01.奇妙な求人
私の名前はクロエ。十五分前に仕事をクビになり、求人掲示板の前で就職先を探している真っ最中。なぜ、早急に次の仕事を求めているかというと、今朝、家賃滞納でアパートを追い出されてしまったから。つまり、今の私はホームレス。
仕事ができない人は人間関係もスムーズにいかないようで、頼れる友人もなく切羽詰まった状態なのである。
安定したくともいつもギリギリで死活問題に直面していた。点々とした生活を繰り返した結果、ミニマリストも驚きの荷物量でドラムバッグひとつの身軽さである。髪の毛はどんなに雑に扱ってもへこたれないストレートな髪質のおかげで美容室要らず。セルフカットのボブを維持している。
こう聞くと家庭環境がやばいのかと心配されるけれど、ごく普通の家庭環境で育ったごく普通の人間と思う。
昨年、父が病気で他界、医療費がとてもかかった。借金するには至らなかったが、家の貯蓄はほぼ底をついた。献身的に看病し支えた母は、やっと解放されたと喜んだものの翌日から寂しい寂しいと言い出し、結果、兄夫婦が同居してくれることに。
私と兄はいつもお互いを尊重し合ってきた。
独り身のクロエが同居したら自分の時間が、未来が持てないだろうと、独身の私を気遣ってくれたのだ。私は私でこんな状況に陥っても、お義姉さんの負担になってしまうだろうと実家に頼らずにいる。
求人掲示板を隅から隅まで血眼になって応募できる求人を探していると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「クロエー! おーい、クロエ!」
名前を叫びながら走ってきたのは、同僚だったアランだ。ドジで失敗ばかりの私にも優しかった人。
もしかして……呼び戻しにきてくれたの?
「財布忘れてたよ。最後までドジだなぁ」
「あはは……ははっ」
自分のヘタレっぷりと勘違いに、虚しさと恥ずかしさで胸が苦しくなる。
崖っぷちの自分が羞恥心など気にしている場合ではないと腹をくくる。アランは一人暮らしだと聞いたことがある。恥を忍んで一晩泊めてもらえないか聞こうと、彼の名を呼ぶ。
「ア――」
「アラン!」
可愛らしい声が被さって、クロエの声はかき消される。
声の主は、アランと同じく同僚だったクリスティーン。今夜、遊びに行く話の途中だったから追いかけてきたと。クリスティーンはアランの腕に絡まるように寄りかかり、私は選択肢を失う。
「クロエ、何か言いかけた?」
「え? あ、いや。後ろからクリスティーンが来てるよって伝えようと……」
二人からお別れと励ましの言葉を貰い、仲睦まじい二人の後ろ姿を見送る。
クロエは視線を求人掲示板へ戻す。貼ってある求人には一通り目を通したが、応募条件に満たなかったり、募集条件が自分とはかけ離れていたりして、決め手になるものがなかった。
視線が落ち込んでいく中、一番下に重なっている求人があることに気づく。ガラス戸に手をかけ横にスライドさせると動いた。施錠しておかないなんて不用心だなと思うも、今の自分にとっては有難いことである。重なっていた上の紙をめくると、奇妙な求人内容が書かれていた。
応募条件:口が堅い方。クモ、ゴキブリ、ネズミが平気な方。生娘。
仕事内容:住込みの洗濯、清掃員。
その他条件:採用面接は夜限定。
住所:レクドール通り2205番地
赤ペンで急募と書き足されている。
(洗濯、清掃と生娘にどんな関係が……?)
怪しいと思ったけれど、紙の端っこに犬の足跡がついていたのが可愛らしくて、妙な安心感を覚えた。
今日の寝床も確保できていない状況で、背に腹は代えられない。住込みなんて好条件、応募の一択しかない。急募なら即採用もあるかもしれないと淡い期待を抱く。
電話で確認したかったが、住所のみで電話番号の記載がなかった。行くしかない。レクドール通りなら、ここからバスで行ける距離だ。
クロエは求人をスマホで撮り、バス乗り場に向かって走った。
「よかった。最終便がこれから来るみたい」
運賃が足りるか確認しようと財布を覗くと、折りたたまれたお札が入っていた。
手に取り広げると付箋が貼ってある。『元気で。A.』と書かれている。Aから始まる名前の従業員はアランしかいない。最後まで優しい。目頭が熱くなり、泣きそう! と思ったところでバスがブレーキ音を立てて到着した。
呼吸を整え、涙を引っ込めバスに乗車する。
バスには数人が乗っていたが、バス停に着く度に一人、また一人と降りていく。
バスに揺られながら、スマホアプリで履歴書を更新する。退職の歴がまた増えてしまった。
撮影した求人内容を見返す。奇妙な内容ではあるが、気掛かりなのはどちらかと言うと求人の紙が年季が入って黄ばんでいたこと。まだ募集しているだろうか。
不安な気持ちが沸き上がるが、今の私に選択肢はない。
視線を感じて顔をあげると、くりっとした二つの目がクロエを見つめていた。
「猫ちゃん。こんばんは」
対面する相手に人差し指を向ける。猫はクロエの人差し指を鼻先で確認する。
停車している合間にバスに乗り込んでしまったのだろう。バッグからカロリースティックを取り出し、かけらをいくつか猫にあげた。
終点到着のアナウンスが流れる。私が最後の一人みたいだ。
運転手に会釈して降りようとしたところ、運転手が不思議なことを言った。
「やっと主人を見つけたか。達者でな」
聞き返そうとするも既に片足が地面を踏んでおり、降り立つと振り返る間もなくドアが閉まってしまう。
「主人……って誰のこと?」
走り去るバスを見ながら首を傾げるが、それどころじゃないと頭を切り替える。就活に集中しなければ。
スマホで住所を確認し歩き始める。と同時に片側に重みを感じ、クロエは悲鳴をあげた。
「ひいぃぃぃっ!!」
恐る恐る首を傾けると、肩掛けのドラムバックの上にバスで見かけた猫が乗っていた。器用にバッグの窪みに丸くなって納まろうとしている。
猫はミャオと鳴いた。まるで、これから宜しくと挨拶するかのように。
「はぁ~~~~びっくりした。……運転手が言ってたのは、もしかしてお前のこと?」
食べ物を与えたことで懐かれてしまったようだ。
クロエは胸を撫で下ろし自分を落ち着かせ、そして猫に視線を落とす。夜道のお伴にちょうどいいねと、一緒に行くことにした。