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13.残酷な悪魔のテーゼ(前編)

 広場から離れた辺りでドーリーが立ち止まった。手が繋がっているクロエも当然止まる。


「さっきの水だから。オーランドおじさんに頼んで水だけもらったんだ。だから服は汚れてないから安心してほしい」

「え。あ……はい」

「狼男だから鼻が利くけど、あの子からはいい匂いがしないから」


 確かにクリスティーンは香水が好きで、一緒に働いていた時も日替わりでいろんな香りを漂わせていた。今日も彼女からは香水の香りがした。でも、香水かはわからないけれど、ミリーナさんからもドライフラワーかアロマか、はたまたヘアオイルか妖艶な香りがしているのに……。一緒に生活していると慣れるのだろうか?


 あの二人と一緒にいても自分も気まずいだけだったので、解散できたなら結果オーライ。狼男であるドーリーさんが嫌がる匂いならば仕方ないと、クリスティーンには悪いがズルい気持ちで片づける。


 帰宅するとミリーナが出迎えた。クロエを見るなり可愛いを連呼し、私が選んだ服も来てほしいと騒ぎ立てた。ネックレスのことを照れながら話すと、ミリーナの興奮はドーリーにも飛び火した。

 愛する妻の様子を見に来たジャックによってミリーナは連れていかれ、二人の周りが途端に静か――


 にはならなかった。


 急に、定番と化した嵐のような挨拶が直撃してきた。

「今日は楽しかったね! クロエ」


 ぎゅうぎゅうと抱きつかれ、ソフトなキスがたくさん降ってくる。喜ぶ大型犬ならぬ狼みたいな今がドーリーさんの素で、外での無口で不愛想な態度は作られたものかと思うと母性本能がくすぐられる。


「私も本当に楽しかったです。あの、私ああいったお出かけも実は初めてで……誘ってくれたドーリーさんに楽しいと思ってもらえて嬉しいです」


 落ち着いたら僕の部屋に来てほしいと告げられ、心地よい余韻が残るクロエは良い方に物事を捉えた。優しい彼らの残酷な面と直面することになるとも知らずに。




 クロエはラフな格好に着替えると、猫にぬいぐるみを渡し、それ以外のおもちゃはベッド脇に置いた。猫はぬいぐるみを鼻でくんくんと確認している。


(気に入ってくれるといいな)


 ドーリーを待たせるのも悪いと思い、早々に部屋へ向かうとする。一緒にいる時ではなく、帰ってから話すこととは何か。恋愛経験値ゼロなりに考えてみる。


(……もしかして、デート代の清算?)

 確かに、人前ではやりたくないことだ。


 ドーリーさん、学生だもんね。バイトしているとは聞いていないし。

 クロエは首元できらきらと輝く一生の宝物を指で優しく撫でる。予定外だったこのプレゼントは予算オーバーだったのかもしれない。クロエは財布を持ってドーリーの部屋へ向かった。


 ドーリーは大きなビーズクッションに埋まるように座り、本を読んでいた。クロエを勉強机の椅子に座らせる。

 清算だと思っていたクロエの予想に反して、ドーリーの言葉は意外なものだった。


「あの二人とは仲いいの?」

「……?」


 それはどういう意味の質問か。クロエはコンマ何秒の世界で推察した。単なる質問の一つか、狼男の縄張り意識の範囲か。真っすぐクロエを捉える瞳に、ふと気づく。目が黄みがかった淡い色だと。

 ドーリーの目が赤くないという確たる安心材料から、ただの質問だと確信し、ここは正直に事実だけを伝えよう。


「前の職場の同僚というだけで仲がいい、という訳ではないです」

「そう。じゃいっか」


(ただの質問のはずなのに、逆に怖いんですけど!?)


 自分の部屋で本を片手にくつろいでいるドーリーの雰囲気は不愛想で冷たい。今ここで作られた態度をとる必要性は皆無なはず。……ということは、友人たちが言っていた冷淡な彼も紛れもない本性の一つなのではと思い始める。


 底知れぬ不安感で押しつぶされそうになったクロエは、単刀直入に聞いた。


「何かありました? あの二人」

「女の方、今日のオーランドおじさんのオカズになるよ」

「……え!?」


 ドーリーの言葉が脳内再生される。『遠い親戚ってとこかな』――彼は人間ではない。

 繰り返されたあの言葉。『僕の大事な人だから』――クロエは食べないようにという忠告。


 クロエは血の気が引くのを明確に感じ取った。

 病と闘っていた父が危篤状態になり、医師から『心の準備を……』と言われた時と同じ。心臓に向かって体中の血管が凍っていく。人の死と直面する、あの得体の知れない恐怖が蘇る。


「心配? 今なら間に合うかも」


 咄嗟に、助けないと! という気持ちが沸き上がる。

「あわわっ、私ちょっと行ってきます!」


 立ち上がって扉へ体の向きを変えた時、覆いかぶさるように包みこまれた。閉じ込めるようにクロエの前で腕が交差する。背中にドーリーの熱を感じ、耳後ろに顔が重なった。

 一瞬にしてクロエの心臓が爆音を奏でる。


「っ!! ……ドーリーさん!?」

「クロエのお願いなら、一緒に行ってあげてもいいよ」

「ほんとですかっ、是非お願いします」


 抱きこむ腕が締まっていき、クロエを独占していく。

「クロエの知り合いだと思ったから教えてあげた……けど、はっきり言って僕にとってあの女がどうなろうと知ったことじゃない」


 どろりとしているが、跡形もなく去っていくような囁き声だった。

 自分にだけ差し伸べてくれる優しい一面と、縄張りの(そと)にいる者への容赦ない冷酷な一面がクロエの心を揺さぶる。

(このギャップはずるい……っ!)


 とは言え、悪魔の甘い囁きにクロエが抵抗できるわけもなく。


「これは私のお願い事になるので、ドーリーさんの願い事を一つ聞きます。……私にできることなら……ですけど」

「いいね。願い事は考えとく」


 空気が軽くなるのを感じたと同時に、体への圧も軽くなった。


「ところで、何で財布持ってるの?」

「…………。ちょっと両替してほしくて」


 ドーリーさんに初めて嘘をついた。でも、これは絶対に必要な嘘だと思う。




 夜の街並みが原型をとどめることなく流れていく。

 ドーリーに大事に抱きかかえられているクロエは、髪を真横になびかせ夜風を全身で受けている。最初は横抱き、いわゆるお姫様抱っこだったのだが、あまりの速さにドーリーの首にしがみついたため縦抱きに近いスタイルとなった。


 クロエは、三人の正体を知った後もジャックが天井からぶら下がっている以外、人間ではない姿を見ることはなかった。今、一緒にいるドーリーの姿もいつもと何ら変わらないのだが、自動車並みのスピードで夜道を爆走している。

 人目についたらまずいのでは? と不安になるが人気の少ない道を熟知しているのか、今のところ車も人も見かけていない……と思う。


 すぐそばにあるクロエの耳元でドーリーが甘い息と共に言葉を吐く。

「もう着くよ」


「はっ、……はいぃぃ!」

 返事か悲鳴か分からない声が出た。


 人気(ひとけ)のいない広場の近く、街灯も月明かりも届かない暗闇の中でドーリーがぴたりと足を止めた。


 体制がそのままで降ろされないので頭を上げようとすると、クロエの首元に顔をうずめて思い切り息を吸い込む音とドーリーの胸が盛り上がった。


「あぁ、クロエのいい匂い……」


 夜風で冷えた体が熱を帯びて熱くなる。

「ちょ……っ、ドーリーさん変なことしないでください!」


 短く笑うドーリーを半ば突き飛ばすようにして降り立ったクロエは、四人で座ったベンチを目で探した。もう誰も座っていない。

 二人はキッチンカーへ向かった。

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