私は読書記録を、婚約者はリボン集めを、はじめました。
「ご趣味は?」
「読書ですね」
「読書、ですか」
「ルギー嬢のご趣味は?」
「私はリボンを見るのが好きですね」
「リボン、ですか」
「はい」
それが、婚約が決まったエルード様とはじめてお会いした時の会話だった。
「読書、読書ね…」
私はその夜、1人で頭を抱えていた。
この度無事に婚約したエルード様は口数が多い方ではないようで、何か共通点のようなものがあれば、もう少し距離も縮まるかと思ったのだが。
「読書ってことは頭がいいのかしらね…。それはそうか、優秀な文官だとお聞きしていたし」
うーんと、そのまま机に顔を突っ伏した。
なぜなら、読書は私が苦手なものの一つだったからだ。
しかも、かなり苦手な部類だ。
勉強は必要なことだから頭に入るのだが、それ以外となると全然入ってこないのだ。
詩集を読むのも苦しいくらいなのに。
退屈だし、集中できない。
この世の趣味で本を読める人の頭の中はどうなっているんだと本気で問いたいくらいなのだけれど。
「エルード様、読書のどこが好きなのかしら。もっと質問すればよかった」
読書というワードが出た時点で、好き嫌いが出てしまって、フリーズしていた。
それくらい苦手なのだけれど…。
「読んでみるかああ…」
エルード様はお忙しい人だ。
歩み寄るのは、私からしたいところ。
月明かりに照らされながら、私は一世一代の決意を固めるのだった。
次にエルード様とお会いできたのは、2週間後だった。
前回と同様、我が家の庭でお茶をしている中で会話も弾まずに、私は勇気を出して1冊のノートを取り出した。
「あ、あの、エルード様」
「はい」
「私、久しぶりに本を読んでみましたの。その読書記録をつけたのですが、よろしければ見ていただけませんか?」
私がおずおずとノートを差し出すと、エルード様は一瞬目を瞠った。
紺色の表紙のノートを、そっと受け取ってくれた。
紺は、初対面の時にエルード様が着ていたジャケットの色だった。
「よろしいのですか?」
「はい、普段読書をしないもので、たいしたことが書けなかったのですが」
「拝見します」
まるで事務手続きのような会話だったけれど、体温が乗っていた気がした。
ぺらりと捲った1ページ目を見て、すぐに顔が上がった。
「『星探索物語』を読まれたのですか…?」
エルード様の目が、きらりと光ったように見えた。
「ええ。昔、兄が読んでいたのを思い出して、貸してもらったのです」
「懐かしいですね、僕も子どもの頃に何度も読み返しましたよ」
そうなのだ、『星探索物語』は子ども向けの本なのだ。
そこそこの年齢になった令嬢が読むのもどうかと思ったが、いきなり背伸びしてもしょうがないと諦めて、兄様に貸してもらった。
「ルギーが読書とは、熱でも出たか?」と言われたほどだった。
それでも、私にはこれが精一杯で…。
2週間かけてようやく読めた1冊だった。
私には、やはり読書の道のりは遠いらしいと痛感したのだった。
エルード様はノートに目を戻して、ゆっくりと文字を確かめるように読んでいく。
そこまでしっかり読まれると、恥ずかしいかもしれない。
子ども向けの本を読んだだけなので、私には偉業だが、たいしたことはしていないのも本当なので。
そんなに真剣に読んでもらうと思っていなくて、次第に耳が赤くなる気がした。
1人でどんどん気まずくなる。
その時、ふと口元を緩めて、エルード様はノートを撫でた。
「そうですね、僕も星を掘り出した時の描写が美しくて、感銘を受けたのを思い出しました」
そこで、私の書いた感想に返事をくれているのだとわかった。
「ええ、そこが一番わくわくしました。文章だけで情景が浮かぶのですから、すごいですよね」
「そうなんですよ。だから、僕は本が好きなのです」
そう言ってエルード様がこちらを向いて、目が合った。
ここまでしっかり目が合ったのは、この時がはじめてだった。
「僕も読み返したくなりました」
少しだけ目を細めたエルード様は、もうすっかり大人の男なのに、少年のようにも見えた。
「あの、変なところはありませんでしたか…?」
「いいえ、特になかったと思うのですが」
「そうですか、よかったです」
「何か気になりましたか?」
「いいえ。普段、読まれている方から見たらどうなのかのと思っただけですよ」
「ルギー嬢は、本はそんなに読まれないのですか?」
そう言われて、私は素直に頷いた。
「お恥ずかしい話、勉強以外で本を読んだことはなかったのです」
「では、どうして」
「エルード様が読書がご趣味と言ってらしたので、追体験ができたらいいかなと」
「僕が、言ったからですか?」
「はい、もっと知れたらいいなって」
あははと、笑って誤魔化すと、エルード様はもう一度目を大きく見開いた。
私とノートを交互に見て、その表情は変わらなかったけれど、瞳には生気が充満したみたいだった。
「そうですか」
ぽつりと零れた言葉は、しっとりしていた気がする。
「エルード様、よかったらおすすめの本を教えてくださいませんか?」
「僕のおすすめで構わないのですか?」
「はい。あっ、できたら初心者にもやさしいものだと助かります…」
そこまで言うと、エルード様がくすりと笑ったのが見えた。
笑ったところも、はじめて見た。
「では、好きな童話を何冊か」
エルード様は子どもの頃に読んで好きだったものをその場で教えてくれた。
すぐにタイトルをそらで言えるところを見るに、本当に本がお好きなんだなと思った。
本を介すと前回よりもスムーズに話せていたのだった。
「う〜ん、この童話、暗いわ」
教えてもらった童話が何本か入っている童話集なるものを本屋で見つけたので、読み始めたのだが、すぐにつっかえてしまう。
暗い話がお好み?
でも、『星探索物語』は明るい冒険譚だったしなぁ。
童話ですらもすらすら読めない自分にがっかりしそうだったが、一旦休憩と、引き出しを開けた。
そこにはズラリと、リボンが敷き詰められている。
「はあぁ、癒される…」
私はいくつかリボンを取り出して、指先で撫でていった。
リボンはどれだけ見ていても飽きない。
生地の違い、手触り、光沢感。
それから、職人の繊細な刺繍。
同じ生地でも、作った者によって表情が変わる。
同じ色でも、同じものが一つもない。
こんなにあっても、髪に結うか、ぬいぐるみを可愛くするかなど、使い道がいっぱいあるわけではないが、この美しさがたくさん手元にあるというのが心躍るのだ。
「はああぁ、可愛いぃ」
気が済むまで触って、眺めた。
私としては、いつも通りである。
「この色、エルード様の目の色に似ている。今度お会いするときは、これにしようかしらね」
緑色のビロードのリボンを手に取りながら、そんなことを思って、本に目を向けた。
「あ、リボンで栞を作ったら、少しは楽しくなるかもね」
そう呟いたら、今すぐにそうしたくなって、自分の持っているリボンを全部出し始めてしまった。
あれもいい、いやこれもいいかもしれないと、栞に最適なリボン探しに夢中になって、結局その日の読書は終了したのだった。
「本当に読んでくださったのですね」
「はい。この童話、暗い話かと思って手が止まったのですが、最後にこんな優しい結末が待っているとは思いませんでしたわ」
「そこが魅力的ですよね。途中まではこれは大丈夫なんだろうかと心配になりますが」
「ええ、本当に。最後までちゃんと読めてよかったですわ」
私は新しく書けた読書記録をエルード様に見てもらいながら、内心ホッとしていた。
次、お会いする時までに間に合ってよかったわ…、というのが一番の本音だとはさすがに言えないところである。
なんとか選び抜いた淡いエメラルド色のリボンを栞にして、読み進めることができた。
でもそれ以上に、童話が終盤に向かうにつれて、予想外の展開を見せたので最後の方は一気に読めたのだった。
そんな読書体験ははじめてで、少しだけドキドキできて、嬉しかった。
あの日思ったように、今日は濃い緑色のリボンで髪を結っていた。
「自分の好きなものを知ってもらえるというのは、嬉しいものですね」
そう言って、優しく読書記録ノートを返してくれた。
「エルード様が教えてくださらなかったら、生涯読まなかったと思います」
「そんなにですか」
「はい、教えてくださってありがとうございました」
紺色のノートを受け取って、自分の腕の中に抱いた。
はじめは近づけるかなくらいのものだったが、前よりこのノートが大事になってきている。
エルード様はノートをじっと見ていた。
何かあったかしらと訊こうとする前に、エルード様が口を開いた。
「実は、僕もお見せしたいものがあるのです」
いつものように硬い声だったけれど、どうしてだか自信なさげに小さかった。
ぎこちなく胸ポケットから手帳を取り出すのを、私は黙って見ていた。
手帳にしては、平らではなく膨らんでいるようだった。
ゆっくりと後ろのページが開かれて、そこにあるものに私は釘付けになってしまった。
「リボン…」
思わず零れていた言葉に、エルード様は気まずそうに頷いた。
「ええ。ルギー嬢がお好きだと言っていたので、母に訊いてみたのですが、あまりにも種類が多くて何が何だか…」
なんとかリボンからエルード様の顔の方を向くと、今までにないくらいたじたじしているようだった。
いつもはもっと凛としているのに、あまりにも違って不思議な光景に見えた。
胸の内側がくすぐられたみたいだった。
「一応、店にも行ってみたのですが…」
「えっ、そこまでしてくださったのですか!?」
「あんなにたくさんあるとは思っていなくて、奥が深かったです」
真面目な言い方がこれまでの知っているエルード様で、笑いそうになった。
本当だ、自分の好きなものを知ってもらえるって、こんなに嬉しかったんだ。
「うふふ、いっぱいあって目移りしちゃうんですよねぇ」
「そんなに違うものかと疑問だったのですが、考えを改めました」
「真面目ですか。でも、今すっごく嬉しいです」
自然と笑顔になっていて、エルード様もにこやかに頷いていた。
「とりあえず、いいなと思ったものを2本だけ手に入れてみたのですが…」
「ビロードがお好きなんですか!いいですね!私も今日ビロードのリボンなんですよっ!」
そう言って、後ろで結っているリボンを見せようと、顔を反対側に向けた。
「本当だ…」という小さな声が聞こえて、ますますニヤけそうになる。
一目見て、これがビロード生地だとわかってくれるなんて。
エルード様の真面目さがいいなぁと思うには、十分だった。
「エルード様のリボンも素敵ですね!紺色がお好きなんですか?」
手帳に挟まれていたリボンは、両方とも紺色だった。
「あ、これはルギー嬢がお好きなのかなって」
「私、ですか?」
「はい、ノートの色が紺だったので。…違いましたか?」
エルード様の濃い緑色の瞳が揺れて、ドキッとした。
それで、紺色なんだ…。
ニヤけるとは違う、別の感情に飲み込まれそうになった。
「あ、その、すみません。私リボンを集めているからか、色でものを見る癖があって」
私はなぜか言い訳するように、もごもごと口を動かした。
「色で?」
エルード様は、繰り返すように言った。
「はい。はじめてお会いした時にエルード様が着ていらした紺色のジャケットが素敵だなぁと思って」
「そう言われると、たしかに紺を着ていましたね」
「ええ。同じ色の近い生地のリボンが欲しいなぁ、とあの時思っていたもので。それで紺色ばかりに目が行っている時期でした」
「なるほど」
そこまで言うと、いつもの無表情の顔に戻っていた。
初対面の時はそれが距離があるように見えていたのに、今はこちらの方が安心するようだった。
「では、ルギー嬢は何色がお好きなのですか?」
「うっ、それはすごく迷いますね…。リボンだったら、最近黒色にハマっているのですが。水色…、いや、似合うドレスの色は淡い藤色なのですが、好きな色となると」
う〜〜〜んと唸ると、エルード様が小さく吹き出した。
びっくりして、私の方がきょとんとしてしまった。
何か面白いことでも言っただろうか。
「本当に色で見ていらっしゃるのですね、ふふっ…」
エルード様のツボだったようで、肩が震えていた。
エルード様って、笑うのね…?
「ええ、何色でも素敵なリボンがあるので、非常に悩みます」
「それは今の僕にもわかります」
「結局いつも集めてしまうのは、淡い水色かもしれません」
「では、ルギー嬢にこれが欲しかったと言ってもらえるようなリボンを探してみようと思います」
エルード様の緑色の目が、私をまっすぐに捉えていた。
「もし、ルギー嬢のお眼鏡に適ったら、ぜひ褒めてくださいね」
お茶目なことを言われて、なぜか顔が赤くなりそうだった。
「…では、私が次の本を読み切ったら、その時は私のことも褒めてくださいませ」
「わかりました、楽しみです」
エルード様が、柔らかく微笑むのだった。
「やっぱり、そのリボンよく似合っていますよ」
「ふふっ、エルード様が選んでくださったのではないですか」
「ええ、我ながらいい仕事をしたと思います」
エルード様の表情は変わらなかったが声が自信満々だったので、私は笑ってしまうのだった。
はじめて2人で夜会に出る日、エルード様からプレゼントされた水色のサテンのリボンをつけていった。
何度も褒めてくださるから、照れてしまうのだったが…。
私はというと、艶のある黒色の栞向きのリボンを手に入れたので、少し形を整えて、エルード様にプレゼントした。
本を読むときに使ってくれているという。
実際に、この前挟んでいるところ見せてくれて、嬉しくなった。
「最近は同じ小説をルギーが読んでくれるから、嬉しくてたまらないんだ」
「それを言ったら、エルード様が一緒にお店に行って一緒に悩んでくれるのが嬉しいですよ」
私が見上げると、エルード様は目を細めてさらりと私のリボンに触れた。
その顔は優しく、ほんのり甘く私を見つめていた。
「では、婚約者殿。ファーストダンスを僕と踊ってくれませんか?」
「ええ、喜んで」
手を取って、ダンスホールへと向かう。
エルード様とははじめて踊るというのに、あまり緊張はしなかった。
水色のリボンがもうすっかりそばにいてくれたものだから、勇気が溜まっていたのだと思う。
『星探索物語』に出てきた銀の星に似た刺繍も、大のお気に入りポイントだ。
エルード様が私をくるくると回すたびに、サテンのリボンは優雅に舞うのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!!
毎日投稿171日目。




