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vier

「あの、軍人さん」


 長い休憩の時、ノルディは後ろにいる軍人に話しかけた。


「……なに?」


 疲れた声が返ってくる。どんな強い人も、空腹による衰弱には耐えられないのだろう。


「隊長さんを呼んでもらえませんか? ……少しだけ、食べられるものがあります」


 最後の言葉は、本当にひそひそ声で。


 他の人に聞こえたら、大騒ぎになるかもしれないからだ。


「……! わ、分かった、ちょっと待ってて」


 突然、彼は息を吹き返したように、しゃきっとした声で前へと駆けていく。


 しばらくすると、足音が三つほど帰ってくる。


「この女性です」


 さっきの軍人さんが、燭台の灯りを彼女に掲げる。


 暗闇に慣れていたせいで眩しすぎて、ノルディはとっさにかぶっていたフードを深く下げ、目を守った。


「何かな? みんなで食べられるものだといいんだけど」


 静かな隊長さんの問いかけに、彼女は肩から提げていたカバンの中から、皮袋を取り出した。


「これです、どうぞ」


 皮袋は、故郷のヨーク山羊の皮で作られている。これも、母の形見のものだった。


 男の手が、袋を受け取り中を開けると。


「これは……まるで宝石のようだな」


 炎の灯りに照らされて、彼の掌にごろりと転がり出たのは、大きな石くらいある金色の塊だった。


「蜂蜜を固めたものです。石のように硬いのですが、ナイフで削れます。飴のように口に含んで溶かして食べられます」


 蜂蜜とヨーク山羊の皮袋がなければ作れない、彼女の故郷独特の保存食だった。


 皮袋に蜂蜜を入れ、そのままきつく口を縛って、熱湯の中に投げ入れるのだ。


 ヨーク山羊の皮袋は、中の水分を外に出し、外の水分を中に入れないという奇妙な特性を持っている。


 そんな皮袋を、すぐに熱湯から取り出し、日陰にぶら下げておけば、蜂蜜から水分がすっかり抜け、このような塊が出来上がるのだ。


 ヨーク山羊は、野生のものが少数しかおらず、非常に貴重なため、故郷ではこの製法は極秘として、代々村人だけで語り継がれてきた。


「昔から、本当に『もうだめだ』という時にだけしか、出してはいけないと言われていたので、いままで隠していました。ごめんなさい」


 隊長さんに、食べ物を一人で隠れて食べていたと思われたくなくて、ノルディはそう訴えた。


「どうして謝るの? ありがとう。とても貴重なものを出してくれて……これできっとみんな元気になるよ。見てごらん、こんなに綺麗だ。どこにもナイフの跡がない……本当にありがとう」


 心のこもった言葉を投げられて、彼女は幸福だと思った。もし、このまま洞窟でのたれ死ぬことになったとしても、きっと笑顔で母の元へ行けるのではないかと思えるほど、嬉しかったのだ。


「これを、削って配ってやって。出来たら半分残して。あと一回分あると助かるから」


 幸福に打ちのめされている彼女の前で、隊長がてきぱきと指示を出す。


 2つの足音と燭台が去った後。


 暗がりのノルディの側に、まだ一人の男が残っていた。


 最初からいた軍人だろうかと思ったら。


「お嬢さん……ええと……名前を教えてもらえるかな?」


 そこにいたのは──隊長さんだった。


「……ビーネです」


 どきどきしたまま、ノルディは反射的に名乗っていた。


ビーネか……ぴったりだ。ありがとう、ビーネ……君は命の恩人だよ。ここを出たら、君にお礼をしないとね」


 小さな笑みの言葉と共に、隊長は前へと戻って行ってしまった。


 どきどきどき。


 まだ、心臓が早鐘を打つのを止められないまま、そんな彼を目で追おうとフードを持ち上げるが、ここは暗い洞窟の中。彼の影さえ、ノルディは追うことが出来なかった。


 配られた蜂蜜は、ほんのひとかけらでもとても甘くて、彼女の心をキュッと締め付けるのだった。



 そして、蜂蜜の塊が全てなくなる頃。


 ついに救助が来た。


 多くの灯りと多くの人と、水や食べ物が届けられ──その時、ノルディはみな助かったと確信したのだ。


 次々と現れる元気な軍人が、長い道のりを歩いて来た人たちを、一人ずつ背負って行ってくれる。


 ノルディは、まだ歩けると言いたかったのだが、やはりさすがに限界が近いことを知り、見知らぬ人の背に自分の身を預けた。


 途中、二人ほど違う人の背に移りながら洞窟を抜け、坑道も抜けて、ようやく彼女は太陽の下に出たのだった。


 鉱山を抜けた場所には、荷馬車が待っていた。弱った順に荷馬車に乗せられる。三台目に乗せられた彼女は、そのまま王都まで運ばれることとなった。


 もはや、視界のどこにも隊長さんはいない。


 おぶわれて運ばれている時点で、既に彼の声を聞くことは出来なかった。


 ちゃんと、お礼が言いたかったな。


 返せないままの緑のマントを抱えて、ノルディは王都の神殿へ、ようやく帰り着いた。



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