10.流れ星に願いを
クロエは今、仕事の用もないのにジャックの寝室にいて、スマホをスクロール、タップしては画面をローズに見せるを繰り返している。
「センス悪っ。次」
「じゃあ、これとか?」
「可愛いけど、あんたには似合わないわ。次」
「……私、こういうの好きです」
「同じこと何度も言わせないで。次」
遡ること二十四時間前。
クロエはドーリーの部屋でベッドカバーとシーツを取り換えていた。
「ねぇ、クロエ。次の休みはいつ?」
「えーっと、土曜日ですね」
「僕と一緒に町へ出かけない? 連れていきたいお店があるんだ」
「…………」
ドーリーが作業の手が止まっているクロエの顔を覗き込む。目が点になっている。
「クロエ?」
名を呼ばれ、はっと我に返ったクロエは至近距離にドーリーの顔があるので驚いてバランスを崩してしまう。すかさずドーリーが支え、抱き上げた。
「クロエもどっか行きたいところあったら付き合うよ。考えといてね」
にっこりと笑うドーリーに、クロエは青ざめる。そして、主の代わりに足元にいた猫が返事をした。
そして、今に至る。
「私服兼作業着は持ってますけど、出かけるような服は持ってないんです!」
「なら、服買うのに付き合ってもらえばいいじゃないの」
クロエはローズを睨みつけた。ドーリーと出かける時に着る服を買いに、ドーリーと行ってどうするのか。
「冗談よ~。デートに着ていく服は私が選んであげるから。ほら、次の候補見せてみなさいよ」
「で、で、デートだなんて! ただのお出かけです」
「それをデートって言うのよ」
「いやいや、荷物持ちかもしれないじゃないですか」
「荷物持ちなら私服兼作業着でいいじゃない。私、自分を卑下する人嫌いなのよね」
こうして、あーだこーだと言い合いながらも無事に購入し、寝室を出ると書斎机で書き物をしていたジャックと目が合った。盛り上がって声が大きくなってしまい聞かれていたかと思うと羞恥心で顔は熱く、仕事の邪魔をしてしまったかと思うと恐怖心で背中に冷や汗が流れた。
「問題は解決したのかね?」
「あ、はい……。お仕事中、うるさくして申し訳ありませんでした」
◇◇◇
出かける日の前夜、クロエは一枚のチラシを両手で持ちながらベッドに勢いよく寝転がった。猫がぴょんと飛び乗りぐるぐると喉を鳴らして寄り添ってきたので撫でながら話しかける。
「行きたいところ……ドーリーさんは何のお店に行きたいんだろうね? 被るわけにもいかないし難しいな」
夢見ることはあっても実際に異性と出かけたことなどないし、ネットショッピングしたばかりで特にほしい物もない。これまで休日も猫がいるからと屋敷で過ごし、町散策をしていなかったクロエは思案を巡らせ続けていた。
ところが今朝、ポストに入っていた一枚のチラシに気づき、心の中で歓喜の悲鳴をあげた。
手に持ったチラシを高く掲げ眺める。
(今までチャンスは二回あったけど、二回ともシフトの交換をお願いされて行けなかったんだよね)
明日と明後日……どうしよう。土曜にドーリーさんと行くか、日曜に一人で行くか。
でも、私なんかと行ったところでつまらないんじゃ……楽しくないって思われるかも。
――『自分を卑下する人嫌いなのよね』
ローズの言葉を思い出し、ちくりと心に痛みが走る。
好きで卑屈になっているわけじゃない。でも、頑張ってもいつもよくない方向に向かってしまう。自分に向けられる視線が冷たくて怖くて、またミスしてしまう。負の連鎖から抜け出すのは容易ではない。
嫌な思い出に目頭に熱を感じ、鼻の奥がツーンとしてきた。
「……ねぇ猫ちゃん、私と一緒にお出かけしてくれる?」
猫は反応することなく撫でられるのを待っている。
「誘ったのに反応が悪いと嫌なものね」
クロエはふふっと笑い、目尻の薄い涙を拭った。
ドーリーさんが誘ってくれて、ローズさんが選んでくれた服を着ていくんだから、自分も楽しい気持ちで行かないと駄目だ。楽しまない方が失礼極まりない。
窓辺に移動し星空を見上げると、流れ星が落ちた。クロエはぎゅっと目を閉じ、両手を絡ませ願い事を唱える。
(晴れますように! 晴れますように! 晴れますように!)
目を開けると流れ星は姿を消していて、星だけが静かに輝いている。
流れ星に被るように大きなコウモリが二羽飛び去ったのだが、クロエは目を閉じていたため気づかなかった。
◇◇◇
デート当日の早朝にドーリーが部屋まで起こしに来た。
(おしゃれする前の自分を見られてる私って……スタートがもうマイナスっていうね)
出鼻をくじかれ、ちょっと投げやりな気分になってしまったクロエに嵐のような挨拶をぶつけるドーリー。
「おはようクロエ!」
「おはようございます」
「行きたいお店ある?」
「……あの、一旦放してもらえますか?」
ちょっと強引で優しい挨拶から解放されたクロエは、チラシを掲げ、高らかに声をあげる。
「このキッチンカーが今日と明日、なんとこの町に来るんです! 食べた人全員が絶賛するホットドッグで、SNSもやっていなくて幻のキッチンカーと言われてるんです! 私、今まで一度もお目にかかれたことなくて、まさかこんなタイミングでチラシを配っているとは――」
(……あれ?)
会話しているはずだが反応が全くない。相槌がないというより、虚無感が漂ってくる。
ドーリーに視線を向けると無機質な表情だ。
私との温度差を感じる。
(もしかしてホットドッグ好きじゃない!? ……あ、ドッグだから?)
クロエが青ざめて目を泳がせているとドーリーが口を開いた。
「そのキッチンカー、僕が連れていきたいお店だったんだけど」
硬直したクロエの手からチラシがひらりと落ち滑っていった。猫が追いかけ踏みつける。
(ど、ど、どうしよう……被らせちゃった。チラシが入ってたのは昨日だから、被らないと思ったのに……って、あれ?)
「ドーリーさん、行きたいお店があるって誘ってくれたのは一週間前でしたよね? その時もう知ってたんですか?」
「……ちょっと別ルートでね」
「あぁ、そっか。ジャックさん、地主ですもんね」
「ん-まぁ、とにかく。驚かせようと思ってたけどチラシで知っちゃったなら仕方ない」
「す、すみません」
キッチンカーの営業時間は午後六時から深夜零時ということで、昼間の時間が空いてしまった。
目の前で再度行きたいお店はないかと聞かれ、ぐるぐると思考と目を廻した後、チラシで遊ぶ猫を見て猫のおもちゃを買いに行きたいと絞りだした。