幕間其の二 姫乃の迷い
ここのところ霊力の回復が遅くなっていました。身体は常に疲労感で重いのです。
理由は普段の眠りが浅いせいだとわかっていましたけど、そのおかげでお兄ちゃんと玉藻くんのイザコザを察知できたんだから、なんとも皮肉なものです。
そんな状態で護法双鬼を急召喚したせいでしょう。立っているのも辛かった私は、早退することにしたのです。このままじゃ、夜の務めに支障が出てしまうから。
「って、私……学生なんですけど、ねぇ」
水戸の守護者としての使命をなによりも重んじるお父様に知れれば、こんな状態も今回の一件も、たるんでいると手痛く叱責されてしまうかもしれないですけど。
やったことに悔いはありません。あの時は、ああせずにはいられなかったし、所詮、それが僅かな自己満足に過ぎなくても、停めることができて、すごくホッとしているのです。
と、帰ろうとして、下駄箱の中に紙が入っていることに気付きました。
「っ……」
束の間の安心感が、一気に霧散していきます。首筋に、冷汗が伝い落ちました。
私は恐るおそるそれを取り出します。そのA4サイズの用紙が、誰かが恋心を募らせて書いたラブレターじゃ無いことだけはたしかでした。
もう、何度目になるでしょうか? 差出人の無い手紙を受け取るのは。
もう、何度目になるでしょうか? 心を、視えない刃でズタズタにされるのは。
記されていたのは、白が無くなるくらいに黒く染まった誹謗中傷の数々でした。
私は悲鳴を呑み込んで、すぐさま丸めて投げ捨てます。床に転がった紙屑には眼もくれず、ローファーを取り出して学校を飛び出そうとしましたが、
「痛!?」
痺れる痛みに靴を脱ぎ捨てると、画鋲が仕込まれていました。
辺りを見渡しても誰もいません。授業開始のチャイムがせせら笑うように鳴りました。
私は視えない悪意に気持ち悪くなりました。画鋲を払い、無理やり上履きを履いて、痛む右足を引きずるようにして近くのトイレに駆け込みます。
そして鍵をかけて、うずくまって、堪えきれずに呟きを零した瞬間でした。
「なんで……なんで私が――」
「「「「「それはアンタが害悪だからだよ、尻軽女がっ!!」」」」」
ザバァッと頭上から大量の水が浴びせかけられ、無数の嘲笑と雑音が遠退いていきました。
「私が……悪?」
こんな目に遭うのは、もう、何度目になるでしょうか?
わかりません、覚えて、いたくもありません。
「……ぅ…………ぅぅ…………」
――私、なんで、がんばってるのかなぁ?
× × ×
「おかえりなさ――っ!? 姫? 一体どうされたんですか? なんで、そんな――」
「……うん。今日は体調が優れなくて……体操服も無かったから……着替えれなくて」
帰宅早々、お銀に驚かれました。どうやって帰り着いたか覚えていませんし、たぶん、お銀が聴きたかったのはそういうことじゃないんだと思いますけど、勝手に口が動いていました。
私は慌ただしくお風呂場に連れていかれて、無気力のまま湯船に浸かります。
「姫、湯加減はどうですか?」
「……ちょうど……いいです」
扉越し。脱衣所から訊ねてくる彼女へ、私はそう答えました。
お銀もなにかを察してくれたようでした。色々聴きたそうでしたけど無理には入って来なくて、ただ、そばで控えていてくれました。こちらとしてもその気遣いはありがたかったです。しばらく、なにも考えたくなかったですからね。
でも、あいにく、沈黙は長くは続きませんでしたが。
「姫……こんな時にとても申し上げ難いのですが……例の件、御報告しても?」
彼女へお願いした偵察任務。
話したくなくても、その結果を、聴かないわけにはいきません。
私は浴槽の縁に腰掛けて、湯を両手ですくいました。指はしっかり閉じているはずなのに、隙間から零れ減っていく湯を見つめながら「……うん」とうなずきます。
「では、三上院弥七の動向について――ご報告いたします」
お銀の、とても鬱々とした声での報告を、私は聴きました。
唇を、きつく噛み締めながら。
第三幕に続く