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このワクチン導入は英断だったのか

作者: xoo


 1961年4月中旬よりNHKがポリオ発生状況を日報の形で報道し始めた。6月初旬、患者が800人を超え、16日には1000人を超えた。九州だけでなく東京区部でも流行指定地域が出たため新聞各社も大きく取り上げ始めた。20日に厚生省(当時)は生ワクチンの緊急輸入と全国一斉接種の方針を決め、21日に古井喜美厚生大臣の「生ワクチン導入に関する責任は全て私にある」という談話とともに「全国民を対象とした臨床試験」を決定した。26日より福岡・大分両県での接種を開始、7月21日には全国での接種を開始、1ヶ月間で1300万人の接種を終えた。7月中旬までの患者数は過去10年間で最高であったが、8月の患者数は過去最低、翌年度からも患者数は激減、1963年には定期接種化され、日本における野生株からの自然感染は皆無となった。




これは1961年、ポリオ流行を食い止めるために行われたワクチン緊急輸入・接種に関わる政治判断である。さてこれが、本当に英断だったのだろうか。

◎ポリオ


 ポリオは神経系にポリオウイルスが感染して麻痺を引き起こし、呼吸ができなくなって死亡したり、回復しても体の一部に麻痺が残存する病気である。多くは経口で取り込まれたポリオウイルスが腸管に感染、一部はウイルスを含んだ飛沫から肺の感染を経て血流を介して脳神経系に感染し症状をきたすが、明確な症状を来さない「不顕性感染」が患者の100倍あるため、症状のないキャリアの腸管で増殖したウイルスが飲み水や糞便飛沫を介して広がりやすく、衛生状態が良くなく人口密度が高い環境(1950〜60年代の炭鉱町など)ではアウトブレイクを起こしやすい。


 歴史的には、紀元前1400年頃のエジプトの壁画に罹患して脚が変形し、杖をついて歩く子供の姿が描かれている。1840年に医学的な疾患概念が確立、19世紀初頭にヨーロッパでのアウトブレイク、1843年に米国でのアウトブレイクが記録されているが、20世紀に入るまでポリオはあまり注目されていなかった。衛生環境が劣悪な時代はポリオウイルスが新生児期に感染したために母体から引き継いだ免疫(生後6ヶ月まで有効)の効果で重篤化することが少なかったのが、衛生状態がある程度改善してきた20世紀初頭以降は子どもが自由に動き回れるまで成長した時期に感染するようになったために免疫のない初回感染で多くの犠牲者を出した。



 1953年に最初のIPVワクチン(ソークワクチン)が開発され、1955年から採用された米国での新規患者抑制に貢献した。しかしソークワクチンは、低温保管(遮光、凍結を避けて摂氏2〜8度)と医療スタッフによる注射が必要であり、接種者本人の発病は抑制できても腸内でのウイルス増殖を抑えられないため集団内の流行を断ち切る効果がなく、また免疫持続性が低い欠点があった(1959年頃から米国ではポリオ感染が再び増加しており、経時的な抗体減少によるとされる)。日本では1961年2月からソークワクチンの輸入・臨床試験(6ヶ月〜3歳未満の子ども2000名に対する試験接種)と国産化が始まったが、1960年の米国再流行で輸入が止まり、国産ワクチンも4社のうち先行2社が検定不合格になるなど、供給不安が広がった。

 1950年代後半には弱毒化経口生ワクチン(OPV)が開発され、1958年にソ連で実用化された(米国での認可は1962年)。生ワクチンはシロップ剤をスポイトで数滴、経口投与するもので保存性と簡便性に優れ、腸管免疫の効果が高く免疫持続性も良好であったが、稀に先祖返りして毒性を取り戻したウイルスが便とともに排出されて免疫を持たない周囲の人に感染・発症させる「ワクチン関連麻痺性ポリオ(VAPP、Vaccine-associated paralytic poliomyelitis)」の危険があった。

 

 1958年から流行し出したポリオは1960年、北海道の炭鉱町を中心に5606人の患者を出し、61年春には九州で流行の兆候を見せた。この時点でソ連製の生ワクチンは存在したが米国でも未承認の生ワクチンは輸入されることはなく、ソークワクチンの輸入・国産化は停滞していた。


 1961年4月中旬よりNHKがポリオ発生状況を日報の形で報道し始めた。6月初旬、患者が800人を超え、16日には1000人を超えた。九州だけでなく東京区部でも流行指定地域が出たため新聞各社も大きく取り上げ始めた。20日に厚生省(当時)は生ワクチンの緊急輸入と全国一斉接種の方針を決め、21日に古井喜美厚生大臣の「生ワクチン導入に関する責任は全て私にある」という談話とともに「全国民を対象とした臨床試験」を決定した。26日より福岡・大分両県での接種を開始、7月21日には全国での接種を開始、1ヶ月間で1300万人の接種を終えた。7月中旬までの患者数は過去10年間で最高であったが、8月の患者数は過去最低、翌年度からも患者数は激減、1963年には定期接種化され、日本における野生株からの自然感染は皆無となった。


◎ポリオワクチン導入の評価


 日本においては1961年のポリオワクチン緊急輸入・接種の後、60年度の患者数5606人から61年度2436人、62年度63人、70年度以降は一桁となった。同様の感染経路を持つ細菌性赤痢(1962年頃より減少)に比べても急激な減少であり、水道整備など衛生環境整備の進行を下支えとしつつも、ポリオワクチン接種が明らかに効果があったと考えられる。1981年以降、野生株によるポリオ感染は報告されていない。日本を含む西太平洋地域のポリオ根絶宣言は2000年である。

 1961年の緊急輸入・投与は「全国民を対象とした臨床試験」であり、厚生大臣の超法規的な決断という形を取っており、正規の手段ではない。当時、日本においてはワクチン関連麻痺性ポリオ(VAPP)回避のため不活化ワクチン(IPV、ソークワクチン)の国産化が図られていたが、開発していた4社のうち先行2社が検定不合格になるなどワクチン開発が停滞していた。輸入ワクチンについてもアメリカ製のIPVはアメリカ国内の再流行のため需要逼迫して輸入できず、OPVは開発中であった。OPVが実用化されていたソ連は冷戦期の仮想敵国であり、1960年の北海道での流行時には輸入されなかった(この際に北海道の母親層を中心に「北海道独立運動」が巻き起こったという)。しかし1961年に九州で、次いで東京で流行し始め、東京のマスコミが声を上げて世論が形成され、それに押される形でワクチン緊急輸入・接種が決まった(ソ連から1000万人分、カナダから300万人分)。「東京が流行しなければOPVが導入されなったのではないか」という疑念を抱かせる対応ではあった。

 一方では国内の野生株根絶後もOPV接種は続けられたことにより年間数人のワクチン関連麻痺性ポリオ(VAPP)患者が発生した。2000年の西太平洋地域でのポリオ撲滅宣言まで慎重を期した、とも考えられるが、南北アメリカ地域が1994年に根絶宣言しIPVに切替えられたにもかかわらず日本におけるIPV開発は遅れ、2005年には日本ポリオ研究所(1960年頃にIPVを開発していた製薬4社のポリオワクチン部門を統合し国産OPVを供給していた)が臨床試験データを改竄して製造承認申請していたことが発覚したため遅れに遅れ、IPV導入は2012年秋からであった。


 余談ではあるが、1975年〜77年のポリオワクチン接種者においてポリオ抗体保有率が他の年代に比べて低いことがわかっており、保健所などを通して(妊娠までに)抗体価検査・追加接種が推奨されているが、知らない人も多いようである。私の妻も知らなかったが、入籍前に情報提供し、OPV接種を済ませた。

 第1子が生後5ヶ月頃、急に母乳/哺乳瓶とも吸えなくなることがあった。OPV接種した1月後の事であった。ネット検索して「OPV摂取後まれにおっぱいが吸えなくなる事がある、数日で回復する」という情報を見つけ、コップでミルクを飲ませるようにしたら3日で回復した。第2子もOPVであったが、目立ったトラブルは起きなかった。



◎風疹


 風疹ウイルス感染により発熱、皮膚の発疹、リンパ節腫脹をきたす病気であるが、妊娠20週までの妊婦が感染すると出生児が先天性風疹症候群(CRS、主要な症状は先天性心疾患、難聴、白内障、ほか)をきたす可能性がある。

 1964年にアメリカで風疹が大流行し、当時、米軍軍政下であった沖縄で多数の先天性風疹症候群による聴覚障害児が生まれることとなった。戸部良也のノンフィクション「青春の記録 遥かなる甲子園 聴こえぬ球音に賭けた16人」と、これを原作とした山本おさむの漫画「遥かなる甲子園」などをご参照されたい。


 1977年、中学生女子を対象とした生ワクチン接種が開始された(先天性風疹症候群CRS予防のため、妊娠前でかつ家族に妊娠しているものが少ない年代を選んだものとされている)。その後、対象を男子に拡大、接種年齢・回数も変更されたが、1962年4月〜1979年3月生まれの女子および1979年4月〜1990年3月生まれの男女は1回、1980年4月生まれからは二回の接種機会があるが、これら以前に生まれた人は接種機会がなかった。

 2012〜13年の20代を中心とした流行は風疹患者の減少によりウイルスヘの暴露機会が減ったため、経時的な抗体価低下によるものとされた。しかしその後、ワクチン接種機会がなかった世代、特に1962年4月〜1979年3月生まれの男子における抗体保有率の低さが問題になり、2019年4月〜2025年3月までの期間限定で風疹及び麻疹の抗体価検査の無料クーポンが配布、職場の健康診断時に合わせて行えるよう推奨され通知されたことになっている(抗体価が低い場合は第5期として定期接種の対象となる)。が、世間一般の認知は低いようである(当社では通知がなかった/私は風疹経験者であり且つ2019年3月に抗体価検査を受けてクリアしている)。


 風疹は男女ともにかかる病気であるが、1977年の定期接種導入時には女子のみとされた。当時はワクチンの供給量が不十分であったことと、妊娠している人は接種できないため今後妊娠する可能性がある女性に優先して接種するとされたが、感染経路は飛沫感染及び接触感染で男女ともかかること、免疫不全患者では生ワクチンを接種できないこと、接種できても免疫ができづらい人が存在すること、などから男女とも接種することとなった。



◎1962年4月〜1979年3月生まれの男性で風疹の抗体値が低いと何が起きるのだろうか


 現在62歳〜45歳の男性は生産年齢の中核を占めているが風疹に対する意識は高いとはいえない。ある程度は自然感染で抗体を獲得している可能性はあるが、2012〜13年の流行における患者層からも外れ、ワクチン接種歴もない。一方では、子ども世代や同僚、通勤電車で乗り合わせた人などが妊娠している可能性があり、当該年代の男性が感染(不顕性感染を含む)とそれらの女性への感染、更には流産や先天性風疹症候群(CRS)児の出生につながる危険がある。


 風疹の感染経路を断つ、そして先天性風疹症候群(CRS)を防止するためには、妊娠の可能性がある女性だけでなく、周りの人(男女)の感染を防ぐことが必要である。そういう意味では男女双方へのワクチン接種、1962年4月〜1979年3月生まれの男性への風疹抗体検査クーポン配布は有効であるが、クーポン配布理由の周知、職場での検診時に検査が推奨されていることの周知が不十分であり、(新型コロナ騒ぎで保健衛生部局の手が回らなかったとはいえ)、厚生労働省の施策は不十分であったと言わざるをえない。



◎子宮頸がんウイルス(ヒトパピローマウイルス、HPV)感染由来の疾患


 ヒトパピローマウイルス(HPV)感染由来の疾患は、最初に子宮頸がんが話題になったため女性だけの病気と受け止められることが多かったが、中咽頭がん、副鼻腔扁平上皮がん、喉頭気管乳頭腫症、副鼻腔乳頭種、陰茎がん、肛門がん、尖圭コンジローマなど男女双方に罹患する。男性不妊(精子の運動性低下)の原因としても指摘されている。ワクチン接種で大部分が予防できる疾患である。


 HPVワクチンは不活化ワクチンで、多くの国、及びWHOでは男女とも接種すべきジェンダーニュートラルワクチンとされている。スコットランドでは、接種した世代の子宮頸がん発症がゼロになった。

 日本では2013年から小学校6年生〜高校1年生の女子を対象に定期接種となった。しかし重度の副作用が報告されたことにより2013年6月14日の厚生労働省通知(平成25年6月14日 健発0614第1号) により積極的な接種勧奨が差し控えられた(同様に勧奨が差し控えられた例としては日本脳炎ワクチンがあり、新ワクチン導入により積極的勧奨が再開された)。2022年4月より積極的勧奨が再開され、2価の「サーバリックス」、4価の「ガーダシル」、9価の「シルガード9」の3種類が公費負担での定期接種対象となった。また、積極的勧奨差し控えで本来の接種時期を逃した人に対し、2023年4月〜2027年3月までの間、キャッチアップ接種(1998年4月〜2008年3月生まれの女性が対象)が行われている。なお、15歳未満は2回接種に変更された(!15歳以上は従前と同じ3回接種)。



◎HPVワクチンをめぐる問題はいくつかある


①重度の副作用が報告された


 2013年の定期接種以前より、接種後に意識消失や痙攣、記憶障害、身体麻痺、全身に広がる疼痛などを呈する症例が報告された。複合性局所疼痛症候群(CRPS)で説明される症例もあるが、原因不明とされるものもある。

 HPVワクチンは「痛い」と言われることが多い。これは他国においても共通であり、特に2価のサーバリックスは訴えが多いようである。痛い理由としてはワクチンに使われているアジュバント(ワクチンの保護や免疫誘導に用いられる化学物質)が原因の一つと挙げられている。また、日本においては過去の医療事故(筋肉注射の際の神経損傷による大腿四頭筋短縮症や三角筋短縮症)のため筋肉注射が避けられていた(他国では筋肉注射で行う予防接種も日本では皮下注射で行われていた)歴史的な経過があるため、受ける方も打つ方も筋肉注射に慣れていなかった可能性がある。


②女性だけが対象とされていた


 「子宮頸がん」を予防するワクチンである、として、日本においては男性の接種が認められていなかった。2020年12月に4価のガーダシルのみ認可されたが任意接種であり(有料)、ごく一部の自治体のみ公費負担で接種が受けられる(それでも東京23区においては21区が公費負担の対象)。また、アメリカなど他国では認められている9価のシルガード9は、日本では男性に接種できない。

 前に述べたとおり、HPV感染症は男女共に罹患する。また、感染経路の多くは男女間の性交渉であるため、どちらかの性のみの対策では感染や発症を食い止めることができない(同性間の感染、母子間の感染もある)。これは風疹の対応で厚生労働省が過去に失敗していることであるが、教訓を生かし切れていない。ジェンダーニュートラルワクチンとして男女双方が接種すべきである。


 なお、①の問題が起きた(そして解決が進まない)理由としては、女性にのみ負担を押し付けたことによる精神的な負担があったのかもしれない。少なくとも男性に当事者意識があれば、接種時の負担を減らしたり重大な副作用に対する対応を迅速に行う意識づけができた筈である。


③性行為による感染症として過度に強調された


 HPV感染症の大部分が性交渉を介してのものであることは事実であるが、「ワクチン接種を推進すると性交渉開始を早める」と主張する人が存在する。HPVワクチンは男女とも性交渉開始前に接種する必要があるワクチンであるが、これが性交渉開始を早めることには繋がらない。特に女性に対しては「結婚するまで処女であれ」という処女厨がいるが、感染予防だけを考えても男性側も童貞であることが求められる。なろう異世界恋愛ものでは、女性は結婚するまで処女が求められるが、男性は閨教育の名の下に性交渉が行われる。この閨教育(実技)で性行為感染症に感染し、パートナーである女性に感染させてしまうのならば意味がない処女厨である。悪役令嬢の母親が夭逝しているのって、HPV感染による子宮頸がんだったりするのだろうか?。


 近年、母子間の垂直感染例が報告されている。2021年の日本の文献で、子宮頸がん患者から出生する際に飲み込んだ羊水を介して新生児が肺がんになった2例が報告されていた。1例は投薬治療で回復したが、1例は肺の切除を要した。なお2例とも、母親は死亡している。



 HPVワクチンは、男女とも接種すべきである。厚生労働省は、風疹ワクチンでの失敗を繰り返してはならない。

本稿をまとめたきっかけは、紫楼様のエッセイ「今もまだ貴女の不在は切なく悲しい」(N4444JJ)を読み、子宮頸がんで亡くなった知り合いを思い出したのがきっかけだった。2ヶ月近くかかってしまった。


ポリオは根絶まであと2カ国 (アフガニスタンとパキスタン)となった。天然痘は根絶されて久しい。

ヒトパピローマウイルス(子宮頸がんウイルス、HPV)感染症はオーストラリアは2035年に、イギリスは2040年に、制圧するスケジュールで動いている。

ワクチンで予防できる病気(VPD)なら、ワクチンで抑え込めるはず。


子宮頸がんで亡くなった知り合いは、子宮頸がんを含めた啓蒙や検診の仕事もされる筈、だった。

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