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ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー  作者: さっと/sat_Buttoimars
第1部:第2章『アッジャールの大侵攻』

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25話「狼のイディル」・イスハシル

 白煙がそびえ立つ山岳断崖になるほど立ち昇る。

 根元には燃えて焦げる、灰になった木、灌木、倒木、落葉紅葉に草花。火に囲まれて逃げきれなかった羽虫が転がる。死にきれなかった獣が痛切に鳴く。

 命の気配が元から薄い砂の沙漠とは違う、奪われた風景。精巧な石像より死体の方が不気味であるような。

 ここに北風が吹けばあっという間に風が火を運んでマトラの森を焼き尽くすのだろうが、悪いことにまだ南風だ。延焼が鈍い。鈍いが焦ってはいけない。今のところは勤勉な焼き討ち部隊のケツを叩く気は無い。

 冬も近づく秋。例年なら北海気団が勝って乾季へ入っていたはずだが、中大洋の気団がまだ少し粘った。蒼天の機嫌は年頃の女よりも分からないとは言うが。

 マトラの森は元から天然の要害。そこに人の手が加わった大要塞。能力はあのスラーギィの西岸要塞の比ではない。そこに準備もせずに飛び込んだら大軍でも食われることは確実。だからマトラの森を焼き払って確実にイスタメルへ突入する道を拓いたのだ。

 灰になった森を進む。白煙と熱風が吹き付け、汗ばむ肌に灰がへばり付く。

 斥候や散兵、焼き討ち部隊は前面へ散るように出しているが、隊列の先頭は自分しかいない。人は魔性の目と声と、最前に立つ背中でまだ引っ張れる。引っ張れると思いたい。

 馬は臆病でも従順だ。灰の地面をおっかなびっくり歩いているのが伝わってくる。ここからはもう草原の馬が足を踏み入れる場所ではないということか? まじないのような理由づけだが、自然の原則は単純であるが故に間違いがない……か?

 イリヤスが馬を寄せてくる。

「イスハシル、前へ出るな。狙撃される」

「後ろに下がったらどれだけ逃げ出す?」

 こちらが押し込んで、敵を劣勢に追いやっているはずなのだが士気の盛り上がりは劣勢の様相。マトラの、ベルリク=カラバザルの執拗な抵抗と残虐極まった行いが、特にオルフ兵の心をぐらつかせている。”せめて死なせてくれ”という言葉が耳に入ってくる。

「お前が死ぬよりは逃げない。憲兵隊はかなり増やした。督戦隊も分かりやすく配置した。隊列変更と再配置に紛れて先頭から引け」

「では死なせるな。何の親衛隊だ?」

「散兵を増やす。護衛も増やす」

「護衛は増やすな見っともない。お前それでも親衛隊か?」

「予備を削って別働隊を増やす。狙いを散らす。だが足は鈍るぞ、損害も増える。奴等の術中だ」

「それでいい」

 フルンが胸を張って馬を並べてくる。

「お供します」

 とにかくイスタメルを目指して前進。指導者だけでも悩んでいる雰囲気は見せてはならない。


■■■


 橋は全て落ちているので焼け残った木で作り直させる。つまらない時間稼ぎだ。そのつまらない時間が積み重なるごとに戦力を消費する。食糧と水が尽きていく。

 建物は先に、森を焼く前に全て焼かれた後。食糧類は何も残っていない。焼けた森からは動物が逃げ出し、獲物はほとんど残っていない。

 井戸には糞尿土砂が放り込まれて潰されている。

 川はこちらの動きに合わせて枯れる始末。泥水に川魚、海老に蟹は多少残るが、二十五万の兵力を飲み食いさせるには足りない。たまに水瓶があると思ったら無味無臭の毒入り。

 略奪するものが一切無く、後方からの補給段列に完全依存。

 森に潜む敵、何万かの正規兵、何十万もの民兵、に備える二十五万の兵力を長期間支えることは困難。いっそ灰でも食って動いてくれないか?

 行軍速度は遅い。イリヤスが出動させた別働隊の編制、出発しながらの隊列変更も原因の一つだが、道が岩で塞がれているからだ。

 岩は退かせばいい。発破解体で速やかに処分できる。だがその処分のために一時停止する度に長大な軍の隊列はゴチャゴチャと停止し始めて、ちょっとした混乱になる。

 新規に集めた兵士より、スラーギィで連戦して心身共に疲労して士気が低い兵士達が逃亡騒ぎを起こし、座り込んでの命令拒否を行う。それでまた一歩前進するまでに時間が掛かる。

 わずらわしい。憲兵隊が増強されてなければどうなっていたことか。

 行軍速度が遅い理由はまだある。道が曲がりくねり、開戦前に調査して作成した山森の地図がまるで役に立っていない。曲がっていない”旧道”が無いか調査はしているが、無用とも思えるほど手間をかけて掘って、土を盛られて潰されているという報告しか無い。

 時折、整地された道が現れて何の迷いも無く進んでしまうことがある。これは罠で、鉄砲水を流すための溝なのだ。その上にいる人、馬、荷車が一撃で押し流される。流される先は崖だったり、坂道だったりして救援活動も一手間。

 そして助けたと思ったら、土砂に雑木交じりの水流にズタズタにされているからほぼ助からない。骨折、切り傷、頭蓋骨陥没、内臓破裂に感染症。生還率はわずかで、生き残ったとしてもどれ程に生き永らえるのか?

 鉄砲水の後は行軍が止まってしまう。そしてまた長い隊列が渋滞して、部隊同士で衝突を起こして混乱が発生。溝の泥を掃除して道に直して、見失った進路を再設定してまた進む。

 溝掃除の前に上流側へ部隊を派遣して元を制圧しないと鉄砲水の二度撃ちということもある。

 落石、落木の罠というものもある。単純に坂道や崖の上から転がって落ちてくるものだ。岩は地面にめり込んでいたり、草が這っているような隠蔽がされていて、丸太の束には草で飾られた布が被せてあって発見が難しい。どう見ても罠ではないような岩でも、爆破して落下させてくることもあるので気が抜けない。

 相変わらずの地雷攻撃は健在だ。スラーギィの要塞戦との違いは、妖精の老人が逃げ場の無い地下に潜んで地雷を起爆していることだ。絶好の機会に間違いなく起爆するものだから被害が大きい。

 一番厄介な罠は地滑りだろうか。大きな爆音の後に、地鳴り、そして濡れた土砂に木が流れて混じって滑ってくる。罠用に引かれた水路から水を放出して斜面を脆弱にし、大量の火薬を広範囲に一斉爆破させることにより発生させている、と調査報告が上がってきている。これを受けた日には行軍は道路の復旧まで長らく停止。救難活動も難しく、そして成果は当然芳しくない。

 大被害を受けた後には士気の低い兵士が脱走、命令拒否を始める。統制を取り戻そうとする部隊との同士討ちすら始まる。

 通行が止まると補給も止まる。地滑りは行軍の戦闘よりも中間を狙って起こされることが多く、部隊間が寸断されて食糧、水不足が発生したところで奪い合いが発生して殺し合いに至ることもある。

 昼夜問わず、命中させることすら二の次に発砲音が鳴り響く。

 寝不足になり、神経過敏に兵達がなっていく。発狂して逃亡する者、疑心暗鬼になって他民族の兵士と殺傷沙汰になることも多発。

 いい加減な発砲に隠れ、明らかに高級将校狙いの発砲もあって油断は全く不可能。部隊長を狙撃され、緊張が限界に達した部隊が集団脱走する事件も起きる。この森深い山の一体どこに逃げるのだろうか?

 銃以外にも、弓による射撃もある。ただの鉄鏃から、毒塗りに糞塗り、物資を焼くための火矢も混じる。耳障りに甲高い音を鳴らす鏑矢もあって、神経過敏になっている人間にも効き、馬を暴走させることがある。

 また投石から手榴弾の投擲もあり、糞に目玉に内臓まで投げつけてくる例もあった。穴を開けて脳みそを抜いて軽くした生首も投げ込まれる。代わりに爆薬が入っていることもある。

 銃声ではなくても歌で嫌がらせをしてくることもある。ワザと調子外れにして耳障りに、そして下らないながらも悪口の連続。シビリを言う歌もある。

 悪口と言えば道行く先々には悪口が書かれた看板が並び、時には的外れな共和革命派の宣伝文句らしい文言が書かれる。

 恒例とはなったが、無残に切り刻まれた死体が行く先々に飾られる。腸が抉り出されて木の幹を一周しているもの、両目が抉られて男性器が突っ込まれているもの、腕と足が入れ替えに縫合されているものはまだ”マシな作品”に分類される。

 にわか雨かと思ったら、高台から散水装置で血と糞尿を混ぜた物をかけられたこともあった。あの鉄砲水の要領で、肉片内臓と水の洪水を浴びせられたこともあった。

 ”傑作”なのは、頭部代わりに三つの脳みそが絡まり、目玉が何十個も増えた死体が夜中に宿営地の真ん中で発見された時など、脱走者に発狂者の数がとんでもないことになったものだ。

 食糧庫の中に謎の精肉が交じっていることもあり、看板を通じて人間の肉であると明かされ、食べた者達が大騒ぎをすることもある。

 両目を抉られて手を潰され”助けて”と背中に焼印を入れられた不具者がフラっと現れるのは毎日のことになっている。それらの不具者は道に迷ったり、脱走したり、誘拐された兵士達だ。焼印の文言も”次はお前だ””王は見捨てる””勝利は無い””故郷に帰ろう”など種類豊富。

 敵の感覚が本当に分からない。死んだ妖精の、仲間のはずの首を重ねて塔にしていることもある。理解が不能で、脅迫とも何とも、分からなさ過ぎる。とにかく意表を突かれて足元をすくわれた気分になって変になる。

 夜襲、朝駆けは数千、時に数万規模で実行される。夜や早朝だけではなく、西日を背負ったり、飯時を狙っての襲撃もある。とにかく、こちらの軍が嫌がる時間帯を選ぶ。

 常にそういった攻撃は一撃離脱で行われており、驚くほどの大軍の攻撃であっても、こちらの兵を百人も殺さない内に素早く撤退してしまう。

 地の利は敵にあり、追撃は困難。大抵は援軍を差し向けるかどうかの判断をする前に逃げてしまっているのが常である。

 この山森の要塞を攻略するために大量の大砲と弾薬を用意したがほとんど使われていない。砲弾で粉砕するような建物が進路上にはほとんど見えてこないのだ。あることはあるが、絶妙に撃ち辛い段差の陰に砲台が草木に紛れて設置されている。この場合は砲弾を撃ち込むよりも、決死隊が爆薬を持って投げ込みに行くのが確実だ。

 そしてこういった襲撃があった後は、飾られた死体や不具者が増加する。混乱に乗じての誘拐が多発するのだ。突然鉤縄が飛んできて森の中の坑道に引きずり込まれることも多い。

 その坑道に踏み込もうとすれば妖精に合わせたもので、人間はまともに侵入出来ない。引きずられればやっと進めるような狭さ。落とし穴を使って同じことも行われる。

 夜襲では特に、人間の死体を切り刻んだもので着飾った敵の妖精が多く目撃されている。

 暗闇に、剥いだ人間の顔の皮を継ぎ接ぎした外套を着た妖精が至近距離にまで迫ってきたことが一度あるが、あれが気分の良いものなわけがない。フルンが奇声を上げて抱きついてきて身動きがとれず、危うく射撃の的になるところだったこともある。

 これらの凶行に、感覚が麻痺する前に精神が参ってしまう兵士が続出する。

 オルフ兵も発狂するし、我が精鋭のアッジャール兵、親衛隊員だって肌に傷一つ無くても全く戦えなくなっていく。

 戦闘で刀に銃に殺されるより、遥かにその凶行で精神を病んでどうやっても仕事をさせる状況ではなくなってしまう者が多くなってしまった。

 補充兵がいるから目下の定数二十五万は容易に維持は出来ているが、いつまで持つ?


■■■


 灰に染まったマトラの森に足を踏み入れ一か月あまり。大軍と悪路の組み合わせは相性最悪で、妨害が無くても時間が浪費されていく。

 気温も下がって病気になりやすくなってきている。更に不潔な泥に死体や糞尿を浴びせられ続けたせいで疫病も発生している。下痢、嘔吐、発熱はよくあるとすら言える。

 オルフからスラーギィ、そしてマトラの山中へと延びる補給線は整備し、粗方周囲の森は焼き払って容易に奇襲されないような態勢は整えている。

 もうイスタメルへは真っ直ぐ進むだけと言いたいが、しかしまだ突破出来てはいない。商人が調査したところでは一泊二日の旅程で山を抜けられるはずだった。それが道無き道を進んで、感覚を狂わされ、直進できない場所を迂回し続けている。まるで砂漠を進むように夜空を見ては星の位置と羅針盤から現在地と進行方向を確認している。遭難しているみたいだ。

 一度局面を打開するため、士気の高いアッジャール兵や少数民族兵で構成した先行部隊に行けるところまで強行突破をさせた。

 焼き切れていない森の南口には要塞があるところまで確認出来たが撤退を余儀なくされ、突破の試みは失敗した。強行偵察には成功した。

 その要塞の攻略でイスタメルへの進出が叶うだろうと見られる。

 該当の南口要塞は谷の西斜面に位置しており、谷底には川が流れ、その川沿いの道路が主街道となっている。川の流れに沿って下れば、中大洋にまで抜けるセルチェス川本流に合流出来るだろう。

 街道から南進しようとすれば高台から大砲で撃ち下ろされる形。

 斜面を登る形での高台にある要塞攻略となれば守備兵力三倍以上、四倍ぐらいは完全に捨てる気で挑まなければ陥落は覚束ないだろう。ましてや開けていない、足場の悪い森の中だ。

 今の足場が悪い中、少数部隊を逐次投入しても全て対処されて永遠に攻略不能だと考える。森を焼き払っても地面の複雑さ、燃え残りの幹などは邪魔なまま。

 こうなると、今まで通りに道路を拡張して、警備部隊を道路脇に配置して、警備所を密に建設していき、補給部隊を通わせ続け、疲れたり傷ついた兵士を後方に送り出し、回復した兵士を戦場に戻すということを堅実に繰り返して遂に、大規模な歩兵と砲兵を揃えて大規模攻略を実行するという正攻法しかない。

 西岸要塞と山森の戦いで、妖精相手に坑道作戦では一切の勝ち目が無いことは分かっている。ここは広い草原砂漠ではないからこれしかない。

 しかし当然の懸念だが、ここで冬を迎えた時に今の大軍を維持可能か? 寒さと病気の度合いは?

 ベルリク=カラバザルの襲撃は何度も繰り返されていて、致命的ではないが確実に兵士を減らし、神経を擦り減らして士気を削っている。

 仮に粘って堪えて南口要塞を攻略するにしても一体何か月かかるだろうか? もう一度西岸要塞のような血塗れの戦いが待っていることは確実だが、その規模は?

 西岸要塞は、十分な建設計画が練られた上で一から着手されて一か月余りであの規模になった。守備兵力は十万程度と見積もられた。

 あの南口要塞は、一体何年掛かりで建設されたものだ? 守備兵力は何万?

 マトラ妖精がここに住み付いてからの歴史など誰も知らない。山の野蛮人だというのなら大した要塞でも無いだろうが、彼等は最新鋭技術を持っているランマルカの妖精達との技術交流がある。アッジャールでは作れないような砲弾も使っていて、技術力では負けているとも見られる。ここまでの戦いで土木技術の高さも見せつけられた。

 今持ち込んでいる、疲れて弱った二十五万弱の兵力の犠牲で足りるか?

 いっそ高台からの砲撃を甘んじて受け、要塞無視という常識を破っての全軍強行突破という暴挙に出た方が被害は少ないのではないか? これで戦力を仮に半減させたとしたって十二万以上。十分じゃないか。むしろ二十万近くもいて数量に踊らされ、持て余していたことは事実だ。

 今後まともに補給部隊をオルフから送れなくなるだろうが、補給は全てイスタメル州での略奪で賄い、父王の中央軍と合流して分けて貰うのが正解ではないだろうか。奪える量に限りはあるが、その場合口の数が減っている方が都合が良い。

 魔神代理領軍の最大主力である親衛軍の撃破。この大目標が達成出来るのであれば別にマトラとイスタメルの征服なんてしなくてもいい。そもそもこの二つの地方にどれ程の価値があるものか。汚物塗れの墓穴なんか、わざわざ踏まないで避けて歩けばいいのだから。

 懸念はベルリク=カラバザルの軍を撃破しないままイスタメルからヒルヴァフカへ向かおうとすると、常に背後に奴等がいるという状態に陥ったままでいるということ。

 しかしこの山の中で惨劇を味わい続けるよりも、もっと明るくて広くて冬の寒さも軽い地方に出たほうが何倍も良いだろう。

 あとは父王の中央軍の側面支援に駆けつけることが出来たとして、それで親衛軍に勝てる見込みがあるか考えておいた方が良いだろう。

 魔神代理領の軍は質も量もさることながら、反則地味た魔族という恐ろしい戦力を大量に保有している。スラーギィで力を揮った魔族三名、ウラグマ、セリン、シルヴの何れも局地的な戦局程度なら引っ繰り返せる能力がある。

 こちらはたったの三名の相手で済んでいるが、ヒルヴァフカの方には一体何名の魔族が投入されているのか? あれが何百、何千といたならば幾百万の軍を投入したところで勝てないのではないか?

 父は”攻撃は一度じゃない。時に攻めるのが困難になる日もある。そこから一旦引いた時のために敵に何も残すな。何度も噛み付き、食い千切り、骨にする”と言ってはいたが、中央軍がヒルヴァフカで親衛軍との決戦を行っている現状では一旦引くなんてことは、普通は考えられない選択だ。

 それを考えられるようにしてくれたのはシビリだが、その機会は今じゃない。

 なるべく多数の、親衛軍相手に戦える精鋭部隊をどれだけ多くイスタメルを通過してヒルヴァフカまで送り出せるかが重要。

 要塞無視の全軍強行突破という策は実行に値するか? それ以外の良策はあるか検討させるために将軍級を招集。頭の中で整理した草案を開陳。現実路線に将軍等が修正し、多くが納得できる作戦が出来上がった、

 ヒルヴァフカに”使える”兵力を送り出し、父の中央軍を支援するのが目的である。その”使える”兵力とは、士気が高くて統率が取れており精強な我等がアッジャール騎兵に他ならない。

 その他の兵共は今まで通りに切り捨てて良い。だからその兵をマトラの通行料とする。初めから全滅させる勢いで、とにかく南口要塞を中心に砲兵支援に拘らず波状攻撃を全方位へ仕掛けさせる。補充兵も次々と送り込んで防御に専念させ、マトラ山中に封じ込める。

 そうしてからアッジャール騎兵は要塞も何もかも無視して強行突破を敢行し、イスタメルで最低限の物資を略奪補給し、ヒルヴァフカへの側面攻撃へ移る。

 泥沼に拘泥する意味は無いのだ。ベルリク=カラバザルの掌中に留まる必要は全く無い。そもそも攻略困難な要塞は無視して戦うのが我々の戦い方だ。歩兵だの砲兵だのと、余計なことを考えさせられた。地べたに拘る農民と戦い方を合わせる必要は無い。

 少数民族とオルフ出身の将軍等の苦い顔は今更である。あれこれと蹴躓くような障害はあるものの、基本的な行動方針は変わらないもので、その通りに実行するのが最大限の力を発揮できるものだ。

 得意分野というのは現場で変えられるものではない。


■■■


 フルンが持ってきた――淹れ方は指導中――お茶を飲む。淹れ方以前に茶葉が悪くなっているようなので小言は控える。

 周囲の光景も、焼けた森の跡なので情緒的にも高級品を楽しむどころではない。冬が近いせいか、緑の復活の兆しもほとんど見られない。

 南口要塞への突撃部隊、マトラ山全体への牽制軍、ヒルヴァフカ行きの主力軍の三軍の編制が数日がかりで完了した。

 数日程度で終わった秘訣は、まともに行ったら膨大な時間を要する編制をいい加減にやったことにある。元々が有象無象、いくら死んでも良い連中、デタラメに突っ込んで敵軍を掻き回せれば良いのだ。貴重な時間には替え難い。

 後は牽制軍を除き、突撃軍と主力軍が持ち運ぶ物資の集積具合の確認報告が済み次第、行動が開始される。

 お茶を飲みながら、若干泥に汚れた、敵の竜が空からバラ撒いて行った新聞に目をやる。見出しは、

 ”魔神こそ全てである。魔神代理は唯一である。唯一なる方よお喜びあれ。魔神の御力を恐れぬ愚かなるアッジャールの人食い犬、イディル王はヒルヴァフカ州ツァルベン郊外の戦闘にて戦死! その首討ち取ったるはシャクリッド州総督ベリュデインの獣人奴隷ガジードなり。その刀捌きは真、雷光の如きである。かの者、かの主人に今後も魔の御力がありますように”

 有り得ない偽情報だ……。

 急ぎ足でイリヤスがやってきた。何も言わずに差し出してくる皮袋を見て、首を傾げて、お茶を一気飲みする。

 袋の中、緩衝材である藁の詰まったその中に手を入れ、冷たく固いものを取り上げる。それは石膏で作られた死仮面、驚くほど精巧な父王の顔だった。

 見れば見るほど眉の、目の、鼻の、唇の、顎の形に皺まで、髭は伸び剃りがあるものの、事実確認の必要性を確信させるに足る精巧さだ。間違いなく本人だと確信する程……。

 全軍に待機令を出す。これはベルリク=カラバザルの詐術なんかで済ませる話ではない。


■■■


 父の戦死を告げる新聞がばら撒かれ、緘口令など布く前に全軍へ噂は広まった。おそらくこのためだけの潜入工作員がいたとすら思われる。

 全軍待機令という事実も伴ってか、兵士達の厭戦気分は酷いものになっている。またベルリク=カラバザルの軍からの嫌がらせは引き続き行われており、何らかの行動を起こさなければ大規模な反乱すら予想される雰囲気である。

 中央軍からの手紙と、ポグリアの手紙も持参し、救世神教徒を慰問しにきたユノナ=レーベの手からその二通を受け取る。

 久しぶりに妻の――ユノナにとっては長旅で――やつれた顔を見たのだから何かしようと思ったが、何の感情も気遣いも浮かばなかった。こんな焼け野原の、死体が散乱する戦場に呼んでおいてだ。

 中央軍からの手紙を開く。イディル王の戦死、全軍の引き上げ、後継者選出などなど案件が数え切れないほど。とにかく黒鉄の狼が砕け、ただの狼だったことが証明されたのだ。鋼鉄ではなく砂鉄。

 もし我々がもっと早くにマトラを突破していたら……。

 ポグリアからの手紙を開く。”準備万端”の一言。

 ユノナ=レーベには「信徒達の動揺を抑えて回るように」と指示する。続けて、部下の様に使ってすまない、と嘘でも喋ろうと思ったが口が動かなかった。

「イスハシル王殿下」

 何か遠回しに文句でも言われるかと、ユノナ=レーベに目を合わせられずにその胸に目線を落とす。

「教えは違いますが、義父君の死が安らかであるよう祈らせて下さい。何か縁の物があれば……」

 何か言おうとやってきたイリヤスを横目に、ユノナ=レーベには成人祝いに父から貰った指輪を手渡す。

 イリヤスが、はい分かった、と両手を上げてこちらに背を向ける。

 ユノナ=レーベは指輪を持った手を組み、死者への祈りの言葉をささやく。そうして小さく礼をして、返された指輪を受け取る。

「無理はするなよ」

「そのお言葉だけで十分でございます」

 社交辞令じゃないと説明してやろうか? と思っていると、イリヤスが小走りにやってきた。

「撤退作戦の調整は終わったぞ。どうする?」

「黒鉄の狼イディルは砕けた。オルフに帰還する」

「砕け……了解だ」

 動き出し、スラーギィに脱出するだけでどれだけまた時間が掛かるだろうか?

 戦いを諦めた背中を見せた程度で終わる気配は無い。妨害は必ず有る。追撃なんて甘い香りに酔わない軍人は少ない。あのベルリク=カラバザルは、戦略上必要が無くても遊びで戦いを続ける男に感じられる。

 和平交渉の使者を出すべきか? しかし単独和平がなったとしても、右翼軍のその”現場判断”に中央軍と左翼軍の兄弟達がどれほどの反応を示すか恐ろしいものがある。

 後継者争い。誰がアッジャール朝の版図を引き継ぐのか。瑕疵が多ければ多い程に立場が悪くなる。口実が……口実が?

 とにかく今は引くより他にはない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] イディルの死は、古き伝統を拭いきれなかった故の顛末だったのでしょうか。 彼とイスハシル、親類との関係など、過酷な環境と実力社会の遊牧民だからこその強さと、脆さが改めて垣間見えて面白かった…
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