Episode 出会い②
フィリシア・ウラドゥール。ウラドゥール国の王女として王位継承権を持つが、叔父に父の物であった王座を奪われ、厄介代わりにマヌスタキス共和国へつれてこられた美しい幸薄い王女。
噂は決して間違ってはいない。しかし、彼女は別段自分の身を不幸に思っているということはなかった。叔父に人質に出されるように共和国に留学させられていても、衣食住は約束されているし、男装しなければいけないのが難だが、大陸最高の教育を受けることが出来る。
そしてフィリシアの名が一躍有名になったその美しさ、それもあながち間違っていない。ただ、国との間で美女の基準が違うのだ。
騎馬民族であったウラドゥール国ではフィリシアは間違いなく絶世の美女であった。意志の強さが感じられる顔つきは結束を重視する家族をうまくまとめてくれそうであり、乗馬や剣術で鍛えられ、割れた腹筋を持つ身体は厳しい環境にも耐え、たくさんの子どもを生んでくれるだろう。制限時間で山羊をどれだけ早く捌くことが出来るかという、熾烈な女の戦いにもフィリシアの名は絶対的に誇っている。
フィリシアに言わせれば、マヌスタキス共和国で最近の流行である細枝の女達がどうして美人といえるのかが不思議なのである。
共和国では生活が豊かなため、人々は余暇を食事と決闘と、そして恋に費やす。
そんな暮らしにはまだ半年では物慣れずにいた。
ジェラードは城下町から少し離れた居住区に入った。本当は高級住宅街の一軒家に住んでいると思われているが、それも誇張された噂につきない。お金のないジェラードは庶民的な居住区が合っている。
道を行き交う隣人にジェラードは今日一番の笑顔で挨拶する。ジェラード自身、意図していないのだが、美青年の微笑みは行く人老若男女問わずに魅了する。年中発情期である共和国民に性別なんて関係ない。
自分が美女説とは違った噂となっているとは気にもとめないでジェラードは長屋である自分の家のドアを開けた。
「婆、ただいま」
「おかえりなさいませ」
狭いが、居心地の良い部屋の部屋を片づけていた老婆が応えてくれた。彼女はフィリシアが共和国にやってくる際のたった一人の付き人である。身分的に奴隷となっているが、親子のような間柄であった。
ジェラードがトーガをとき、軽装になっている間に彼女はいそいそと、甘酸っぱい香りのするハーブティーをいれてくれた。
カップの中をのぞき込むとそのお茶は鮮烈な赤色をしていた。
「お庭で取れたローゼルです。お隣さんから苗をもらったので」
物慣れない味に最初は戸惑ったが、その可愛らしい味わいにジェラードの顔が緩んでいく。夏でも爽やかな潮風が吹く共和国に合う味だ。
「これは、おいしいな。国に帰ったら植えようか」
「そうでございますね」
「とりあえず、スケッチでもしておこうかな」
ジェラードは頷き、机に白紙の巻物を用意し、愛用の羽にインクを付ける。
学院では大陸の各地からやってきた著名の教師に多くの弟子がつき、研究を行う所であった。その分野は文学や神学から天文学や物理学まで及ぶ。政府が資金をだして、教育に力を注いでいた。
ちなみにジェラードが主に学んでいるのは薬草学である。民間で、口頭で伝えられてきた薬草の知識を文書にして残すというのが主な仕事だ。
天井からは大量の乾草がつるされて、部屋は潮風にブレンドされて特徴的な匂いで満たされている。ジェラードは無心に粘土板に刻んだ今日の講義の内容を巻物に写していると、外が騒がしくなってきた。
――喧嘩かな?
喧嘩はどこの地域にもあるものだ。しかし、時間が経ってもざわめきは途絶えない。
「何事だ?」
ジェラードが顔を出すと、家の前の道には多くの人が集まっていた。その中心で誰かが喧嘩しているようだ。
「婆、何があったんだ?」
側でおそるおそる人垣を見ている老婆は首を振った。
「私にもさっぱりでして」
ジェラードはため息を付いて人混みに分け入った。このまま、いざこざがあってもうるさくて勉強できないし、第一近所迷惑だ。
「ちょっと、通してくれ」
興味深げに野次馬をしている人をかき分け、ようやく中心に出ると、そこには二人の女が対峙していた。