06.魔女の部屋
その日の夜、無事に洗濯機を納品したことをジャックとミリーナに報告した。
少し間をおいて、ミリーナがしびれを切らしたように説明を始めた。
「クロエちゃん……ドーリーは、今、孤児院に行っているの」
嵐のような挨拶がないまま、気づけば一週間が経っていた。クロエは青春を謳歌していると思っていたので、孤児院という言葉が出てくるとは露程も思っておらず驚く。
ふと、大学生がボランティアを通じて視野を広げる、新たな出会いやコミュニティに繋げる、就活を有利にするためなど積極的に参加しているという話を前の職場で聞いたことがあったと、記憶を呼び起こす。
「孤児院……ボランティアですか? 勉学にボランティアにとお忙しいですね」
「表向きは、まぁボランティアでしょうね。お世話になった孤児院に定期的にお手伝いに行っているの。明日には戻ってくるはずよ」
聞けば、ドーリーは孤児で、孤児院で生活を送っていたそうだ。ジャックが見つけ、ミリーナが運命を感じ養子にしたという。
「そんな事情があったんですね。……でも、そんな大事な話を私なんかが聞いてしまって良かったんでしょうか?」
「いいのよ。クロエちゃんはもう家族も同然だもの」
養子と聞き、弟子の話が頭をよぎる。つい色眼鏡で物事を見てしまう。実の子でないなら、ドーリーが太陽の下で活動しているのだから父親のジャックがドラキュラ伯爵なんて有り得ないという前提は成立しなくなる。やはりジャックは……と意味深に考えてみたが、にんにくたっぷりのペペロンチーノが夕食に出ていることに気づき、アホくさくなり考えるのをやめた。
ミリーナの厚意に甘えて、猫足バスタブで香り付きの泡風呂を楽しんだクロエは、心も体もほわほわさせて部屋に戻った。ベッドでは猫がだらしなく伸びきってくつろいでいる。元野良猫とは思えぬ姿。
窓から見える夜空には満月が輝いている。森の方から遠吠えが聞こえた……気がしたが、カーテンを閉めてベッドへ潜り込む。
クロエは泡風呂の香りに包まれながら、フクロウの鳴き声を子守歌にして深い眠りにつくのだった。
◇◇◇
翌朝、クロエは部屋をノックする音で目が覚めた。
急いでベッドから抜け出て、手櫛で寝癖を抑える。どうぞと言いながら扉を開けると、一週間ぶりの嵐のような挨拶が飛び込んできた。
「おはよう! クロエッ」
「おっ、はようございます。ドーリーさん」
「僕がいなくて寂しかったでしょ? でも、我慢してね」
寂しかったのだろうか……。確かに、久しぶりの挨拶にとてもほっとしている自分がいる。でも、私のためってどういう意味? あえて離れて新鮮さをキープする恋愛テク? 倦怠期どころか付き合ってませんが。
(というか、年頃の男子が朝っぱらから異性の部屋に……)
三つ折りになりそうな勢いで抱きつかれながらクロエは思い違いに気づく。自分はドーリーにとって異性じゃない。この屋敷で働く洗濯、清掃員だ。ドーリーに対する気持ちをリセットする。
ドーリーが抱きついたまま固まっているので見上げると、目が据わっている。
あれ? 目の色が赤く見えなくも……ない。ドーリーさんの目の色は黄みがかった淡い色のはず。
「クロエ、この香りは何?」
ドーリーの声がいつもより低い。
「香り? ……あぁ、昨日ミリーナさんのご厚意で泡風呂に入らせてもらったんです。新しい香りが発売されたとかで。香り、まだ残ってますか?」
クロエは、くんくんと鼻だけ動かして自分の香りを嗅ぐ。
「なぁんだ、そうか!」
――ん?
ドーリーがぱっと離れた瞬間、犬のしっぽが見えた。
「ドーリーさん、犬がついてきてますよ」
「……犬?」
ドーリーの後ろを見たが、犬なんていない。きょろきょろと周囲を見回したが犬はいなかった。廊下まで身を飛び出して見たが、やはり犬はいない。
「変なクロエ。まぁいいや。今日も頑張って」
首を傾げながらドーリーを見送ったクロエは、さっき見た尻尾が何だったのか考え込む。
あんなに立派な尻尾なら、きっと大型犬だろう。大きな犬が瞬時に隠れるなんて無理だし、昨日の夢に犬は出てきていないし、そもそも寝ぼけていないし……、すぐ走り去ったとか?
消去法で答えを導きだそうとしたクロエは、ハッとして身震いした。
「ドーリーさん、もしかして犬の幽霊にとりつかれちゃった!?」
怪奇現象に恐怖心を抱くクロエらしい思考である。
◇◇◇
今宵、クロエは屋敷の部屋を回る予定だ。新しい洗濯機が届いたので、ベッドカバーとシーツを洗濯したいと申し出たところ、数日に及ぶ熟慮を経て、今日、了承が得られたのである。
まず先に使われていない他の空き部屋を取り換えた。残るは三人と自分の部屋。ジャック、ミリーナ、ドーリーの部屋に入るのは実は今日が始めてである。各部屋の掃除はまだいいとミリーナに言われていたから。
(最初はミリーナさんの部屋から)
抵抗感の一番低い同性であるミリーナの部屋から始めることにした。
扉が少し開いていたので、入室するタイミングを計ろうと耳を澄ませる。聞きなれない言葉が耳に入り、クロエは目を見開いた。
「……仕上げに魔法をかけて――」
(ま、魔法?)
今、魔法って言った? ミリーナさんって魔女なの? キッチンの大鍋は、本当に魔女の大鍋だったの? 魔法なんて本当に存在するの?
クロエは呪文のように疑問符のついた言葉を羅列する。
――ジャキンッ!
部屋から鋭い刃物が何かを切る音が聞こえた。
完全に入室するタイミングどころではなくなり、クロエは混乱した。そんなクロエの心中など知る由もない猫が、開いている扉の隙間から部屋へ入っていってしまう。
クロエは声も出せず、中に入ることもできず、目をぎゅっと閉じて息を殺した。
「あら、クロエちゃんの相棒の猫ちゃんじゃない。ひとりで来たの?」
猫が人間の言葉を話せる訳がないのに、クロエは余計なことを言わないようにと強く願う。
こういう時、うまく事が進まないのが現実である。
「そういえば、今日シーツとカバーを取り換えるのよね? クロエちゃん一緒なの?」
こちらに来る気配が迫ってくる。仮にミリーナさんが魔女だったとして、私は洗濯、清掃員として求められた人材……きっと大丈夫。何を怖がる必要があるの。正体を知ってもバラさないと約束すれば命だけは……っ!!
「……クロエちゃん?」
名前を呼ばれ顔を向けると、そこには魔女のシンボルともいえる尖がり帽子をかぶったミリーナが立っていた。
ミリーナは心底驚いた表情でクロエの両肩を持つ。
「クロエちゃん!? 真っ青で汗だくよ? 具合が悪いの?」
精神状態が体にもろに影響を及ぼしていたようだ。ミリーナはクロエを自部屋のソファに座らせ、水を取りに部屋を出ていった。クロエは一人になったことで少し気が緩む。力強く握りしめていた新しいシーツとカバーを横に置き、部屋を見渡した。
クロエの口から、思っていたことが言葉として出た。
「……魔女の部屋」
ミリーナの部屋は、いかにも魔女をイメージしたような、魔女らしい部屋だった。
壁に沿うように置かれたガラス棚に色とりどりの液体が入った小瓶、空き瓶がずらりと並び、その横にはきらきらと輝きを放つクリスタルが所狭しと置かれている。窓側にはドライフラワーがびっしりと垂れ下がっていて、下の作業台には作りかけの小さな花束が積まれていた。部屋の奥には小さな暖炉があり、その上には角を持つ動物の頭蓋骨が飾られていて薄気味悪さを醸し出している。
中央の机にはバスルームと同じようにアロマキャンドルが所々に置かれ、真ん中に魔術書と思しき古びた本――とノートパソコンがあって、どちらが場違いなのか混乱してくる。
恐怖心は薄まったが、理解が追い付かず不思議な気持ちでいっぱいで一向に落ち着けそうにない。