3. ファンは狂気乱舞する
摂津ペガサスという球団に対するファンの愛着、熱狂度は凄まじい。
摂津ペガサスの球団史は、幾度かの黄金時代を持ち、昭和40年代には9年連続日本一という信じられないような記録を残している東京ジェネラルスとはかなり異なる。東京ジェネラルス同様、職業野球の創成期から存在した伝統ある球団であるが、昭和25年の2リーグ分裂後、間もなく80年の時が経過しようとしているが、リーグ優勝は6回、日本一になったのは2回だけである。
そのレベルの実績でありながら、摂津ペガサスは球界屈指の人気球団なのであった。
昭和40年代あたりまでは、甲子園球場が満員になるのは対東京ジェネラルズ戦のみ。他のチームとの試合であれば空席は多かった。
近隣の小学生は、ペガサス子どもの会に入れば、ジェネラルズ戦以外は外野席に無料で入れたのである。
その頃は巨大メディアを親会社に持ち、全試合がテレビで全国放送されていた東京ジェネラルズとは人気の面で大きな差があった。
がいかなるメカニズムが働いたのか、それ以降の時代の中で、摂津ペガサスはどんなに負けてもファンからは愛され続ける。関西人特有のセンスに合うのか、決して常勝球団ではないことによって、出来の悪い息子が「しゃあないやっちゃなあ」
と言われながらも愛されるような感覚で、愛され続けてきたのであった。
今では、東京ジェネラルズを凌ぐ、観客動員数日本一の球団であり、ほぼ毎試合満員の観客を集めていた。
天賦の体格と才能に恵まれた世界一のベースボールプレーヤー。
それだけでなく、小顔でスタイル抜群。
ハンサムで、性格は好感度抜群の爽やかさ。
品のよいユーモア感覚も併せ持ち、30歳を過ぎても、少年のように野球を愛し続ける。
さらに加えてその伴侶も、親しみやすい美貌と性格、やはり長身でスタイル抜群。図抜けた好感度。
人としてやり過ぎではないか。そこまでパーフェクトな人間が存在してしまっていいのか。
もしかして泉澤幸喜という存在は、AIが作りあげたコンピュータグラフィックで、世界中の人々がもう10年以上も集団催眠にかかり、騙され続けているのではないだろうか。
そんな極論を唱える人もいる。
ドラマチックなことを何度も何度も実現してきて、架空の物語を超えてしまった泉澤幸喜。
その人間としても完璧なベースボールプレーヤーが、摂津ペガサスにやってくる。
高校時代、2年生の夏と3年生の選抜。2度出場するもともに初戦で敗退。
単に甲子園球場で勝利するということであれば、
泉澤は日本のプロ野球球団、北海道アークトゥルスに在籍していたとき、交流戦で既に何度も甲子園球場での勝利は経験している。
が、高校時代に叶わなかった夢の代償としては、それだけでは満たされない。
甲子園球場で勝利する。
その真意は甲子園球場を本拠とする球団のプレーヤーとして日本一になること。
摂津ペガサスファンは、この想像だにしていなかった巨大なプレゼントに狂気乱舞した。