15.運命的な出会い
「……クリスティーン?」
声をかけても直立不動なまま返事がない。心配になり近よって覗き込むと、瞳孔が渦を巻いているように見える。
「催眠術をかけられてるんだ。ホットドッグ買う時にもうかかってる」
ドーリーが解説役を買って出てくれた。
「催眠術?」
「僕らみたいな人種の存在は知られていないし、生き血を吸う自慰行為に同意なんて得られるはずないでしょ」
「……確かに。血を吸われるのって痛いの?」
「当事者になったことないから詳しくは分からないけど、痛みはないらしい。大雑把に説明すると、蚊に刺されてる時痛くないでしょ?」
「あー……なるほど」
分かりやすいけど、蚊と同類に扱うのはまずいと思う。
まだ二人しか吸血鬼を知らないけれど、ジャックさんとオーランドさんはタイプが異なるものの二人とも容貌がきれいでパーツも配置も黄金比率ドンピシャである。ジャックさんは、彫が深く鼻筋の通った黒髪正統派の美男。オーランドさんは、切れ長で見透かすような目で線が細い色男。
吸血鬼は生き血を吸うために、獲物となる人間が危機感を持たず恍惚として安心してしまうような美貌をもつ生き物ではなかろうかと、動物の求愛行動になぞらえて勝手に考察してみる。
ただ、存在がオープンでないなら催眠術で記憶に残らないようにするひと手間が必要なのだろうか。
「おい」
二人で話し込んでいると、オーランドが声をかけた。
「今日はもう店を閉める。そいつは邪魔してきたお前らがどうにかしろよ? あと一時間もしないうちに催眠から覚める」
「えぇ!?」
棒立ち状態のクリスティーンをどうやって連れ帰ればいいのか。そもそも、クリスティーンの家を知らない。解決方法を見出そうと考えを巡らせていると、ドーリーがちょんちょんと指でクロエの肩を突いた。
「僕が送ってくればいいでしょ。もうバスも出てないし、三十分もかからずに送り届けてくるよ」
「それは凄く助かるんですけど……家わかります?」
「大事なのはそこじゃないよ、クロエ」
ドーリーの目は赤くなっていないが、悪魔のような甘ったるい表情が物語っている。
「ご褒美はキスでいいよ」
(……やっぱり)
ドーリーさんは優しくて頼もしいけれど、甘くてズルいところがある。
私の勘違いが原因で、ドーリーさんの手を借りないと解決できそうにない。
後ろを見ると、オーランドさんはキッチンカーの中で片付け作業をしているようだ。腹をくくったクロエは、ドーリーの片腕を引っ張り背伸びをして頬にキスをした。
「クロエ、それは挨拶のキスだよ」
指摘された後、背中に回された腕に引き寄せられて深いキスが落ちてきた。
作業していたはずのオーランドが見ていたようで、ぶつぶつ文句を言っているようだった。
◇◇◇
クリスティーンはバイクの後ろに乗っている夢を見ていた。
大きな背中に身を預け、髪が靡いている。
(ヘルメットを被っていないのは……まぁ夢だからいっか)
バイクを運転しているのはアラン? 優しい笑顔にたくましい体。このギャップがたまらないのよね。
あぁアラン、いろんな人にやさしくしないで。皆があなたを好きになっちゃう。アランに向けられた好意の芽を摘みとるの大変なんだから。失敗ばかりのクロエにも優しくするから、あの子思い上がっちゃうのよ。ほら見て! あのうっとりした顔! 下がり眉で同情を誘ってるんだわ。ミスの尻ぬぐいするのはこっちなのに。
クロエといえば……、彼女と再会するなんて思いもしなかった。……彼氏といたわ。
暗くなってきたとはえ、人前で堂々とキスを見せつけるバカップルに苛立ちを覚えたけど、まさかクロエだったなんて。しかも彼氏が超イケメンだった! 信じられない! あんな素敵な彼氏、クロエには勿体ないわ。ちょっと可愛くなってたけど……けど、どっからどう見ても釣り合ってなかった。
広場で幻のキッチンカーのホットドッグを食べるとき、あのまま隣に座れていたら私の良さを知ってもらうチャンスだったのに。優しく包容力があって甘えさせてくれるアランとは違う、強引だけど甘いマスクで連れ出してくれるタイプ……どっちも素敵。どっちが合うかって考えたら、アランはクロエで、彼の方は私じゃない?
クリスティーンはドーリーの背中で現実の体感と胸の内を織り交ぜていた。そのせいで寝言のように思っていたことがつい口に出てしまった。
「……クロエのくせに」
落ちないように手首を縛られたクリスティーンをおんぶして爆走しているドーリーは、背中からじわじわと伝わる醜い匂いに不快感を募らせていた。言葉として認識してからは眉を顰め、一気にスピードを速める。
「また靴が駄目になるなぁ……」
催眠術のおかげで、部屋の窓は開いていた。窓側に寄せられたベッドにクリスティーンを寝かせる。頭を支えた手をすっと抜く。
催眠術が弱まりつつあったのか、クリスティーンは夢現の中、うっすらまぶたが開いた。銀髪で淡い黄みがかった瞳で自分を見つめる青年がぼんやりと映り込む。
(あ、左目下の泣きぼくろ……。彼じゃないの。彼が私に会いに来てくれたのね……)
ドーリーはうつろな目をしたクリスティーンに舌打ちをして、急いでクロエの元へ戻った。
いつもシャワーだけで済ませるドーリーが、ぬるま湯の泡風呂に浸かり鼻歌を歌っている。
彼の頭を洗っているのは、耳まで真っ赤なクロエである。
「あの、そろそろ良くないですか?」
「ん~、右の耳後ろが気になるかな~」
「そこは、さっきも洗いましたよ?!」
指で輪っかをつくりシャボン玉を飛ばすドーリーは、あれこれ注文をつけてクロエにやらせているのだ。
クリスティーンを助けに一緒に行くお願いをきいてもらう代わりに、ドーリーから求められた願い事は、頭を洗って乾かすまでクロエにやってもらう、だった。断ろうとしたのだが、爆走でボロボロになったスニーカーを見せられて、クロエは頷くしかできなかった。
いくらタオルを巻いても裸体が視界に入ることに抵抗があったクロエから、服を着たままか泡風呂に入ってもらうことを譲れない条件として提示され、泡風呂になったのである。
(それにしても……)
添い寝といい、お風呂といい、大学生なんてほぼ大人なのに、異性とこんな際どい状況で平然としていられるのは、やっぱりドーリーさんが女慣れしているから? それとも私はそういう対象に入っていないから?
「いい加減、体がふやけちゃいますよ」
「クロエも一緒に入る? 僕が洗ってあげるよ」
「……っ!? そ、それは願い事に入ってません! 頭を洗って乾かすまでです!」
「そっか、それは残念。~♪」
断られても上機嫌のドーリーを見て、余計なことを言ってしまったと悟る。
次、何かあったときのお願い事にされてしまうかもしれないと内心焦るクロエだった。