09.ローズのファッションチェック
「わ、私は仕事を続けたいです。猫と一緒に……ここで」
ジャックさんとミリーナさんは、私の仕事ぶりを認めてくれて、寛大な態度で信頼を置いてくれている。ドーリーさんはちょっと強引だけど、私のことを洗濯、清掃員ではなく、きちんと一人の人間として扱ってくれるので凄く嬉しい。好きかと聞かれたら、まだ答えに困るけど嫌いではない。嵐のような毎日の挨拶だって可愛い。多様性を謳う時代だし、人種が違うだけで何かされたわけでもない。親方もジャックさんはいい人だって言ってたもの。
けれど、どれもこれも『今は』の話。ミスしたら当たり前だけど皆離れていく。笑顔さえ嫌悪の対象になる。過去を思い出すだけで痛みが走るほどクロエの心に深く刻まれている。
目立った大きなミスをしていないから。今のうちに……雇って貰えているうちに稼がなくては。いつ追い出されるか分からないのだから。自分は雇われの身で死活問題の崖っぷちに立たされたままだと自覚する。ここは仕事中、監視されるようなことがないから仕事がやりやすくて助かっている。相棒としてネズミ駆除のお手伝いをしてくれる猫も受け入れてくれたいい就職先だ。
「ならば、口が堅い条件を遵守してほしい」
「はい。……友達いないですし」
小さな声で自虐ネタを挟む。
「クロエには僕がいるよ」
仕事の話とドーリーの話、公私が同時進行してややこしい。
「今夜はこのまま休みなさい」
「でも、ドーリーさんの寝室がまだ……」
「明日でいいわよ。ね? ドーリー」
「もちろん。ゆっくり休んで」
ドーリーが採用面接のときと同じようにクロエの手をとる。
「僕のこと好きだよね?」
(うっ……)
「ま、毎日挨拶してくれるとことか、可愛い……と想ってます」
「そうだね。僕のこと知らないことだらけだもんね。分かった」
分かってくれたようで一安心。
「今夜は僕が添い寝してあげる」
「……はい?」
「寝相は悪くないから安心して。一歩前進だね」
分かってなかった。不安しかない。
微笑むドーリーの目が赤い。断った先にあるのは死。どうにか猫を間に挟んで添い寝してもらおう。
吸血夫妻は、あらまぁとでも言いたげに微笑むだけで、一切口出しすることなく部屋から出て行く。
しかし、クロエの不安は空振りに終わる。
ドーリーは本当に一緒に寝るだけだった。含みがなく言葉そのままの意味で、クロエはドーリーがすーすーと寝息を立てているのを確認してから眠りについた。
◇◇◇
一週間後の夜、クロエはシーツとカバーを取り換えに各部屋を回っていた。三人の秘密を共有した後も大きな変化なく、仕事に勤しんでいる。
ただし、クロエ目線で見ると変わったことが一つある。ドーリーが嵐のような挨拶をする時にクロエの髪や頬にキスをするようになったのだ。
恋愛経験値ゼロの私には刺激が強すぎてやめてもらいたいのだが、また一歩前進だねと言うので怖くて意見できずにいる。
そして、そのキスが嫌でないと自覚するのが怖くて、触れないようにしている自分のせいでもある。
(生首と対面するのも一週間ぶり。今日は猫がきてくれなかいから心細いし、曖昧なままなのがなぁ……)
クロエは重い足を引きずるようにジャックの部屋へ向かう。
逆さまでモニターを見ているジャックに断りを入れて寝室へ進む。横目で確認すると全く同じ場所に同じ向きで生首が眠っている。クロエは急いで終わらせようと、手足の可動域を最大限に広げて作業に取り掛かる。
後ろから声がしたことと、言われたことが衝撃でクロエは固まった。
「んまー色気のないパンツ。年頃の乙女がそんなの履いてるわけ?」
クロエは直立し、両手でお尻を隠した。錆びついたロボットのように、ギギギとぎこちなく声のする方へ振り向く。
生首の目が開いていて、クロエをまっすぐ見つめながらズバッと言い放つ。
「あんた、ズボン破けてるわよ」
「女性だったんですか?」
三人の正体を知ってから、自分が今まで当たり前だと思っていた常識など通用しないと身に染みて悟ったクロエは生首の存在についても、もしかしたら、だろうな、と思っていた節があったため斜め上な質問を返してしまう。
「はぁ? 失礼ね。私はれっきとした男よ。ほら! 立派な喉仏があるでしょうがっ」
生首は顎を突き出し、喉仏を主張した。
すみませんと謝ったクロエは、手探りでズボンの破けている個所を探る。ポケットの端、ちょうどズボン本体との縫い目が裂けていた。
(いつから破けてたんだろう……恥っ! とりあえずドーリーさんの部屋に行く前に気づけてよかった……かも)
あんまり服持ってないのになぁ、今度買いに行かないと、とぶつぶつ言っていると生首がまた話し掛けてくる。
「服がダサいのよ。そのパンツなんて論外だし。ってか、あんた何で全然驚かないわけ!?」
「ダサいって……。私服兼作業着だからいいんです」
「ふんっ」
「お屋敷のお三方が人間でないのを知ってから、肝が据わったというか何というか……。あの失礼ですが、人間ですか? それとも死体ですか?」
「あんた、失礼にも程があるわよ。訳あって生首だけど、あんたと同じ人間。ロズウェルよ。ローズって呼んでちょうだい」
クロエはローズに近付く。本当に生首だ。だが、首の付け根は痛々しい傷口ということもなく首から下が隠れているのではという程にとても綺麗である。どういう仕組みかさっぱり理解できないが、未知の世界はまだまだ広く奥が深いのだなぁと片付ける。
「ローズさんはどうしてここにいるんですか?」
「ジャックの仕事の相棒。チェス仲間でもあるわ」
ジャックさんが猫を私の相棒としてすぐに認めてくれたことを思い出し、なるほどと納得した。
「お食事とかされるんですか?」
「愚問すぎるわ。食べたとして飲み込んでからどうすんのよ。見てわかるでしょうが」
「あはは……ですよねー。でも、ローズさんどうやって現状維持してるんですか? 生首になられたのはごく最近……とか?」
「あんたの薄っぺらい知識じゃ想像すらできないでしょうけど、このガラスケースの中は永遠の一時が流れてるの。だから私は美しいままってわけ」
「永遠の一時……ですか?」
ローズ曰く、ガラスケースには呪いがかけられていて、過去に戻ることも未来に進むこともないという。食事はしないが、脳が生きているからか眠気は起きるようで寝るそうだ。
訳あって生首で呪いをかけられている。普通ではないことだらけで、クロエの持つ知識と思考を超越したおとぎ話――もとい複雑な事情が絡んでいるのだろうと、探究心が底辺にあるため深く関わろうとする気持ちに見切りをつける。全てを知る必要などないのだから。
私がすべきことは洗濯と掃除だ。
「ところで、あんたドーリーに溺愛されてるらしいじゃない」
「はっ……何でっ」
急にドーリーとの関係について深く突っ込まれ挙動が乱れる。
「ジャックは言わずもがな最高のイケオジだけど、ドーリーも負けず劣らずのイケメンよね~。それが何であんたみたいなのが好きなんだか理解に苦しむわ」
「……好き? かどうかは、違う気がしますが……そうですね、私もそう思います……はい」
「狼男は縄張り意識が強いから、ちゃんと繋ぎとめておかないと愛するが故に殺されるわよ」
ローズは目を細めて、言葉を続けた。
「あと、もうちょっとセンスのある服と下着着なさいよ。私の目が届くうちは妥協なんて許さないんだから」
第一章 完




