1. 世界一のベースボールプレーヤー
メジャーリーグでスーパースターとなり、世界一のベースボールプレーヤーになるという夢を実現してしまった
泉澤幸喜。
だがおのれの野球人生を振り返ったとき、たったひとつだけ叶えることのできなかった夢があった。
彼が高校球児であったとき、2年生の夏と3年生の選抜で出場した甲子園で、ともに初戦で敗れたこと。
プロ野球選手としての最後の一年を、泉澤は甲子園球場を本拠地とする球団でプレーすることを決意した。
日本野球史における最大のヒーロー。
投打にわたる二刀流のスーパースター。
メジャーにおいても、その前人未到の投打にわたる二刀流の実績から、現役ナンバーワン、世界一の選手。
いや長い歴史を誇るメジャーの中でも史上最高の
野球選手ではないかとも言われている泉澤幸喜が一年後の現役引退を発表した。
この発表は世間を驚倒させた。
泉澤は33歳。 まだまだ野球選手として衰えるような年齢ではない。
むしろそのパフォーマンスは、彼が今アスリートとしてのピークの数年間の、その渦中にいることを示していた。
3年前の打者専念のシーズンでは、50-50。
史上初の50本塁打と50盗塁を同一シーズンで成し遂げた。
投手として復活した翌シーズンでは、7勝3敗。
51本塁打。
そしてその翌年、昨シーズンこそ、彼のおそらくはキャリアハイとなるシーズンであったろう。
投手としては、17勝3敗。
172イニングで、自責点37。奪三振233。
防御率1.94。 奪三振率12.19。
最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振のタイトルを獲得。
打者としては、
597打数203安打。
打率.340。ホームラン64本。打点161。
三冠王に輝いた。
今シーズンは、故障者リスト入りした時期もあり、その残した数字は昨シーズンを下回った。
とはいえ
11勝6敗。
139イニングで、自責点41。奪三振162。
防御率3.10。奪三振率10.49。
470打数146安打
打率.311。 ホームラン41本。打点107。
無冠だったとはいえ、今季も投打に卓越した実績を残した。
10年間在籍したメジャーで
投手としては通算73勝31敗。
獲得したタイトルは、
最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振各1回。
打者としては通算381本塁打。
獲得したタイトルは、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回。
5年連続を含めてMVP6回。
そして泉澤幸喜が所属するロサンゼルスロビンスは4年連続リーグ優勝。今季はワールドシリーズで敗れたが、昨季まで3年連続ワールドチャンピオン。それは、1998年から2000年までのニューヨークハイランダーズ以来26年ぶりの偉業であった。
これだけの実績を残しながら、何故、泉澤幸喜が
1年後の引退を宣言したのか。
世間は、泉澤の心の中にあるものを色々と忖度した。
泉澤幸喜は、今年のシーズンが終了したとき、
それは4年連続のリーグ優勝を成し遂げたあと、
ワールドシリーズに敗れ、ワールドチャンピオンが3年連続にとどまったことが決定したとき、ということになるが、自分自身が最高のパフォーマンスを成し得る、その時期は過ぎ去ってしまった、ということが、世間がどう思おうと、当の本人である彼には分かったのであった。
今行っている日々のトレーニングを続け、そしてその心の状態を今あるように保てば、今季残した程度の数字であれば、まだあと2〜3年は残し続けることができるだろう。
そのことも彼には分かっていた。
だが昨シーズン、それは彼個人の野球の歴史においても何度めかの奇跡のシーズン、伝説の一年であったわけであるが、そのシーズンの彼を再現することはもうできない。
今年一年、彼は今季が進んでいくにつれ、おのれにとっての最高の時間、最良の時期は過ぎ去ってしまったことが、ほかならぬ彼だけにはそのことが分かったのである。
先人が誰もなし得なかった、投打のその両方において超一流の成績を残し続けてきたこと、そのことは彼の精神と肉体に、計り知れない負担をかけ続けてきたのであった。
よくこれだけの年数、これだけの記録を残し続けることができたなあ。
泉澤はあらためてそう思った。
世界一の野球プレーヤーになるという少年時代の夢は最高の形で叶った。
いやそれ以上、泉澤幸喜こそアメリカ、日本、その他の地域の野球のすべての歴史を通じて史上最高の野球選手と評価する人もいる。
彼の少年時代の夢は、彼自身が描いていたものを超えて実現したのであった。
もし選手のトータルキャリアでの通算記録。通算勝利とか通算本塁打の数字にこだわるのであれば、ここで引退してしまうのはあまりにも惜しい。世界一のプレーヤーであり続けることにこだわらず、トップクラスの選手ということであれば、あと5年は、その名に相応しい成績を残し続けることは可能。
メジャーでの通算勝利数は100を超え、通算本塁打数は500を超えるだろうし、あと1回か2回は本塁打王のタイトルも取れるだろう。
だが世界一のプレーヤーになるという少年時代の夢を、自らが描いた以上の形で実現してしまった泉澤にとって、トップクラスの成績をあと数年間残し続けるということに、それほど大きな意味を見出すことはできなかった。
そう思った彼は、おのれの高校時代のことを思った。
そこには彼が夢に描き、その夢を実現することができなかったおのれの姿があった。
プロ野球選手としての最後の一年で、彼が成し遂げたいと思う最後の夢は…
高校球児の聖地、甲子園球場。
その球場で勝利することだった。