4.指向錯誤
さて。どこに行こう。
仕事に追われていた頃は色々行きたいところがあったはずなのだ。落ち着いたら、いつか時間が出来たら。
それなのに、いさその時が来たら駅の切符売り場の前で立ち尽くすことになるなんて、思っても見なかった。
「行きたいところ…」
一番は、旅行に行きたかった。
行き先はどこでもいい。
日常から遠く離れた場所に行って、時間を気にせず見知らぬ街をブラブラとして、温泉に入って、宿で思う様のんびりとする。
わぁ。
それは今でもわくわくする。良いな、行きたいな。
素直にそう思えるけれど、いかんせん、そこまで贅沢出来るお金がない。
働いていた頃には時間が無くて、仕事が無くなるとお金がない。なんだかいつでもないない尽くしだ。
(…行きたいところ)
買い物をして、美味しい物を食べて、映画を見て、ただただゆっくりして。
そんな漠然とした憧れと渇望が確かにあったはずなのに、今の真由は自分がどこに行きたいのかも、何をしたいのかもよくわからない。それがひどく、心もとなかった。
自分のことなのに、自分が何をすれば喜ぶのか、忘れてしまった。
そのときふと、鼻先をくすぐるものがあった。
(焼き芋…?)
香ばしくて、甘くて、その匂いを嗅ぐだけでホクホクの黄金色が脳内に再現されて、思わずゴクリと唾を飲む。そういえば、ご飯を食べてなかった。
駅構内の一角で、ひっそりと出店している焼き芋屋を、そういえば毎年秋になると見ていたことを思い出した。
今までは、ただ通り過ぎるだけの場所で、雑多な匂いや諸々の雑音に紛れて、こんなに焼き芋の匂いを強烈に意識したことは無かったのに、今はその匂いに色でもついているかのように、鮮やかだった。
ーーー食べたい。
ごく自然に、そう思った。そうして思い出す。
(…そういえば、今はあの季節だ)
昔自分が好きだったもの。
ふらふらと匂いに釣られるように熱い焼き芋を買いながら、ふと脳裏によぎる、金色の空。
秋。
そう、今は秋だ。
当たり前の事を、当たり前に実感して、そうして感じて。わさわさと、自分の心が動く感覚。
忙しすぎる毎日や、閉じた部屋の中では、見えなくなるもの。それを、確かに今、感じている。
昔、どこでだっただろう。
とても立派な銀杏の木を見たのだ。
真っ青な空に、黄色く色づいた銀杏の葉。
それだけでも見応えがあって感動したけれど、木の下から見た空は、視界いっぱいの金色の空だった。
(また、あれが見たい)
そう思えば、強烈な衝動となって、真由を突き動かした。
ひとつひとつ、確認するように。
でも、きちんと耳を傾ければ、確かに自分の食べたいもの、見たいもの、やりたい事。
それらは確か自分の中にある。
手のひらの中のじんわりとした温かさが、今はひどく心地よかった。