『吸血鬼対策本部』
● 第一章:合言葉
午前零時を回った都内某所。ネオンの光も届かない裏通りに、看板のない小さなバーがあった。
西園寺健は襟元を正してから、重い扉を押し開けた。四十代半ばの彼は、優しげな目元とは裏腹に、神経質そうに何度もメガネの位置を直す癖があった。
店内はガラガラだった。薄暗い照明の下、バーテンダーが一人、グラスを磨いている。
「いらっしゃいませ」
低く落ち着いた声。西園寺はカウンター席に座ると、小さく咳払いをした。
「ウィスキーのハイボール割を。それと……ピーナッツチョコとチョコピーナッツの、ニンニク添えで」
数秒の沈黙。
バーテンダーの手が止まった。彼は西園寺をじっと見つめ、小さく頷くと、カウンター下に手を伸ばした。
カチリ。
機械的な音が響き、壁に掛けられた大型の風景画がゆっくりと横にスライドしていく。その奥に現れたのは、金属製の重厚な扉だった。
「どうぞ」
西園寺は席を立ち、開かれた扉へと向かった。
● 第二章:地下の会議室
コンクリート打ちっぱなしの通路は、蛍光灯の青白い光に照らされていた。足音だけが虚しく反響する。五十メートルほど歩くと、また別の扉が現れた。
西園寺が扉を開けると、そこには広々とした会議室があった。ホワイトボード、プロジェクター、そして円形のテーブル。すでに三人の人物が座っていた。
「ようこそ、吸血鬼対策本部へ」
最奥の席から、白髪の初老の男が立ち上がって言った。本部長の佐伯だ。
「遅れて申し訳ありません」西園寺は会釈した。
「いや、定刻通りだ。さあ、座ってくれ」
他の二人も西園寺に視線を向けた。短髪の女性・篠原と、若い男・田中だ。
「では、第三十七回緊急会議を始める」佐伯がホワイトボードの前に立った。「本日の議題は『深夜に吸血鬼に襲われた場合の実践的対処法について』だ」
● 第三章:真剣な議論
「まず基本を確認しよう」佐伯がマーカーを手に取った。「吸血鬼の弱点は?」
「ニンニク、十字架、流れる水、陽光です」篠原が即答した。
「正解。では質問だ。深夜二時、あなたは路地裏で吸血鬼に襲われた。手元にあるのはコンビニの袋。中身はカップ麺、チョコレート、ペットボトルの水だ。どうする?」
田中が手を挙げた。「ペットボトルの水を使います! 吸血鬼は流れる水が苦手だから」
「不正解」佐伯は首を振った。「ペットボトルの水は『流れる水』ではない。止まった水だ」
「えっ」田中は目を丸くした。
「では、どうすればいいんですか?」
「西園寺くん、君ならどうする?」
西園寺は眼鏡を直しながら答えた。「まず、相手の目をしっかり見ます。そして『今日はもう遅いので、また今度お願いします』と丁寧に断ります」
しばしの沈黙。
「……なぜだ?」佐伯が眉をひそめた。
「吸血鬼も社会的な存在です。明確な意思表示をすれば、大抵は引き下がってくれるはずです」
「引き下がってくれなかったら?」
「その時は、カップ麺を開けて湯気で煙幕を張りながら逃げます」
篠原が吹き出した。「お湯、どこで沸かすんですか」
「……そうですね。では、チョコレートを投げつけて注意を逸らしてから逃げます」
「チョコレートで……?」佐伯は深いため息をついた。
● 第四章:マニュアル作成
「では次の議題に移ろう」佐伯がプロジェクターをつけた。「我々は今、『吸血鬼遭遇時の公式マニュアル』を作成している。各自、実践的なアイデアを出してほしい」
篠原が資料を開いた。「私からの提案は『常にニンニク入りのお菓子を携帯する』です。例えば、ニンニクチップス、ニンニク飴、ニンニクチョコレート——」
「待って」田中が手を挙げた。「ニンニクチョコレートって、実在するんですか?」
「試作品ならある」篠原は真顔で答えた。「昨日、自宅で作ってみた。味は……まあ、命には代えられないわ」
「持ってきたのか?」
「もちろん」篠原はバッグから小さな包みを取り出した。「試食する?」
全員が顔を背けた。
佐伯が咳払いをした。「次。田中くん」
「はい。僕は『吸血鬼アプリ』の開発を提案します」田中は熱心に語り始めた。「スマホのGPSで、近くの吸血鬼の位置を表示するんです。危険度に応じて色分けして——」
「待て」西園寺が口を挟んだ。「吸血鬼の位置情報を、どうやって取得するんだ?」
「それは……」田中は言葉に詰まった。「吸血鬼にもスマホを持たせて……」
「吸血鬼が協力すると思うのか?」
「うーん……」
佐伯が額に手を当てた。「次。西園寺くん」
西園寺は資料を広げた。「私の提案は『吸血鬼との対話プロトコル』です。まず相手の名前を尋ね、礼儀正しく自己紹介をする。そして『本日は吸われる予定がございません』と明確に伝える——」
「それ、さっきと同じ内容じゃないか」佐伯が指摘した。
「いえ、今回はより詳細なフローチャートを作りました」西園寺は図を指した。「相手が引き下がらない場合は、ステップ2に進みます。『では上司の方をお呼びいただけますか』と言って、時間を稼ぐんです」
「吸血鬼に上司がいると?」
「組織で動いている可能性は否定できません」
篠原が手を叩いた。「それなら『消費者センターに連絡します』って言うのはどう? 不当な勧誘だって主張して」
田中が目を輝かせた。「いいですね! 『特定商取引法違反で訴えます』とか」
佐伯は深く、深く息を吐いた。「……君たち、本当に真剣に考えてくれているのか?」
● 第五章:実演
「では、実践的なロールプレイをしよう」佐伯が立ち上がった。「篠原くん、君が吸血鬼役だ。西園寺くん、君が被害者役」
「了解しました」
西園寺と篠原が向かい合った。
篠原が低い声で言った。「夜分遅くに申し訳ございません。お時間よろしいでしょうか?」
西園寺は即座に答えた。「本日はもう遅いので、また今度お願いします」
「そう言わずに、少しだけ。首を拝見させていただくだけで……」
「お断りします。これ以上勧誘を続けられる場合、警察を呼びます」
篠原は一瞬、笑いをこらえた。「で、では上司を呼んで参ります……」
「その必要はありません。お引き取りください」
「……逃げろ、西園寺! もう襲うぞ!」篠原が突然、役を破った。
「えっ、待って。まだ対話の余地が——」
「問答無用!」篠原が西園寺の肩を掴んだ。
「うわっ、ちょっと——本気で掴まないでください!」
佐伯が額を押さえた。「もういい、もういい。二人とも座れ」
● 第六章:真夜中の真実
会議は午前三時まで続いた。
議論の末、以下のマニュアルが完成した:
**『吸血鬼遭遇時の対処法(暫定版)』**
1. まず、相手が本当に吸血鬼かどうか確認する
2. 吸血鬼だと確認できたら、大声で助けを呼ぶ
3. 近くのコンビニまたは人通りの多い場所へ逃げる
4. ニンニクまたは十字架があれば使用する
5. 翌朝、本部へ報告する
「……これ、常識的な内容すぎませんか?」田中が言った。
「それでいいんだ」佐伯は疲れた顔で答えた。「三時間かけて、我々は常識に辿り着いたんだよ」
「では、本日はこれで解散とする。各自、十分に注意して帰宅するように」
全員が立ち上がった。
西園寺は時計を見た。午前三時十五分。外はまだ真っ暗だ。
「お疲れ様でした」篠原が西園寺に声をかけた。「西園寺さん、帰り大丈夫ですか? この時間だし、一緒に——」
「大丈夫です」西園寺は微笑んだ。「僕、この時間帯は慣れてますから」
「そうですか。でも気をつけて」
「ありがとうございます」
西園寺はコンクリートの通路を戻り、隠し扉を抜け、バーを出た。
● エピローグ
夜風が心地よかった。
西園寺は空を見上げた。雲の隙間から、月が顔を覗かせている。満月まであと三日。
「ふう……」
彼は襟元を正し、メガネの位置を直した。そして、ふと鏡のように反射する店のガラスに目をやった。
暗闇の中、そこには——
誰も映っていなかった。
西園寺は小さく笑うと、夜の闇に溶けるように、静かに歩き去った。
彼の背後で、バーの看板がかすかに揺れた。風もないのに。
プロンプト
「『吸血鬼対策本部』。場所は都内某所。優しそうだが神経質っぽい男が一人隠れ家的なバーへ入る。ガラガラな薄暗いバー。「ウィスキーのハイボール割。ピーナッツチョコとチョコピーナッツのニンニク添え」。数秒の沈黙の後、バーテンダーは無言で隠されたボタンを押す。大型の絵画がゆっくりと動いて隠し扉が開く。男はゆっくりとその扉から入る。コンクリート打ちっぱなしの通路を抜けて隠し部屋に入る。「ようこそ、吸血鬼対策本部へ」。このプロットを元にシリアスコメディ短編小説を書きましょう。この話は深夜に吸血鬼に襲われた時の対処法をシュールに話し合う組織をシリアスコメディに描く作品です。最後のオチは最初に入ってきた男が吸血鬼であると匂わす終わりです。」