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第十一話

 王都を駆け抜ける俺たちの背後で、混乱の叫びと鐘の音が、嵐の去った後の余韻のように遠ざかっていく。

 俺たち王国騎士団第三隊――いや、もはやただの反逆者の一団か――は、誰一人として振り返らなかった。

 目指すは、ただ一つ。国境だ。

 馬のたてがみの、風を切る音が耳元で鳴り響く。

 隣を走るハンスの横顔は、いつになく真剣だった。


「隊長、このまま街道を突っ切ります。追手が来る前に、国境の森まで逃げ込むんです」

「ああ、頼む。だがリーナは……」


 俺が空を見上げると、ハンスはニヤリと笑った。


「心配いりやせん。あの嬢ちゃんなら、ちゃんと分かってまさ。俺たちがどこを目指しているかなんて、言わなくても」


 その言葉通りだった。

 俺たちの頭上、遥か高空を、一つの黒い影が、まるで道案内をするかのように、同じ速度で飛んでいる。

 リーナ。

 俺は、彼女の無事を祈りながら、ただひたすらに馬を駆った。


 どれほどの時間を駆け続けただろうか。

 夜の闇が白み始め、東の空が乳白色に染まり始めた頃、俺たちはようやく国境線にほど近い、深い森の中へとたどり着いた。


「ここまで来れば、ひとまず安心だ。全員、馬を休ませろ!」


 ハンスの号令で、部下たちは馬から降り、警戒を怠らないまま、束の間の休息に入る。

 俺は、森の開けた場所に出て、空を見上げた。

 すると、まるで俺の心に応えるかのように、空の黒点が、徐々に大きくなってきた。


 リーナだ。


 彼女は、巨大なハルピュイアの姿のまま、ゆっくりとこちらへ降下してくる。

 俺は、安堵と、再会への喜びで、思わず両手を大きく広げた。


「リーナ! 無事だったか!」


 俺の声が聞こえたのだろう。彼女の降下速度が、少しだけ上がった。


「お、おい……?」


 ハンスたちの顔が、引きつっている。


「隊長! 危ない!」


 ハンスの叫びと、俺が地面に押し倒されたのは、ほぼ同時だった。


 ドッッッッシン!


 凄まじい衝撃と重量が、俺の全身を襲った。


「ぐっ……ふ……!?」


 カエルの潰れたような声が、俺の喉から漏れる。

 ハルピュイアの柔らかい腹の下敷きになり、俺は地面に叩きつけられていた。

 骨が軋み、息ができない。


「た、隊長ぉぉぉ!?」


 ハンスたちの悲鳴が遠くに聞こえる。

 こ、殺される……!

 感動の再会で、圧死するなんて、そんな馬鹿な……!

 俺が本気で死を覚悟した、その時。

 俺を押し潰していた重みが、ふっと軽くなった。

 見れば、ハルピュイアの巨体が、陽炎のように揺らめきながら収縮し、やがて元の、銀髪の少女の姿に戻っていくところだった。


「……ぷはっ!」


 ようやく呼吸を取り戻した俺の足元に、一糸まとわぬ姿のリーナの姿があった。

 だが、そこにいたのは、俺の知っている「リーナ」ではなかった。

 背筋をすっと伸ばし、顎を少し上げ、まるで女王のように、俺たちを見下ろしている。

 その赤い瞳には、絶対的な自信と、知性が宿っていた。


「……リーナ?」


 俺が戸惑いながら名を呼ぶと、彼女は形の良い眉をわずかにひそめた。


「我が名はハルピュイア。貴様らの知るか弱き少女ではない」


 その口調は、穏やかだが有無を言わせぬ威厳に満ちていた。


「なっ……!?」


 俺もハンスたちも、言葉を失う。


「おいおい、リーナちゃん。何の冗談だよ。……うわ!!」


 若い部下がハルピュイアの肩に手を置いた、その瞬間。

 ハルピュイアが片方の翼を軽く羽ばたかせると猛烈な突風が吹き、若い部下を吹き飛ばした。


「ガハッ!!」


 部下は木の幹に打ち付けられ、苦しそうにその場に倒れ込む。


「控えよ、下郎」


 ハルピュイアがもう一度翼を羽ばたかせようとした瞬間、俺は彼女の腕を掴んだ。


「やめろ。俺の部下をいたずらに傷つけることは、誰であろうと許さん」

「……ほう、我が力を見て怯えぬとはのう。我を神獣と呼び、恐れおののくのが、下界の人間の常であろう?」


 ハルピュイアが、試すように俺を睨みつける。

 神獣?下界?何のことだ。

 だが、今はそれどころじゃない。


「リーナは……俺が知っているリーナは、どこへ行ったんだ」

「リーナ? ああ、あの娘か? フン、今は我が魂の奥底で、眠っておる」

「眠っている?」

「あやつは我の力を封じ込める枷のような存在じゃ。我が力が暴走しないようにとの。じゃが、お前が我を呼び覚ませてくれた」

「俺が?」

「そうだ。お前という男が、あの娘の許容量を超える感情を呼び覚まし、眠っていた我を目覚めさせた。我の所有物に手を出した愚か者どもに、罰を与える必要があったからな」


 ハルピュイアは、俺を顎でしゃくって言った。

 その言葉に、俺は全てを理解した。

 リーナは、消えてしまったわけじゃない。

 リーナはこの、尊大で、圧倒的な力を持つ存在の内側で眠っている。

 そして、俺を助けるために、このハルピュイアを目覚めさせてくれた。

 つまり、どちらも――リーナなのだ。

 俺が守ると誓った、あの少女の一部なのだ。

 

 その時、ハンスが、我に返って慌てて自分のローブを彼女の肩にかけた。


「――コホン。は、ハルピュイア様、とでもお呼びすれば? とにかく、まずはこれを」


 彼女は、ハンスを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らしてローブをまとった。


「王都に真っ先に駆けつけた男じゃな? 小賢しいが、忠義に厚く、気も利く奴よ。大儀じゃ」

「は、はは……光栄です……」


 完全に気圧されているハンスの姿は、ひどく新鮮だった。


「……そうか。それならいい」


 俺の静かな返答に、ハルピュイアは意外そうな顔をした。


「……何?」

「俺は、お前を生まれ故郷まで送り届ける。それまで守り抜くと誓ったんだ。それは、お前がどんな名前で、どんな口調だろうと変わらない。お前の中に眠っているリーナも、お前自身も、まとめて全部、守ってやる!」


 部下たちも「そうだ!」「その通りです、隊長!」と力強く頷いた。

 俺の言葉と部下たちの態度に、ハルピュイアの赤い瞳が、少しだけ揺らいだ。



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