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14.残酷な悪魔のテーゼ(後編)

 キッチンカーにはもう誰ひとり並んでいなかったが、営業していた。ただし、ホットドッグは完売しており飲み物だけの販売になっている。

 ドーリーが声をかけると、車内から整ったきれいな顔が出てきた。


「ドーリーじゃないか。どうしたんだ?」

「話があって来た。今日選んだ()を解放してほしいんだけど」


 クロエが瞬きした一瞬のうちにオーランドの目が赤くなっており、明らかに苛立っているのが感じ取れた。

「俺が誰を喰おうとお前に関係ないだろう。指図を受ける筋合いはない」


 別人のような低くざらりとした声に、クロエは背筋に悪寒が走り凍るように固まった。


 クロエは、あの二人と仲がいいような間柄ではない。アランに対する思いは、ミスばかりの私にも優しくしてくれた人。それ以上でもそれ以下でもない。クリスティーンに至っては、アランと仕事の話をしただけでも睨みつけ絡んでくる人。全くいい印象がない。それでも知り合いが食べられてしまうというのは気が引ける。

 たったそれだけの理由でここまで来た。

 自分が助けたいと申し出たにも関わらず、身内の二人が仲違いするのは申し訳ない。恐怖を押しのけて声を絞り出す。


「あの、私の知り合いでして……知り合いが食べられるのは、ちょっと……」

「お前の知り合いだから喰うなと? お前は何様だ?」


 口を挟んできたクロエに容赦なく怒りと殺気をぶつけてくる。言葉だけだが、威圧感も半端なく体が強張る体が強張る。


(ひぃーーーー怖いーっ!!)


 クロエは返す言葉がなかった。怖いという理由だけでなく、相手の言っていることはご尤もだと思ったから。


「っは! 人間様は傲慢だな。自分たちだけは喰われるのは許せないと文句を言うのだからな」

「う……っ」


 ぐうの音も出ない。人間が唯一言葉を用いて意思疎通ができるから、同種の命を奪うことをよしとしない。動物や魚がもし言葉を話せていたら、意思の疎通ができていたら、この世界の食事情は大きく異なっていたに違いない。


「……なら、オーランドさんは、自分の知り合いが食べられても気になさらないんですか?」


 売り言葉に買い言葉だが、自分が感情で動いている以上、感情論で立ち向かうしかない。


「気持ち悪いことを言うな……まぁいい。喰われちまったら仕方ないだろう」


 クロエが反論してこないため、一言付け加える。

「お前を喰っていいなら、知り合いには手を付けないでいてやるぞ?」


 オーランドが軽い口調で言い放った瞬間、クロエの隣からぞわっとした気配が立ち上がった。目を向けるとドーリーの目が真っ赤に染まっている。

 激昂した表情で首筋、喉元から唸り声が漏れている。指先にまで力が入っているらしくボキボキと関節がなる音が響く。音のする方に視線を落とせば、手の甲に血管がぼこりと浮き立ち、爪が異様に伸びており、先端が赤黒くなっていた。


 ドーリーの変化にクロエは言葉を失う。優しい彼を壊してしまった気がして胸に痛みが走る。


 ドーリーが、静かだが通る声で言う。

「クロエは大事な人だと言っただろ」


「おーおー、狼男と手合わせか。たまにはいいだろう」


 ガタンと勢いよく車から出てきたオーランドの背には巨大で真っ黒い羽が生えていた。威嚇するように大きく広げる。睨み合い、一触即発という空気が重く漂う。

 経験したことのない感覚と恐怖にクロエは足が震え動くこともできず、声も息も出せなくなっていた。



 夜風で雲が流れ、隠れていた月が姿を現した瞬間――


「やめやめ! やめだ!」

 オーランドが両手を挙げて降参の意思表示をする。目の色は元に戻っていた。


 睨み合う必要がなくなり、ドーリーに狙いを絞っていた視線が解放され、視野が広がったオーランドは異変に気付く。


「おい! そいつ倒れるぞっ」


 ドーリーが振り向くと、ふらついたクロエが崩れ落ちるところだった。地面に直撃する寸前で抱きかかえられる。口が開いたままの顔から察したドーリーに人工呼吸され、空気が入り思いっきり咳込んだ。

「……ッ! ゲホゲホ!!」


 クロエは大きく息を吸い込み、酸素を取り入れる。

「はぁっ! っふ……はぁっ!」


「大丈夫!? クロエ!」


 支えてくれているドーリーさんから逆立った気配が消えていた。大きな手で優しく背中をさすってくれている。目の前のオーランドさんも片足に重心をかけてリラックスした様子だ。

 一発触発の危機は脱したってこと?


 二人を交互に見るクロエにドーリーが質問を投げる。

「僕のこと怖かった? 嫌いになってないよね?」


「まさか。そんなことないです。雰囲気に圧倒されてしまっただけで……」

 自分を守ろうとしてくれた人をどうして嫌いになるというのか。


「あぁー! やっぱりクロエ大好き!」

 ドーリーはクロエをぎゅうっと抱きしめ、頬をべろりと舐めた。


 頬を舐められるなんて普通ではないが、頭に酸素が行き渡っていないクロエは、狼寄りの感覚なのかな? と思った。そしてすぐに奇想天外な発想だと内心苦笑した。


 真っ黒な羽を仕舞い込んだオーランドはポケットから煙草を出すと、気怠そうに火をつけ、強く吸い込んでから溜息交じりに長く煙を吐き出した。


「ふーーーー。お前の親父さん、家族のことになると超こえーし。お前傷つけたら俺が殺されるわ。それに……もう萎えた」


 ”萎えた”という言葉にクロエはカチンときた。

「人の命を……萎えたって……」


 睨みつけるクロエに、オーランドは全く動じることなく冷めた目を向ける。もう一口、煙草を吸うと嫌がらせのようにクロエに向かって吐いた。クロエに届く前に夜風に溶け込んで消えていく。

 流し目でドーリーに視線を移す。


「ドーリー、彼女さんに俺が何するって言ったんだ?」

「今日のオカズになるって言った」


 オーランドは煙草を持っていない手で顔を覆い、がくりと首を垂らす。その体制のまま、考え込むように少し間を置いてから、顔を上げ煙草を挟んだ指をクロエに差し向けた。


「喰うって、殺して食らうんじゃないぞ? そもそも吸血鬼が生き血を吸うのはエクスタシーのためだ」



――チクタク チクタク チーン


 ちょうど一分。クロエが言葉の意味を理解するのに要した時間。

 ピンク色に染め上げた頬を両手で覆い、体を丸めた。そんなクロエの含羞(がんしゅう)すら愛おしいようで頭を撫でるドーリー。


 しらけたオーランドは、キッチンカーの閉店準備を始めた。


(エ、エクスタシーのため!? オカズって、喰うって……)


 合っていなかったピースが然るべき位置にカチリとはまり、正しい意味として言葉のパズルが完成した。

 ジャックが『愛する妻の血しか飲まない』と断言していた言葉の意味を、ここにきてようやく理解する。


 動揺して声が安定しそうにないが、答え合わせをせずにはいられない。

「ド、ドーリーさん、私……大きなというかとんでもなく恥ずかしい勘違いをしていたようなんですが……」


「そうみたいだね。どっちにしても、クロエは僕だけのものだよ」


 斜め上をいく平常運転のドーリーにほっとしたクロエだったが、羞恥心でいっぱいなため一人にさせてほしいと願い出る。

 少し離れた場所で二人から見えなくなったのを確認し、しゃがみ込むと心の中で、あ゙~~~~~~っ! と叫び悶絶した。


 吸血鬼の生態についてなんて、学ぶことも、こちらから聞く機会もないのだから知らなかったことは致し方ない。ましてや、そういった性事情なら尚更。ただ、『オカズ』の意味を盛大に間違えて解釈し、事を大きくしてしまったことは私の大失態。

 他人の色事にあれこれ口を出されたら、それはお怒りにもなるだろう。


 夜風に吹かれ、冷静になったか、諦めか、平常心を取り戻したクロエはキッチンカーへ戻った。

 そこには、焦点の合わないクリスティーンが立っていた。

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