにまで目を向けている理由は一つ、帝国連邦に勝利せんがため。守勢派の彼等ではいけないという考えに至っているため。
こんな大事を引き起こしてまですることか? と思う者は多いだろう。だからこそ実行するのが責任者の使命。
次官の長めの正当な言い分を黙って聞いていると次の客人がやってくる。
ガートルゲン”走狗”王、マロード・フッセン。白い禿頭が紅潮している。
「フェンドックくん!」
こちらから恭しく腰を曲げての敬礼をしてから「陛下」と返答。
「乗車までやったぞ」
次官が連れて来た一行は全て、駅で待機していたガートルゲン王が連れて来た対ロシエの国境警備隊が逮捕した。新兵、傷病だらけの後方戦力ではない一級部隊。また西側国境を空にしても良いとはそういうことでもある。
「鉄道運行計画の定刻通りに発車して下さい。急いてはなりません。渋滞、事故は失敗の原因になります」
「よし分かった。おお、こいつをやる」
ガートルゲン王から貰ったのは恩賜の煙草箱。ロシエ語表記でクストラ製。
「ありがとうございます。報われる思いです」
「帝都は任せなさい。足を使うのが”走狗”だからな!」
ガートルゲン王は次官の肩を強く叩いて、笑って去った。
「ただでは済みませんよ」
「勿論。ファイルヴァインの電信局は我々の掌中です。留置所は手狭かと思いますがご辛抱を。一人として軍法会議に掛けないと誓いましょう。反逆は……」
「貴様等だ!」
視線が上向き?
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次官に殴られ、歯が折れて失神したが政権転覆計画は機械仕掛けのように動き出している。
しかし痛い。痛み止めが切れると辛い。効いている時は感覚が麻痺して良くなく、食べ物を良く噛んで食べ辛く、舌や頬の裏を噛まないようにしなければならない。
恩賜の煙草を歯に出来た隙間に挟めて吸うのは少し面白かった。
しかしアルギヴェンの人間は身体が剛健というが、年老いた官僚まで鉄拳を持っていなくてもいいじゃないか……。
ガートルゲン王の国境警備隊は、陸軍次官が使った列車に乗ってイェルヴィークへ出発。参謀本部にある膨大な書類や地図類、一部家具や計算装置に、左遷される我々と手荷物を乗せるはずだったので容量にはそれこそ一千名を優に越える武装兵が収まった。鉄道運行計画にほぼ変更が無く、疑われる余地が少ない。
陸軍イェルヴィーク準備師団へカラミエ国内への移動命令を発した。セレード軍奇襲誤報を流した上で。彼等を陸軍大臣、守勢派に使われると厄介なので、更に周辺部隊を巻き込む形で動かしたい。命令する偽造書類は用意してあり、政権転覆後はそのまま運用する。要塞線攻略には追加戦力が必要。
イェルヴィークの保安大隊へは偽造の人事異動書類を送って動きを麻痺させる。彼等は陸海と近衛を跨ぐ帝都統合防衛司令部直下で任地から離れることもないのでこれに対応。保安大隊へ送った同志の将校等と衝突して貰う。
帝都に多数いる海兵隊、艦艇乗員陸戦隊の動きも封じるためにランマルカ海軍の襲撃誤報を流す。攻撃箇所は南エデルト。
南エデルトの沿岸防衛には陸軍砲兵隊が配置されていたが、これを完全に海軍へ負担させるため配置替えをする案が採用されて少し経つ。まだ引継ぎ途中で両軍混在状態――同志達も――なので効果的。
海軍はエデルト閥、守勢派閥の巣窟である。これを抑えるのは一苦労。
他にも打てる手は打つ。しかしやはり帝都の要は海軍。この陸軍参謀本部の手が届く範囲はこの程度。暗殺部隊でも送り込めば別だが、したいのは王朝を倒す革命では無く、あくまで守勢派領袖の政治的な排除。殺さないし、処罰しない。人事異動はする。適材適所を考えるなら懲罰異動もしない。
エデルト王族、親王殿下ばかりの議会を引っ繰り返す。陸軍次官までアルギヴェン家の一員。先祖代々子だくさんは結構で、教育もしっかりしていて無能な縁故人事もしていない。しかしベーア”大諸民族”の帝国と謳ってエデルトのみのために働かれてはエグセン人として黙っていられない。
人狼で暗殺ばかりし、建国時に約束された議席を奪われたエグセン人としても。
こちらから必要な処置はした。
政変が長期化してもファイルヴァインの参謀本部は動き続ける。前線への影響は少ない。
後は帝都で実行部隊の成功を待ちつつ、引き続き対帝国連邦戦を続行する。




