05.世にも奇妙な噂話
昨夜は、どこから掃除を始めようか考えているうちに眠りについた。
朝起きるとメモが置いてあり、目を通すとジャックからの指示だった。
『新しい洗濯機が搬送される予定。まずはランドリールームを掃除しておくように。』
嬉しくて心と体が躍った。
(やった~! 足踏み洗いしなくて済む~!)
洗濯機に頼らず衣類を洗うとなると、脱水が一番の重労働で時間も相当取られてしまう。捻って絞るとシワだらけになってしまうし、かと言ってタオルドライなんて何枚タオルを使うことになるやら。
本採用が決まり洗濯機も早々に置いてもらえることで有頂天になったクロエは、軽い足取りでスキップしながら部屋を出る。
「しかも新しいやつ~」
嵐のような挨拶の存在をすっかり忘れていた。
ちょうど右足を高く差し出した時にドーリーが抱きついてきたものだから、クロエの膝が股間にクリティカルヒットした。
その場に崩れ落ちうずくまるドーリー。声にならない地響きのようなうめき声を発している。
「〜〜っ……ゔゔぅ……ゔぅ……」
「ご、ご、ご、ごめんなさいっ!」
股間に打撃を受けた時の痛みは女であるクロエには分からないが、激痛だという知識は持っている。そうはいっても触るわけにもいかないし、うずくまるドーリーに寄り添うことしかできない。腰のあたりを擦ってみる。
「本当にごめんなさい! どうしようっ、あの……っ」
「…………痛ぃ」
激痛に耐えている姿と申し訳ない気持ちで涙が出る。私が泣いてどうする。
動けるようになってから、クロエの部屋まで移動してもらいベッドに横にさせる。ドーリーの顔は苦痛に歪み、涙目になっていた。
「私のせいでごめんなさい。わざとじゃないんですけど、あの、何か私にできることがあればっ」
「……ひ……ま……ら」
「え?」
ごにょごにょと何か言っているが声が小さすぎて聞き取れない。ドーリーの口元に耳を近づける。
「……ひざ まくら」
「はっ、はい! ただいま!」
大急ぎでドーリーの頭の下に折り畳んだももを滑り込ませる。
膝枕なんて子どもの時に母親にやってもらったことはあるが、やったことなんて一度もない。ましてや異性になんて。
でも今、私がどう思うかなどという感情はゴミ箱へポイだ。
「クロエ」
「はい!」
「いくら僕との時間がほしいからって、こんな事しちゃだめだよ」
「……はい?」
わざとじゃないと一応私は言った。激痛のせいで私の声なんて届いていなかったかもしれない。
言葉というものは言ったと主張しても相手に伝わっていなければ意味がない。
それにしても、解釈が斜め上ではなかろうか。
「あの……」
「今日は膝枕で我慢して。大学に行かないといけないから」
今ここで認識の齟齬を正す必要があるかと考えたら、時間、立場から見るに優先度が低いと思えた。私にはお給料に直結する仕事の方が大事だ。
決して、ドーリーさんの斜め上な受け取り方が面白くて、私を気遣ってくれたであろう優しさが嬉しかったからではない。
◇◇◇
数日後、ドーリーさんの嵐のような挨拶がぴたりと止んだ。夕食の席にもいないので、この屋敷にいないのだろうと判断した。気にならないといったら嘘になるが、青春真っ只中の大学生ならばいろいろあるだろうと思い、自ら詮索することはしなかった。
粛々と自分の仕事をこなし、新しい洗濯機を搬入する日を迎える。日中の対応になるため私に一任された。
伸び放題の雑草をなぎ倒して、トラックがバックで駐停車する。運転席から降りてきたのは、ひょろりとした高身長の若い男性。助手席から降りてきたのは、小太りで背の低い中年男性。
アンバランスな二人を見て、ちゃんと運んで貰えるのか心配になる――が、それは余計な心配だった。身長差が有利に働いて、ひょろりとした男が持つ方が高く、小太りな男が持つ方が低くなって洗濯機をバランスよく運ぶ。
クロエはランドリールームへ誘導しながら、二人のことを脳内で弟子と親方と名付けた。
大型のドラム式洗濯機が仲間入りし、顔がほころぶ。衣類やタオルは乾燥機でふっくら仕上げて、シーツやカバーは太陽の下で波のように風になびかせて干そう。
新しい家電というだけでも気分があがるが、クッションカバーを自力で洗濯したため洗濯機の有り難味を心から実感しているクロエの顔からは喜びが滲み出ていた。
新しい洗濯機に、感動に近い表情をするクロエのことを弟子が不思議そうに見ていたが、親方にせっつかれ視線と意識を仕事へ戻す。
設置を終えホース取り付けなどの細かい作業をしている途中で、弟子が忍び声でクロエに話しかけてきた。
「あんた、この町の住人か?」
身長の高い弟子はクロエの側でしゃがむ。クロエも並んで座った。
「いえ、少し前に来たばかりで……何か?」
「そうか。よそ者なら知らなくて当たり前だな」
弟子の意味深な言い回しに、クロエの表情が曇る。弟子は、口元に手を添えて続けた。
「この屋敷の主はドラキュラ伯爵なんだぜ。あんた血吸われたか?」
「え、ドラキュラ伯爵?!」
「バカ! 声がでけーよっ」
クロエは咄嗟に口を手で押さえる。
「夜にあの屋敷からでっかいコウモリが飛び立つのを見たダチがいるんだよ。気を付けた方がいいぞ」
(まさか、ドラキュラ伯爵なんておとぎ話の登場人物でしょ……でも)
ジャックさんは青白いほど真っ白な肌をしている。それに夜仕事をしているとも。採用面接まで夜に限定する徹底ぶりからすると、あながち有り得ない話でもないような? でも、息子のドーリーさんは大学に通っていて日中に活動している。人間との子でハーフ……とか?
今、ドーリーさんが不在なことと関係あったりする?
自問自答していると、ふと目の前が暗くなった。見上げるとそこには親方が立っていて、こちらが声を発する前に弟子の頭に雷を落とす。
「いってぇー!」
「まーたお前はそんな噂話を言いふらしてるのか! ドラキュラ伯爵なんて映画の見過ぎだっ」
「だって……」
「コウモリなんて普通にいる。屋敷の奥に森があるんだから」
クロエが目を点にしてぱちぱちと瞬きしていると、親方がため息交じりに話す。
「ジャックはこの町の地主さんだ。確かに人付き合いはない人だが、毎年季節の行事になるとパーティーをやって子供たちを喜ばせてくれるいい人だ。とくにハロウィーンは大人子供関係なく町の人たち、町長まで招待して盛大に催し楽しませてくれている。変な噂を流すのはやめろと言ってるだろう」
「俺のダチはみんな言ってる! それはカモフラージュだって」
口答えに対する雷が落ちる。
受け取りのサインをすると、親方から保証書とともに小言を言い渡される。
「あんた、いかにもお人好しって感じに見えるけど、騙されないように気をつけなよ」
「あ、はい……」
親方と弟子が帰ると、屋敷に静けさが戻る。クロエの心には小さなざわつきが残った。