11.デート(前編)
クロエは、ローズに選んでもらった服を着る。鎖骨が見える胸元にビーズが施されたレースの白襟、星空のように散りばめられた小さな花柄のダークカラーのワンピース。足元は短めのレースの靴下にエナメルパンプス。全身ローズコーデである。
今まで一度も挑戦したことのない深紅色のミニバッグに荷物を詰めていく。
(深紅と言えば薔薇……ローズさんの遊び心かな?)
おもちゃ買ってくるからねと猫に留守番をお願いし、玄関へ向かう。いつもの自分と違いすぎて、気合入れすぎって引かれないか緊張しすぎて不安になる。
(何で玄関真正面に階段があるのよ……っ)
玄関には先にドーリーがいた。全身を見せつけるように階段を下りることになってしまい、どくんどくんと高鳴る心臓の音に併せて体が揺れた。
ゆるいパーカーに黒ズボンとそういつもと変わらないシンプルな出立だが、キャップを被っていて新鮮に感じる。
気配に気づいて振り向いたドーリーは、初めて見るワンピース姿でしおらしいクロエに頬を染め上げ、ぱあっと表情を明るくした。
「可愛い!!」
「あ、ありがとうございます」
耳まで熱さを感じ、まともにドーリーの顔が見られない。ミスで怒られることが多く、褒められ慣れていないせいか恥ずかしい気持ちが勝ってしまう。それでも、心までもがじんわり温かくなったのがわかる。
(可愛いと言ってもらえて凄く嬉しい)
ドーリーさんは含みなくありのままを言葉にしてくれる人だから、素直に喜べる。
「……うん」
ドーリーは思うところがあったらしく、自分に向かって小さく頷いた。
クロエの細い首から流れる先、鎖骨の中心に小さな誕生石が煌めく。11月生のトパーズである。
大学近くだが、どん詰まりで看板も出してない穴場の個人経営のお店で昼食をとった。おすすめのコースランチと、常連のドーリーを思ってか、店主の計らいでメニューにないデザートプレートを堪能した。その後、猫のおもちゃを買いに行くものと思っていたクロエだったが、手を取り連れ出されたのはアクセサリーショップだった。
急な予定変更に疑問符を浮かべているクロエに、ドーリーが質問した。
「クロエは何月生まれ?」
「十一月生まれです。ドーリーさんは?」
「六月」
会話はそこで途切れ、悩むというより何かを探している様子のドーリーを店内の隅で眺めていると、お目当てのものが見つかったのか店員を呼ぶ。クロエがいる位置からは話している内容までは聞き取れないが、数回のやり取りの後、深く頷く。店員は終始笑顔の対応だ。会計まで流れるように済ませると、クロエの元へ戻ってきた。
「いい買い物ができましたか?」
「うん。待たせてごめん」
「ドーリーさんの買い物に付き合うのも楽しいです」
ドーリーはそのままクロエを通り過ぎ、くるりと踵を返すと両手をクロエの頭上から下ろす。クロエの首元に華奢なチェーンがかかった。
「……え?」
驚いているクロエを振り向かせたドーリーが、上から下まで流れるように見入ってから満足そうに頷いた。
「うん。これで完成!」
「完成? えっと、これは? ……私に!?」
「今日のクロエは、とっても可愛い。可愛いけど、何かが足りないなって感じて。でも、今完成した」
「お、お金払いますっ。そんな申し訳ないです!」
「僕の愛だから受け取って?」
「うぅ……っ。……ありがとうございます」
(初っ端からこんなのって、鼻血でそう……)
温かくて甘いホットココアに、更に甘いマシュマロを投入してくるような激甘な愛にクロエは完全にノックアウトした。これで堕ちない女性などいないだろう。
ドーリーの、大学生とは思えぬストレートな愛情表現に胸がときめいて陶酔したが、ローズに対しても感動しきりだった。
(もし、この流れを見通して計算されたコーデだとしたら……ローズさん凄すぎるっ!)
「あの、私いろんな意味でど素人なんですけど、ドーリーさんって、その……」
「両親がああだからね、あれが見本になっちゃってるから」
「あー……なるほど、です?」
いくら良い見本がいたとしても最初からマスターし流れるように実践できるものではない。何事も経験を重ねてできるようになっていくのが普通だと、イメージトレーニングをたくさんしても仕事でミスを連発してきたクロエには、ドーリーの言葉がまったく信じられなかった。
信用してない気持ちが表に出てしまったのか、ドーリーが言葉を重ねた。
「僕あちこち手出してないよ? 安心して。クロエしか見てない」
(こんな内面も外見も素敵な人が、魅力も色気のかけらもない私を好いてくれてることが一番の謎かもしれない)
クロエはあまりにも居心地の良い自分の状況が信じられず、恋愛体験ゲームさながら他人事のように思えた。
太陽が沈みかけた頃、キッチンカーの周りには行列が出来ていた。周囲の賑わいとは裏腹に準備中のトラックは静かに佇んだままである。開店時間が遅めに設定されているせいか、客層は若者から大人が多いようだ。家族連れは少ない。
街灯がつき始め、暗くなっていく空色に反してドーリーはキャップを深くした。
クロエを隠すように列に並ぶドーリーに五人組の男子グループが話しかけてきた。
「ドーリー! お前来てたのか」
「……え!?」
「おい、彼女いんのかよ」
「聞いてないぞ。可愛いじゃん」
「大学の子……じゃないのか」
ドーリーが何も言っていないのに、みな口々に騒ぎ立てる。クロエは体半分ドーリーに隠れている状態だが、じろじろ覗き込むように見られて動くに動けない。
仏頂面のドーリーが、うるさいと一言だけ発する。すると最初に話しかけてきた男子が冗談交じりに嫌味を言う。
「お前、ほんと無口っつーか不愛想だよなー。そんなんでどうやって口説いたんだよ」
(ドーリーさんが不愛想? あんなにぐいぐい来るのに?)
クロエは驚いたものの無口なドーリーを想像したが、それはそれで絵になるなと内心一人で納得した。
「やっぱり見た目かよー」
「バカッ! 彼女の前でゆーなよ」
「邪魔しちゃ悪ぃーから、また学校で詳しく教えろよな」
「またな~」
言いたいことを言うだけ言って、男子グループは手を振って列の最後尾へ歩いていく。今のは会話が成り立っていたと言えるのか……。
ドーリーが眉尻を下げてクロエに向き合う。
「嫌な気分にさせてごめんね。見つからないと思ったんだけどなぁ」
キャップのつばに手をかけるドーリーさんの仕草に、自分といるところを見られたくなかったのだと、言葉の意味を咀嚼することなく呑み込む。
「いえ。私がもっと隠れるか、離れてなきゃいけなかったですよね。すみません」
胸が苦しい。丸呑みした言葉が心を圧迫している。
恋愛の醍醐味と言われればそうなのかもしれないが、思わせぶりな態度や駆け引きは、ネガティブ寄りのクロエにとっては苦痛でしかない。
ドーリーが言い返そうとした時、大きな音を立ててキッチンカーの側面が開いた。スマホを見たり、会話に花を咲かせたり、各々時間を潰していた全員が一斉に視線を向ける。
跳ね上げ式のドアを固定し、手際よくメニュー表を掲げていく。タイヤの前に看板と簡易ゴミ箱を設置しながら近くのお客に笑顔を振りまくオーナーは、キッチンカーを生業とするには不釣り合いな気がした。
オールバックで色白な中年男性は俳優かと思うくらい顔が整っており、エプロンよりスーツが似合いそうだとクロエは思ったのだ。