4. 伝説の一年
泉澤は芦屋市の超高級住宅地、六麓荘に居を構えた。
泉澤夫妻はセレブ然としたタイプでは全くなく、親しみやすく庶民的な感性の人柄である。
だがセキュリティーのこと、そしてプライベートタイムを守るということを考慮した場合、住める場所はそこにしかなかった。
シーズン前、泉澤夫妻は甲子園球場近くのららぽーとに一度、西宮北口の阪急西宮ガーデンズに一度ショッピングにやってきたことがあったが、その際の周囲の喧騒ぶりは凄まじかった。
開幕戦
摂津ペガサスの対戦相手は東京ジェネラルス。
東京ドームである。
先攻の摂津ペガサス、
一番ピッチャー 泉澤幸喜。
後攻の東京ジェネラルス、
一番ピッチャー 野口保。
野口の初球は真ん中やや高めのストレート、158km。
野口は泉澤に対しておのれの持つ最高のボールを投じた。
野口は初球、その球を投じるであろうと読んでいた泉澤は、野口の最高のストレートを捉えたが、フェンス間際のセンターフライだった。
一回の裏、泉澤が野口に投じた初球も、真ん中やや高めのストレート、162km。
野口もバットのほぼ芯で捉えたが、右中間フェンス間際のライトフライだった。
2打席目以降は、泉澤は三振、左中間への2塁打、三振。
野口はレフト前ヒット、三振だった。
試合は3対1で摂津ペガサスの勝利。
勝利投手、泉澤幸喜。
敗戦投手、野口保。
泉澤幸喜
6イニング、自責点1,被安打4(本塁打1)、与四球3、奪三振10。
5打席4打数1安打(2塁打 1)0打点2三振
対野口 4打席4打数1安打(2塁打 1)2三振
野口保
7イニング、自責点3、被安打6(本塁打1)、与四球2、奪三振8。
5打席5打数1安打0打点1三振
対泉澤 3打席3打数1安打0打点1三振
同日の大阪ドームでの開幕戦で、牧正太郎もまた関西ナイツのオープニングピッチャーとなった。
被安打3、与四球4、奪三振14の完封勝利。
一番打者として、ショートゴロ、ショートゴロ、ライトフライ、一塁線を抜く2塁打、左中間2塁打。
5打席5打数2安打(2塁打2本)2打点。
牧はピッチャーとして開幕戦以来11試合連続完投勝利した。内完封7試合、ノーヒットノーラン1試合。
その牧の連勝記録を止めたのは交流戦で対戦した泉澤だった。
その試合、泉澤は3週間の故障者リスト開けの試合だったが、
打っては 5打席5打数3安打(2塁打2、単打1)2打点1三振。
牧に対しては、ライト前ヒット、三振、左中間2塁打、
セカンドゴロ。
泉澤は、投げては今シーズン初めての完封で、7勝目をあげた。
被安打1、与四球3、奪三振15の快投だった。
牧は、セカンドゴロ、三振、三振、センターフライ。
4打席4打数ノーヒット、2三振。
摂津ペガサス 5 対 0 関西ナイツ。
勝利投手 泉澤幸喜 7勝1敗
敗戦投手 牧正太郎 11勝1敗
牧正太郎
7イニング、自責点5、被安打7(本塁打2)、与四球1、奪三振9。
牧正太郎の次の登板は、野口保が所属する東京ジェネラルス戦。
東京ジェネラルスの先発は野口。
ともに一番ピッチャーの、牧と野口の投打の対決は、牧の勝利といえる内容であったが、試合は東京ジェネラルスの勝利。
開幕以来ピッチャーとして11連勝した牧は、泉澤の摂津ペガサス、野口の東京ジェネラルスに連敗した。
東京ジェネラルス 2 対 1 関西ナイツ
勝利投手 野口保 9勝3敗
敗戦投手 牧正太郎 11勝2敗
野口保
9イニング、自責点1,被安打7、与四球2、奪三振12。
4打席4打数0安打2三振(ファーストゴロ、三振、ショートフライ、三振)
牧正太郎
9イニング、自責点2、被安打5(本塁打1)、与四球3、奪三振10。
4打席4打数2安打(2塁打、単打)1三振(三振、レフトフライ、右中間2塁打、ショートへの内野安打)
7月のロサンゼルスオリンピック。
泉澤幸喜、野口保、牧正太郎は、いずれも代表選手に選ばれた。
自国開催ということもあり、アメリカはこのオリンピックに、最高クラスのスターたちを揃えてチームを編成した。
オリンピックの期間中、メジャーリーグも日本のプロ野球も、代表選手抜きでシーズンは続けられた。
代表選手については、アメリカ、日本ともシーズンの中で18試合は欠場することとなった。
オリンピックで日本は、泉澤幸喜が所属していたロサンゼルスロビンスの本拠、ロビンスタジアムで行われた決勝戦でアメリカに3対1で勝利し、金メダルを獲得した。
この試合、日本の先発は牧正太郎。
そして野口保、泉澤幸喜と繋いだ。
牧正太郎
5イニング、自責点1、被安打3(本塁打1)、与四球2、奪三振8。
5打席4打数0安打1三振(2番)
野口保
3イニング、自責点0、被安打1、与四球1、奪三振2。
5打席5打数2安打(単打2)1打点0三振(1番)
泉澤幸喜
1イニング、自責点0、被安打2、与四球1、奪三振0
4打席3打数0安打2三振(3番)
オリンピック開催のため、この年のオールスター戦は、オリンピック終了後の8月上旬に開催された。第一試合は甲子園球場だった。
この試合、先攻のジャパンリーグは、
一番ピッチャー 牧正太郎。
後攻のナショナルリーグは、
一番ピッチャー 泉澤幸喜。
二番センター 野口保。
(ナショナルリーグは指名打者制度が無いので、泉澤も野口も投げない日はセンターを守っていた)
この時点で、各チームはシーズンを既に100試合程度消化していた。
この時点での泉澤、野口、牧は
泉澤幸喜
8勝2敗。
打率.335(規定打席未満)、本塁打31(1位)、打点73(1位)。
野口保
10勝3敗
打率.311(1位)、本塁打19(4位)、打点61(3位)
牧正太郎
13勝2敗(勝利数、防御率、勝率、奪三振1位)
打率.279(規定打席未満)、本塁打23(2位)、打点58(2位)。
一回表、牧はショートゴロ
一回裏、牧は、泉澤をセカンドゴロ、野口をライトフライに抑えた。
三回まで投げた牧は、三番から七番打者まで5連続三振。
八番打者に内野フライを打たれ、九番打者はフォワボール。次の泉澤をセンターフライに抑えた。
この試合で、泉澤も3イニングを投げた。
被安打2、奪三振4。
牧の2打席目はセンター前ヒットだった。
そしてレギュラーシーズンが終了した。
ナショナルリーグ
1位 摂津ペガサス 91勝49敗3引分
2位 東京ジェネラルス 87勝52敗4引分
3位 横浜セーラーズ
4位 山陽フェニックス
5位 関東スワンズ
6位 名古屋シャークス
ジャパンリーグ
1位 関西ナイツ 84勝55敗5引分
2位 九州レインボー
3位 北海道アークトゥルス
4位 千葉マリナーズ
5位 埼玉アローズ
6位 東北仙台ダンディーズ
泉澤幸喜
11勝3敗
124イニング(規定投球回数未満)、自責点25、奪三振152
防御率1.81 奪三振率11.03
379打数131安打
打率.346(規定打席未満)、本塁打43(1位)、打点107(1位)
首位打者(規定打席に達するまでの差異の打席が全てアウトであった場合に算出される打率が、2位の野口保を上回るため)、本塁打王、打点王
三冠王
シーズンMVP
泉澤幸喜の日本プロ野球における通算成績は
53勝18敗
91本塁打
となった。
野口保
13勝5敗
157イニング、自責点33、奪三振176
防御率1.89 奪三振率10.09
420打数137安打
打率.326(2位)、本塁打27(4位)、打点98(2位)
最優秀防御率、最多奪三振、(勝利数3位、勝率2位)
新人王
牧正太郎
17勝3敗
184イニング、自責点30、奪三振251
防御率1.47 奪三振率12.28
399打数117安打
打率.293(5位)、本塁打33(2位)、打点87(3位)
最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振
シーズンMVP
新人王
日本シリーズ
第1戦 甲子園球場
摂津ペガサス 0 対 1 関西ナイツ
勝利投手 牧
敗戦投手 泉澤
牧 9イニング、自責点0、被安打4、与四球2、奪三振13
5打席4打数1安打0三振
泉澤 7イニング、自責点1、被安打5、与四球2、奪三振11
4打席4打数0安打0三振
第2戦 甲子園球場
摂津ペガサス 5 対 2 関西ナイツ
第3戦 大阪ドーム
摂津ペガサス 3 対 7 関西ナイツ
第4戦 大阪ドーム
摂津ペガサス 3 対 2 関西ナイツ
第5戦 大阪ドーム
摂津ペガサス 6 対 5 関西ナイツ
第6戦 甲子園球場
摂津ペガサス 3対 1 関西ナイツ
勝利投手 泉澤
敗戦投手 牧
牧 8イニング、自責点3、被安打6、与四球1、奪三振8
4打席4打数1安打0三振
泉澤 9イニング、自責点1、被安打3、与四球3、奪三振14
4打席4打数3安打0三振
日本シリーズは、4勝2敗で摂津ペガサスの勝利。
摂津ペガサスは、球団史上3回目の日本一となった。
泉澤幸喜は、野球で描いた夢を全て実現させた。
シリーズ成績
牧正太郎
1勝1敗
17イニング、自責点3、被安打10、与四球3,奪三振21
防御率1.59 奪三振率11.12
27打席24打数8安打3三振
打率.333、本塁打2,打点6
対泉澤幸喜
8打席8打数2安打(単打2)0三振
泉澤幸喜
1勝1敗
16イニング、自責点2、被安打8、与四球5,奪三振25
防御率1.125 奪三振率14.06
28打席22打数9安打4三振
打率.409,本塁打4、打点10
対牧正太郎
8打席8打数3安打(2塁打 2、単打1)0三振
泉澤幸喜は、声明どおりこのシーズンをもって現役を引退した。
そして、野口保は運動機能に影響を及ぼす病気に罹患したことにより、
牧正太郎は野球選手としては致命的な肩の故障が発生したことにより、実質的にはこの一年限りでその選手生命を終えた。
泉澤幸喜に継続する選手生命をもった後継者は誕生しなかったのである。
英雄伝説は終わった。
だが、日本でもアメリカでもその他の地域においても、野球という競技は、人びとに愛されながら、その歴史をさらに紡ぎ続けていく。