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第三話

 砦での、奇妙な共同生活が始まって数日が経った。

 俺は、王都への報告を「邪教徒の残党、なおも抵抗中」という適当な理由で引き延ばし、この辺境の拠点で時間を稼いでいた。

 目的は一つ。この翼を持つ少女――リーナという「金のなる木」を、どうすれば最高値で、最高のタイミングで売りさばけるか。

 その値踏みのための時間だ。


 その日の朝食は、昨夜の残りのスープと、少し硬い黒パンだった。

 俺はリーナの向かいに座り、まず自分がスプーンを手に取って見せる。

 こいつがまともに食事もできない状態では、商品価値が下がる。

 最低限の作法は叩き込んでおかねば。


「いいか、リーナ。こうやって持つんだ」


 ゆっくりとスープをすくい、口に運ぶ。

 リーナは、その一連の動きを、真剣な眼差しでじっと見つめていた。

 そして、おずおずと自分のスプーンを手に取ると、不器用な手つきで俺の真似をしようとする。

 だが、スプーンはぐらぐらと揺れ、スープの半分以上を椀の外にこぼしてしまった。


「あ……」


 小さな、か細い声が漏れる。

 リーナは失敗してしまったことがショックだったのか、俯いてスプーンを固く握りしめている。


「気にするな。誰だって最初はそんなもんだ。俺も騎士団に入隊した時はナイフとフォークの使い方が分からなくて、よく貴族出の連中に笑われたもんだ」


 俺は布巾でこぼれたスープを拭きながら、彼女の手をそっと取った。


「こうだ。親指はここに添えて、人差し指で支える」


 俺のゴツゴツした指が、彼女の華奢な指に触れる。

 リーナの肩がびくりと震えたが、俺は構わず続けた。


「そうだ、上手いじゃないか。そのまま、ゆっくり……」


 俺の手に導かれ、リーナのスプーンは、今度はほとんどこぼすことなく、彼女の口元へと運ばれた。

 スープを一口飲むと、リーナの顔が、ぱあっと明るくなった。


「上手に、できたな」


 たったそれだけのことなのに、まるで大きな手柄を立てたかのように嬉しそうな顔をするリーナを見て、俺は思わず口元を緩め、そしてすぐに内心で舌打ちした。

 クソッ、何にやけてやがる、俺は。

 妹のハンナも、こうだった。

 俺が盗んできたパンを分け与えただけで、腹を空かせているのも忘れて、幸せそうに笑いやがった。

 邪教徒どもは、こいつに一体どんな生活を強いていたんだ。

 胸の奥で、黒い怒りが込み上げてくるのを、俺はスープと一緒に飲み込んだ。


 ***


  その日の午後、俺は一つの決断をした。


「リーナ、少し外に出るぞ」


 部屋に閉じこもってばかりでは、気が滅入って顔色も悪くなる。

 見栄えが悪くなっては、売り物にならん。


「大丈夫だ。俺がそばにいる」


 辛抱強く待っていると、リーナはためらいがちに、その小さな手を俺の大きな掌にそっと重ねた。


 俺が彼女を連れて行ったのは、砦の中庭と呼ぶにはあまりに殺風景な広場だった。

 外気に触れた瞬間、リーナは眩しそうに目を細め、生まれて初めて見るかのように、青い空を、流れる雲を、呆然と見上げていた。

 そんな彼女の視線が、ふと、足元の石畳の隙間に咲く、一輪の白い花に向けられた。


「……これは、リリアンだ。この大陸のどこにでも咲いてる花だ」


 俺は屈みこんで、花の名前を教える。

 リーナは、その花に吸い寄せられるように近づくと、震える指先で、そっと花弁に触れた。

 その横顔は、今まで見たどんな表情よりも、生き生きとして見えた。

 俺は、ほとんど無意識のうちに、そのリリアンを摘み取ると、リーナの銀色の髪にそっと飾ってやった。

 ハンナが、よく道端の花を摘んで、俺の髪に飾ろうとしてきたのを思い出した。

「お兄ちゃんも、綺麗にしなくちゃ」なんて言いながら。

 柄にもないことをした、と後悔が襲う。

 だが、リーナは驚いたように俺を見上げると、自分の髪に触れた。

 その紫色の瞳が、キラキラと輝いているように見えた。

 ……まあいい。花の一つでも飾った方が、見栄えも良くなるだろう。

 そうだ、これも投資だ。


 その日から、俺はリーナに、一つ一つ、言葉を教えた。「そら」「くも」「かぜ」。

 リーナは驚くべき速さで言葉を吸収していった。まるで、乾いた大地が水を吸い込むように。


 こいつ、頭の回転は悪くないらしい。覚えが早いのは、手がかからなくていい。

 最初は、俺が指差したものの名前を、オウム返しに繰り返すだけだった。

 だが、数日もすると、彼女は自ら「あれは何?」、「この人は誰?」と質問をするようになった。


 リーナがたどたどしい言葉で話しかけてくるようになると、最初は遠巻きにしていた部下たちも、すぐに打ち解けていった。

 特に副官のハンスは、いかつい髭面をこれでもかと緩ませ、まるで自分の孫に接するかのようにリーナを甘やかした。


「嬢ちゃん、腹が減ったか! よーし、今日は肉にしよう。干し肉じゃないぞ、ふもとの村で仕入れてきた新鮮な肉だ。甘い果物もあるぞ!」

「村で嬢ちゃんに似合いそうな服を見繕って来た。翼も出せるように背中に穴もあけてある。大丈夫、心配するな。店の者には仮装用だと言ってある」


 リーナは、ハンスが何かを買い与える度に、「やったー! ハンス、好き!」と抱きついた。


 その様子に、若い血の気の多い連中が黙っているはずがなかった。


「リーナちゃん! 俺が仕留めたウサギの毛皮だ! ふわふわだろ!」

「リーナ! 水晶石を見つけたぞ、キラキラして綺麗だろ! これ、やるよ!」

「俺の筋肉を見ろ、リーナ! これでどんな敵からも守ってやるぞ!」


 騎士たちの求愛行動(?)は日に日にエスカレートし、リーナはきょとんとしながらも、差し出されるガラクタや披露される筋肉を素直に喜んだ。

 リーナは、いつしか俺たち第三隊にとって、殺伐とした戦場に舞い降りた一輪の花のような、マスコット的な存在になっていた。

 だが、その環境は、時折、少しばかり問題も引き起こした。


 「よーし、リーナ! 俺たち騎士が、気合を入れる時に言う、魔法の言葉を教えてやろう!」


 ある日の午後、休憩中の部下たちが、リーナを囲んで何やら悪巧みをしているのが見えた。


「隊長が、無茶なことを言ってきたら、こう言うんだぜ。『ふざけるな、このクソったれ!』ってな!」

「そうだそうだ! あと、飯が美味かったら『最高にイカすぜ!』って言うんだ! 威勢のいい方が、喜ばれるぞ!」

「ハンスの旦那のスープを飲んだら、『五臓六腑に染み渡るぜ!』って言ってやんな! 旦那、泣いて喜ぶぜ!」


 「変な言葉を教えるんじゃない」と俺が止めに入る前に、リーナは真剣な顔で、こくこくと頷いていた。

 その日の夕食。ハンスが腕によりをかけて作ったスープを一口飲んだリーナは、ぱあっと顔を輝かせた。


「ハンス! 五臓六腑に染み渡るぜ!」

「おおっ! そうかそうか! 分かるか、嬢ちゃん!」


 ハンスは髭を揺らしてご満悦だ。


「最高にイカすぜ!」

「イカす!?  よく分からんが、そうか!」


 リーナが覚えたての言葉を使うたび、それを教えた若い騎士たちが「よっしゃあ!」「俺が教えたやつだ!」と、拳を突き上げガッツポーズをしている。


 ――ばかばかしい。


 俺は溜め息をつきながら、自分のスープを啜った。

 問題が起きたのは、その直後だった。


「リーナ、スープをこぼしているぞ。もっとゆっくり食べなさい」


 俺が注意すると、リーナは元気よく、そして満面の笑みで答えた。


「ふざけるな、このクソったれ!」


 ――シン、とその場の空気が凍りついく。


 ハンスは飲んでいたブドウ酒を盛大に噴き出し、他の部下たちは顔面蒼白になって固まっている。

 俺は、無表情のままゆっくりと立ち上がると、部下たちに向かって地を這うような低い声で言った。


「……全員、訓練場に集合。今から素振り一万回だ。異論は認めん」


 部下たちの悲鳴を背中で聞きながら、リーナは、不思議そうに首を傾けていた。

 商品に傷がつくような言葉を覚えさせるな、という話だ。


 ***


「うわぁ……」


 リーナは、感嘆の声を漏らした。

 夜になると、俺たちは二人で物見櫓の上に登り、星空を眺めるのが日課になっていた。

 その瞳には、空の星々がすべて映り込んでいる。


「あれは『守護騎士の盾』と呼ばれる星座だ。大昔、国を悪竜から守り抜いて命を落とした騎士の持つ盾が、天に昇って星になったという伝説だ」

「……きしさま」

「ああ。俺たち騎士が、守るべきもののために掲げる、誓いの星座らしい。平民出で、金で地位を買った俺には関係ないがな」


 リーナは、不思議そうに俺の顔と星空を交互に見上げた。


 (……どうしたものか)


 こいつを見ていると、忘れたはずの、妹の記憶が蘇る。

 さっさとこいつを王都に差し出すべきだ。それが一番、俺にとって利益になる。

 だが、翼のことが知られれば、見世物にされるか、研究材料にされるのが関の山。

 そうなれば、こいつはハンナと同じだ。救われずに、死んでいく。


(クソッ、俺は何を考えている。こいつがどうなろうと、俺の知ったことか)


「こんな綺麗な星空は、お前の故郷でも見えるか?」


 何とはなしに俺が尋ねると、リーナの顔から、ふっと表情が消えた。


「……ふるさと?」

「ああ。お前が生まれた場所だ。家族はいるのか?」

「……わからない。私がどこで生まれたのか。お父さんや、お母さんがいるのかも……何も、覚えてない」


 その声は、ひどくか細く、悲しげだった。


「私が知ってるのは、『リーナ』っていう、自分の名前だけ……」

「……そうか。すまない。辛いことを、聞いた」


 俺が謝ると、リーナはまた首を横に振った。

 その瞳には、涙の膜が張っている。

 俺は、どうすればいいか分からず、ただ、彼女の小さな肩を、不器用に抱き寄せた。

 そして、衝動的に、だが力強く、宣言していた。


「大丈夫だ」


 リーナが、驚いたように俺の顔を見る。


「俺が、必ず見つけてやる。お前の故郷も、もしいるなら、お前の家族も。そして、必ずお前をそこに連れて帰る。約束だ」


 何てことを口走っているんだ、俺は。

 何の利益にもならない、ただのお人好しじゃないか。

 だが、もし、あの時。俺に金と権力があったなら。ハンナを立派な医者に診せてやれたなら。彼女は死なずに済んだかもしれない

 俺が妹にしてやれなかったことを、こいつにしてやりたい。

 そう、思ってしまったのだ。

 俺の言葉に、リーナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「……うん。約束」


 彼女は、こくりと頷くと、俺の外套の袖を、ぎゅっと握りしめた。


 ――だが、神様とやらは、どうやら相当意地が悪いらしい。


  翌日の夕暮れ。砦の物見台から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。

 敵襲か、と俺が身構えた直後、副官のハンスが血相を変えてテントに駆け込んできた。


「た、隊長! 大変です!」

「落ち着けハンス! 何があった!」

「王都より……王都より、伝令です! 国王直属の近衛騎士団が、まもなくこの砦に到着されると!」


 ハンスの報告を聞いた瞬間、俺の全身から、すっと血の気が引いていくのを感じた。

 近衛騎士団。王の勅命以外では決して動かない、王国最強の騎士たち。

 彼らが、なぜ、こんな辺境の拠点に?

 答えは、一つしかない。

 俺は、背後で不安げに俺の服の裾を握る、リーナの存在を感じていた。

 嵐が来る。

 俺の出世の道を、そして、俺が柄にもなく守ってやりたいと思ってしまったこの小さな存在を、すべて吹き飛ばしてしまうほどの、大きな嵐が。

 砦に咲いた小さな笑顔は、あまりにも、儚かった。


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