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ベルリク戦記 ー 戦争の生涯 ー  作者: さっと/sat_Buttoimars
第1部:第2章『アッジャールの大侵攻』

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24話「陸に上がったセリン」・ベルリク

 我等がイスタメル第二軍、総員十万名である。当初は十三万名だった。

 相次ぐ戦いで当然のように死傷者、病人が発生。兵数減。

 負傷から復帰した兵士もいれば、予備兵力である老人子供で補充した分もある。兵数増。

 しかしいくら妖精が人間に比べて持久力に長けて士気が高いとはいえ、爺さん、婆さん! 少年の兵隊では、実力は実数十万以下であろう。

 またしかし、マトラの森まで軍を引いたことにより、残るマトラ市民全てが戦闘配置についたと考えられる。動けない者を除いて約四十万の兵力だと数えることが出来る。

 ここの山森での防御では圧倒的に地の利がある。野戦では役に立たない民兵も己の故郷で戦わせれば実力を発揮するというもの。それが訓練され統率された妖精民兵であればここに、正規兵が四十万規模で発生したと考えて良い。

 妖精達の全人民防衛思想によれば、現在もしくは将来妊娠可能な健康な女性と僅かばかりの男性さえ生き残れるのならばどれほどの犠牲を出してでも勝利は価値あるものである、とされる。

 それから成年男性兵が全力で戦うのは言うに及ばず、老人兵は相打ち覚悟の決死要員として用いよ、少年兵は何時でも全投入可能な予備兵力とせよ、少女兵は最終的手段として用いよ、成年女性兵は最期となれば刺し違えよ、と記されている。人間とは覚悟が違う。

 スラーギィ戦では人間の常識に従って、老人兵や少年兵でも体力が合格域に達している者しか前線に置かなかった。

 このマトラの森で戦いが起こったならば体力がどうのこうのという言い訳は通用しない。全人民が戦う。

 既にミザレジが、武器を携えた少年少女兵を何万人と集めて「人民による、人民のため、人民による総力戦が始まったのだ!」と演説して士気を高めていた。

 たださえ幼く見える妖精達の、中でもややもすれば幼児にすら見えなくもないチビちゃん達に決死の突撃令を下すのは自分になるのか?

 さて、そんな暗い話ばかりではない。後方にはまだ憲兵旅団もいるし、イスタメルの民兵、訓練終了か中途でも、掻き集めた新兵だって投入可能。数を揃えるには他師団の管轄から誘拐するように強制徴募する必要がある。

 魔なる法による超俗令、何という響き。ウラグマ代理に言質をとれば可能なので計画に入れてある。

 あえてマトラの森の南北路を開放し、イスタメル州に敵軍を流し込んでこちらの負担を軽減するという計画だ。ヒルヴァフカ州における戦いを支えるという目的を忘れた行為にはなるが。

 さて、ちゃんとした増援が到着している。セリンが海兵隊と陸戦装備の水兵を、陸揚げした艦砲と共に一万名も連れて来てくれた。

 ヒルヴァフカ州救援のために中大洋全艦隊の海兵隊へ上陸命令が下るという楽しくも危機的な状況の中で、イスタメル州海域の艦隊だけそれに応じなかった。一刻も争う中なので事後承諾らしい。

 何度も重ねて派遣している斥候の情報、捕虜からの尋問結果を統合すれば、現在スラーギィ入りしているアッジャール朝オルフ軍の兵数は二十五万程度と見込まれている。

 街道整備、物資輸送のために更に多数の非戦闘員、労働者を含んでいるので三十万、三十五、四十万は見積もり過ぎか? そこまで膨れ上がっているが、依然としてこちらが数量、地形、兵站線の長短、それらの要素から上回っている。

 緒戦に奇襲で一気に得たスラーギィを失っただけで、まだまだ戦況的にはふりだしに戻っただけという状態。笑っても泣くところなど無いのに人間達の顔は暗かった。夏も近づいて、日照時間も伸びて暖かくなってきたのに。

 海軍歩兵に河川艦隊の連中は、ぐったり、という言葉が似合うくらい疲れている。

 アソリウス軍の連中は船旅からの、強行軍からの、休まずに戦闘参加のせいもあるだろうが、同じく疲れ顔だ。元気なのはシルヴだけか?

 亡命により増強されたレスリャジン騎兵各大隊も大分疲れた顔をしている。馬の疲労が酷いから、などと弱音を吐いている。斥候伝令を出す頻度が下がってきた。

 セリンが連れて来た海兵、水夫の陸戦隊はというと、慣れない森中を登山してきたからか、今までヒルヴァフカ州へと人員物資を集中させる仕事続きで戦わずとも疲れているのか不安げな顔が揃っている。セリンも魔族の癖に深刻な顔。

 妖精達はいつも通り元気だ。意味も無く小隊規模で整列行進してきて、敬礼して行きやがる。敬礼を返してやると、まあなんと嬉しそうな顔を返してくることやら。

 軍楽隊が色んな曲を演奏している。軍系の曲だけではなく、どこから仕入れたか分からないような民謡まで演奏している。こいつらがいなかったら葬式でもしてんのかと一言つけたくなる有様だ。

 もしかして、この状況をまだ優勢だと考えているのは、自分だけ?

 朝食後に各隊将兵を三七番広場に集めるよう伝令を出す。

 スラーギィに侵攻した折に出発地点にした広場だ。主となる中央広場の収容人数は、馬や大砲のような大物を持ち込まないでびっちりと整列させれば二十万人の収容は出来る。ここは未だに拡張工事が続いている。

 お茶でも飲みながら演説という程、肩肘張ったものにする心算はないが、その台詞を簡単に考える。あんまり手の込んだ台本にはしない。思い付くまま、楽に喋ろう。

 アクファルに「任務外の全隊集合完了しました」の言葉を貰ってから将官用宿舎を出る。

 最後尾からでも――豆粒大でも――見えるように階段つきの高い演台の、そこの最上段に昇る。

 壇上にはラシージがいて、セリンにメフィドもいた。ウラグマ代理は少し離れた場所で地面に椅子を置いて座っている。

 これは、肩肘張った感じになっているな。そんな状態でも無いのに。

『わー!』

「国家名誉大元すーい!」

「よう」

 手を上げて返事し返すと『わっ!』と妖精達だけが元気良く返してくる。

 このマトラだけで通じる元帥号も何だか、何だろう。本来は旅団長なのに、自分の後ろに提督と師団長が控えるという位置取りになって、本当に元帥になったような演出になっている。

 目の前に並ぶのはアソリウス軍を含めた人間兵、そして妖精兵が……広場をどの程度埋めているかで概算すると十万人はいるか。防衛配置についている者がいるので総員ではないが、このくらい集まってしまったか。

 しかし、想定内の事態だというのに、まるでこれから決戦に、捨て身で挑むみたいに皆が緊張している。誤解を解かないわけにはいかないだろう。

 拡声器を片手に喋る。

「将兵諸君……」

 これでも声は小さいかな?

「旦那、もう一回」

「うん? ……”将兵諸君!!”」

 おっ!? デカい声になった。魔術は便利だな。

「集合ご苦労! 皆、元気かなぁ!?」

 耳に手を当て、声を拾ってみる。

『元気でーす!』

 と返事したのは妖精ばかり。シケた野郎共だ。下らん冗談に付き合う元気も、無理矢理に乗っかって出す空元気も無いのか。

 冷やかすように、整列に混じっているシルヴが指笛を鳴らし、エデルトで見たことがある顔があるアソリウス兵達も笑う。あれくらいの余裕が皆にも欲しいところだ。

「私も元気だ! シルヴもありがとう、愛してるぞ」

 もう一笑いといって欲しいところだが、不発。

「さて人間諸君、無駄に疲れた顔をしているな。まだ損耗率が九割もいってないのに落ち込むとは情けない限りだ。補充分を入れてまだまだ二割? 三割? 抜かしても五割ぐらいしか死んでいない。

 まだまだ余裕じゃないか。戦争は序の口だぞ。揃いも揃って何をこの世の終わりみたいな顔をしてやがるんだ? そんなシケた面をしていいのはな、定数一割を下回って軒並み高級将校がくたばり、野戦昇進したどこぞの馬の骨が指揮を取ってるんだか寝てるんだか分からないような状況になってからだ。今はどうだ? 違うだろ! 妖精達ぐらい死んでもいないのに被害者面をするもんじゃない。

 まだ行ける、まだまだ行ける! 単純に敵をぶっ殺すだけのお仕事で疲れた気になるんじゃない。民間人を犠牲にしないように、畑が焼かれないように守れとか、そんな面倒臭いことはしていないだろ!

 給料の遅配は無いし、後方連絡線は保たれていて酒保の姉ちゃん方の売店から品が消えたことなんてあるか? 無いだろ。

 お前等、朝飯食ったか! 俺は食ったぞ。腹減ってるか? 十分食えるだけあっただろ。状態は万全じゃないか。こんな好条件下で落ち込む必要が一体何処にあるんだ!?」

 セリンは感心したように手を叩いたが、他の人間達は、何言ってんだてめぇ? みたいな顔をしている。

 一部の好戦的な連中、絶望的な戦場を知っている者達は不敵に笑い出しているが、特に海軍連中はまだ顔がダメだな。先の大戦では陸軍程の苦労はしていなかったかな?

「はいそこ、レスリャジン騎兵連隊長トクバザル! 今朝言った通りに報告して」

 手招きして壇上に上げる。おう? いつもの調子じゃなくて緊張してるなこのジジイめ。こちらに新しく寝返った連中を加えて大隊から連隊に格上げしたというのにこの、昇進し映えのないジジイめ。拡声器を持たせてやる。

「えーはい。建築資材を運ぶ五千規模の敵部隊が五つ、横に広く間隔を取って南進している姿が確認されています。

 その隙間を埋めるように騎兵隊が三千規模で八以上護衛についています。また更に後方には予備の騎兵隊が、五万近い数で即応体制にあります。これら騎兵は交代制を取っています。

 これは繰り返して行われている敵軍の道路の延伸拡張、駅や塔や砲台を建設し、村や畑を再建する工程の中での、移動中の姿です。

 工事は、現場を騎兵隊が円周防御配置を取って守りを固めてから始まります。その内側では歩兵が守られながら工事を行い、安全が確保されてから避難していたスラーギィ住民の帰宅が促され、労働者も順次投入されて大規模化していきます。増水で失われた以上に畑を拡張する様子があったので入植も行われると見られます。

 道路工事は増水で損傷した旧道の修復だけではなく、新道も複数作られる大規模なものになっています。

 新道の行く先はマトラへ続く南方に限らず各水場を目指していて、その先にある村や牧地に繋がっており、川沿いと同じく住民の帰宅を促すものです。また新しく家畜を放っている姿もあり、今は騎兵隊の一部が面倒を見ていますが、こちらの方面でも入植を行うものと見られます。

 これは今まで大軍を養う能力が無かったスラーギィを策源地として整備し、年単位での長期戦を意図していると見られます」

 身内には利かない口で喋りやがるので笑いを堪えるのに必死だ。こんな面したジジイでも、レスリャジン騎兵の偉いさんが変な奴だと思われないようにって気を使っている。傑作!

 このように現場を見てきた元スラーギィ住民に言わせたことで状況を皆、より良く理解できたと確信したい。兵士はともかく、高級士官はして貰わないと銃殺ものだ。

「今から攻撃する」

 分かりやすくも、人間の兵達からは、何言ってんだてめぇ!? みたいな顔が見える。

 まあ、それはそうかな? マトラの森に腰を落ち着けたばかりだ。中洲要塞を離れてからは、河川艦隊に手伝って貰ったものの、ほとんど寝ず休まずの強行軍で逃げてきたわけだ。

「セリン提督、ここで糞垂れる仕事は終わりだ。攻撃するぞ」

「誰に向かって口から下痢垂れてんのよこら。お前等支度だ、殺すぞ!」

 親方がそう言えば不満顔をしていられない海軍連中が雄叫びを上げ、それに負けてられない兵士も気勢を上げさせられた。何より、大多数の妖精達がいつものようにはしゃぐ。

 作戦は既にセリンと練ってある。思いつきのように攻撃するぞと言ったのは、勢いだ。


■■■


 海軍はダルプロ川から、陽動を兼ねて建設途中の沿岸砲台を中心に複数個所へ攻撃する。セリンが音の魔術を炸裂させて敵を混乱させ、そこへ海軍歩兵と海兵隊が、河川艦隊からの援護射撃を受けつつ上陸攻撃という段取り。

 海軍が比較的安全な川から敵軍をつつき、騒がせ、その隙に陸側からこちらが攻撃を仕掛けるのだ。

 こちら陸軍は補充兵と最低限の守備兵、強行軍で疲れていたり足を痛めている者は残して五万の兵力で、持ち物は最低限にして、速力重視で前進。

 行き先はレスリャジン騎兵に先導して貰って進む。目標は建築資材を運ぶ敵部隊が理想。あの、円周防御配置とやらが組まれる前に一撃する。

 進む途中に何度か敵の斥候を視認したと報告が、当然入ってくる。アッジャール兵が間抜けなはずはない。

 歩兵中心の、馬車を大量に引っ張っているその敵部隊五千が視認出来る距離に入る。その五千に、左右から敵騎兵隊が三つ、九千で駆けつけてきた状態で相対する。

 敵は戦力分散の愚を犯したといえる。戦力を集中していれば、我々は野戦で十万以上の敵兵力に対峙してしまい、大損害を被っていたはずだ。

 端数を合わせても一万五千程度の敵軍は、五万規模で急遽打って出て来るとは想像が付かなかったらしい。斥候から大軍とは聞いたが、ここまでじゃなかった、というところか?

 敵指揮官は攻撃する術も、資材を運ぶ車列を守る術も思いつかなかったようで直ぐに撤退させ始めた。

 イスハシルの魔性とやらは、無人の野を無理に進ませるのがやっとであるか? 組織が崩壊していないだけ合格点と見るべきか?

 背中を敵軍一万五千が見せている。すぐさま追撃を仕掛けたいところだが、歩兵はともかく過半数がアッジャール騎兵である。遊牧民が得意とする、偽装撤退からの敵軍誘引、包囲殲滅という戦術が見えている。

 こちらの騎兵のみでアッジャール騎兵九千に敵うはずもない。レスリャジンに獣人奴隷、精強だが無敵ではない。

 こちらの騎兵には側面防御を命令する。追撃をしないよう、命令違反者には功績にかかわらず絞首刑と念押ししておく。

 竜の斥候に周囲の安全確認をさせる。

 足腰の強い者達を選抜し、長距離射撃に適した小銃を装備する散兵を先に前進させる。何かあればすぐに逃げるように指示。

 歩兵達には連隊単位で固まって前進させる。敵騎兵が迫った戦列一斉射撃で粉砕出来る、歩く要塞の役目をさせる。先行させた散兵が逃げ込む避難所でもある。

 建築資材を運んでいた五千余りの敵部隊が標的だ。彼等はオルフ人歩兵であり、ほとんどが徒歩で、荷車に繋いである駄馬や牛にロバは逃走手段として頼りない。

 アッジャール騎兵に見捨てられたオルフ兵五千へ散兵が早くも銃撃を始める。はっきりとは聞き取れないが、怨嗟の声が敵方から聞こえる。

 人間、いつまでも走って逃げられはしない。持久力に優れた妖精達が追いつき、銃撃を敵の背中に加え、逃げながらも多少は保っていた抵抗心を完全に砕いてから肉薄。銃剣で刺し、銃床で殴って、蹴って倒して踏み潰した。

 竜の斥候から周囲の安全を確認したと報告を受けて、それからようやく騎兵に追撃命令を出して逃げ切りそうになっている敵、歩兵だけに限定させて狩らせた。

 降伏した者は大勢いたが、捕虜として価値は無いので不具にして、一箇所にまとめて放置することに決定。噂は広がっているだろうに、未だに自発的な捕虜が発生している。

 建築資材をぶん捕る余裕は無いので、不具者を回収させる目印としての焚き火の燃料にした。

 これで敵の士気はまた落ちるだろう。スラーギィ住民も協力したくなくなっていくはず。

 残虐な行為に怒り心頭、士気が上がるなんて時期はとっくの昔に過ぎている。激情は一過性だ。何度かぶり返すものでもあるが、慣れてしまう。

 侵略されているのならば、家族を守ろうと決死の覚悟があるのならば慣れはしないかもしれない。しかし、嫌々見知らぬ土地に投入されている兵士にとって激する価値があるものだろうか?

 お土産に、周辺には地雷を敷設しておく。決死の老人兵、助かる見込みが無い負傷兵が起爆要員として待機する。

 志願者が多くて困るぐらいなので良心も咎めない。これで味方を助けに来た、放置された武器や物資を回収しに来る敵兵を吹っ飛ばして身も心も挫く。

 何があるか分からず、突然不条理に死ぬ罠が張り巡らされた場所に行かなければならないという認識を広めて苦しませる。苦しみが極まれば発狂して戦闘不能になる。

 悪辣と評されていそうで、こう、うずうずする。良くも悪くも? いや良いに決まっている。

 こちらのこのような妨害攻撃と敵の前進、建設速度のどちらが早いか? それは勿論敵の前進、建設速度だろう。

 今成功させた攻撃なんかすぐに対応される。こちらとしても二度と同じ手段で実行する心算はない。切った手札を貧乏根性で拾う気はない。

 こんな攻撃は嫌がらせにしかならないかもしれない。しかし絶え間無く与える出血は敵国の総力を削ぐ。

 未来の勝利は死体の沼で敵が転んだ時に訪れる。

 撤退命令を出した。


■■■


 敵撃破後の撤退は速やかに、妨害はほぼ受けずに完了した。

 敵三千の騎兵隊が追いかけて来たこともあったが、手に負える規模ではないと悟って距離を直ぐに離してしまった。他の騎兵隊と連携が取れている様子でもなく、牽制攻撃も進路妨害もして来なかった。

 短期で終わる戦場では展開し切れない五万もの軍量を連れてきたのは、このように寄せ付けないためにある。

 懸念であった五万近い敵の予備騎兵は何処に行ったのか? 折角彼等の得意な草原での野戦が可能な状況にしたのに。

 敵を無能と謗るのは簡単。このような対応になっているのは、海軍がダルプロ川から沿岸各地に陽動、襲撃を仕掛けたからだろう。セリンという最高の切り込み魔族がいれば何でも出来てしまえている感じがする。後で報告を聞くのが楽しみだ。

 こちらもそうだが、現場は目の前のことしか基本的に分からない。遠方で指揮を取る人物にとって、同時多発攻撃に対し、敵戦力評価も定まらない内に迅速に対処するとなれば戦力配分に博打要素が出てくる。

 今回の敵指揮官の対応は、沿岸部への緊急対処を重視した、ということになっている、ような気がする。河川艦隊による頑張りが脅威度評価に影響したと見られる。

 マトラの森へ引き上げている最中に竜の斥候伝令から、セリンの活躍もあって複数の沿岸砲台へ襲撃を成功させて弾薬庫を爆破し、貯蔵物資を焼いたり川に流したりして損害を与えたと報告があった。

 今回の一撃離脱は成功で終わる。

 大勢に影響を与える一撃ではないだろうが、敵に確実な被害を与え続けることが肝心。

 常に敵には襲撃に備えなければならないという負担を強いて疲れさせ、遂にはマトラでの決戦を迎える時に万全の状態ではなくしてしまう。また時間を稼げ稼ぐほどに山と森の防御工事は進み、侵略者に取って手がつけられない大要塞へと進化していく。

 味方にも影響がある。いつまでも引き篭もってうじうじと待っていたら何も被害が無くても負け犬根性が育ってしまう。頻繁に敵の血を吸わせないと弱くなってしまう。身を丸めるより殴っていた方が気が強くなろうというもの。

 これからも似たような手段を取らずに、積極的にマトラから打って出て敵を殺そうと考える。

 さて、春の増水もそろそろ終わってダルプロ川の増水も程々になる頃。セルチェス川源流分、新規工事による水源数の増大もあるが、こちらの河川艦隊の優勢にも限界が見えてくる。敵だって対抗する沿岸砲台と河川艦隊に充実に本気になっているだろう。

 夏はどうなるか? その先の秋、冬まで続いた時にどうなっているか?

 イスハシルくん、まだまだ楽しいぞ。


■■■


「あー悔しい!」

 将官宿舎は小奇麗な庭付きで、外で気持ちよく食事ができるように屋外家具も揃っている。おまけに川のせせらぎに小鳥のさえずり付きで、中々に風流である。

 要塞守備なんて仕事につくからには安らぎの場所は素敵なのが良い。

 セリンが地団駄を踏む。それから椅子を蹴っ飛ばして粉砕する。

 アッジャール朝オルフ軍の行動を妨害するように小突いて回ったこの夏、局面が変わった。

 中州要塞の西岸側に敵の強固な砲台が建設され、敵の攻城重砲の砲撃にさらされたので放棄せざるを得なくなったのだ。こちらの要塞砲兵と河川砲艦が陸水から発揮した火力を、敵が遂に超越したのだ。

 大地という不沈艦にしっかり据え付けられた大砲同士の殴り合いとは言え、面積も兵力も物資供給能力も勝る方に負けた。

 どのように工夫したから敵が勝ったという分析をするのも簡単で、深い塹壕を何十本も掘って砲弾から逃れながら、敵が重砲を頑丈な砲車に載せて前進させてきたから負けた、という手の施しようが無い負け方だった。

 中洲要塞最後の抵抗に付き合った河川艦隊から撃沈被害が出た上に、川に流されて捕虜になった水兵が、目玉に焼けた鉄串を刺されて追い返されてきたのだからセリンは大変怒っている。

 自分はそれくらい、可愛い仕返しかなぁと思っているけど。

「仇は百倍返しにしてやる! 女子供から先に殺してやる!」

 セリンが手近な、観賞用の花が咲く木に刀で切りかかる。刃が根元から折れてすっ飛んで――給仕の水兵の帽子を薄切りにし――からも柄で殴り続けて削っていく。

 今や敵軍は、海洋に出すような軍艦をダルプロ川に出している。制川権が取られたのだ。セリンがいながら。

 丁度、水門のように敵艦船の通行を止めていた中洲要塞が無くなり、あちらも海から川から揚げて整備した道路に丸太を強いて滑らせて持って来たらしい。

 セリンがいながら、大型艦は河川砲艦の小口径砲など物ともせずに大口径砲を大量に船舷に並べて撃ってくるので水上戦で敗北、撤退の憂き目にあった。一隻だけならともかく、十隻に十隻と川幅を埋めるくらいに送ってきたらしい。流石は数十万と軍勢を送ってくる作戦能力。

 あのセリンがいながら水上戦で負けるとは不思議なことだが、いかに優れた魔術を使える魔族とはいえ、物量と統制された射撃能力を前にしてはどうにもならなかったようだ。

 敵も魔術使いを保有しているので、術の才能が無い自分には想像がつかない、どうにならない次元での駆け引き、戦いがあったのだろう。

 しかし馬賊に海賊が水上で敗北だなんて超だっせー、マジウケる。部下の命を捧げた冗談お疲れ様ですぅ、と言ったら色々あった後にセリンがアクファルやラシージと殺し合いになりそうなので、喉まで出かかったが止めた。

「アッジャール人の妊婦に賞金を掛ける。おい秘書官、経理に言って予算を都合しろ。戦意高揚目的ならわざわざ軍務省の許可はいらないでしょ、すぐやれ」

「前線に妊婦なんていませんよ」

「じゃあ敵本土に突っ込んで獲って来らせる。これからの戦果は首じゃなくて女と分かる腸で勘定しろ。戦果の無い奴は給料無し、腹を裂いて子宮を抉る程度も出来ないタマ無しに用無し」

「無茶言わんで下さい」

 セリンは「ぬがぁ!」と叫び、さっきまで殴っていた木を髪の触手で引き倒す。

 倒れた木に茂った枝葉が庭に溢れてモシャモシャした感じになって落ち着かなくなる。

 それに加えて敵が大量の火薬を積んだ焼き討ち船による自爆攻撃を成功させたこともある。船に被害が出たこともあるが、この爆音で水中にいたセリンが一時戦闘不能になったらしい。馬賊に海賊がやられたということ。

 敵がどれが特別優れていたからという評価は不当だろう。何でもやれるような戦力と兵器を大量に前線に投入し、弱体のこちらが対応できなくなったから当たり前に負けた、ということだ。

 海賊は河賊ではなかったということだろうか? 海のように広くて深くて、天候の影響を受けやすい場所だったならもっと自由な作戦が展開できたのかもしれない。野戦と室内戦ぐらい勝手が違ったかもしれない。陸に上がった海軍の限界だ。

 以上の経過によりダルプロ川の放棄を決定し、最後の河川艦をマトラの山森内に戻して防御用の浮き砲台として設置し終わったのが今日である。

「奴等の捕虜いないの!? 我慢出来ないぃ……!」

 セリンは歯軋りでギリギリバキバキ。石でも砕いているのか?

「グルツァラザツク将軍が全部目の玉抉ったりして帰しましたよ」

 セリンの秘書官、お前、弾除けに名前を出すんじゃないよ。

「一匹くらい」

 セリンの大音響魔術が発動「残しとけ!」の圧力で罪の無い秘書官が吹っ飛んで気絶。森が衝撃でざわめき立ち、周囲の者達の鼓膜も痛めつけ、上から鳥が落ちてくる。

 自分は今、ダルプロ川へ流し込んでいた水をセルチェス川に向けて戻すようにと命令文書を書き終えた。下流域では農業用水が足りないという苦情が来ているのだ。夏の渇水、水路や運河の拡張の影響が出始めていた。

 落ちてきた鳥の下処理をしようとするアクファルにはそれを止めさせて、出来た文書を手渡し、伝令にマトラ山の工兵達へ送らせるように指示。

 聴覚が麻痺していたので身振り手振りでやってみたが、流石のアクファルは直ぐに要領を得て出発。

 増水作戦の次は、ダルプロ川を枯れさせるか小川にして、敵に船を使わせないようにするのだ。川に対して行う焦土戦術。戦史に載りそうだなぁ、と思ったりするが、どうだろう?

「ちょっと旦那」

 しばらくしてから。聴覚が復活した頃、気を落ち着かせた”風”のセリンが肩をちょんちょん突いてくる。これだけなら可愛いものだ。

「あのジェルダナっておばはん私に貸しなさいよ。ちゃんと……返すから」

「ダメよん、マジ無理んこ、断固拒否しますん」

「ナメ腐れた返事垂れてんじゃねぇよ!」

 セリンに胸倉を掴んで揺さぶられ、勝手に口から「あばばば」と声が出てくる。

 迎撃はともかく、攻撃作戦が難しくなってしまった。それが悔しい。流石にオルフ王領まで殴り込むのは無理だとは思っていたが、妨害行動すら無理となるととても悔しい。作業妨害の奇襲以外にも、色々やれば良かった。

 ペトリュク南部沼沢地帯こそ敵の強力な防壁であって、そこを突破する道こそがダルプロ川だった。スラーギィで敵戦力を野戦撃破して、ペトリュクへダルプロ川を伝って突入……は夢想。

 夢想はともかく、ダルプロ川経由の作戦が実行不可能となる。このままマトラの森に殴り込んで来るのを待つだけ? そんなことは認められない。

 そろそろセリンに揺さぶられている頭が破裂しそうだ。

 おっぱいを指で突っついて、中途半端に乙女なセリンが驚いた隙を突いて離れる。

「ラシージ、指揮官集合」

「はい」

 指揮官集合と聞き、八つ当たり先を失ったセリンが唸って手を引く。よろしい。

 将官宿舎の会議室に面子が集まる。ウラグマ代理は最初からいた。

 セリンはメフィドの鱗肌をカリカリ掻いている。

 メフィドは爬虫類的無表情。

 トクバザルは干し肉をくちゃくちゃ噛んでいる。

 ラシージは黒板を前に作戦図等を描く準備を完了。

 ミザレジは……速記の準備をしているように見えるが、はて。シルヴは無表情なようで、片眉だけ曲げている。呼んだからには何も無かったじゃないだろうな? と言っている。

「少数で一撃離脱。夜襲が理想。足の遅い部隊を小突いて、殺して、焼いて、不具にして放置。道案内はレスリャジンの兵だな、行き帰りよろしく。オルフ軍も相当にマトラの森の近くまで何かしてきているので道程は短い。さっと行ってパパっと殺してとっとと逃げる。はい意見は?」

 景気づけに夜襲でもしようという提案。軍事作戦というよりは行楽とか狩猟のノリだ。

「賛成! 海軍は大賛成。あの目ん玉抉って腕潰して金玉ももぐんだっけ? あれやる。人も馬も全部やってやらぁ。雌は腹裂いて子宮取ったらぁ!」

「そうか頑張れ」

 セリンは顔にいつもの明るさが戻ってやる気十分。魔族の夜襲なんて流石の自分でも死ねる気分が出来る。

「提督に同じです」

「分かりました」

 メフィドはまあ、海軍歩兵が海軍に意見できることもないか。

「戦闘には参加させてもらえねぇんですか?」

 トクバザルが不満げに言う。

「松明を棍棒にするほど切羽詰ってないからな。先導役だけ、言うこと聞きなさい」

「あいよ」

 レスリャジン騎兵から不満の声が上がっているのは事実。その内容が敵に突っ込ませろっていうのが大半……いやほとんど……ああ全部だ。あれの系譜に連なってるなんて納得できてしまう。

「撤退時の、敵の追撃を迎撃する部隊を後方に配置した方が確実になります。人員を出す許可を」

「お前が思った通りにしてくれ」

 ウラグマ代理はなんだか、いい加減になっている気がする。

 ラシージが黒板に無駄なく簡潔に図と説明を描き込んでいる。ともすれば血の臭いがする程度の雑談だけなのに、もう既に立派な作戦図になっているのは、全く”ならでは”か。

「我が市民達の戦意は旺盛である」

 ミザレジは無視。

「アソリウス軍はどうかな? 大砲引っ張っていくわけじゃないから、留守番してても飯は出すけど」

「部下は後方で寝させとくわ。私は出る」

「そうしよう、お手手も繋いでな」

 素敵な仲間と敵を殺せる。ましてや今まで知らなかった妹さえいる。幸せだなぁ。

「作戦の性格を考慮して、攻撃部隊は全員騎乗。替えの馬を管理する部隊も欲しいな。代理、奴隷騎兵を貸して下さい、馬の面倒を見させたいです」

「いいよ」

「ラシージは迎撃部隊を指揮してくれ。野戦陣地は適当に掘っといて」

「はい」

「後は各自、馬が得意なのを四百ずつくらいか? 任せる。一人でも十分に把握できる頭数を連れて来るように。見栄張ってバカみたいに大人数でくるなよ。それから民兵は不要だ、森を守ってろ」

 落書きなのか速記文字なのか不明だが、鉛筆が踊りのたくった跡が見える紙からミザレジがゆっくりと顔を上げる。

「致し方なし」


■■■


 月の暗い夜を選んでスラーギィの草原へと出る。

 度重なるこちらの一撃離脱の襲撃に対応してか、敵は戦力を良く集中させて各個撃破されないように行動している。

 こちらがまとまった数で襲撃を仕掛けられないよう、街道が整備されている北関門周辺には常に大軍が控えるようになった。そこからの出撃路は封鎖されていて使い難い。

 今は道無き、門無き山の麓、森の中からこっそりと出撃している。

 各自が精鋭を選抜し、攻撃部隊は千騎程度に小さくまとめた。そこに先導役百騎、替え馬の世話役に百騎と加えて千二百騎。

 撤退支援部隊が一万を、麓の森中に待機させる。

 更にその後方の山肌には妖精民兵を含めて三万が、守備配置から一時離れて待機する。

 少数精鋭の夜襲と言えば聞こえは良いが、大した効果が期待出来ない割りにはそれなりに危険で、見送り出迎えに相当な規模の部隊を用意しなければならない、非効率な作戦しかやることがない。

 敵軍も中々、マトラの山森に踏み込んで来ようとしない。準備万端整えた虎口に飛び込んで死んでくれない。

 敵は西岸要塞の攻略時に、攻城重砲と熟練した砲兵を多数損失している。これの補充が無ければマトラに攻め入っても無限に歩兵を消費するだけだという認識があるからだろう。

 西岸要塞という拠点一つで一か月以上の時間を浪費した経験から、マトラの山林はもっと、一年以上掛かると見込んでいる可能性がある。

 こうなるとスラーギィの補給拠点化に力を入れなければならない。倉庫だけではなく、畑を広げて家畜を増やしてとなれば年単位で、一年で済まず三年、四年?

 お互いに、どこまで施設を強化して物資を貯蓄し、将兵の練度を上げて維持出来るかの裏方の競争へと移行している……のではないか?

 しかしイスハシルの右翼軍は、中央軍と左翼軍の動向を聞かされながら指揮をしている。外的要因によって競争を放棄して突撃してくることはあり得る。

 とにかくこちらは、互いの総力算数でより己に足して、より敵から引いていく必要がある。出来る範囲のことは無限に、怠けず続ける。

 麓で、外から見れば何の工作も無いかのようにラシージは擬装陣地の構築指揮を執る。

「頼んだ」

「はい」

 ラシージは頼もしい。大体、間違いがない。あるとすれば自分が正しいことをさせないように誘導してしまった時だろう。

 トクバザルの肩を馬上で叩く。

「道に迷うなよ」

「誰に言っとるかこのクソガキャ……ああっと失礼……ああいいクソ、ナメたこと抜かすなこん馬鹿野郎。テメェの庭で迷うアホがどこにいる?」

 従兄弟のユーギトが「そうそう」と言う。

「おめぇは大遠征かました数、数えやがれ!」

 トクバザルがユーギトの肩に馬上から蹴りを入れる。放牧して迷って歩いたことだろうな。

 シルヴに近寄る。

「シルヴ、ちょっと一緒に乗ろう。やっぱりシルヴの後ろかな? 密着しちゃうけどしょうがないよね」

 馬をもっと寄せる。手の平で頬をぐにゅうっと押されて拒否される。

 どうしようか迷ったが、やっぱり連れて来たアクファル。関係的には一番保護しないといけないレスリャジンの者であるが、一番危険に晒している者である。他の連中から嫉妬されているかもしれない。

「どうだ? 撤退路は整備するがそこそこだし、夜襲だけど敵陣に突っ込んじまうかもしれない。ちょっと今までよりも死にやすいぞ?」

「騎兵とはそういうものだと聞いております」

「そうだな」

 トクバザルの伯父さんよ、どう育てた? 最高じゃないか。イスハシルぐらいじゃないとやれないぞ、これは。

 機嫌を直したセリンは、武器というには少々苦しい、出刃包丁を手に、時折刃を空にかざしてルンルン気分の様子。

「おおセリン提督、お馬にもお乗りになれるんですね」

「何よそのアホみたいな質問」

「森の方に騒ぐなよ、見つかる」

「分かってる」

「俺の後ろに乗るか? それとも前か?」

「うるさいバカ……今乗れるわけないでしょ」

 照れ隠しに髪の触手で作った拳でポンっと小突かれる。

 これが普通の人間だったらな、どうしたもんかね。

 多少の雑談を楽しみながら、夜の火は目立つから煙草禁止と細々言いながら進む。調子の悪い馬がいたら遠慮せず交換。

 先行させたレスリャジン騎兵と偵察隊が、建設中の敵基地を発見してきた。どうやら湧き水で出来た湖を保護するものらしい。水槽も設置されていて、給水基地といった様子。

 レスリャジンの者に聞けば、渇水時期に南スラーギィは水源が枯渇しやすいからああいった物を用意しておかないと大軍は困るだろう、とのこと。

 嫌がらせをしたくなる。

 この給水基地と他の拠点との位置関係を考慮し、伝令狩り部隊を静かに配置してから襲撃開始。

 敵は襲撃を受け続けた経験から、基地と基地周辺を照らす篝火を絶やさないようにしている。月明りの弱い今夜は歩哨の数も特別多い様子で、荷物や荷車、土嚢で野戦陣地のように防御を固めている、

 また犬に加えて馬まで警邏に混ぜ、生きた警報装置にしている。犬と馬の感知範囲は異なるので信頼性が高いだろう。

 こちらも工夫する。

 まず下馬して、人も馬も耳栓をする。その上で馬は奴隷騎兵に全部預けて戦場から遠ざける。

 戦場に残った者達はその上で手の平で耳を塞ぎ、口を開けて備える。

 先頭に立つのは鬱憤が溜まって爆発しそうなセリン。髪の触手を円形に展開し、指向する方向は給水基地。

 道中に予告されたものを、まだかまだかと間抜け面で待っていたら……空気が体に刺さった!?

 音という音ではなかった。老竜タルマーヒラに咆えかけられたことを思い出した。

 それからウネッグネッという感じの妙な調子が続いてそれも考えるのも嫌になってきた。頭から腹から吐き気が来そうになって、スッとそれが引いた気がしたら、鼻と目から血が出そうになる。耳は何だ、死んだか?

 セリンの髪の触手が垂れ下がり、魔術が終わったことが分かった。耳で判定する次元を超えているので目で判断。

 いつのまにか尻餅を突いていたので立ち上がる。味方を見渡せば、立って踏ん張っていたのは肌が真っ白になっているシルヴぐらい。

 泡を吹いて倒れて痙攣している者もいるので、まともに動ける者は救助に入る。窒息しないよう涎を吐き出させ、回復体位を取らせる。足の裏を叩いたり、胸骨を広げて気付け。

「アクファル!」

 と喋ったつもりだが声に出せたか? しゃがみ込んでいるアクファルの肩に手を置いて揺する。その手を掴まれて退けられる。立ち上がったその顔、鼻から血が垂れていた。それから刀を抜いて肩に担いだので戦意は十分らしい。

 刀を抜き、切っ先を天に向けてユルユルと回す。野郎ども注目、の意である。

 刀を振り下ろして前進、こうしたらもう味方には背と尻しか見せないのが自分の中の決まりなので振り向かない。

 走る。発揮できた力に満足そうにしながらも力を使い込み過ぎて、ふにゃんと座り込んだセリンを無視して追い越す。

 敵基地は混乱状態、なんて生易しい状況に無かった。耳を抑えて倒れているような、お上品な敵はおらず、暴れ回って体がねじくれ、首から上の全ての穴から出血している死に様だ。犬も馬も倒れている。

 距離だけなら敵よりこちら側の方が何倍も近かったのだが、この有様だとあの円形になった髪の触手には随分と遮蔽、指向効果があったようだ。

 基地内部に踏み入る。いかにも建設途中の建設現場。大きさや種類ごとに分けられた材木がそこら中で、中途半端な基礎工事。

 あとは苦しんでやはり体がねじくれるほど暴れ回った後が見える変な体勢の敵がそこら中にいて、一部資材の下敷きになっている。

 仮宿の天幕も人がいるところは引き倒されてしまっている。またその布越しに人の形と血痕が見える。硝子物は全て割れている。

 建設規模は大規模にする心算だったようで、物資の集積具合が守備隊の規模に見合わない程多い。

 しかしこの状況、セリンの護衛役以外に必要だったかこれ? あいつ一人で良かったんじゃないか?

 とりあえず転がっていた松明で燃えそうな物に火をつけて回る。

 耳は馬鹿なままだ。追いついた味方の兵達が死に損ないの目を抉って手を潰して回る。

 襲撃は成功だが、気合いが空回りになった感じだ。

 かと言ってこの持て余した気合いをどこかへ向けて、予定外の戦果を求めて次の目標を探すとなれば途端に足下を掬われることは間違いない。今日もまた、前例に倣って一撃離脱だ。

 これ程の大音響、敵はもう我々を探して撃破するために大軍を動かしているに決まっている。

 さてセリンだが、痒くもなさそうな頭を掻きながら周囲を見回している。まるで、私何かやっちゃいました? みたいな顔をしている。加えて疲労からか、寝ぼけた面までご披露。しかも鼻血どころか血涙まで出ている。

 手を引っ張っても中々立ち上がらないし、何であんたそこにいるの? みたいな顔もしている。これ記憶飛んでんのか?

 昔、怪力芸の大道芸人が岩を持ち上げて失神した姿なら見たことはあるが。

 このおバカは加減しないで魔術を放ったとしか思えない。何ならぶちキレていたせいで本人も知らずに限界を越えてしまったようにも思える。

 アッジャールの女の腹を掻っ捌いてマンコを集めて米炊いて配るとか、男のチンポをもいで揃えて首飾り作るみたいに騒ぎ通しだったわけだが、本当にその感じで頭に血が上っていたことがこれで分かった。素直なセリンちゃんは別に演技で暴れていたわけではなかったらしい。

 とにかく焼ける物は焼き、不具者にできる者はして、異常を察した敵軍が駆けつける前に撤退する。


■■■


 帰路についた。幸いこちらから死者は出なかったが、体調不良を訴える者が多数。

 損害比率はほぼ完璧に我が方の優位で圧勝を飾ったので限りなく大成功なわけであるが、セリンがやらかした、の一言でこの夜襲は片づけられてしまう。

 まあ、あー、しょうがない。陸に上がったセリンに期待を寄せるのも変な話だろう。ありゃ海洋生物なのだ、たぶん。どっかが乾いてヘロヘロになっていたせいでやらかしてしまったのだ。

 疲労と落ち込みにより馬上で背中を丸めるセリンを、軽快に自分は騎馬で一周する。

「ほっほほーい、ほいほいほーい。魚が陸でビチビチ跳ねる音って凄いんだなぁ、俺吃驚しちゃったよぉ」

 セリンは急にぶちキレて、何やら聞き取れない叫び声を上げながら追いかけて来るので逃げる。脳内出血でもしているかと思って挑発したらこの通り。

 余裕で距離を取って逃げる。安全距離と考えるとかなり距離を取らないといけない。引き離す、もっと引き離す。

 セリンの乗馬技術は手習い程度のもので、馬は嫌がってまともにまっすぐ走らない。それでも背中に乗せているのが、逆らったら殺されるくらいに恐ろしい化物と分かっているようで逆らうことも出来ていない。

 可愛そうな馬。浜のお嬢様はイルカにでも乗っていれば良いのだ。あんなもんに乗れるか知らないけど。

 トクバザルが馬を寄せてきて、刀をわずかに抜き刺してチンチン鳴らす。

「そろそろ飽きたぜ」

 今まで敗残兵狩りぐらいはやってきただろ、と言いそうになったが、そういうことじゃないのは分かっている。

「まあ、機会があったらな」

「そいつぁいつだ?」

「知るか。あぁそうだ、明日から敵軍の攻撃準備状況を探ってきてくれ。あの基地の感じからかなり進んでるぞ。数字も具体的に上げろ。時間かけていいから」

「この野郎」

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