16.クロエの憂鬱
今週末は、ハロウィーンである。
屋敷前の道路はロータリーになっているため、玄関門を開放し、玄関アプローチからロータリーまでハロウィーンパーティーを催す。町の住人たちを招待する規模と、町長も招待するため市道までの使用が可能となっている。半年前から業者に発注をかけ、外装から出店、大道芸人など地主としての風格と威厳を最大限に発揮する。
ジャックさんとミリーナさんが多忙になるかというとそんなことはなく、すべてお金で解決。毎年、どういった構成でいくかはローズさんが担当し、決定しているらしい。業者と直接話せる訳もなく、そこはジャックさんが文字起こししているそうだ。
洗濯中のクロエは、洗濯機を搬入してきた弟子がイベントはカモフラージュだと疑っていたことを思い出す。
(実は人間じゃなかったっていう点は、弟子の疑いが当たっていたけど……)
イベントが何かを隠す目的とは思えなかった。雇われてから今日に至るまで、隠蔽しなければならないような不祥事は起きておらず、そんな必要性がないことをクロエ自身が感じていたからだ。
太陽が沈み、日常生活が始まったミリーナに声をかけられる。
「クロエちゃん、ちょっといいかしら?」
手招きで呼ばれたクロエは、猫を抱きかかえたままミリーナのところへ駆け寄った。
「どうしましたか?」
「今週末はハロウィーンでしょ? ハロウィーンってどんなイベントか知ってるわよね?」
「はい。秋の収穫を祝う夜のお祭りで、子供たちが『トリックオアトリート』と言って、お菓子をもらいに来る……」
「そう! そうなんだけど……、私は息子のことを愛しているし、クロエちゃんのことも家族同然に思っているわ。だから伝えた方がいいかなって思うのよ」
歯切れの悪いミリーナに、クロエは首を傾げる。
(そういえば、ハロウィーンって死者とか悪霊がくるから、それを驚かせるために仮装するんだっけ……? それと関係あるのかな?)
ドーリーさんコスプレみたいな仮装するとか? 何でも似合いそうだけど、コスプレするようなタイプではなさそうな。あー……女装かな? ドーリーさんみたいなきれいな顔立ちなら女装も難なくなりきれちゃいそう。
同性で横に並んだら、私がショック受けると思って同情して先に慰めてくれようとしてるのかも。
クロエが自分を貶め勝手に納得していると、珍しく眉間に皺をつくったミリーナが口を開いた。
「あの子、クロエちゃんからお菓子を貰えなかったら、イタズラするんだって言ってたの。とっても嬉しそうに」
「……え?」
「えぇっ!?」
二度見ならぬ二度驚いたクロエは目を白黒させた。
腕に力が入ってしまい「ミ゛ャオ!」と悲痛な鳴き声をあげて猫が飛び上がる。
ドーリーさんのイタズラは衝撃的すぎて、自分にとって心臓に悪いに違いない。
「クロエちゃんのことだから、心の準備が必要だと思って」
「い、いや。心の準備じゃなくてお菓子の準備が必要です!!」
「あら、そう?」
クロエは、ミリーナもちょっと斜め上をいく思考回路だと困惑する。
「ドーリーのことだから、既製品のお菓子じゃ納得しないと思うわよ?」
「……ですよね」
ドーリーは縄張り意識からくるものか、クロエに対する執着心が強い。愛情か執着か、どちらにせよ納得しなければ、甘いマスクで迫られクロエは堕ちてしまうことが安易に想像できた。
(前もって作るから日持ちして、そんなに難しくないもの……ヨシ!)
クロエはクッキーを焼くことに即決した。
思い立ったが吉日と、ミリーナに明日長めに仕事をするので、今日は早めに切り上げさせてほしいとお願いした。
◇◇◇
食材と型抜き、ラッピングの材料一式を買ってきたクロエは、クッキーのレシピを熟読した。
夕食の後、失敗するかもしれないので早速試作品を作ってみるつもりだ。材料も二回は作れる量があるので問題ない。抜き型は、ハロウィーンに併せてコウモリやおばけにした。定番ともいえるハートの形もあったが、露骨な気がしてやめた。一回でも手に取ったことは秘密。
ぽろぽろした生地がまとまるか不安になったが、一塊になった生地に安堵する。オーブンを予熱させ、型抜きに没頭する。レシピ通りに作ったクッキーはオーブンの中から甘く香ばしい匂いを放つ。
匂いにつられたのか、様子をみにきたミリーナに出来たてのクッキーを差し出す。
「ん~! やっぱりクッキーは手作りが一番ね! お菓子作りしたことないって言ってたけど美味しくできてるわ」
生地さえうまくできれば、あとはオーブンにまるっとお任せできるので、初心者のクロエでもうまくできたと言える。ミリーナにお墨付きをもらったクッキーは自分用のおやつとして部屋へ持ち帰った。
後日、本番に挑み試作品と同様に上手く焼きあがったクッキーに可愛いラッピングを施し、万全を期す。
クロエとドーリーの出会いは、採用面接の時である。面と向かい合ったのは正確には採用後だが。ドーリー曰く、クロエが先に求愛をしたのでそれを受け入れたのだと言う。
(ドーリーさんは目の前で気絶したら誰でも受け入れちゃうの? 私じゃなくても良かったの?)
クロエは、自分に自信が持てない。どんな仕事に就いてもミスばかりして、周りの空気も態度も悪くさせてしまうからだ。そんな自分が、ドーリーに好かれることがどうしても理解できない。ドーリーの直球すぎる愛にノックアウトしてすでに恋に堕ちているのに、透明な壁があって踏み込めていないのだ。
自分の気持ちを整理しておきたいと思ったクロエは、この屋敷でまともな思考を持つローズに相談することにする。
「斯々然々……そういうわけで、気持ち的に一線が越えられないんです」
「は? あんたまだそんなとこで止まってたわけ? デートに誘われて誕生石のネックレスもプレゼントされてるくせに?」
ローズの呆れた表情に青筋が立っている。今にも嚙みつきそうな気迫に満ちている。
「いや、私はもう好きなんですよ? ドーリーさんのこと! でも、何の魅力もない私を好きになるなんて……、ただ目の前で気絶しただけで、私じゃなくても良かったのかな~なんて思いがどうしても」
「いい? きっかけの大半は勘違いか思い込みよ。毎朝、同じ時間、同じ場所でよく目が合う。あの仕草が可愛かった、かっこ良かった。助けてくれた、そんなもん。『一目惚れ』って言葉があるんだから、見た目もきっかけの一つ。悪いことじゃないわ。あんたがドーリーを好きになったきっかけは何か言ってみなさいよ」
クロエは頬を染め上げ照れながらも嬉しそうに告げる。
「え……っとですね、毎朝の挨拶が可愛いなって思うようになって、優しいキスが嬉しくて、デートで……」
「はぁ?! あんたあのイケメンから毎朝キスされてるわけ?」
「ちょっ! こ、声が大きいですっ」
口を尖らせたローズは悪びれる様子もなく、そっぽを向く。
「ふんっ。あんたのきっかけだって誰にでも当てはまるようなもんじゃない」
クロエの透明な壁に小さな亀裂が入る。
「タイミングも立派な恋の巡りあわせなの」
亀裂がどんどん広がっていく。
「最初にぶっ倒れたあんたがドーリーの恋心を射止めたのよ」
毛細血管のように四方八方に亀裂が走る。
「きっかけを気にするより今の関係を大事にしなさい」
透明な壁が粉々に砕け散る。クロエは心がドーリーで満たされるのを感じた。
ローズの目の前には、覆っていた靄が消滅しスッキリとした表情で、恋する乙女から惜しげもなく漏れる色気のある雰囲気をまとったクロエが居た。
「自分では気づいてないようだけど、あんた可愛いわよ。歴代の眉目秀麗を見てきた私が言うんだから、信じていいわ」
第二章 完