突然ですが、婚約者の王太子が婚約破棄させて欲しいと土下座して来ました
※ざまぁ系ではございませんので予めご了承お願い致します
突然ですが。
「ユウリ・ファタルアージェ公女殿下」
目の前で、床に膝を突いた王太子殿下がわたしを呼ばう。
「あなたとの婚約を、破棄させて頂けないでしょうか」
言って手を床に付け、額まで深々と下げた姿は、いわゆる、土下座、と言うものだろう。
婚約者の王太子が婚約破棄させて欲しいと土下座して来たわけですが。
「どうぞ」
「無理を言っていることはわかっています。私に出来る償いならばなんでも、……え?」
「どうぞ、ご自由に破棄の手続きを進めて下さい。わたくしは構いません」
ぽかん、と顔を上げた王太子殿下に告げる。
「わたくしに対する償いも不要です。契約不履行の賠償は、大公家と交渉して下さい」
突然の一方的な婚約破棄。おそらく大公家はそれなりの賠償を請求するだろうが、それはわたしの管轄ではない。そもそも家が決めた話で、契約も交渉も家同士のものだ。
「用事はそれだけでしょうか?」
「え、は、いや、その、謝罪、を」
「婚約破棄の申し入れに対する謝罪でしたら、大公家にどうぞ。わたくしとは関係のないお話ですから」
繰り返すが、家同士の契約なのだ。そもそも、わたしに婚約破棄の許可を求めるのがおかしい。
「よろしいでしょうか?用がなければもう行きたいのですが」
「あ、いや、」
「まだなにか?」
未だ床に膝を突いたままの王太子殿下を見下ろして問う。
「急いでおりますので、火急の用事でなければ書面でお願いしたいのですが」
そもそもアポイントメントも取らずに、道行くわたしの前に座り込んだのだ、この男は。迷惑なこと、甚だしい。
「そ、の、す、まない。邪魔をしてしまったようで」
「ええ。そうですね。ああ」
手紙を読むのも面倒だ。
「クルーラ」
「はい」
「殿下の用件を伺っておいてくれますか?」
表情こそ変えなかったが、目が面倒だなと言っていた。あなた、わたしの下っ端補佐官でしょうに。
「かしこまりました。王太子殿下、姫はご多忙ですので、わたくしめが代わりにお話を伺います。それでよろしいでしょうか。姫は、ご多忙ですので」
忙しいと二回言ったな。
表情以外が露骨過ぎる下っ端補佐官に呆れつつ、義理は果たしたと踵を返す。
「アザルド、ロスは?」
「三分三十二秒です」
「約束の時間には間に合いますね。リムネジア、会談の補佐から外れて、空いた時間でアーネント宛の文書作成を。会談後の馬車で確認します」
「拝命致します」
「ラシード、あなたも会談の護衛は外れて、本国宛に連絡を。まあ、要らないでしょうけれど念のため」
「かしこまりました」
「本国からの指示次第で、今後の予定に変動が出ます。全員、臨機応変な対応が出来るよう、心構えをしておいて」
ふ、と微笑んで、口調を弛める。
「久し振りに本国へ帰れそうね。お土産をなににするか、考えておきなさいな」
張り詰めていた空気が弛み、補佐官や護衛たちの表情も和らぐ。始まったこの国の名産や名物の話をよそに、それにしても、と呟いた。
「あと一年で契約満了だったのに、どうして繰り上げて破棄したがったのかしら?」
ё ё ё ё ё ё
「よぉ、婚約破棄を申し入れられたって?」
会談の相手は、開口一番ニヤニヤ笑ってそう言った。
さっきの今で、耳が早いどころの話ではない。
「わたくしのストーカーでもしているのですか、公子」
「目も耳もそこら中にあるもんでね」
肩をすくめて嘯き、それでと続ける。
「女狐公女の婚約者は、残り何人になったんだ?」
「人聞きの悪い言い方はやめて貰えますか?わたくしが望んで婚約しているわけでもないのに」
顔をしかめて苦情を述べてから、答える。
「本国が勝手に減らしたり増やしたりしているので、わたくしは把握しておりません」
「自分の婚約者の話だってのに、薄情だねぇ」
「一時的に書類上の婚約者になっているだけで実際結婚する予定もないのに、いちいち覚える必要性を感じません」
「まあ、気持ちはわからんでもないが」
ふぅーっと大袈裟に息を吐いて首を振った公子が、不意に表情を引き締めて言う。
「なら、俺があんたの婚約者になったことも知らないわけだ」
「…………公子が?」
目の前に座る公子を、まじまじと見詰める。
「なんだよそんなに見詰めて。照れちゃうだろ」
「あなた、未婚でしたよね?」
良い歳して妻どころか婚約者もいなかったはずだ。
「次代のアシュペール大公が、そんなことをしていて良いのですか?わたくしと婚約などしている場合ではないのでは?」
婚約前についてはほぼ不問で通るが、婚約中についてはかなり厳しい制約が課されるはずだ。破棄しない限り、新たな婚約や、別の人間との結婚は許されない。自分の血を引く後継者を必要とする者が、受け入れて良い立場ではない。
「そうだな。結婚を前提としない婚約など、結んでいる場合ではないが」
両肘を突き、組んだ手に顎を乗せ、公子はご機嫌に微笑んだ。
「もしやなにか、企んで、」
「会談中、失礼致します」
不躾に乱入して来たラシードに、なにごとか、と思う。クルーラならばともかく、ラシードが礼儀も忘れるのは珍しい。
「火急の用事ですか?」
「はい、その」
ラシードの視線が、ちらりと公子へ向く。
「公子、」
しばらく場を離れる許可を取ろうとすれば、笑顔で首を振られた。
「ここで良い。俺に関係する話だろう?」
「公子に?」
ラシードは、婚約破棄について本国へ連絡したはずだが。
「あなた、なにかやったのですか?」
「さてね。ラシード、本国はなんだって?」
「公子に聞かれて困らない内容であれば、言って構いません、ラシード」
促せば、ラシードが公子を気にしつつも答える。
「本国から、二年後の結婚を前提にアシュペール大公国公子との婚約を締結したため、早急に帰国し婚姻の準備に入るようにとのことです」
パッと、公子を振り向く。
にんまりと笑うこの男こそ、アシュペール大公国の公子だ。
「あなた、いったいなにを」
「なにも?」
「そんなわけがないでしょう」
正確な数を把握してはいなかった。けれど、複数の婚約者がいたことは確かなのだ。契約期間も、長くは十年近く先となる相手まで残っていたはず。契約を遵守するならば、二年後に結婚など、出来るはずがないのだ。
「俺はなにもしていないさ。全員、自分から、契約不履行を申し出たんだ」
「つまりそうなるように」
額を押さえて、言う。
「各国に散らしている手勢を動かしたのですね」
そこまでして。
「そこまでして、加護を独占したかったのですか?たった二年だけの独占に、なんの意味が?それならばあなた自身ではなく、兄弟なり傍系の者を養子に取るなりして、別の人間に肩代わりさせれば、」
「わかってねぇなぁ、この女狐公女は」
ニヤニヤと、いつになく上機嫌で。
「加護なんて要るかよ。俺が欲しいのは、そんな下らないもんじゃない」
「その下らない加護欲しさに、各国が大枚叩いているのですけれど。では、あなたはどんな下らなくないものを手に入れられると?」
長い手が伸びて、わたしの髪を掬い取った。
「惚れた女の、人生」
「…………はい?」
「古い考えだと笑えば良いさ」
いや、意味がわからない。
「なにを言って」
「俺の母親は、戦敗国の皇女だった。戦利品として母国を滅ぼした男に娶られ、半ば無理矢理孕まされて兄貴と俺を産んだ。だが、そうして生まれた兄貴や俺を宝物だと語って、死ぬその時まで、いっとう愛してくれていた。たとえ母国が滅びても、愛する我が子がいるから幸せだと。憎き敵の血を半分引いていようと、それでも我が子を産み育てられて、よかったと」
わたしの髪を握り締め、公子は眉を寄せた。
「それだけが、女の幸せだと言うつもりはない。が、惚れた女が、ひとつ、幸せになる選択肢を奪われてるってのが、許せなかった。だから、そんな馬鹿げた宿命は、ぶっ潰してやったのさ」
「それだけのために、こんな?」
「そうだよ、悪いか」
悪くないと思うのか。
両手で顔を覆い、うなだれる。
本国はわたしを使って、あと二十年は稼ぐつもりだったはずだ。それを不意にする申し出に、どれだけ吹っかけたことか。
「馬鹿じゃないですか?そんな、大金をドブに捨てるようなこと」
「欲しいものを手にすることを躊躇うなってのが、家の教えなもんでな」
欲しいもの。惚れた女。
それが、わたしだと言うのか。
「加護抜きのわたくしに、どんな価値があると言うのですか?」
「さてね」
顔を上げ、そらとぼける公子を睨む。
「加護持ちが生まれるのは直系だけです。嫁いだわたくしを孕ませても、加護持ちは生まれませんよ」
「だから、加護目当てじゃねぇって。それに」
片手でわたしの髪を掴んだまま、公子は自分の髪を掻き混ぜた。
「あんたが俺の子なんざ産みたくねぇってんなら、無理強いはしない。俺じゃなく、別の男の子を産みたいってんなら、愛人を囲えば良い。継承権はやれねぇが、一生困らねぇような地位はやる」
「それであなたになんの得があるのですか」
「惚れた女に幸せをやれる」
ニッと微笑む顔は、嘘を言っているようには見えない。
だが、本気で?
「なにがあなたをそうさせるのですか」
「あんた泣いただろ」
なんの話だ。
「十二年前。兄貴が死んだ時」
「それは」
当時わたしは十歳で、公子の兄は十五歳だった。彼とわたしは彼の死の五年前から婚約者で、本国からの命で三年ほど、わたしはアシュペール大公国に滞在していた。
「幼馴染が亡くなったのですから、泣いてもおかしくはないでしょう」
「病弱な公子が死んで泣いたのは、あんたを除けば実の母だけだった。ほとんどの人間が、やっと役立たずの金食い虫が死んだと喜んでいて、弔いよりも、加護が足りなかったのではと難癖を付けて、ファタルアージェ公国から賠償金を取る算段の方に必死だった」
ファタルアージェ公国。わたしの母国、本国の名だ。
「まあ実際、賠償はしましたね、本国から。そのせいでアシュペール大公国とは国交がほぼ断絶状態となりましたが」
二年間は完全に国交断絶状態だったはずだ。それを打開したのが公子で、それから十年間は、三ヶ月おきにわたしと公子が会談を行っていた。それでも本国に容易に足を踏み入れることは許されず、こうして公子がわたしの滞在国に足を運んでいるのだが。やっとアシュペール大公国の人間が本国を訪れることを許されたのが、一年ほど前だったか。
つまり、公子は一年で、本国を頷かせたことになる。
いったい、どんな手を使ったのだか。
「賠償を引き出すために、あんたもひどくなじられていたな」
「そうですね。子供相手に、なかなか壮絶な罵詈雑言を」
「だと言うのに、あんたは兄貴の葬儀のために、兄貴が好きだった花を摘んで来た。険しい山の上にしか咲かない花なのに、自分の足で山を登って、両手いっぱいに摘んで来て、兄貴の棺を花で満たした。埋められる兄貴を、泣きながら見送って、その墓にも花を供えた。高山にしか咲かない花のはずなのに、未だに毎年兄貴の命日には、墓に兄貴が好きだった花が満開に咲く」
五つも歳の離れた、結婚する予定もない婚約者。けれど彼はわたしに優しく、いちばんの友人のように大切に扱ってくれた。
だから、わたしもそれに応えたのだ。
「友人の死を悼むのは、当然のことでしょう。それくらいしか、わたくしには出来ませんでしたから」
本当に友だと言うのならば、自分で毎年お墓に足を運ぶべきなのだ。けれど、わたくしがアシュペール大公国の地を踏むことは、本国が決して許さなかった。
婚約者であったことすら認識していない婚約者も多いなかで、彼のことは顔も声も匂いも、握った手の温度や髪をなでる手の優しさも、しっかり覚えている。
大切な、大切な友人だった。
「あなたの言う通りかもしれませんね」
「うん?」
「わたくしの、加護など、下らない」
あのとき、どれほど願ったか。どれほど祈ったか。
「大切な友を失いたくない。大切な友を生かして欲しい。わたくしがどれだけ願っても、祈っても、叶いはしませんでしたから」
じわりと熱を持った目を、まばたけば頬に熱が伝った。
わたくしの髪を手放した公子の手が、頬をなでる。
「もう、国民ですら覚えてもいないような公子を、あんたはまだ覚えていて、こうして泣いてくれるんだな」
「イディのために泣いているわけではありません。わたくしが、わたくしの不甲斐なさを悔しく思っているだけ」
「あんたの加護は」
目を細めて、公子は言う。
「あんたが心から大切に思うものほど、守らないんだよな。嫉妬深いカミサマからの加護だから。だからこそ、あんたの加護に守られなかった兄貴は、あんたに本当に大切に思われてたと証明された。それが、兄貴は嬉しかったんだ。死にたくないけど死んでも良いって、言ってた。身体が弱くてお荷物でしかない自分に、本気で大切に思ってくれる友人が出来た。それがすごく嬉しくて、幸せだって」
そんなわけあるか。
「そんなわけあるかって思ったよ」
心の声と、公子の声が被った。
「心だけじゃなんの意味もない、大切なら守ってくれよって、思ってた。兄貴を守れないなら、全部無駄じゃないかって。けどな、死にかけの兄貴の手を握って泣いて、死んだ兄貴にすがって泣いて、綺麗な手をボロボロにして花摘んで来て、泣きながら棺に花詰めて、墓石の前に膝突いてわんわん泣いて。ほっそい身体が壊れるんじゃないかっつーくらい泣くあんたを見て、そんな思いが無駄なはずないって思ったんだ。あんたが泣く姿は、お袋の慰めになってたんだ。あの子には、こんなに泣いてくれる婚約者がいたんだって。自分に似て病弱に生まれてしまった子だけれど、不幸なばかりじゃなかったんだって」
そんなことはない。わたしがそう否定する前に、公子が言葉を継ぐ。
「それを見ていたら、兄貴が羨ましく見え始めた。あんたに、そこまで大切に思われるのが羨ましい、俺のことも、大切に思って欲しいって。はは。泣き顔見て惚れるとか、趣味悪ぃよな、俺」
「そうですね」
それは否定出来ない。
「そこは否定しろよ。あんたの話だぜ?ま、つまりそんとき、俺はあんたに惚れたってこった。んで、改めてあんたについて調べてさ、ふざけんな、って思ったわけよ」
「なにに対して、ですか?」
「他人に消費されるためだけに生きなきゃなんないあんたの人生に」
なかなか、悲観的な見方だ。
「そこまでひどい人生ではないですよ?各国から巻き上げたお金で、贅沢三昧ですから」
「でも自由は制限されているだろう。結婚は許されないし、住む場所や婚約者は勝手に決められる。四十過ぎまで結婚を許されないなら、自分の子供を授かることも難しい」
「それは、そうなのですけれど」
でも、我が子を抱けない人間なんて、わたしだけに限られない。相手と出会えない者、子を授かる前に死ぬ者、子を授かれない身体の者。いくらでも、ありふれた話だ。
「兄貴もお袋も、あんたには幸せになって欲しいって願ってた。俺も、惚れた女は幸せにしたい。なら、兄貴を守ってくれなかった上に、あんたを幸せにしてもくれないカミサマから、あんたを奪ってやれば良いだろ」
「そんな軽々しく」
「信教が違うからな、あんたと」
「そうかもしれませんけれども」
もう、めちゃくちゃだ。
「まあでも、やろうと思って、やったら出来たわけだ」
やったら出来た。
ラシードに、目をやる。察しの良い護衛は、こくり、と頷いた。
本国は、確かに、アシュペール大公国公子との結婚を、認めているのだ。
目の前の男が、どんな手を使ったのか知れたものではないが、やったら出来たのは、本当なのだ。
深く深く、息を吐く。
本国の命令は、絶対だ。
「もう、決まったことに、うだうだ言っても仕方ないですね」
本国はわたしを、公子に嫁がせると決めた。わたしにとって重要なのは、それだけ。
息を吐き、目の前に立つ公子を見上げる。
つい先ほど、婚約者の王太子に婚約破棄させて欲しいと土下座された女ではあるが。
「ユウリ・ファタルアージェと申します」
「ソラルカ・オルダ・アシュペールだ」
知らないはずのない名を名乗れば、よく知る名を名乗り返された。
「ソラルカ公子、婚約破棄されることなく、末永く、縁が続くことを願います」
「ああ。死がふたりを分てども共に、ユウリ」
公子の指が、ついとわたしの顎をすくい、影の落ちた視界の中、柔らかいものが唇に触れる。
「……さすがに開幕から誓いの言葉が重過ぎではないですか?」
「何年越しだと思ってんだよ。重いに決まってんだろ」
それもそうか。
そんな風に思う間もなく、ふたたび唇を塞がれる。
初めての口付けはひどく優しかったが、二度目はまるで、捕食されるように荒々しいものだった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
めちゃくちゃ低姿勢で婚約破棄される話を書きたくて書き始めたのに
気付いたら主題がそこではなくなっていた件
どうしてこうなった




