07話「返事」・イスハシル
アクファルとの結婚の是非について、彼女の義理の父である伯父トクバザルから返事が来た。封筒を持つ手が震えた。
”そちら様からの結婚話が来る直前にアクファルの親権を、娘の生き別れの兄であるカラバザルに移す相談をしておりました。またそのカラバザルは魔神代理領で重職を担っており、私のような一介の老人よりも家長として優れているのは明白であります。本人は仕事の都合で一旦帰ったので話の決着は保留中であります。身分低き娘には身に余る良縁とは存じますが、返答を保留させて頂きたい”。
嘘なら完全にナメた話ではあるが、事実ならば慣習的に何とも言えない理由だ。婚約を覆されたわけでもないのだから文句は言えない。
それに強引に手に入れたくはない。ましてや誘拐、略奪婚などと下々が行うような下卑た行いは有り得ない。
正しく、相手が納得した上でなければいけない。政治ならばともかく、これは完全に自分が好きで、自由意志でやりたいことなのだ。
だとしてもこの騒動の最中にもどかしい返事だ。魔神代理領絡みとは穏やかじゃない。
オルフにて内戦が始まりそうになった。宣戦布告に動員令まで出した者がいる。皆を集めて会議を開く、というような手順など何も踏まれてはいない。
父王も若い頃は相当に苦労したと聞く。親類縁者、アッジャールの王子同士で殺し合いながら異民族とも戦い、諸都市は猫の目のように旗色を変えた。
初めに、ペトリュク首都のシストフシェ市の防衛を老将オダルに任せた。都市とは基本的に裏切るもの。強きになびかなければ屠城の憂き目に遭うもの。市長は責任から背反が義務になる。
急行した先は旧ベランゲリ公国の都、同ベランゲリ市。オルフ一の大都市で、旧統一オルフの首都。征服以前は諸侯会議が行われた場所で他都市とは格が違う。外観も芸術保護を謳っている程に美しく整備されている。
また主要河川の流れを大工事で変えて合流させた水上交差点でもある。水路は東西を横断し、北海にも二つの河口で繋がる交通の心臓部。
オルフ地方内でここよりも良いところなど存在しない。そんな都市を獲得した我が異母兄弟、アッジャールの王子の一人が隣領に征服戦争を仕掛けようとしたのだ。
まずは自分と自分の親衛騎兵部隊だけで現着。ベランゲリ軍が動員されている。兄弟王子直卒の親衛騎兵隊に加え、農民兵や解散させたはずの旧オルフ軍兵士さえも手当たり次第といった形で召集し、市郊外に集結させていた。
自分は勿体ぶることなどせず、シビリの権威を利用して父の征西軍本隊を現場まで誘導し、その旗と大軍の威容を見せた。
父の旗、黒鉄の狼イディルの影を映すそれは威圧感が本当に段違いである。子たる自分の目からも畏怖の対象。
恐怖は瞬く間に伝播した。ベランゲリ軍は一目で壊走し、市内に逃げ込むか野に散るかを選ぶ。
次にベランゲリ市を包囲する。征西軍が持つ二百門の大砲を並べて空砲で威嚇。実弾はまだ使わない。
自分が先頭に立って城門に呼びかけた。
「私は黒鉄の狼イディルの息子、ペトリュクの主イスハシルである。兄弟よ、降伏しろ!」
間を置かずに白旗が上がった。
これで無血開城。一体何なんだよ?
■■■
臨時で――我が姉妹の娘婿でもある征西軍の将軍にも相談して――ベランゲリ市の宮殿、玉座に座って仮の主となり、この場の騒動を収めることになった。
ベランゲリの兄弟の聴取時には、最も信頼されてなければいけないはずの将軍――自分にとってのオダル――に引っ立てられてきた。主への尊敬の素振りが見られなかった。
そんな扱いが出来るなら騒動を起こす前に諫言するなりしなかったのか? それも難しいなら軟禁して精神の異常でも訴えればもっと、尋常な対処も出来たはずだ。
玉座から、這いつくばらされた兄弟バライを見下げる。
彼自身は舌が良く回る男だった。頭の回転が速いのかとも思ったが、鏡の光のように反射するだけ。あとは幾らワインを飲んでも酔わず、満腹で飲めないと言う程の酒豪。
バライの母は内陸水運業を寡占する大部族長の出であり、一族の力でこの地の水運を発展させる期待がされていた。
この度の宣戦布告と挙兵の理由を問うと、話が長ったので要約すれば、
西隣の旧ザロガダン=ドゥシャヌィ王国におけるザロガダン部は、ベランゲリを都にした旧ユグダリ王国の主権下にあったのでそれを要求。すると拒否されたので、正統な権利を主張するためにも宣戦布告をして各兄弟にも知らしめた、と言うのだ。
その旧ユグダリ王国というのは初耳であった。オルフ侵攻前に現地のことは勉強した心算だったが分からず、城内にいたオルフ人官僚に問い合わせると五十年くらい前に称号毎廃された国だったそうだ。また主権下にあったという話も分割相続制に端を発し、無数の徴税権も絡んだ複雑なものであり、一度聞いただけで理解できるものではなかった。
オルフ法における土地所有者や権利関係の変遷は目まぐるしく、それを整理して把握するためだけの行政部署があった程。
そんな部署は相続序列の確認や開戦の口実探しに使うオルフ人のためにあるのであってアッジャールには関係がなく、シビリの指導で廃されている。
そんな被征服者の道理を君臨するアッジャールに持ち込むなどと外道である。外の道理を内輪に持ち込んだ恥知らずだった。
自分は法をペトリュクの外で法を執行する立場にはない。臨時のベランゲリの主とは言っても主導権など無い。
オルフ各地を巡回して内政を整えているシビリ宛てに、情報が良く集まるベランゲリで収拾をつけようという提案をする手紙を書いて、征西軍の伝令に託して送った。
現状、自分ごときの伝令では敵や邪魔者と見られて狩られかねない。
■■■
ベランゲリ蜂起、とでも言おうか? 恥ずかしくて広報にそんな名称も載せられないが。
その蜂起を発端にしてオルフ各地で領地を任されている兄弟王子達が騒ぎ出してしまったのだ。
独立君主なら自己責任であろう。自分も含めて王子など、所詮は首輪つきで餌付けされている身分なのにだ。
まずザロガダン=ドゥシャヌィを統治する兄弟王子から援軍要請の手紙が来た。これはベランゲリ無血開城とは時差があっての到着なので、まあ正当としよう。
ベランゲリ領内における細分化された下位領を治める兄弟王子からも援軍要請が来て、戦う相手はザロガダン=ドゥシャヌィとあった。疲労を覚える。
その二人の兄弟王子から援軍要請を受けた別の兄弟王子からは、これを機に一緒に直轄領を広げよう、という誘いがあった。頭痛を覚える。
また別の兄弟王子から、身の危険を覚えるからシストフシェ市内に軍毎を入城させてくれという要請もあった。それは騙している心算なのか? 脳が腐りそうだ。
それぞれに知恵を絞り、いかに己が正当であるかという言葉が入り乱れる手紙が殺到した。征西軍が傍にいるせいだろう。
しかし言葉とは不思議なもので、適当に理屈を揃えればそれらしい正当性が見えてくることもあった。詩文が上手で有名な兄弟王子の手紙など、思考を乗っ取られたように説得される寸前に至ったこともある。イリヤスが「あーん、これ何か違うんじゃね?」と言わなければ危うかった。
■■■
シビリが船でベランゲリに到着した。ようやく解決に向かう希望が持てる。
不思議なことがあった。まるで示し合わせたかのように黄金の羊シビリ宛ての手紙が兄弟王子達から送られて来なかったのだ。
また自分宛てに”シビリにこの事態へと介入させるな”という言葉を口頭で伝えにきた伝令がいて、真意を問いただそうと思った時には服毒自殺してしまった者さえ現れる。
余程の報酬があるにしたって自殺? 大義のために命を捨ててまでという者はいるが、この騒動に大義があるのか?
そのような調子なのでシビリを狙う暗殺者が何度も送られてきた。そして彼女の子飼いの隠密が全て防いだ。昔から首を狙われてきた者は別格かもしれない。
シビリは騒動の鎮静化と、以前からのオルフ統治の改善に忙しくて食事も喉を通っていなかった。そこで自分が、このイスハシルがいじらしくも手作り料理など作って振る舞えば食べる気にもなるだろうと調理場にいた時、暗殺者と名乗る者から急に謝罪された。何でも、この姿を見て感動して泣いたから、らしい。この目の魔術は感情を揺するのだが、こんな効果もあった。
この面白い暗殺者の事情聴取をすれば、料理に毒を仕込んで殺す計画を立てたそうだ。雇い主はこのベランゲリで軟禁中の兄弟王子バライだという。躊躇いもせずに明かすので呆れても物も言えない。
この毒殺未遂事件、シビリに報告するのは照れ臭かった。
父王を引き摺り下ろして君臨しようという野望は理解できる。男なら父を殺して最強の男になろう、という気合はあってもおかしくない。
だが今回、ちょっとした隣の領土が欲しいと言うケチな野望を、それも稚拙過ぎるやり方で実行しようとしているのが不可解だ。
誰かに唆されたのではないだろうか? 思ってもみない形で操ってくる奴は時にいる。特に自分みたいな、見つめただけで心を狂わせる奴など予測不能だ。
もし本当に領土が欲しいのなら、陰謀によって他の兄弟王子争いを誘発させるのが第一段階。それから正義と道理を持って内輪争いを制して平和をもたらす。そうすると処断された者の領土を受け取ることもある。そこで何も得られなくても慌てず、抗議などしないのが重要。黒幕の疑いがかかる。
兄弟王子を暗殺し、その領土が無主となったところで代役を申し出たり、選ばれるように工作するというのが割と多い手法である。
他に色々と手はあるだろうが、今多発しようとしている根回しもしないで武装蜂起するなんて手法、常識では考えられない。
兄弟王子達の全てを自分が知っているわけではないが、ここまで馬鹿だったとは信じられない。
本当に信じられない。そんな馬鹿ではないはずなのだ。
信じがたいことが起きているということは陰謀を疑うべきか?
こんな大それたこと、父王の仕掛けか? 兄弟王子同士で殺し合わせて真に相応しい存在でも作り上げる心算? いや、それこそそんな、馬鹿な。
■■■
シビリの暗殺未遂事件の首謀者、兄弟バライへの刑執行の日が来た。
彼のような者でも太祖から連綿と繋がる男系貴人。緊急時なので諸々手続きは省略されているが、取り調べと証拠集めが必要だった。即決裁判、即刻処刑、とはいかなかった。
バライが目前に跪かされた。抵抗は可愛いもので、服がはだけて髪が乱れているぐらいだ。
シビリに大権があることは皆が知っている。父王に意見し、諸将に口出しできる。兄弟王子達に教育的指導をしても不敬だとか分不相応とは言われない立場にいる。苦労を重ねたイディルの、少ない旧友で生き残り。
何故狙ったか要領を得ないまま今日に至った。
「イスハシル、俺はお前と戦う気は無いぞ! 止めてくれ」
バライは哀れな面で命乞いまでしてきた。そしてこいつの表情、この目の魔術が効いていると良く分かる。何度も見てきたこの症状! 気持ちが悪い。異母とはいえ、身内でさえこれなのか。
「しかしアッジャールとは戦うのか」
「違う! あれは本来俺の物なんだ、誤解だ!」
話が通じないようだ。こいつの論理は詳細に順序だてて聞かされても理解できないだろう。聞いても仕方ないだろうし。
おそらくは反アッジャール勢力がバライに有ること無いこと吹き込んだと推測されるが、旧ベランゲリ公国貴族は全員広場で吊るしたと聞いている。
貴族は目立つ。貴族ではない有力者、オルフ商人の陰謀か? これこそ綿密な調査が必要だろう。水運業に関わるとなれば規模も大きい。
いずれ陰謀者から接触してくることもあるだろうか? 利権争いで最後に勝利した者は、その益を得るために陰から浮上してこなければならない。
もしかして自分に成果を捧げるため……この目のせいでそんな突飛なことも有り得るのだから先人の知恵が通用しない。
シビリが珍しくキレて、手の平でペチンとバライの頭を叩いた。
シストフシェ市での復讐は例外で、シビリは部下の失敗を指導はしても怒ったところは見たことも聞いたこともない。
「このクソガキが、人事のし直しじゃボケ!」
しかしキレても全く迫力が無い。じゃれてるようにしか見えない。
「俺を誰だと思っている!」
「イディル様の失敗作かな? でもご安心を、殿下の王国は別にご用意致しました! はい刑吏さん」
刑吏達が棺桶を引きずってきて、樽を転がしてくる。馬鹿とはいえ貴人で身内なので血を流さない処刑が行われる。
「何をする気だ止めろ、止めてくれ!」
「アッジャールの法がそうさせているんですよ殿下。勉強してくださいって言いましたよ、十四年と五ヶ月と七日前の朝、お勉強の時間で」
棺桶の蓋が外され、寝ても痛くない程度に樽から塩が注がれて敷き詰められる。
「やだやだ! 嫌だ!」
暴れるバライは刑吏に抱え上げられ、棺桶に寝かされる。
「死にたくない、アァー! アーアーアー!」
ジタバタする兄弟だが、刑吏は殴ったりしないで抵抗する指や足を引っ込めながら苦労して蓋をする。身内の貴人の扱いはあくまでも丁重である。
「ごめんなさい! 許して! ごめんなさい!」
蓋越しのくぐもった泣き言。そして蓋に釘が打たれて封印される。
釘を打つ音に、早口で何を言っているか分からない弁明が掻き消されていく。シビリは「あらあら」と少し感心顔で頷いて弁明を聞いていた。何を言っているか分からないのは自分の知識不足だろう。
棺桶が立てられ、ゴトゴト鳴って揺れ、倒れそうなので支えが入る。それから馬を足場に棺桶の上の方に穴が開けられ、漏斗をはめて塩を注ぎ込む。それからガリガリと鳴り始める。蓋の裏でも引っ掻いているのだろう。
シビリが手を拡声器の形にして口に当て、棺の蓋にくっつける。
「ちゃんとレーナカンドに送りますからね!」
抵抗するように棺桶が揺れて、うめき声が鳴る。「痛っ」とシビリは口を押さえて棺桶から離れる。舌か唇でも噛んだみたいだ。
棺桶が一杯になったことが確認されて塩詰めも終り、開けた穴も塞がれ、棺桶が荷馬車に積み込まれる。身内が死んだ気がしないのは自分の性分か?
棺桶が最後にガタっと揺れ「うー」と断末魔が聞こえた。流石に即死はしないな。
「シビリ、あの馬鹿独断での反逆ではないはずだ」
「そうですね、洗脳された感じです。蓋に釘打ってる時、オルフの文人貴族か官僚でもなければ知らないようなザロガダンの話をしてましたね。あの勉強嫌いが自力で理解できるものではありません。オルフにおける分割相続制と母系相続の例外事項、多重臣従時の決まり事、課税法と徴税請負人の慣習なんてあの子には区別つかないでしょう。専門家の領分です。異国の者にはオルフの人名家名、地名を覚えるだけで大変なのに」
「蓋するのは早かったんじゃないか?」
「そうですか?」
長年見てきたから分かる。シビリの顔は今、機嫌が良い。そういうことなのか?
■■■
これからこの騒動で兵を挙げた馬鹿の始末に回ることを、シビリと連名で父王に手紙を送ることになった。
普通なら父王の外西軍だけで戦力は十分で、娘婿の将軍だけで始末がつく。
本来、自分とペトリュク軍など出しゃばる等ありえない。
だが犠牲を抑えるという名目があるのならそうではなくなる。この魔性と呼ばれる目が一番の口実だ。これで洗脳さえして兄弟王子を抑え、無血を目指して降伏させて回る。これは正義と言って良いだろう。道理もあろう。
挙兵した兄弟王子連中にも色々といる。毎回このような塩漬けを作ってアッジャールの都レーナカンドに送ることはないと思いたい。
警告に従って動員を解除するなら良し。
引き下がらないなら撃破して首謀者を処断する。
シビリはこの行い、乗り気である。
父王には手紙を送ったわけであるが、事前にご存知だったか?




